2017年12月
★口先
小さかった頃 楽しく話していたら
お前は口先だけの子だね と言われた
育ての母親から
はしゃいでいたので お調子者 とも
静まりかえる恥ずかしさの中で
どうすればよいのか分からず
ただ悲しく しゅんとしていた
小学校では いじめられっ子だったが
不思議な現象も始まった
小さな声で呟いた私の言葉を
隣の子が大きな声で繰り返すと
爆笑がわき上がるのだった
世界の片隅でも
私の口先はひっそり生きのびた
詩に生涯を捧げようと思ったのは
言葉と口先の奇妙な優しさを信じたからだ
讃えられる「行い」を頭を垂れてやり過ごし
口の端に湧く言葉を隠して生きてきた
人はなぜこれほどまでに「口先」を嫌うのか
言葉を得て 獣を捨てた人間の心に
密かに言葉を憎む 獣の影がよぎるからか
言葉も理屈も嫌っていた母だが
なぜか諺はとても好きだった
律する言葉は「行い」に似ていたからだろう
けれど おかあさん
心はただ口先にだけつながっているのです
うとまれた口の先で呟いた言葉を
隣のお調子者が大声で得意げに言ってくれます
彼と私の区別がつかなくなったのは
いつ頃からでしょうか
ほら 今 みんなが笑ってくれました
いじめる時とはちがう やさしい目で
2017/12/01up 『詩と思想』2017年12月号に掲載(一部改稿)
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2017年11月
★しおり紐のしまい方
しおり紐の付いた本は
疲れたらどこでも休みなさいと
木陰をもつ森のようだ
その柔らかい紐を はずしたり挟む時は
くすぐったいだろうけど
きゃあきゃあ言うのはやめなさい
車中であっても 自室であっても
本を閉じるときはいつも 突然くる
何かの理由で顔を上げ その世界をまたいで出る
少し待っておいで すぐに戻ってくるから
そのまま二度と姿を現さなくても
挟まれた紐は 永遠にその場所で待ち続けている
隠れんぼをする子は忘れられたかと思う
探しにきてほしいのは自分ではなく
息をひそめていると光り始める その場所だったが
いつも途方にくれるのが
読み終わってしまった時の
しおり紐のしまい方である
そこから先に行くべき道は消え
目印のやわらかい杭も
もういらなくなったのだ
足の出ぬよう丸くされて
どこでもよいページで眠りにつかされる
暗がりで目をつぶっている胎児のように
人の一生は長い時間をかけて
書き上げられる 一冊の本だと
みんなが言うのを信じかけていた私だった
そうではなかった
自分の物語を読み終えたとき 生は閉じられる
ほかの誰も読みえない私だけの物語だった
その日 私と言葉たちがそこから出て行くと
何もかもが消えた 白いページの中で
しおり紐は 見慣れぬ不思議な文字になる
2017/11/01up 『冊』56号(2017年11月刊行)に掲載
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2017年10月
★温かい闇
----光はやみの中に輝いている。そしてやみはこれに勝たなかった。(ヨハネ福音書第一章第五節)
月をとってくれろと泣いた子は
諦めて家に帰ると そのことを忘れ
安らかな闇の中で眠った
太陽を欲しがった子らは諦めず ついに
地球上にそのかけらを作りあげた
どうしても生き物の上に落としてみたかった
木や草がなぎ倒され 獣や人が死んでいった
ジャパンという実験用テーブルの片隅に
ヒロシマとナガサキのプレートが付けられた
光あれと神が言うと 光はあった
それは どんなにむごたらしくても
始まりとして讃えられねばならぬのか
だが誰も何も言わない前には 闇があった
愛がそこに倒れこんだあかしに
赤ん坊の産声が湧き上がる温かな暗がりとして
願いを満たすのは得ることだけではない
わが手にあるものを捨て去る知恵に目覚めた
新しいヒトの歴史をはかなく夢見る
人工の太陽片が地表から消える日には
遠く照らされることの温かさを思い出しもしよう
その日が滅びの日に追い抜かれぬことを祈る
輝きすぎて不可視の閃光たちが競い合っている
闇よ おまえは勝たなくていい
子どもたちの寝息がかすかに聞こえている
2017/10/01up 『詩人会議』2017年11月号に掲載
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2017年9月
★いい子でいた週末
娘がまだ小さかった頃
床屋から帰ってきたら
知らない人が来たと思ったか
遠巻きに見ていて私に近づかない
だっこされたがる娘を
畳におろすと泣き出すので
休日は仕事してるより疲れる
というのが口癖であったが
安楽でいい土日だと強がる私に
妻の目は同情を隠さない
見知らぬ人が闖入してきたので娘は
こんなにいい子である
月曜日に仕事に出かける時がきた
カバンを持った私をみて
娘は父親であることに気付いた
走ってきてだっこをせがむ
私の顔は髪型と一体となっており
私の存在はカバンなくしてありえない
父親と分かったのでいつまでも手を振っている
ちゃんと会社に行っておいで と
2017/09/01up
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2017年8月
★詩人の声が裏返る時
戦後まもない日本に
特別急行列車「平和」が幾度か走ったと
甲田四郎さんが詩に書き 朗読した*
それらが短命だったのはなぜだったのか
東京大阪間は三か月、東京長崎間は二年足らず
大阪広島間は八か月 以後は行方不明
人を笑わせるのが得意な高い声が
「平和」の箇所できまって裏返り 涙声になる
「へいわ」という言葉は 口から出てゆく時
大のおとなを泣かせるのだった
いや そうではない 大きななりはしているが
本当は少年が泣いているのだ
戦争を暮らしたことのない私は年老いて
それを知る少し上の爺様と同じ世を生きている
知っていることと知らないことは
こんなにも近く こんなにも遠い
わたしには
見知らぬ者からの贈り物のような平和だった
自分の物として使ってよかったのだろうか
そろそろ返してもらおうか、と近づく影がある
戦争は幼年時代から身につけるべきもの
おまえは役に立たないから さあ赤児をここへ
いつの時代もそうだった
戦争に反対して詩人たちが集まって
いったい何ができただろう
言葉にわずかな命を吹き込むこと以外に
裏返った声の「へいわ」が会場に響くと
遠く木漏れ日の中を列車が走っていく
幻ではない 名前は消えても私たちが乗っている
*この朗読を聴いたのは二〇一四年一〇月四日「九条の会・詩人の輪」。
詩「平和」はその後『新編甲田四郎詩集』(新・日本現代詩文庫130)の「未刊詩篇」に収録。
2017/08/01up 『詩人会議』2017年8月号掲載
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2017年7月
★ちいさな肩
永遠を見たことがあると
人は言いたがるものじゃ
後姿だけは見たことがある などとな
幸せなやつらよ
憧れを 大事な嘘のように体に刻めるとは
見た者はその恐ろしさを忘れるために
あらゆることをするというぞ
捨てても捨てても 決して消えることはないがの
忘れるのは貧しい意志の力ではかなわぬこと
最初から見ようなどとはせぬことじゃ
だがわしは あるおだやかな夜に
そのお姿を感じたことはある
誰も信じまい 信じてもらおうとも思わぬ
わしのとなりを歩いてござった
ちいさな肩のようであった
あの時 手をのばせば触れえた
ちいさくてやさしげなものを
わしは風のように感じていただけじゃった
隣を見まいとすれば まっすぐ前だけ向いていることじゃ
そのお顔を覗き込むことなど 誰に許されよう
かの方は自分を見失った者を責めたりはせぬ
見た者を滅ぼすわが身をご存知ゆえにの
盗み見ることさえせなんだわしは
かくも息災ぞ 幸せなことにな
思い出せば 時を経るごとにしんとしてきおる
なぜか かすかな勾配をのぼる気がした
終わらぬ者の傍らとはそのようなものなのであろう
静かじゃった 信じられんほどに
それでも かすかな足音をたてておられた
見ずとも別れは来る 名残りを惜しめ とな
2017/07/02up 『きょうは詩人』36号(2017年4月刊)に掲載
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2017年6月
★宛名は「あなた」
少女が赤いポストの前に立っていた
郵便局の青年がやってきてポストの背中を開け
手紙や葉書を 別の袋に入れ始めると
少女は言った あなたが来るのを待っていたんです
私がこの中に落とした手紙を返して下さい
青年は笑いながら答えた
お手伝いをしますよ で 宛名は?
少女は泣き声になって手紙類の海をまさぐった
「あなた」に書いたのは間違いありませんが
名前を存じ上げなかったので……
何も書かれていない白い封筒を拾い上げて
青年はやさしく言った
私たちには届けるのが難しかったかもしれません
少女は上気し ちいさな声で呟いた
すみません
郵便配達の青年は年老いて
時々その日のことを思い出すことがあった
一緒に手紙を探しているとき
かすかに触れた少女の手の温かみが
自分の全身を駆けめぐったことも
遠くに住む「あなた」にたどり着くために
手紙はところ番地という橋を渡り
名前という門を叩かなくてはならない
けれど その日
目の前の「あなた」へ 橋がなかった
たくさんの「あなた」と
果てしない距離の糸を集配袋に詰め込むと
青年は次のポストへと去っていった
自分がひとつの「あなた」を生きていることを
人は時々忘れて道を急いでいることがある
2017/06/02up 『きょうは詩人』36号 (2017年4月刊)に掲載
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2017年5月
★大きな本
<電話帳>の異名をとった『壺井繁治全詩集』は
いまだにわが家で最大の書物だ
著者にお会いした時 おそるおそる私は訊いた
あの全詩集は まだあるのでしょうか
あるけど重いからね 家まで取りに来てくれたら
割引きして売ってあげるよ
かくしてお宅に伺い 奥様とのお茶にもよばれ
でっかい戦利品をかついで うれしく凱旋
重い本と老齢の詩人は 無名の若者に優しかった
翌年 初めての詩集を携えてお見舞いに行くと
病院はただならぬ気配に包まれていた
老詩人の容態が急変 まもなく旅立ったのだ
「壺井繁治様」と署名した一冊は今も手元にある
勇気がなくて手渡せなかったのだと
なぜか長いあいだ思い込んでいた
何もできずに帰ってくるしかなかったその日
自分の詩集なんか持っていったことが恥ずかしく
記憶が歪んでいったのだろう
老詩人の思い出に 人々は小豆島に詩碑を建てた
「石は 億万年を 黙って 暮らし続けた
その間に 空は 晴れたり 曇ったりした」
<電話帳>を抱えた腕も 歪んでばかりの記憶も
詩碑を作って祈り やがて消えていく人たちも
みんな本だ 誰かに何かを手渡そうとした
これは重いものだよ それでも持って行くかい
と 誰かの声が聞こえる 私は目を閉じて答える
これから取りに伺います かならず
2017/05/01up 『詩人会議』2017年6月号に掲載
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2017年4月
★微睡(まどろみ)の時
約束から時を奪ったら 何が残る?
会いたいというぼんやりした憧れだけだ
(時は心の棚で 透明な遺失物となる)
だから愛する人と一緒にいられる者たちは
みな時計を取り戻せない遠くへ捨てる
(時は自分を映しだす鏡を失い 目盛を忘れる)
私の時は止まったけれど 君のはまだ動いている?
ときどき思い出したように 誰かが言う
(水面に揺れる木々の反射像がそれを聞いている)
死が時のかなたに住む約束であるあいだ
私たちは 気付かぬ振りをして幸せに暮らした
(時は止まることはないが まどろみはする)
深夜 別々に目を閉じるのに
同じ一日だったと 光と時が絵を描く
(絵の具にはない懐かしい色が昨日に残される)
だが一人で始めなくてはならない朝が来よう
どちらかが先にゆくのが この世のならいだから
(時は目盛を取り戻し 約束は果たされる)
あなたがその朝 未知という光の刺に
傷つくことのないように祈っている
(生まれたての新しさは 老人の魂には毒だから)
手を振ってください 私が振り返せなくても
出かける時 いつもしてくれたように
(私の生涯の幸せはその手のそよぎの中にあった)
*二〇一七年四月十七日、結婚四十年の記念日に妻、上手洋子に捧げる。
タイトルには、せめてもと宝石の名で呼ばれる振り仮名(ルビ)を配した。
2017/04/01up 『冊』55号に掲載予定。
注にルビを配した、と書いたがこのページでそのやり方がわからないので()で代用した。40周年はルビー婚。
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2017年3月
★名をなのれ
電話のベルに応答する
「ただいま電話にでることができません……」
そこで切れれば平安が訪れる
案内音声がさらに続くと
別室の私はゆっくり立ち上がる
「信号音のあとにお名前とご用件を……」
ダルマサンガコロンダ を唱える鬼の背中に
私は近づいていく
案内のあとの信号音が鳴ってもなお切れないのは
伝言をこれから残す気なのか
留守録が始まったらただちに送受器を取る約束だ
が、そこで一拍おいて たいてい切れる
言葉ではなく ためらいが記録される
短い助走と諦めへの失速が
私はきびすを返して自室に戻る
友人であったかもしれない
ならば 名をなのれ
大切な要件なら伝言するがいい
電話に出ないことで人の生き死には起こらない
友人と思って招じ入れたら あやしげな物売りが
何かをまくし立てている
問答無用と切り裂き 死体を表に放り出す
電話の応対とはそのようなものだ
それでも信号音のあとに友人の声が
現れないとは限らないので
ゆっくり立ち上がって受話器のほうへ
歩き始める私である
あいつは出ない とみんなは思っているが
私は毎日 その方角に
歩き始めてはいるのだ
電話ぎらいの生涯の
人からは見えない空間の中で
2017/03/01up 『澪』47号(2017年3月刊)に掲載
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2017年2月
★。(句点)
一つ文章が終わったら 欧米では「.」をつける
ペン先をそこに押し付けるだけ
中には心もちグリグリと力を込める人も?
日本では「。」を書く
塗りつぶさない白地を残しつつ
あくまでちっこい輪っかを隅のほうに
小学校にあがったばかりの子どもは
鉛筆に全身の力を込めてこの小円を描く
無器用ながらも何かを完成させる真剣さで
書かれるマルのほうだって力が入る
少し太すぎる と思いつつも
こんなに大事に書いてくれることがうれしい
私は大きくなったので丸をさっと書き流す
ふつうは時計まわりだけど
逆のあなたって新聞記者あがり?
でも昔小学生だった私は考える
この小さな丸をペンで最近書いたのはいつか
たまに書く葉書くらいしか思い出せない
なので書き方が下手になっている気がする
でも心配ご無用 誰も見てません
ちいさな丸のできばえなんか
今は鉛筆もペンも使わず右手薬指でキーを押す
無意識に数え切れないほど打っているので
どのキーかも覚えていない 見たら「る」だった
主語にも述語にもなれない記号なので
文になれないのは道理だが
これがないと文に鍵がかからない
詩がふわふわしてるのは この留め具がないせい*
だが今回にかぎり 特別に付すこととする
これは詩です。ちがい分かった?
*句点を使った詩もありますが、一般的に短詩系文学では句読点を避ける傾向が強いので。
2017/02/01up
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2017年1月
★鹿鳴のとき
嘘はその場で食べてしまえばおいしく終わるが
丹精して育てればこの世を豊かにする
嘘はこの世に実在しない物体なので
柔らかさが夢と似ている
ただ夢は勝手にやってきて すぐに遠ざかるのに
嘘は自分で作らねばならず 死ぬまで消えない
動物は子孫を残すために死に物狂いで戦うが
あそこにだって戦術や嘘がある
弱いのに雌を得た雄がいたとしたら
だまされたいほど美しい嘘があったのだ
一生だまし続けてくれている雄がいとしい
目から涙を流して雌鹿が立っている
お前の細い脚に 触れていいかな
追いつけなくなれば倒れて空を見上げるだけ
丘に広がる大きな空は虚とよばれ
口からゆっくり吐かれた空は嘘になるという
鹿たちの鳴き声が遠くまで響きわたり
剥がれ落ちるように日暮れが近づいている
嘘を植えても育たない砂漠というところへ
私はこれから行こうと思っている
2017/01/04up 『詩人会議』2017年1月号に掲載(この欄に掲載するにあたり一部改稿)
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2016年12月
★詩集
本をめくる音がきこえる
誰かが私を読んでいるのだ
だがどのページが開かれているのかを
私は知らない
読み終えられたページは束ねられ
暗がりで眠りについている
広げられた見開きだけが「今」を生き
世界をまぶしがっていよう
灯火の下に開かれたページでは
煮え立つ料理のように文字たちが香りたち
書いた者の想いをたぎらせる
食卓を覗き込む影は幸せそうだ
スクロール(巻物)の時代は遠く去り
コデックス(冊子)ばかりの日々になっても
棲み家を見失った言葉だけが顔を出す
「もうお前は一巻の終わりだ」などと
漢字の「本」がかたどるのは「木の下」で
草木を数える語として生まれたという
優しくしなやかな者たちと暮らすうちに
「おおもと」の意味に育っていったのだ
書いた人がいなくなってから
ほんとうの本の命は始まるのだが
無言でうずくまり続ける私の暗がりに
誰かが訪れて灯をともすことなどあるのだろうか
それでもその音がきこえてくる時がある
風に揺られて草たちがかすかにざわめくと
忘れられたページが一枚めくられる
私のなかのどこかで
2016/12/01up 『冊』54号(2016年11月刊行)に掲載
『詩と思想』2018年1・2合併号「2017ベストコレクション」に再録
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2016年11月
★帰宅途中
夕暮れが私に来た
電車から降りて さあ歩くぞと思う
歩くのは楽しい
考えなくても勝手に足が運んでくれる
でもそこにきまって あなたがうずくまっている
帰り道がわからないと
帰宅初心者にはよくある勘違いだ
行く先を思い浮かべようとするからいけない
足に任せればいい
着いたところが行く先なのだから かんたん
けれど 赤い夕焼けを背景に
あなたはシルエットになって私を見ている
私がむかし愛したあらゆる人たちの顔が
逆光の中に溶け込んでいる
自分の家に帰りなさい と諭しても
見えない顔は私を見つめるだけだ
さっきまであったのに
もう歩くための足もない と
あなたがずっとそこにいることは 樹木なら正しいが
動物としてはまちがっている
と私は説得するのだが
気付けば私もそこに根付き始めている
思い出にみとれて立ちどまる者は
枯葉を足元に落としがちだ
自分に気付かれない 時の数えかたで
そうして今日も 家にたどり着けない
夕暮れが私にやってくると
顔の見えない影と
ずっと話をし続けなくてはならない
歩き始めさえすれば
足が勝手にうちまで運んでくれるはずなのに
駅を出たところに
二本のイチョウの木がある
その傍らを毎朝夕通る人たちは
昼間 そんな木はないことを知らない
2016/11/01up 『詩と思想』2017年3月号に掲載時に一部改稿
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2016年10月
★向こう岸
対岸どうしが見つめ合っている間を
川が流れていく
そんなふうに水も時も去っていった
さざめいて通りすぎる形を持たぬものたちの背で
あるとき岸のどこかが嗚咽していた
対岸にだけそれが見えた
若い頃みんなが好きだった言葉を覚えている?
「愛とはお互い見つめあうことではなく
共に同じ方向を見つめることである」*
けれど 隣のひと あなたの顔が見えないよ
と同じ側の岸は時々言った
春が来たことも対岸の緑を見て知るのだ
向き合った岸どうしは決して触れ合うことはなく
器になることもできない
同じ方向だけ見ている片側の岸辺は
隣で泣いている堤に気付かない
対岸だけがそれを見て 何もできないでいる
さざなみがまぶしく輝いて 目がいたい
川はいつか堰をあふれてやろうと思っている
感情が人の身の丈を超えてしまう瞬間のように
(遠い昔 氾濫があった)
岸はそうさせまいと手をいっぱい広げ背伸びする
そうして黙って見送り続ける
自分を削って遠ざかる水と時を
時々 小動物が水を飲みにやってくる
喉を潤したあと ふと見上げて
不思議そうに向こう岸を見つめていることがある
*サン=テグジュペリ「人間の土地」から
2016/10/01up 『詩人会議』2016年11月号に掲載
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2016年9月
★変形
「見」という字には二本の足があり
どこかへ歩いて行きたがるので
目は運ばれていろいろなものに出会うのだった
ある日 ころんで中の棒が一本はずれ
外に飛び出した
しかたないのでそれを片手に歩いている
その時から「児」の形になった
棒をかざして襲いかかろうとするようにも
盾で身を守っている姿勢にも見えた
戦うのはいつも「児」たちだと
辛そうに「親」たちが見ている
我がままが通らなければ力に頼るのが慣わしの世界で
手に持つ棒も 中の棒も捨てると「兄」になる
「口」は大きいことを意味するので兄だという
口で話しあえる者は戦(いくさ)より大きな者だ
「児」に戻って武器や盾を持ってはならない
大きな「兄」であれ
世界を歩いていく二本足に乗った口となれ
だが 児どもたちはある日 もう歩かなかった
見れば二本足が磨り減ってしまい
「旧」となって墓石のように地上を覆っている
行軍はそこに果て あなたの「児」は戻ってこない
長い時間をかけてついに
「旧」の世に辿り着いたからには
2016/09/01up 『民主文学』2016年10月号掲載
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2016年8月
★四の気配
死んだ人の特徴は起き上がってこないことで
だから昨日起きていた自分につなげる必要も消える
しかし死んだように眠ったあとでも 起き上がったのなら
昨日の自分につなげなくてはならない
時々昨日につなげるところを
遠い昔につないでしまう人もある
あなたは誰?ここは私の家ではない
家に帰らなくては
亡くなる少し前 家族で施設を訪ねると
継母は二人の孫たちを見ては繰り返した
あとの二人はどうしたんだい
今日は来ないのかい?
妻と一緒に笑って答えた
うちは最初から二人しかいませんよ
しかし、少したつと同じことを訊くのだった
あとの二人はどうしたんだい?
帰りのバスでそのわけに気付いた
あれは自分が育てた子どもの数だ
上の三人は産まなかった子ども
一番下の子だけが実の息子だった
少年時代、差別されて育ったとひがんだ私たち
食べるものも違っていたし
喧嘩すれば悪いのは年上と決まっていた
末っ子だけが親が違うことを知らずに育った
それでも母親にとって
私たちはいつも四人だったのだ
継母の記憶は その時代につながったのだろう
成人してから死んだ息子は靄のむこう
昨日から今日
今日から明日へと九六年間も間違えずに
つなげ続けてきたのだ 緊張が解かれる日もこよう
その時 人は一番大事なことだけを覚えている
わいわい言いながらそこにいた小動物のような私たち
数えなくてもわかる四つの生き物の気配
どうしたんだい?
あとの二人は今日はこないのかい?
2016/08/01up
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2016年7月
★隊列のはなし
とうさんはね 小学生の時から行進が嫌いだった
強拍には左足を出し、弱拍は右足で追う
みんなと違ったら目立たずにすばやく直す
今でも 道を歩く時あらゆるものを左右で数える
窓の続く建物や、横断歩道の縞々を
左足から抜け出たらいいことがある
死ぬまでこの癖は治らないだろうね
オリンピックの入場式は近ごろ
だらだら歩くのでとても好きだ
とうさんの少年時代には一糸乱れず行進した
神が閲兵したくなる光景だった
お前たちがまだ小さかったある夜
かあさんがお酒を飲みすぎて気持ち悪くなった
トイレに行ったけどいつまでも帰ってこない
そこでとうさんが迎えに行った
どうした だいじょうぶか
すると私の後ろから小さな娘のお前が覗き込んだ
そのあとからもっと小さな息子まで
よたよたと歩いてそれに並んだ
わが家でただ一度の一列縦隊だったけど
みんなで整列したのが
戦争でなかったことだけはたしかだ
かあさんだって丸腰だったしね
とうさんはその昔 かあさんの前に
一番にならんだんだけど
お前たちもいつか誰かの前に一番にならびなさい
あの夜 狭くて薄暗い廊下には
洗濯機なんかがあって
その先には電気の消えた風呂場があった
2016/07/01up 『詩人会議』2016年8月号掲載
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2016年6月
★やり直し
問いは答えを招き寄せようとして
違う新たな問いばかり集めてしまう
たくさんの「なぜ?」に取り囲まれて
私は生を終えるのだと思う
かと思えば 大地や空や木々が
模範解答みたいに目の前に繰り広げられる
誰も問いを発していないのに
美しい解が無言で訪れては翼を休めるのだ
その光景はあまりに懐かしさに満ちているので
私は世界の全てを知りつくして
生を終えるに違いないと思う
(あれ さっきとは逆ではないか)
まったく逆のふたつが住み着いている私は
複雑な心をもった単純な器なのか
「なぜ」というやわらかな未知の光に抱かれた世界を
私はすべて知っていると感じるのだ
複雑なものは単純なものを笑うけれど
単純で透明な一歩だけが私たちを支えてくれる
幼児は未知への歩幅を断崖のように恐れても
ついにはその小さな空をまたぐ
鳥が飛ぶとき
つばさが切るその風によって
自分があることを知る
こんなにも自分はあると
雨が降ってあがったら
さあ 最初からやり直しなさいと
空や大地や木々をまた出してくれた
誰がそれを?と問うのをやめた時 ここが地上だ
2016/06/01up 06/15 改稿 『澪』46号(2016年7月刊)に掲載
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2016年5月
★古代の手紙について
そのむかし
ひとには手紙というものをやりとりする悪習があった
信じられないことに
宛先と 差出人というものが必要だった
現代では 発信は相手を指定しないから許される行為だ
伝えたいことを一人に限るというのは
公平と博愛の原理にはなはだしく反する
法がある限り許すことはできない
なぜ 書いたものを読んでもらう相手を指定したのか
受け取った者は苦しみののちに君を密告した
その者の気持ちがわからないのか
私はただ 告発を受理する担当官にすぎない
職務上 これを言わねばならないのが残念だ
だが、それ以上に きみが自分自身を
告発したことに気付いていないのが不思議なのだ
自分を愛しすぎて 自分へのユダとなったことを
その後の調べでは 君は手紙を書いたあと
自分が誰に書いたのかを覚えていなかった
それこそ つつましくやさしい現代の発信だ
最初から名を忘れていれば罪にはならなかった
自分自身に語ったことを憶えていない
それこそ 人知の及ばぬ彼の人が
望まれたことだ
記憶できない者が 紙に記すことがお嫌いなのだ
差出人も あて先も 遺してはならぬ
汝(な)が名はアノニマス 無名にして全てである者
固有名詞は人称代名詞の美しさの中に溶けて消えよ
「貴方への愛」という古風な言い回しこそ不滅だ
愛は法で守らなければならない
守られない愛は十字路で命を落とす
そのために 私は固有の汚れを全て削り落とした
裁判官こそ自らの名を忘れた純白そのものだ
神も恋文に署名されたことなど一度もない
あまねく愛を放射されることの代償は
誰かに自分を愛しているかと訊く勇気を失うことだ
問えば答える先を記さねばならぬことこそ恐ろしい
壁に残された署名なき落書きの無垢をたたえよ
サインが罪びとを作ることは以上で語りつくされた
次章で論じなければならないことは
罪の所有者ではなく 罪そのものについてである
2016/05/07up
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2016年4月
★あしたの天気
望むと願うは どう違う?
欲することのためにすべきことがあれば「望む」
神や運命がしてくれるのを待つだけなら「願う」
似たようなもんだから ひとくくりに「願望」
そうはいっても違いはみんな分かっている
可愛い「のぞみ」ちゃんはたくさんいるが
「ねがい」ちゃんはあまり聞かない
親たちが決して付けたりしない名前なのだ
あした天気になあれ、は子どもたちの願いだが
旱魃を終わらせるためこれより雨を降らせようぞ
は巫女と農民たちの必死な望み
(生贄が必要じゃ、若くて清らかな娘の命がの)
雨を呼べない王は殺されて当たりまえ
未開の心はほんの数代前まで日本にもあった
壊れぬ橋を架けるには何というても人柱じゃ
埋められた少女が独りで出水と闘こうてくれる
望みも願いもせずに未来を当てるのは予報
猫が耳を撫ぜていたら雨が近い
下駄を遠くに蹴り上げて表なら明日は晴れ
生贄はいらないが 夕闇の中のけんけんは必要
予報は頼りなくて当たり前
外れて雨になったらかばんを頭に走ればいい
のぞみちゃんに傘を差し出したことだってある
少しかげった傘の下はどことなく温かかった
「夕焼けの翌日が晴れというのは迷信ではなく
科学です」と 昔 大好きな先生が言った
それから長いあいだ 科学に憧れて生きた
今では 天気も自由にできない科学こそ慕わしい
2016/04/01up
『詩人会議』2016年6月号に掲載(04/04一部修正)
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2016年3月
★うわさ
この世が存在している
という不思議なうわさについて
あなたはどう思いますか
そんなものは影も形もない
という話も聞くのですが
その影とか形とはどのようなものでしょうか
それにしても
そんなうわさを私はどこで聞いてきたのだろう
世界には私とあなたのふたりしかいないのに
うわさのしかたを教えてください
私とあなた以外のことを話せばよいのですか
それなら私たちの外にも世界はあるのですね
あなたと私がいることに不思議はない
話しかける相手がいなければ
言葉たちが生まれるはずもないのだから
あの知恵と死をもたらすリンゴを食べてから
私たちは働かなくてはならなくなり
子どもを産んだり育てたりするようになりました
今 地表は人であふれ
楽しいうわさばなしの花ざかり
おとぎ話や英雄物語、それに神さまの言い伝えまで
それから果てしない時間が流れ去った
時を憶えてはならない話に必ず付けられる
今は昔 の前置きさながらに
ある日 夫を失った老婦人が呟いた
人がみんなずれていなくなるのは
なぜなのかしらね
テレビにたくさんの人が映っているわ
この世が存在している
という不思議なうわさのように
「ふたり」という器が壊れてからというもの
そこにうわさが盛られることもない
この静まり方は世界の始まりのよう
止まらぬ時の流れの中でひとりって不思議ね
あなたはどう思います と訊いても
答えはない
2016/03/01up
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2016年2月
★独白の日
独り言をみんなに向かって言う
世界は沈黙している
誰にも聞こえない約束だから
胸のうちを語るがいいよ
気付けば 私は観衆の前で
大声でわめいている
全世界が耳をそばだてて聴いているのに
誰もうなずいたりしてはくれない
自分に何を知らせたくて独り言を叫ぶのか
いや 何を知らせたくなくて?
大声も身振りも肉体のすることなので
永遠に続く「今」に閉じ込められている
一度でいいからそこから外れてみたい
そこには観衆なんかいないと思うんだ
だがなにもかもが手遅れだ
科白は私の血や肉や息に溶け込んでしまった
始まりも終わりも忘れた「今」だけが
私という舞台にひしめいている
演技がとうとう完成した思い出に
筋書きが観客たちの耳に置き忘れられる
2016/02/01up
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2016年1月
★雨の日の写真
雨の日の写真を きみは何枚持っている?
雨は降っていても写真に写らない
フレームの端を歩く傘を見て
それと気付くのだ
あの日が雨だったことは誰もが知っている
銃を肩に行進する学生帽の隊列
見送る無数の人々がスタジアムを埋め尽くし
誰かが叫び 少女たちが力のかぎり拍手していた
雨でなかったはずはない
行進曲が雨にぬれ 地面は水びたしだった
その水の表に逆さに映った少年たちが
一糸乱れず進んでいった
だがその日のフィルムに雨は写っていない
そして誰ひとりとして傘をさそうとはしなかった
幸せの降る写真を きみは何枚持っている?
雨のしずくが写真に写りたがらないように
幸せもレンズを向けるとどこかに隠れてしまう
だから人々はカメラに向かってほほえみかける
笑顔が咲くところには幸せの蝶が来ると信じて
そんな決まりを知らぬげに幼児はべそをかくが
親たちはその写真にこそ目を細める
道行く傘に雨を知るように
端のほうに幸せが写りこんでいるから
戦争の中にいる写真を きみは何枚持っている?
ただの一枚も。赤ん坊として生まれた日から
年老いた今日という日まで ただの一枚も。
奇蹟にも似た貴い時間を私は生きた
だがのちの時代の誰が信じてくれるだろう
写真に写ろうとしなかった平和の女神の横顔を
雨が樹木を養い 時が新しい年輪を育てた日々を
いま遠くに傘が見える
地表に何かが降っているのだ
2016/01/02up 『詩人会議』2016年1月号に掲載
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2015年12月
★きのうの樹
きのうあった樹木が今日おなじところで
待っていてくれるとは限らない
誰も見ていない明け方に
どこかへ歩いていってしまうからだ
暁の暗がりに
高くそびえる樹木は
はるかな地平線にうずくまる陽を見つける
光が立ち上がったら居ても立ってもいられない
あそこへ行きたい あそこへ行きたいと
露に濡れた無数の葉をざわめかせ
陽に向かって枝を差し伸べる姿は
不憫で見ていられぬという
思いに負けて木を縛り付けていた土が消え去ると
無数の根たちが地上に這い上がり
ゆっくりと歩いて行くという
高くを目指すことを捨て距離を歩む生き物になって
うれしさのあまり長い影を忘れて行くものもある
日時計のかたみのように
自分は歩み去ったと信じているだけで
そこに大きな切り株が残されていることもある
だが居なくなった樹木に気付く人は少ない
何かがないことが放つ
不思議な明るさだけがそこにある
木に会いに来た老人は場所を間違えたかと惑う
どこにも行けない者こそ世界に遠さを与えていた
花に集う虫や 実をついばむ鳥たちは
木に託された遠さで広々とした地図を編みあげたが
けさ それをどこかに捨てるため永遠に飛び去った
2015/12/01up 『冊』53号(2016年5月刊)に掲載
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2015年11月
★刻限
問うた人はもう
問うたことも忘れたのに
答えようと
今も考え続けている人がいる
それに気付かせることがやさしさであろうか
もう答えるべき刻限は過ぎ
問うた人はどこかへ帰ってしまった
顔をあげなさい ほら一人きりですよと
見回して誰もいなければ
それはしずかで心やすまること
考え込んでいる私を見やりなさるな
もっとひとりになって 考えていたい
問いはいつも人から投げかけられたふりして
自分の中に生まれるもの
問いが人を抱きしめて離さないのは
いとおしいものを選んで降るからにちがいない
問うた人に告げてはならぬ
何を 誰にむかって問うたのかを
あなたのぬすびとの耳がそれを知ったとしても
風に洗われて空に消えよう
夕暮れがきて
もう問いに答えられそうもないと
思いはじめている
それでもその問いを誰にも返したくない
ほんとうは ただ思い出そうとしている
問うたのに答えを待たずいなくなった人のことを
私を覗き込んだ時 ひかりがわずかに遮られた
だから日がこんなに早く暮れる
2015/11/01up 『澪』45号(2016年1月刊)に掲載
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2015年10月
★石碑の街
なぜ俺の顔を見ている?
と石が言った
刻まれた文字を読んでいただけだが
見つめすぎていたかもしれない
あまりに苦しそうな声だったので
それ以来 石碑の前に立つのがこわい
石にはもともと
丸みを帯びた背中しかなかった
せいいっぱい世界に背を向け
目をつぶって億年を過ごした
自分の記憶を何かに刻みたがるけものが現れて
彼に顔を与えるまでは
顔があればつい見つめてしまう
いや
見つめるからそれは顔になる
私のわきを通り過ぎる見知らぬ人々の中で
ひとりに顔がともると「あなた」が生まれる
見つめずにはいられない灯のゆらめきに
じっと見入っていると
気付いた不思議そうな声が言う
なぜ私の顔を見るの?
石も 生き物も 空も 同じことを訊いてくる
私が見つめすぎたことを咎めるように
そのたび私はどこかに逃げ帰る
いとしさに気が狂いそうになったら
背中に向かって手を振ることだ
石でも 人でも けものでも
丸みを帯びたやさしい背中は
小さく振られた手を拒まない
だがけっして相手に気付かれてはならぬ
振り返られたらそこに顔が生まれてしまう
降り積もる年月の底で
文字は自分が言葉であったことを忘れはてた
心は怪訝そうな顔の奥に閉じ込められた
見た者を石に変える怪物の目を隠して
人々は互いに顔を伏せて足早に通り抜ける
気がついた時にはこの地に住んでいた
石碑がどこまでも続く街だ
ここは文化が豊かだと彼らは言う
古代の文字と祝福された相貌が陽に輝き
荘厳な言葉が私たちを見おろしていると
見つめ合うことの恐れも
悲しみも知らぬ旅行記作者たちが
晴れやかに石の文字を見上げている
2015/10/01up
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2015年9月
《A》 ★木づち
いつまでも歪んでいてはいけない
そう思って トントンと
自分を横から叩いてみた
そしたら反対側がとび出した
自分をうまくトントンできない人は
誰かに頼みましょう というのを思い出して
あなたにおねがいした
同じところなのに
人が叩くと痛いのは不思議だ
それをこらえるには
正しい姿勢になったつもりで
遠くを見ていなさい
とあなたが言った
おろかにも
私はときどき人を信じることがあった
だから遠いところをずーっと見ていた
私の中を木づちの音が通り抜けていった
暗いトンネルを通過する列車みたいに
音はするのに目には見えないんだね
というと あなたは答えた
見るとは外にあるものをつかまえることだけれど
聴くとは来たものを迎えいれること
遠くを見続けるのがつらくなったら
目を閉じていなさい
そのまま眠ってしまってもいいのよ
あなたのやさしい大工しごとは
いつ終わったのだったか
私が目ざめると誰もいなかった
木づちがひとつ落ちていて
私はまっすぐな姿勢になれた気がした
けれど少しだけ歪みが残っていた
自分でも叩くことができるように
残しておいてくれたのだろう
忘れたころ遠慮がちに打ってみる
トン
《B》 ★足くび
冗談ですよ 参りました ははは
私は足を掴まれて前に進めない
部屋を出て行こうとするのに
布団で寝ていた母親がちいさな私の
足くびを両手でつかんで離さないのだ
私が何を言い そういうことになったのか
憶えていない
ただ、私が何かをからかったので
母親が愛情に満ちたこらしめを
しているのだった
いつまでたっても手を放してくれないので、
へんだなと気付き始めた
私の母はほんとうの母ではなかったので
抱きしめられたことも
手をつないだことさえもなかったではないか
そうして夢からじょじょにさめていった
私は横になってうたたねをしていた
老人の足は冷えやすい
しかも交差させていたので
夢が私を起こそうとしたのだろう
私は涙をうかべて目を覚ました
母親のやさしさから身をふりほどこうとする
うれしさに
ありがとう おかあさん
こんなに歳をとるまで
私は生きることができました
2015/09/01up
「木づち」はその後『冊』52号(2015年11月発行)に掲載(一部改稿)
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2015年8月
★たまには世界を救いに2015
たまには世界を救いに
冒険に旅立たなければならないのが
少年である
(差別があってはならない 少女だって)
少年たちは 遠近法を跳び越えたがる
その消失点のかなたに戦火ゆらめき
怒れる神たちが砂漠で戦い続けている
(だが砂漠は忘れやすく 歴史を残すまい)
人の一生はこんなにも長い
その間一度も戦争がないなんて
異常だとは思わなかったのか だがまもなくだ
霧が晴れてようやく戦場への門が開かれる
で 君たちは英雄がいいのか兵士がいいのか
英雄たちは戻ることなど考えてはならぬ
兵士たちは気がふれて帰還することがあるが
世界が救われたのか 問うことは許されない
神族と人の間に生まれた者だけが英雄となれるが
近ごろ人は神の子を産みたがらない
闘って死ぬだけの生をいとう者が増えたからだ
一昔前には最高の栄誉と讃えられたのに
英雄のひとりは倒れる時 悲しげに呻いた
救われるべき世界なんて本当にあったのか
今は人の子たちが無限の隊列をなして進んで行く
血の同盟の前に疑問を口にする者など誰もいない
現代の閲兵場には八条と十条が掲げられる
間に封印された永久欠番九を暗示するためだ
だが聖なる立棺の暗がりを覗きこんではならぬ
明日 世界を救いに少年は旅立つ
2015/08/02up 『詩人会議』2015年8月号掲載
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2015年7月
★経歴書
》春
ちいさい頃
わくわくしたことがある
自分でしようとも思わないのに
小鹿のように跳んだりはねたりした
それが過ぎ去ったあと、むっつりした
胸おどったことが恥ずかしく
別の人間になりたかった
》夏
大人になってから
わくわくしてみた
たくさん生きてきたので案外うまくできた
及第点をつけている審査員みたいな私が
向こう側から私を眺めていた
その直後
激しく鏡が割られる音がした
私の拳と鏡の中の拳が両側からガラスを壊したのだ
どちらからも血が流れていたが
両方とも自分がやったのではないと言い張った
》秋
やがて
とても静かなわくわくがやってきた
生きているだけでほめられているような
しかし寂しさの混じることがふえた
みんなから少し遅れて笑うところは
長い陽射しに温められた縁側のよう
その上に
夕方の少し前がいちばん温かいと
木の葉が舞い落ちて眠りこんだ
》冬
今でもたまにわくわくがやってくる
跳びはねずに ぽとんと水に落ち
氷砂糖の結晶のように音もなく溶ける
私はその水のように暮らしている
結晶がたくさん隠れているので
寒い夜にはその角が時々ちくちく当たる
くすぐったくてひとり笑いをすることもある
2015/07/01up 『冊』51号に掲載
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2015年6月
★轍のある草原
----おれの夢をあんたにやるから
あんたの静けさをおれにくれ*
ちいさな鳥にむかって
お前はだれだったっけと老人がたずねても
鳥は空がたずねられたと思って通り過ぎる
音楽はそのように去っていって
心にさざなみだけを残す
地面を這う影に向かって
お前はだれだったっけと老人がたずねても
影は地面がたずねられたと思って通り過ぎる
光はそのように去っていって
陽炎の向こうに遠さだけを残す
なにもかもが遠ざかる草原で
車椅子に乗って風に吹かれている
誰が私をここに置いていったのか思い出せない
もう充分に生きた気もするが
さっきこの世にやってきたような気もする
なくなったものはどこに行ってしまうのか
小さいころから疑問だったが
そこがここだったのか
きっと誰かが遠くのどこかで
私をなくしたのだ
「風をしばっておく方法が
きっとあんたには見つかるまいに」*
昔の恋歌はいつもとつぜん落ちてくる
おまえは誰だったっけと自分にたずねても
いつものように答えは返ってこない
車椅子の跡も轍と呼ばれるのだろうか
誰かがここまでやってきたらしい
馬車のように荒々しい深さではないけれど----
草原にうたの終わりがひかって
老人がほどけ 風になりかけている
*部はアルゼンチン・ウエジャ舞曲「パンパマーパ」(詩 H・L・クィンターナ)から
2015/06/01up 『詩と思想』2015年6月号掲載
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2015年5月
★水平の姿勢
頭を打ったら世界がぐるぐる回り始めたので
救急車で運ばれ そのまま入院したという
困ったのはおむつで排尿できないことだった
水やお茶を飲み まる一日たっても出ない
機械仕掛けのベッドを傾け 身を起こすと
呪縛が解けたようにそれは出た
おしっこするのがこんなにうれしいとは
思えば年少時 眠りの中で放つ尿ほど
強く禁止されたものはない
おねしょする子など世には出せぬといましめられ
以来この歳になるまでの膨大な睡眠時間を
おもらしゼロで過ごしてきた
寝たら出すな 布団を濡らすは恥辱のきわみ
危うくなれば夢の知らせに目覚めさせられる
しかしその鉄壁の防御体制は
はたして眠りの力だけによるものだったのか
いったん水平の態勢に入れば放出はゆるさないと
固い約束がしみついた体になったのではないか
たとえ意識がいかに強く門を開けよと命令しても
決まりは曲げられぬと開城しない門衛のように
だが少し身を起こせば 身体の錠がはずれる
無事退院でき おむつも卒業しましたと
笑顔の親類縁者の話である
だが それでもおねしょが求められる時期も来よう
この世に初めて来たとき母親の傍らに寝ていたように
横たわってこの世を去る姿勢に
慣れなくてはならぬ時が
2015/05/07up
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2015年4月
★代替品
こころ と
発音されると
みんながうつくしいもののように思う
なぜか わからないままに
じぶんの中の
わからないものを
こころと 呼ぶと
生きていきやすいよ
みんなから見えないようにするには
自分からも見えないようにしないとね
だから「隠」すには
心が ぜったいに必要
心に刀で斬りつけたような痕のあるのが
「必」ずだが こころの自由さはもうない
頭上に刃を載せて「忍」ぶ時にも
心は いくらか必要
「心して聞け」とか言われて
「心」を「しよう」としたが なくなっていた
しかたなく ころころしながら聞いたら
どんぐりやろう と言われた
それいらい 自分の中のわからないものを
ころころと呼んでいるのだが
特に変わったこともなく
それなりに生きやすい毎日だ
2015/04/01up
鮮一孝個人誌『風化』17号(2015年春刊)に掲載
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2015年3月
★ちいさな池
世界のはての透明な湖に ではなく
すぐ近くのどんよりした池に
言葉たちは沈んでいった
また人が落ちたと町の人が囁きあった
溺れたのが幼児のときには
死んだ言葉も幼かった
蛙の鳴き声がどこからともなく響くと
なぜか子を思い出すと 親たちは言った
池というより防火用水の貯水池だったのか
少し前まで戦争があった
子どもがはまって死ぬと おとなたちは
言葉に出さないで別のものを思い出していた
最初はまわりに有刺鉄線が張りめぐらされたが
くぐり抜けて入っては死ぬ子が絶えず
あるとき池は埋めたてられた
今その上で子どもたちが遊んでいる
池はとうの昔になくなったのに
夏になると 蛙がどこからか湧いてきて鳴く
死ねない言葉たちのように
見えない池の水面に顔を出して
2015/03/02 up 『民主文学』2015年4月号掲載
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2015年2月
★文字が紙の上に
話をしている時
いつも消しゴムで本をこすっている詩人がいた
読んだ時に自分の心がつけた
汚れを消していたのか
私も本に線を引く癖が直らないので
見ならって消しゴムを買ってきた
いらいその詩人と話すときは
並んでその作業をすることになった
かんなで木を削る大工のように
レンズを磨く職人のように
手を動かしながらの話は尽きなかった
その間に私の本たちは元に戻るのだった
だがある日気づいた
詩人の本からは 文字がみな消えていくことに
言葉は彼の手に吸い込まれていった
時には本そのものが消えていることもあった
驚いてそのことを聞いてみると
詩人だからね 仕方ないんだよ
と 寂しそうに笑っていた
見えないだけでなくなってはいないけどね
文字が紙の上にとどまっているうちは
まだ本を読んだことにはならない
自分の中で新しい言葉に生まれ変わるあいだ
本はひととき行方知れずになることもあるのだと
消しゴムのかすが山のようになって
私の手を埋めつくしているのに
文字も本も消せない自分が
はずかしい
2015/02/02up 『詩人会議』2015年3月号に掲載
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2015年1月
★言葉のすみか
言葉はひととき
私の口に住みついた
そこから出て行く時だけ声をあげ
中には誰も残っていないふりをする
そういう住み方で
お前が死んだか見てやろうと
鏡が口の前にやってきた
そこに映りたくない言葉は鏡を曇らせた
や、この口は生きているぞ
言葉が隠れているんだからな
それでも口はいつか死ぬ
すると言葉は
花から花へ舞い移る蝶のように
ひらひらどこかへのがれて
別のところに住み始める
夜おそい電車のなかで
赤ん坊が声を張り上げてぐずる
がんばれ 言葉のつぼみ
もうすこしして花が咲いたら
蝶になってあそこに行ってやろう
赤ん坊が眠り込むと
生きているのか心配になるほど静かだ
その口の前に近づいていくのは
鏡ではなくて
かすかな息に濡れたい母親の耳たぶ
2015/01/05up 『詩人会議』2015年1月号掲載(一部修正)
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2014年12月
★連絡がとれない人
コーヒーをいれようとして
水を少し入れた薬缶をガス台に置く
スイッチを入れると青い火が点く
時間を無駄に過ごしてはならないので
隣室に入り愛について考える
たちまちコーヒーは忘れ去られ
目的を失った薬缶が空焚きされ始めると
焦げつく匂いが充満する
家ごと燃えてしまったのは
老人たる私が火のことを忘れたからだが
一言だけ言わせてほしい
私の知っている火は可愛らしい青い炎で
あんなに大きくはなかった
サイレンが鳴って あたりが騒がしくなる頃には
私は同住所に住むお年寄りで 連絡がとれない人
となっていた
黒こげの私が誰かと聞かれても困る
人間だれしも 自分を見失うことがあるものだ
焼け跡で発見された遺体と
連絡がとれない住人とをつなぐ線は
単に「私である」ことに尽きるが
私が私に連絡をとるのが難しい
そこに家があったとか
誰がそこに暮らしていたとか
コーヒーをいれようとしたなどの物語は
地球というものがあった
というのと同じくらい疑わしい
連絡のとれない星 と仮りに呼んでみると
なぜか永劫の静けさに包まれる気がする
二度とニュースで読まれることもない
憶えているのは
カチンという音と
ぼっと点いた青い炎だけ
宇宙の始まりのような 小さなできごとでした
そのあと隣の部屋に行き 愛について考えていた
ほんとうです
2014/12/01up
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2014年11月
★公園のはずれで
見なれない木に
赤い実がなっていた
というより 見なれているのか
そうでないのかも わからない木を
近くによってしげしげと見る
これは何という木なんだろうね
足下に繁茂する草は
小さい頃からなじんでいるが
名前は知らない
歳とった今頃になって
ずいぶん長いこと毎年出会っていたことに気付く
これは何という草だったかしら
独りごとを落とすように
互いに訊きあっても
答えが出てこないふたりである
幻の分厚い図鑑を持たされているが
そのほとんどが空白のページなのだ
私たちは欲張りではなかったね
知らないものをこんなにたくさん残したまま
この世からいなくなる
2014/11/04up その後『太郎の部屋』34(2015/7/15刊行)掲載時に改稿
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2014年10月
★みどりどんぐり
足もとに転がっているものに気付いて
近くの木を見上げる
しばらくしてようやく見つけた
密生する葉たちのかげで
息を潜めている緑のどんぐりたちを
こんがり茶褐色のはずが
鮮やかな草色だったとは
一人前になる前は生野菜なのか
熊が胃にためこんで冬眠するには
あまりに夏色すぎるではないか
熊だって暗い土の中では
種子たちに混じって眠りたいだろう
一度死んだ種を春が目覚めさせにくるとき
自分も一緒に起こしてもらえるように
決して熊の来ないアスファルトの道を
散歩の年寄りが時々通りかかる
散らばっているこげ茶の粒を見ては
去年もこんな季節があったと思い出す
なるべく踏んで砕かないよう
気遣って歩いたりしている
じきに清掃のおじさんがやってくるだろう
若い母親に連れられた幼稚園児が
その樹の下を歩いていく
どんぐりのはかまみたいな帽子をかぶって
時々母親にぶるさがりたがって
あれも緑だな
緑の中では緑がわからない
そんなふうに季節がすぎる
実りはその中に隠され続けて
ある日落ちる
熊が来てくれるのを夢見て
2014/10/01up 『澪』43号(2014年12月刊)に掲載。
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2014年9月
★上からと下からと
■古代ギリシャの噂話
君を疑った私をなぐれ
などと青年同士が頬を打ち合うと
王は感動して死罪をとりやめた*
処刑の合図の日没はもう来ない
夕暮れは青いままに教科書に閉じ込められ
鍵のかかる音がした
かと思うと
湯船に漬かったらお湯がざあっと流れ出る
のを見たおっさんが裸で街中を走り
ヘウレーカ!**などと奇声を上げると
金細工師の死刑が確定した
黄金の王冠が純粋を疑われた瞬間
死という混ぜものが入り込んだ
かと思うと
同じ川の流れには二度と入れない
と語った哲人***は「暗い人」のあだ名どおり
隠喩ふうに謎めく言葉を残したが
水痘症を治そうと牛の糞を全身に塗って死んだ
その瞬間も
川は彼の中を流れていった
今は私たちの中を流れている
かと思うと
■一九七〇年代の東京
酔っ払った時の愛の誓いは
信じられない
とおまえが言うので
酔っ払った時ほど
人間が本当のことを言う瞬間はない
と思い付きを言ったら
そうなの?と納得された
信じてはならないものを
おまえが信じたので
その言葉は
真実の列に加えられた
誰かが信じる前から
真実であったものなど
この世にはひとつもない
■年代不詳の地球上空
遠い飛行のあと
違う名前の中に降り立つだろう
翼と足と嘴
ヒトの肌や髪、目の色が変わり
言語が複雑に入り組む境界線を
鳥たちは無言で越える
空高く翔んでいる間は
何語の名前も着ていない
名付けるのが好きな地表の動物が
空を見上げている
初めて空から落ちてきたとき
抱きとめるように名前を付けたから
ふわりと地上に降り立つことができた
そう信じる子どものように
上からと
下からと
目が合うことがある
名付けるよりも
名を知るよりも先に
*太宰治「走れメロス」から。
**「ヘウレーカ」は古典ギリシャ語の動詞「ヘウリスコー」(見出す、分かる)の
一人称単数完了直説法能動態。一語で「我発見せり(分かったぞ)」の意。英語読
みは「ユリイカ」。「おっさん」はアルキメデス(紀元前287−212)。
***ギリシャの哲学者ヘラクレイトス(紀元前500年頃の生まれ)。
2014/09/01up のちに書き直し『詩人会議』2015年3月号に「我発見せり」と改題。
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2014年8月
★罪のひとつも
罪は罰より足が速い
だから
かけっこでは必ず罪が勝つ
寂しい顔をしてゴールで待っていると
あとからやっと追いついた罰が
罪を抱きしめる
すると
罪びとの中ではてしない苦しみが壊れ始める
愛に代わって罰が人を許すからだ
しかしこのごろ
先回りした罰が
小犬のように
私を見上げていたりする
これは何かの間違いだ
罰は罪より先に生まれたりはしない
可愛い顔をして
罪が生まれるのを待っているのだろうか
罪が宿ったと見るやいなや
肉球でトントンと肩を叩くつもりだ
それを知ってか
新しい罪たちは私を避けるようになった
そうではない
あの小犬は追っていた自分の罪からはぐれて
私の夢の中に迷い込んでしまったのだ
目指すものがどこにもいないので
ぼんやりしている
かけっこするにも相手がいない
罰が罪を慕うさまは
それは痛々しいものだ
罪のひとつも分けてやりたいのはやまやまだが
私にだってそれは必要なのだ
たくさんあったはずと安心していたら
いつからかひとつも見当たらない
今日だって
夢の中ならあるかもしれないと
忘れ物をとりに戻ったところなのだ
夢は罪の吹き溜まりだからね
もっとも そこから何かを
持ち帰れたことなど一度もないけれど
さあ お帰り
お前の競争相手は
私じゃない
私に
かけっこはもう残されていない
2014/08/01up
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2014年7月
★吸っちゃいますよ
電気掃除機を使いすぎると
住所が吸われやしないかい?
またそんなところで詩心なんかして
どいてくださいな 吸っちゃいますよ
今、柱が一本消えた気がするんだけど
ほんとうに大丈夫だろうね
大黒柱はとっくになくなってますよ
でも扉さえあれば救急車の目印になるわ
郵便物はポストより来たりて
病む魂と死せる肉体は玄関より去りぬ
あれ、今日は近代詩ふう
あなた 昔から言文一致じゃなかった?
今どきの言文一致はイングリッシュ混じり
古代ギリシャ語派の私には無理だ
たて穴式住居には番地は付いてたのかしらね
男は漂流物だから所番地は不要でしょうけど
英語の「アドレス」には、「住所」のほかに
「話しかける」という意味があるらしいね
そういう哲学は食器洗いながらやってくださる?
お皿にならいくら話しかけてもいいわよ
洗剤付けたスポンジを@状にまあるくこする
うん、けっこうアドレスっぽいぞ……
やっぱりさっき住所を吸っちゃったみたい
買い物から帰って来れなかったら ごめんね
2014/07/01up 『澪』42号(2014年6月刊)に掲載
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2014年6月
★白夜
文字の台紙が紙であるように
言葉の台紙は息だという
夢の台紙が眠りであるように
愛の台紙は寂しさだという
記憶の台紙が最近たわみはじめた
光と影の感光板が波打つ河に変貌する
舟を出すと空が暗く覆われ
なにもかも忘れ去ってしまう
忘れたことにも気付かず
河のなかに自分を置き去りにすると
はてしない安らぎが訪れる
紙からずり落ちていった文字たち
止まった息が密かに逃がした言葉たち
浅い眠りに溺れていった夢たち
寂しさの扉をあけた愛たちは
使われなくなった鍵のふりをして失われる
生まれた時のことを誰も憶えていないのは
自分がただ白い台紙だったから
文字や言葉や夢や愛がそこに書き込まれたが
長い時をへてまた薄れていく
来たときと同じ祝福の霧に包まれて
夜が生んだものは闇にとけ
どこかに帰りたがっているのに
漆黒の夜はまだ来ない
たどり着いた見知らぬ土地で
今日も白夜
見知らぬ私が空を見上げる
2014/06/02up 『冊』50号に掲載
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2014年5月
★とある時間
シルバーシートに座ってしまったからには
携帯電話はいけないと自分に言い聞かせ
手帳に詩を書き
それを破って
紙飛行機を作ることにした
高架線を走っているのだし
窓ガラスの向こうには
夜が広がっていて
飛行機を飛ばすには最適だ
と窓をあける
こんな寒いのに
何をするんですか
と取り押さえられた
この冬いちばんの冷え込みだと
気象庁だって言ってました
寒さの主張にも権威を持ち出す青年
生きているかぎり
誰かに羽交い絞めしていてほしい
そんな気持ちになることもある
ふわふわどこかに飛んでいかないように
ありがとう 青年
組み敷いてくれて
戦場にも
宇宙にも
未開民族の村にも行かずに
一生を過ごした私が
とある場所
とある時間
の中に落ちていた
文字で汚れた紙飛行機になって
私はどこかを飛んできてここに居るのか
生まれた時からずっとここに居たのか
(電源もお切りください)
これには従えない まだ
2014/05/01up
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2014年4月
★ウージの下で千代にさよなら
2014年3月
★手袋と春
柵の棒のひとつに
毛糸の手袋がかぶせられていた
あなたの落し物はここ
と手招くように
柵は暖かい帽子をもらったようにうれしかったが
いつまでたっても手袋はそこにあった
寒い季節が過ぎ去り
春が来ても
落とした人は
いつもここを通る人ではなかったのだろう
二度と通らない道をその人は
なぜその日通ったのかと想像する
そしてその日、なぜ手袋を脱いだのかと
冬なのに暖かい日だったのだろうか
でなければ
手袋をしてでは触れることのできない
大切なものをさわったのだ
あれは落とした時に音がしないもの
歩み去る人を
呼び戻そうと声をあげたりせず
地面にうずくまっているもの
自分が仕える手だって口はきかないので
その真似をしたがったのだ
私もたくさんの手袋をなくしてきたから
もう新しいのはもらえなくなった
探しにいくには
この世界は広すぎるし
心の中はもっともっと広い
落とされた手袋よ
人の手を温められなければ
空を指差せばいいよ
そう思う間もなく
指は何かのスイッチを押したのか
春の日差しがやって来た
2014/03/05up 『冊』49号(2014年5月刊)に掲載。
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2010年2月
★どこにも行けないもの
空が大地を生んだとき
高いところから落としたので
足がこわれてしまった
だから大地はそこにうずくまったまま
どこにも行けなくなった
その背中で生まれた草木は天に向かって伸び
木々の間から鳥たちは空へ飛び立った
ある夜明け 朝露が言った
小鳥よ 私をお飲み
間もなく消えてしまう前に
空高く私を連れて行っておくれ
私もまた 空から生まれた者なのだから
小鳥は光る露を口に含み
首を空に伸ばして歌った
どんなに高く空を飛んでも
私も最後は地に落ちて横たわるのです
雨粒が地面を恋しがるように
生き物たちは はてしなく死に続け
その遺骸は雪のように降りしきった
どこにも行けない大地の上に
そしてどこにも行けないものだけが
命を生み出した やわらかい死のなかに
何も受け止めることのできない空は
雷を打ち鳴らしたあとの静寂の中に
虹を描いたりした
2014/02/03up 『民主文学』2014年3月号に掲載。
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2014年1月
★冬の写生
青空がよく見えるように
葉を落として
木は立っていた
だから世界は透き通ってみえた
ただ一箇所だけくろぐろと
枯れた葉の塊が視界をさえぎっていた
折れた枝が落ちきれず
さかさに吊り下がっていたのだ
びっしり葉をまとってその枝は死んでいた
生きた樹木がすべての葉を脱ぎ捨て
固い樹皮だけで風に耐えている中を
木々を枯らして過ぎ去るので
北風は「木枯らし」と呼ばれた
言葉が見えない風を写生したのだ
続きを見えない絵筆が描きあげた
そこにあるすべては
生きて はだかなだけなのだと
団地の五階から小さな娘が
出勤していく私にいつまでも手を振っていた
声も届かない点になるまで
私も点から手を出して振り返した
冬枯れの景色は遠くを招き寄せる
緑の季節には隠されていたバスが
木々のあいだから姿を現し
ゆっくり曲がってこちらにやってくる
2014/01/03up
『詩人会議』2014年8月号に掲載(一部修正)。
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2013年12月
★七年後
親は子どもたちに教えたものだ
どんなにほしいものがあっても
嘘や盗みによって手に入れてはいけないのだと
目に涙をためて子どもたちは諦めた
それを見る親たちもつらかったが
いつか自分の力でそれを得ようと
努力する子どもたちを信じたのだ
カードが裏返され「トーキヨ」が呼ばれると
二度目のオリンピックが私たちの国に来た
だが その過程が報道されるにつれ
喜びは失望と悲しみに変わった
国を代表する政治家が虚偽の証言をすることで
世界の祭典は招きよせられたのだ
静かに放射能の水が海に流れ出
高濃度の汚泥や汚染水がはてしなく蓄積し
家に戻れず影のように漂流する民は
子どもたちが甲状腺の病でないかおびえている
それらは美しい言葉で覆われてしまった
「完全にブロック」「アンダー・コントロール」と
跳びあがり 抱き合い 号外が流れ
この国家的慶賀に異を唱える声はかき消された
嘘をついて容易く何かを手に入れてくる子どもを
叱る親たちはもういない
持ち帰ったものの大きさや華やかさ
どううまく成し遂げたかが褒められる国になった
まだ時間は残されている 七年後なのだ
何かよい方法がきっと出てくるはずだ
だが ほんとうにそうなのか
今日こそ その七年後ではないのか
歴史は
全ての人々に見えているのに
見ようとせずに捨て去られた「今」だ
2013/12/01up 『詩人会議』2014年1月号に掲載。
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2013年11月
★小学校
》校庭のすみで
生き物がかりの女の子がやってきて
私を抱き上げた
だからきっと私は
生き物にちがいない
でもほんとうは 生き物がかりって
神さまのことだよ
と頭のいい子たちは言っている
》校門で
桜がかなしがっていた
ある日気付くと
自分の名を知らない者は
ひとりもいなかったから
誰にもしられぬ山奥にでも行って
生きるということを
小さな芽からやり直したい
ランドセルなんかしょって
》渡り廊下で
これを持っていて
と少女に何かを手渡された
好きな子だったのでうれしく
少年は紳士になって待ち続けた
待たせた?
ううん ちっとも
預かったものを返すとき
彼は白髪の老人になっていた
こういうことは
木とか 雲にも よくおきることだ
》屋上で
人間になってみようと
あるとき思った
いつとも言えない
遠いむかしのことだ
なれたことは なれた
だがこっちに来てからというもの
前の自分は何だったのか
思い出せず 頭がくるいそうだ
どこまでも広がる夕やけの下
下校時間のチャイムが鳴っている
2013/11/01up 『冊』48号(2013年11月刊)に掲載
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2013年10月
★二つの声が
低いゆっくりした声と
焦るようにせわしなくまくし立てる高い声が闘っている
何を言っているのかはわからない
言葉であるかさえもわからない
誰とも会わない日が続くと
それは訪れた----留年続きの学生時代
声をかけられることは
問いであり責めであった
私は答えようとして
どもったり顔をまっかにした----小学校にあがる前
私は問われないのに
あらゆることに答えようとして
しゃべり続けている
あなたはどうしてそんなに
とめどなく話し続けるのかと言われて
その静かな口調に
低いゆっくりとした声を思い出した----定年退職して五年
ゆっくりした声が始まると
高い声も始まるかもしれません
長い間忘れていた使者までやってきている
知らせてくれてありがとう
そして もう行ってください
2013/10/02up
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2013年9月
★家族
ところばんちという不思議なものの上で
暮らしていたが
ただいま と入る玄関が流れ去った
帰り道が立ち入り禁止の柵に断ち切られた
時には 国がまるごと消えた
地面も人も 隣の国の持ち物になれる
いま 広々としたものばかりが暮れかかる
見渡すかぎりの海は
星ぼしのところばんちのようだ
波がいま 遠くから帰ってきて
愛する浜辺にしなだれかかる
戻ってきたよ と
疲れた子どもが寝ころがって
眠ってしまえる場所
母がくれた言葉で夢が見られる
いつもの ところばんちに
夜よ おいで
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2013年8月
★あの塔で私を待って
縮小率1:1の地図ができてから
現実と地図を間違える人が後を断たない
でこぼこの現実の上に地図は広げにくいので
わかりそうなもの と思うのは
古い紙の時代の思い出にすぎない
今や地図はあらゆる物のうえに照射される光の線だ
人が地図のなかで暮らせないのは
肉体に高さが与えられているためだ
現に その建物の入り口に立ったのに
立体的な私は
平面の建築物に入っていけなかった
私のため息も かなり立体的だったので
ドアの隙間からの置手紙のように
忍び込ませることもかなわなかった
ああ、これは地図だったのだと
肩を落として帰って行く私を
最近地図に加えられた高い塔の展望台から
恋人は見送ってくれた
どんなに高い建物であってもそこは二次元世界
彼女が出てくることはできなかった
今年最高の人気映画、ご覧になりましたか?
「あの塔で私を待って」
あの原作者は私です
若者たちは純粋ですからね
私の夢を自分のものとすぐに思いこんでくれましたよ
「あなたはあの塔で私を待っていてくれたことがある」
というコピーに若者たちは憧れ
さらに透明に磨きあげてくれました
スライドの光のようにそれを胸から発しながら
若者たちが行き交う姿はなんと美しいことでしょう
自分が登ったことがないからといって
それがこの地上にないということにはならない
登ったことがないからこそ それを確信するのです
あの光の塔を信じずに生きていくことなど
誰にもできはしませんよ
「知り合いであの塔に登ったという人を
私はひとりも知らない」
と呟く年寄りが時々現れますが
その人は現実と地図を間違えたこともなく
地図や本の中に恋人を持ったこともない寂しい老人なんです
私のようなね
自分が立体であることを忘れそうになったら
(誰にもあることです)
人の目を盗んで伏目がちに足下を見おろしなさい
ご自分の影がそこにあれば思い出すのです
その塔に登ることはけっしてできないのだと
そして塔から手を振っている恋人の
影ひとつない美しさをあらためて讃えるのです
彼女は 永遠に降りては来れないのだと
しかし それによって真実が消えることはない
「あなたはあの塔で私を待っていてくれたことがある」
高架を走る電車に揺られながら
遠くから見たことがあります
塔はぼんやりと空を見上げていました
地図たちがいつもするあのしぐさで
2013/08/01up
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2013年7月
★立ちつくすペンギン
いちめんのペンギンである。何万もの立像が 吹雪
く氷原で足の間に卵を温めている。まもなく連れ合
いが小魚で喉の奥を満たして戻ってくるだろう。
あんなにたくさんの中で家族を見分けられるのか、
と人間は思う。彼らよりはるかに多い自分たちがそ
れを行なっていることを不思議に思わないで。
ブラッド・ピットが人の顔を識別できない「失顔
症」だと自ら公表した。知人から失礼な人間だと嫌
われて悩んでいるという。彼の目に映るのは 人間
には区別のつかない林立するペンギンの顔なのか。
いっそ ペンギンになってしまえば 人間の顔の区
別など問題にもならない。しかし ペンギンの心を
得れば、すべてのペンギンが別々の顔を持ち始め
その社会の悲喜劇がくっきりと見えてくるだろう。
卵を渡された夫は ただ立ち尽くしてそれを温める。
いつまでも帰ってこない妻はどこかで死んでいるか
もしれないが 待ち続けるほかになすすべもない。
携帯電話がかかってこないペンギン。避難勧告の広
報車が来ないペンギン。消息掲示板がないペンギン。
彼が待ち続けるのは 彼女の顔や声や 独特のしぐ
さを識別でき、記憶し続けているからだ。
正確には「相貌失認」。アルツハイマーとは違い
顔だけが識別できなくなる。コンピュータが指紋・
顔認証ができるまでに育ったのと交差して 人間は
顔を判別できない病を得た。「どこでお会いしまし
たっけ。おお そうでしたそうでした。憶えてます
とも」。相手がペンギンの顔をしていても驚くには
あたらない。パスワードも 誰からの認証も不要な
一面氷に閉ざされた世界に立ちつくしている。ペン
ギンの群れに、今ブリザードが襲いかかる。
2013/07/01up 『詩人会議』2013年8月号に掲載
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2013年6月
★アルバムとあじさい
アルバムが道端で
雨に打たれていた
たまたま梅雨の頃だったので
アジサイの横に
結婚する子どもが自分の分を
抜き去っていく 思い出の分骨?
そうなれば家族写真も骨抜き
私たちの白黒写真はみんな剥がして
お菓子の缶カラにでも入れておきましょう
それより何より今は画像ファイルの時代
本の形をしたものはこの世から消えていくのです
粘土に刻まれた文字の時代が遠く去ったように
それにしても
雨に濡れてるとはなんとアナクロな
思い出は分別収集でも
いちばん曜日を間違えられるゴミの種別
ある人は可燃性だといい、ある人は資源だという
考えてみれば
写真ほど役に立たないものはない
知っている人だけに喜びを与えるけれど
その人たちがいなくなれば
開ける扉を失った鍵のようなもの
小さい頃楽しみだった
テレビドラマの「スパイ大作戦」では
任務が伝えられると録音テープが
音立てて燃え尽きたものだ
「この指令は自動的に消滅する
では 成功を祈る」
あとには一片のゴミも残さず 煙だけたてて
成功を祈られてこの世を生きて
任務を解かれる時期も近い
だが本当をいうと
早口すぎてミッションがよく聞き取れなかった
残骸めくアルバムの傍らで
あじさいは雨に濡れてますます生気をおびるが
すこしたてば その大きくて華やかなぶん
生き物の汚れをさらすだろう
私の生まれた季節が静かに過ぎる
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2013年5月
★箱の花
私の中に箱がいくつも落ちている
いつからなのか思い出せない
私の秘密が入っていたはずだが
まだ生きているかどうかはわからない
あければ煙がたちのぼり
白髪になって過去と友だちを失う箱もあるそうな
ふだんは日常のくぼみにたまっている時間が
ある時思い出したように流れ去るのだとか
箱たちはかすかに意志を滲ませている
誰かにあけられるのではなく
自分であきたいらしい
時が満ちれば咲く花のように
箱たちはある朝 いっせいに咲いた
それまで守られていた内側が
外側の空にふれると
私の秘密も世界の息とまじった
こうして秘密が飛び去ってしまうと
世界はあまりにさびしい光景だった
ふたのない箱が咲き乱れているだけだったから
たまに紙でできた蝶がひらひらと舞った
ふたのない箱は
退化した翼を羽ばたかせようとする鳥のようだった
飛べない背中には雨がたまったり渇いたりしたが
いつかまた つぼみのようなものができた
内側はまた外側にあふれることを
夢み始めたのだろう
私には内緒で 独りで咲こうと
無口に四角ばっている私の中のつぼみ
2013/05/01up 『冊』47号(2013/05刊)に掲載。
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2013年4月
★セイレーンの歌
その歌声を聴いた者は
あまりの美しさに引き寄せられ
恍惚のうちに最期を迎えるという
船が難破し漁師や船員たちが戻らないと
人々はセイレーンの名をささやいた
地上に海がやってきた日
彼女もまた現れたのか
美しい星空を見上げ
冷たい海水に漬かってその歌を聴いた者は
新しい朝を見なかった
本当は逆なのだという人たちもいる
海上でただ死を待つ者たちに寄り添い
末期の苦しみを喜びに変えるために
彼女は歌ったのだと
セイレーンはいつからか
「サイレン」に生まれ変わった
人を招き寄せる美しい歌声ではなく
遠ざかれ と叫び続ける警報音に
あの日もそれは災厄を告げて鳴り響いた
「ただちに高台に避難してください」
一人でも多くの人に と放送を続けて
命を落とした少女がいた
街の空に響き渡ったその声を
生き延びた人たちは胸に刻みこんだ
セイレーンの歌を聴いて死ぬことを免れた
ただ一人の人間、オデュッセウスは
二十年の漂流のはて故郷にたどり着いたが
津波と放射能に追われた「美しい国」の民は
いつ家路をたどることができるのか
春は今年もやってくるというのに
2013/04/01up 『赤旗』(2013年3月8日付)に掲載
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2013年3月
★冠詞主義者
中学校ではじめて英語を学んだとき
a と the の違いを教えられた
それから ist を付けると人を意味することも
半世紀をへたある日
a・the・ist という語に出くわした
「ひとつの」「その」「する人」?
辞書をひくとこうあった
[e′iθiist ] 無神論者 不信心者
なんだ、俺のことか
別れて暮らした実母と姉は「アーメン」を唱え
寝起きを共にした父は早口の「なんまんだぶ」だった
心の底からの祈りは私をひるませたが
それらの飛沫を知らぬ間に浴びてしまっていたら
親不孝だが 少しずつ洗い落とさなくては
人の一生は神を忘れるにはちょうどよい長さだ
a や the の使い分けはとても難しいというが
英語が母語の人たちは理由も説明できずに使いこなす
思いおもいの神の言葉に生きるのも同じこと
英単語に頭をひねった できの悪い中学生は
シュールレアリストやダダイストの傍らを抜けて
気付けば「a」だの「the」イストになっていた
ピアノをする人だからピアニストと
同じクラスの少女にうっとりしたのだけが
今だって間違っていないこの世の英文法なのだ
■この詩への覚書
「atheist」(辞書では、音節に分けて「a・the・ist」と表記)は、古代ギリシャ語の
「ア・テオス(a-theos)」(反・神性)が語源。意味は「神を認めない、神的でない、
不敬な、非道な、見捨てられた」(古川晴風『ギリシャ語辞典』)
ギリシャ語では否定・欠如を意味する接頭辞「a」のついた語が多く、たとえば「アトム」
(原子)は「分割できないもの=a-tomos」、「ア・レーテイア」(真理)は「忘却に抗
するもの」。ネットでよく使われる英語の「ア・ノニマス」(匿名)は文字通り「名前が
ない」----こうした語の一つである。 2013/03/01up
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2013年2月
★風の中の声
私たちが話しながら歩いていると
離れて前を行く人が
急に振り返る
こちらで話している声が
その人を呼んだとでもいうように
風の中を私の声が駆けぬけていって
相手の肩をつかんだのだろう
えっ という顔をする人
挨拶をされたのかと きょろきょろする人
危険から身をかばおうとする人
振り返ったところに見える私が
知らない人であることに安心し
誰かと笑顔で話していることに安心し
また もとの同じ距離が
舗装道路の上に張りめぐらされる
並木の緑も安堵しているので
また顔を前に向ける
そう ひとは歩くときはみんな
前を向いているのだというように
その無防備な背中を見ながら
私たちは話の続きをする
してもしなくてもいい話を
まわりのひとたちを驚かさないように
けれど互いに届くだけの声は出して
私たちの後からやってくる人たちには
無防備な背中をさらして
広々としたグラウンドに出た
少年たちが走りながら何かを叫んでいる
言っていることはわからないが
声が風の中から聞こえてくる
2013/02/01up
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2013年1月
★永遠のしまい方
たどり着けない永遠より
さわれるやわらかい行き止りがいい
胎児は暗黒の母の海で
手足が壁にふれると安らぐという
だが赤子はこの世に生まれた瞬間
「永遠」にとり囲まれる
貧しい贈り物を照らす薄明かりのもと
何かに手招きされている気配の中で
遠さを見るために
さあ目を開けなさい 私のいとしい子よ
闇に慣れた目がまぶしそうにうすく開かれると
おぼろげな柵は取り払われた
いらい 時の外に暮らす昔話や
夢の奥に消えていく小道や
水溜りに映る空の青さが
遠さとはてしなさを私に注ぎこみ続けた
永遠に一をたすとき
人は明けゆく空が率いる一日を思うのか
私は暮れかかる地上に最後の夜を縫い付ける
ボロボロになった私の永遠をしまうのだ
なつかしい胎内の闇から太古の海へ
浮遊していく自分を感じる
世界がどんなに揺れても手を伸ばせば
やわらかい行き止まりが守ってくれる
2013/01/05up 02/01改稿 『詩人会議』2013年4月号掲載
これより過去の作品を読みたい方は以下から行けます。