詩集『しおり紐のしまい方』から

詩集『しおり紐のしまい方』は2018年6月12日(単に誕生日です)
に版木舎より刊行された著者70歳の時の第6詩集です。翌年2019
年に第14回三好達治賞を受賞しました。発表時の「選考理由」を
以下にコピーしておきます。

「『しおり紐のしまい方』は種々の<あなた>との対話の物語であ
る。心の奥深くに棲む憧れの人、もう一人の自己、妻や家族、自
然、神様、危うい時代等との対話を通して、人生や生活に対する
作者の優しい愛の歌が聞こえてくる。愛することへの強い静かな
意志。柔らかな心。ユーモアがあって、謙譲で、詩とは、元来こ
ういう豊かな、魅力に富んだものであったかと改めて認識させら
れる。序詞「詩集」、「貴婦人」等、幾たびも読みたくなる傑作
である。」(この文章に署名がなかったのですがのちに『文學会』
発表時に以倉紘平選考委員長の選評と知りました。)


選考委員は、以倉紘平(選考委員長)、池井昌樹、高橋順子(以
上詩人)、岩阪恵子(作家)の各氏でした。

編集は柴田三吉さんにお任せし、印刷製本の具体化は村上和生さ
んにお願いしました。表紙カバーは、前作『香る日』を除いた全
ての詩集で絵をいただいている百瀬邦孝さんです。白ページが少
なくなるようケチって片起こしとする一方で、書名にあやかり初
めてしお紐を付けるぜいたくをしました。ちょうど古希の刊行と
なりました(版木舎刊)。


カバー装画 百瀬邦孝
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詩集の構成(目次)


序詩 詩集
 

鹿鳴 
言葉のすみか  
帰宅途中  
どこにも行けないもの  
轍のある草原  
向こう岸  
白夜  
罪のひとつも  
しおり紐のしまい方  


冬の写生  
飲まず食わずで  
隊列のはなし  
まどろみの時  
経歴書  
手袋と春  
宛名は「あなた」  
貴婦人  


雨の日の写真  
変形  
詩人の声が裏返る  
大きな本  
きのうの樹  
やり直し  
木づち  

あとがき  
................................................

序詩 詩集

紙を繰る音がきこえる
誰かが私を読んでいるのだ
だがどこが開かれているのかを
私は知らない

読み終えられたページは束ねられ
暗がりで眠りについている
広げられた見開きだけが「今」を生き
世界をまぶしがっている

灯火の下 文字たちは
煮え立つ料理のように香りたち
書いた者の想いをたぎらせる
食卓を覗き込む影は幸せそうだ

書いた人がいなくなってから
ほんとうの本の命は始まるのだが
無言でうずくまり続ける私の暗がりに
誰かが訪れて灯をともすことなどあるのだろうか

それでも紙をめくる音に目覚める時がある
誰が読んでいるのか分からないのに なぜか思う
ああ あなたでしたか
そして再び深い眠りに襲われる

言葉のすみか

言葉はひととき
私の口に住みついた
そこから出て行く時だけ声をあげ
中には誰も残っていないふりをする
そういう住み方で

お前が死んだか見てやろうと
鏡が口の前にやってきた
そこに映りたくない言葉は鏡を曇らせた
や、この口は生きているぞ
言葉が隠れているんだからな

それでも口はいつか死ぬ
すると言葉は
花から花へ舞い移る蝶のように
ひらひらどこかへのがれて
別のところに住み始める

夜おそい電車のなかで
赤ん坊が声を張り上げてぐずる
がんばれ 言葉のつぼみ
もうすこしして花が咲いたら
蝶になってあそこに行ってやろう

赤ん坊が眠り込むと
生きているのか心配になるほど静かだ
その口の前に近づいていくのは
鏡ではなくて
かすかな息に濡れたい母親の耳たぶ

どこにも行けないもの

空が大地を生んだとき
高いところから落としたので
足がこわれてしまった
だから大地はそこにうずくまったまま
どこにも行けなくなった

その背中で生まれた草木は天に向かって伸び
木々の間から鳥たちは空へ飛び立った

ある夜明け 朝露が言った
小鳥よ 私をお飲み
間もなく消えてしまう前に
空高く私を連れて行っておくれ
私もまた 空から生まれた者なのだから

小鳥は光る露を口に含み
首を空に伸ばして歌った
どんなに高く空を飛んでも
私も最後は地に落ちて横たわるのです
雨粒が地面を恋しがるように

生き物たちは はてしなく死に続け
その遺骸は雪のように降りしきった
どこにも行けない大地の上に
そしてどこにも行けないものだけが
命を生み出した やわらかい死のなかに

何も受け止めることのできない空は
雷を打ち鳴らしたあとの静寂の中に
虹を描いたりした

轍のある草原

      ――おれの夢をあんたにやるから
        あんたの静けさをおれにくれ*

ちいさな鳥にむかって
お前はだれだったっけと老人がたずねても
鳥は空がたずねられたと思って通り過ぎる
音楽はそのように去っていって
心にさざなみだけを残す

地面を這う影に向かって
お前はだれだったっけと老人がたずねても
影は地面がたずねられたと思って通り過ぎる
光はそのように去っていって
陽炎の向こうに遠さだけを残す

なにもかもが遠ざかる草原で
車椅子に乗って風に吹かれている
誰が私をここに置いていったのか思い出せない
もう充分に生きた気もするが
さっきこの世にやってきたような気もする

なくなったものはどこに行ってしまうのか
小さいころから疑問だったが
そこがここだったのか
きっと誰かが遠くのどこかで
私をなくしたのだ

「風をしばっておく方法が
きっとあんたには見つかるまいに」*
昔の恋歌はいつもとつぜん落ちてくる
おまえは誰だったっけと自分にたずねても
いつものように答えは返ってこない

車椅子の跡も轍と呼ばれるのだろうか
誰かがここまでやってきたらしい
馬車のように荒々しい深さではないけれど――
草原にうたの終わりがひかって
老人がほどけ 風になりかけている

*アルゼンチン・ウエジャ舞曲「パンパマーパ」
(詩H・L・クィンターナ)から

向こう岸

対岸どうしが見つめ合っている間を
川が流れていく
そんなふうに水も時も去っていった
さざめいて通りすぎる形を持たぬものたちの背で
あるとき岸のどこかが嗚咽していた
対岸にだけそれが見えた

若い頃みんなが好きだった言葉を覚えている?
「愛とはお互い見つめあうことではなく
共に同じ方向を見つめることである」*
けれど 隣のひと あなたの顔が見えないよ
と同じ側の岸は時々言った
春が来たことも対岸の緑を見て知るのだ

向き合った岸どうしは決して触れ合うことはなく
器になることもできない
同じ方向だけ見ている片側の岸辺は
隣で泣いている堤に気付かない
対岸だけがそれを見て 何もできないでいる
さざなみがまぶしく輝いて 目がいたい

川はいつか堰をあふれてやろうと思っている
感情が人の身の丈を超えてしまう瞬間のように
(遠い昔 氾濫があった)
岸はそうさせまいと手をいっぱい広げ背伸びする
そうして黙って見送り続ける
自分を削って遠ざかる水と時を

時々 小動物が水を飲みにやってくる
喉を潤したあと ふと見上げて
不思議そうに向こう岸を見つめていることがある

     *サン=テグジュペリ「人間の土地」から

しおり紐のしまい方

しおり紐の付いた本は
疲れたらどこでも休みなさいと
木陰をもつ森のようだ

車中であっても 自室であっても
本を閉じるときはいつも 突然くる
何かの理由で顔を上げ その世界をまたいで出る

少し待っておいで すぐに戻ってくるから
そのまま二度と姿を現さなくても
挟まれた紐は 永遠にその場所で待ち続けている

隠れんぼをする子は忘れられたかと思う
探しにきてほしいのは自分ではなく
息をひそめていると光り始める その場所だったが

いつも途方にくれるのが
読み終わってしまった時の
しおり紐のしまい方である

そこから先に行くべき道は消え
目印のやわらかい杭も
もういらなくなったのだ

足の出ぬよう丸くされて
どこでもよいページで眠りにつかされる
暗がりで目をつぶっている胎児のように

人の一生は長い時間をかけて
書き上げられる 一冊の本だと
みんなが言うのを信じかけていた私だった

そうではなかった
自分の物語を読み終えたとき 生は閉じられる
ほかの誰も読みえない私だけの物語だった

その日 私と言葉たちがそこから出て行くと
何もかもが消えた 白いページの中で
しおり紐は 見慣れぬ不思議な文字になる

冬の写生

青空がよく見えるように
葉を落として
木は立っていた
だから世界は透き通ってみえた

ただ一箇所だけくろぐろと
枯れた葉の塊が視界をさえぎっていた
折れた枝が落ちきれず
さかさに吊り下がっていたのだ

びっしり葉をまとってその枝は死んでいた
生きた樹木がすべての葉を脱ぎ捨て
固い樹皮だけで風に耐えている中を

木々を枯らして過ぎ去るので
北風は「木枯らし」と呼ばれた
言葉が見えない風を写生したのだ
続きを見えない絵筆が描きあげた
そこにあるすべては
生きて はだかなだけなのだと

団地の五階から小さな娘が
出勤していく私にいつまでも手を振っていた
声も届かない点になるまで
私も点から手を出して振り返した

冬枯れの景色は遠くを招き寄せる
緑の季節には隠されていたバスが
木々のあいだから姿を現し
ゆっくり曲がってこちらにやってくる

隊列のはなし

とうさんはね 小学生の時から行進が嫌いだった
強拍には左足を出し 弱拍は右足で追う
みんなと違ったら目立たずにすばやく直す
今でも 道を歩く時あらゆるものを左右で数える
窓の続く建物や 横断歩道の縞々を
左足から抜け出たらいいことがある
死ぬまでこの癖は治らないだろうね

オリンピックの入場式は近ごろ
だらだら歩くのでとても好きだ
とうさんの少年時代には一糸乱れず行進した
神が閲兵したくなる光景だった

お前たちがまだ小さかったある夜
かあさんがお酒を飲みすぎて気持ち悪くなった
トイレに行ったけどいつまでも帰ってこない
そこでとうさんが迎えに行った
どうした だいじょうぶか
すると私の後ろから小さな娘のお前が覗き込んだ
そのあとからもっと小さな息子まで
よたよたと歩いてそれに並んだ
わが家でただ一度の一列縦隊だったけど
みんなで整列したのが
戦争でなかったことだけはたしかだ
かあさんだって丸腰だったしね

とうさんはその昔 かあさんの前に
一番にならんだんだけど
お前たちもいつか誰かの前に一番にならびなさい

あの夜 狭くて薄暗い廊下には
洗濯機なんかがあって
その先には電気の消えた風呂場があった

まどろみの時

約束から時を奪ったら 何が残る?
会いたいというぼんやりした憧れだけだ
(時は心の棚で 透明な遺失物となる)

だから愛する人と一緒にいられる者たちは
みな時計を取り戻せない遠くへ捨てる
(時は自分を映しだす鏡を失い 目盛を忘れる)

私の時は止まったけれど 君のはまだ動いている?
ときどき思い出したように 誰かが言う
(水面に揺れる木々の反射像がそれを聞いている)

死が時のかなたに住む約束であるあいだ
私たちは 気付かぬ振りをして幸せに暮らした
(時は止まることはないが まどろみはする)

深夜 別々に目を閉じるのに
同じ一日だったと 光と時が絵を描く
(絵の具にはない懐かしい色が昨日に残される)

だが一人で始めなくてはならない朝が来よう
どちらかが先にゆくのが この世のならいだから
(時は目盛を取り戻し 約束は果たされる) 

あなたがその朝 未知という光の刺に
傷つくことのないように祈っている
(生まれたての新しさは 老人の魂には毒だから)

手を振ってください 私が振り返せなくても
出かける時 いつもしてくれたように
(私の生涯の幸せはその手のそよぎの中にあった)

手袋と春

柵の棒のひとつに
毛糸の手袋がかぶせられていた
あなたの落し物はここ
と手招くように
柵は暖かい帽子をもらったようにうれしかったが
いつまでたっても手袋はそこにあった
寒い季節が過ぎ去り
春が来ても

落とした人は
いつもここを通る人ではなかったのだろう
二度と通らない道をその人は
なぜその日通ったのかを想像する
そしてその日 なぜ手袋を脱いだのかと
冬なのに暖かい日だったのだろうか
でなければ
手袋をしてでは触れることのできない
大切なものをさわったのだ

あれは落とした時に音がしないもの
歩み去る人を
呼び戻そうと声をあげたりせず
地面にうずくまっているもの
自分が仕える手だって口はきかないので
その真似をしたがったのだ

私もたくさんの手袋をなくしてきたから
もう新しいのはもらえなくなった
探しにいくには
この世界は広すぎるし
心の中はもっともっと広い

落とされた手袋よ 
人の手を温められなければ
空を指差せばいいよ
そう思う間もなく
指は何かのスイッチを押したのか
春の日差しがやって来た

貴婦人

あの日は雨が降っていたので
突進していって あなたに傘をさした
私は貧しかったけれど
傘をもっていることが奇跡だったし
幸せだった
あなたは背の低い少年を見て
ほほえんだ

何十年もたってからその話をすると
あなたは笑った
たくさんのことを忘れるために
私は生きているの
でも思い出したわ
あなたではない紳士が一人いらっしゃって
傘をさしてくれたことがあります
あなたはそれを見ていたのね
あの深く暗い雨の合間から

でもその方はとうに亡くなってしまった
そのひとの代わりを
私のために演じてくれなくてもいいの
でも ありがとう
愛を盗み見て
愛を真似ようとしたあなた

思い出の中に雨が降り始めた
私は突進していこうとしたが
そこにはすでに紳士がいて
優雅なしぐさで あなたに傘を差しかけていた
あれは私の傘だ
いつ入れ替わってしまったのだろう
彼はとても美しいので
私は愛を盗み見るこどもになってしまった
あなただけには見られたくないので
そばにいる犬に ちょっとじゃれてから
ひそかに 帰っていった
犬と私は傘がないので
一緒に濡れた
(自分の過去を上映する映画館で
私はいつも薄暗い観客席にすぎない)

さらに何十年もして彼女から手紙が来た
私は白髪の老人となり
彼女はもうこの世にいるはずもなかった

紳士ってこの世に存在するのかしら?
雨がこんなに降っているのに
なぜ来てくれないの?
こんな悪天候の日以外
あなたはどんな役に立つというのでしょう
私の少年へ

雨の日の写真

雨の日の写真を きみは何枚持っている?
雨は降っていても写真に写らない
フレームの端を歩く傘を見て
それと気付くのだ

あの日が雨だったことは誰もが知っている
銃を肩に行進する学生帽の隊列
見送る無数の人々がスタジアムを埋め尽くし
誰かが叫び 少女たちが力のかぎり拍手していた
雨でなかったはずはない
行進曲が雨にぬれ 地面は水びたしだった
その水の面(ルビ・おもて)に逆さに映った少年たちが
一糸乱れず進んでいった
だがその日のフィルムに雨は写っていない
そして誰ひとりとして傘をさそうとはしなかった

幸せの降る写真を きみは何枚持っている?
雨のしずくが写真に写りたがらないように
幸せもレンズを向けるとどこかに隠れてしまう
だから人々はカメラに向かってほほえみかける
笑顔が咲くところには幸せの蝶が来ると信じて
そんな決まりを知らぬげに幼児はべそをかくが
親たちはその写真にこそ目を細める
道行く傘に雨を知るように
端のほうに幸せが写りこんでいるから

戦争の中にいる写真を きみは何枚持っている?
ただの一枚も。赤ん坊として生まれた日から
年老いた今日という日まで ただの一枚も。
奇蹟にも似た貴い時間を私は生きた
だがのちの時代の誰が信じてくれるだろう 
写真に写ろうとしなかった平和の女神の横顔を
雨が樹木を養い 時が新しい年輪を育てた日々を

いま遠くに傘が見える
地表に何かが降っているのだ

大きな本

〈電話帳〉の異名をとった『壺井繁治全詩集』は
いまだにわが家で最大の書物だ
著者にお会いした時 おそるおそる私は訊いた

あの全詩集は まだあるのでしょうか
あるけど重いからね 家まで取りに来てくれたら
割引きして売ってあげるよ

かくしてお宅に伺い 奥様とのお茶にもよばれ
でっかい戦利品をかついで うれしく凱旋
重い本と老齢の詩人は 無名の若者に優しかった

翌年 初めての詩集を携えてお見舞いに行くと
病院はただならぬ気配に包まれていた
老詩人の容態が急変 まもなく旅立ったのだ

「壺井繁治様」と署名した一冊は今も手元にある
勇気がなくて手渡せなかったのだと
なぜか長いあいだ思い込んでいた

何もできずに帰ってくるしかなかったその日
自分の詩集なんか持っていったことが恥ずかしく
記憶が歪んでいったのだろう

老詩人の思い出に 人々は小豆島に詩碑を建てた
「石は 億万年を 黙って 暮らし続けた
その間に 空は 晴れたり 曇ったりした」

〈電話帳〉を抱えた腕も 歪んでばかりの記憶も
詩碑を作って祈り やがて消えていく人たちも
みんな本だ 誰かに何かを手渡そうとした

これは重いものだよ それでも持って行くかい
と 誰かの声が聞こえる 私は目を閉じて答える
これから取りに伺います かならず

木づち

いつまでも歪んでいてはいけない
そう思って トントンと
自分を横から叩いてみた
そしたら反対側がとび出した

自分をうまくトントンできない人は
誰かに頼みましょう というのを思い出して
あなたにおねがいした
同じところなのに
人が叩くと痛いのは不思議だ

それをこらえるには
正しい姿勢になったつもりで
遠くを見ていなさい
とあなたが言った

おろかにも
私はときどき人を信じることがあった
だから遠いところをずーっと見ていた
私の中を木づちの音が通り抜けていった
暗いトンネルを通過する列車みたいに

音はするのに目には見えないんだね
というと あなたは答えた
見るとは外にあるものをつかまえることだけれど
聴くとは来たものを迎えいれること
遠くを見続けるのがつらくなったら
目を閉じていなさい
そのまま眠ってしまってもいいのよ

あなたのやさしい大工しごとは
いつ終わったのだったか
私が目ざめると誰もいなかった
木づちがひとつ落ちていて
私はまっすぐな姿勢になれた気がした

けれど少しだけ歪みが残っていた
自分でも叩くことができるように
残しておいてくれたのだろう
忘れたころ遠慮がちに打ってみる
トン
 


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