上手宰(かみておさむ=ok)今月の詩


2017年12月

口先          

小さかった頃 楽しく話していたら
お前は口先だけの子だね と言われた
育ての母親から
はしゃいでいたので お調子者 とも

静まりかえる恥ずかしさの中で
どうすればよいのか分からず
ただ悲しく しゅんとしていた

小学校では いじめられっ子だったが
不思議な現象も始まった
小さな声で呟いた私の言葉を
隣の子が大きな声で繰り返すと
爆笑がわき上がるのだった
世界の片隅でも
私の口先はひっそり生きのびた

詩に生涯を捧げようと思ったのは
言葉と口先の奇妙な優しさを信じたからだ
讃えられる「行い」を頭を垂れてやり過ごし
口の端に湧く言葉を隠して生きてきた

人はなぜこれほどまでに「口先」を嫌うのか
言葉を得て 獣を捨てた人間の心に
密かに言葉を憎む 獣の影がよぎるからか
言葉も理屈も嫌っていた母だが
なぜか諺はとても好きだった
律する言葉は「行い」に似ていたからだろう

けれど おかあさん
心はただ口先にだけつながっているのです
うとまれた口の先で呟いた言葉を
隣のお調子者が大声で得意げに言ってくれます
彼と私の区別がつかなくなったのは
いつ頃からでしょうか

ほら 今 みんなが笑ってくれました
いじめる時とはちがう やさしい目で


2017/12/01up  『詩と思想』2017年12月号に掲載(一部改稿)
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2017年11月

しおり紐のしまい方
            
しおり紐の付いた本は
疲れたらどこでも休みなさいと
木陰をもつ森のようだ

その柔らかい紐を はずしたり挟む時は
くすぐったいだろうけど
きゃあきゃあ言うのはやめなさい

車中であっても 自室であっても
本を閉じるときはいつも 突然くる
何かの理由で顔を上げ その世界をまたいで出る

少し待っておいで すぐに戻ってくるから
そのまま二度と姿を現さなくても
挟まれた紐は 永遠にその場所で待ち続けている

隠れんぼをする子は忘れられたかと思う
探しにきてほしいのは自分ではなく 
息をひそめていると光り始める その場所だったが

いつも途方にくれるのが
読み終わってしまった時の
しおり紐のしまい方である

そこから先に行くべき道は消え
目印のやわらかい杭も
もういらなくなったのだ

足の出ぬよう丸くされて
どこでもよいページで眠りにつかされる
暗がりで目をつぶっている胎児のように

人の一生は長い時間をかけて
書き上げられる 一冊の本だと
みんなが言うのを信じかけていた私だった

そうではなかった
自分の物語を読み終えたとき 生は閉じられる
ほかの誰も読みえない私だけの物語だった

その日 私と言葉たちがそこから出て行くと
何もかもが消えた 白いページの中で
しおり紐は 見慣れぬ不思議な文字になる

2017/11/01up   『冊』56号(2017年11月刊行)に掲載

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2017年10月

温かい闇     
 
----光はやみの中に輝いている。そしてやみはこれに勝たなかった。(ヨハネ福音書第一章第五節)
 
月をとってくれろと泣いた子は
諦めて家に帰ると そのことを忘れ
安らかな闇の中で眠った

太陽を欲しがった子らは諦めず ついに
地球上にそのかけらを作りあげた
どうしても生き物の上に落としてみたかった

木や草がなぎ倒され 獣や人が死んでいった
ジャパンという実験用テーブルの片隅に
ヒロシマとナガサキのプレートが付けられた

光あれと神が言うと 光はあった
それは どんなにむごたらしくても
始まりとして讃えられねばならぬのか

だが誰も何も言わない前には 闇があった
愛がそこに倒れこんだあかしに
赤ん坊の産声が湧き上がる温かな暗がりとして

願いを満たすのは得ることだけではない
わが手にあるものを捨て去る知恵に目覚めた
新しいヒトの歴史をはかなく夢見る

人工の太陽片が地表から消える日には
遠く照らされることの温かさを思い出しもしよう
その日が滅びの日に追い抜かれぬことを祈る

輝きすぎて不可視の閃光たちが競い合っている
闇よ おまえは勝たなくていい
子どもたちの寝息がかすかに聞こえている

2017/10/01up   『詩人会議』2017年11月号に掲載

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2017年9月

いい子でいた週末

娘がまだ小さかった頃
床屋から帰ってきたら
知らない人が来たと思ったか
遠巻きに見ていて私に近づかない

だっこされたがる娘を 
畳におろすと泣き出すので
休日は仕事してるより疲れる
というのが口癖であったが

安楽でいい土日だと強がる私に
妻の目は同情を隠さない
見知らぬ人が闖入してきたので娘は
こんなにいい子である

月曜日に仕事に出かける時がきた
カバンを持った私をみて
娘は父親であることに気付いた
走ってきてだっこをせがむ

私の顔は髪型と一体となっており
私の存在はカバンなくしてありえない
父親と分かったのでいつまでも手を振っている
ちゃんと会社に行っておいで と

2017/09/01up

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2017年8月

詩人の声が裏返る時     
         
戦後まもない日本に 
特別急行列車「平和」が幾度か走ったと
甲田四郎さんが詩に書き 朗読した*
それらが短命だったのはなぜだったのか
東京大阪間は三か月、東京長崎間は二年足らず
大阪広島間は八か月 以後は行方不明

人を笑わせるのが得意な高い声が
「平和」の箇所できまって裏返り 涙声になる
「へいわ」という言葉は 口から出てゆく時
大のおとなを泣かせるのだった
いや そうではない 大きななりはしているが
本当は少年が泣いているのだ

戦争を暮らしたことのない私は年老いて
それを知る少し上の爺様と同じ世を生きている
知っていることと知らないことは
こんなにも近く こんなにも遠い
わたしには
見知らぬ者からの贈り物のような平和だった
自分の物として使ってよかったのだろうか
そろそろ返してもらおうか、と近づく影がある
戦争は幼年時代から身につけるべきもの
おまえは役に立たないから さあ赤児をここへ

いつの時代もそうだった
戦争に反対して詩人たちが集まって
いったい何ができただろう
言葉にわずかな命を吹き込むこと以外に
裏返った声の「へいわ」が会場に響くと
遠く木漏れ日の中を列車が走っていく
幻ではない 名前は消えても私たちが乗っている

 
*この朗読を聴いたのは二〇一四年一〇月四日「九条の会・詩人の輪」。

詩「平和」はその後『新編甲田四郎詩集』(新・日本現代詩文庫130)の「未刊詩篇」に収録。

2017/08/01up    『詩人会議』2017年8月号掲載
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2017年7月

ちいさな肩

永遠を見たことがあると 
人は言いたがるものじゃ
後姿だけは見たことがある などとな
幸せなやつらよ 
憧れを 大事な嘘のように体に刻めるとは

見た者はその恐ろしさを忘れるために 
あらゆることをするというぞ
捨てても捨てても 決して消えることはないがの
忘れるのは貧しい意志の力ではかなわぬこと
最初から見ようなどとはせぬことじゃ

だがわしは あるおだやかな夜に
そのお姿を感じたことはある
誰も信じまい 信じてもらおうとも思わぬ
わしのとなりを歩いてござった
ちいさな肩のようであった

あの時 手をのばせば触れえた 
ちいさくてやさしげなものを
わしは風のように感じていただけじゃった 
隣を見まいとすれば まっすぐ前だけ向いていることじゃ
そのお顔を覗き込むことなど 誰に許されよう

かの方は自分を見失った者を責めたりはせぬ
見た者を滅ぼすわが身をご存知ゆえにの
盗み見ることさえせなんだわしは
かくも息災ぞ 幸せなことにな
思い出せば 時を経るごとにしんとしてきおる 
 
なぜか かすかな勾配をのぼる気がした
終わらぬ者の傍らとはそのようなものなのであろう
静かじゃった 信じられんほどに
それでも かすかな足音をたてておられた
見ずとも別れは来る 名残りを惜しめ とな 

2017/07/02up  『きょうは詩人』36号(2017年4月刊)に掲載

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2017年6月

宛名は「あなた」   

少女が赤いポストの前に立っていた
郵便局の青年がやってきてポストの背中を開け
手紙や葉書を 別の袋に入れ始めると
少女は言った あなたが来るのを待っていたんです
私がこの中に落とした手紙を返して下さい 

青年は笑いながら答えた
お手伝いをしますよ で 宛名は?
少女は泣き声になって手紙類の海をまさぐった
「あなた」に書いたのは間違いありませんが
名前を存じ上げなかったので……

何も書かれていない白い封筒を拾い上げて
青年はやさしく言った
私たちには届けるのが難しかったかもしれません
少女は上気し ちいさな声で呟いた
すみません

郵便配達の青年は年老いて
時々その日のことを思い出すことがあった
一緒に手紙を探しているとき
かすかに触れた少女の手の温かみが
自分の全身を駆けめぐったことも

遠くに住む「あなた」にたどり着くために
手紙はところ番地という橋を渡り
名前という門を叩かなくてはならない
けれど その日
目の前の「あなた」へ 橋がなかった

たくさんの「あなた」と
果てしない距離の糸を集配袋に詰め込むと
青年は次のポストへと去っていった
自分がひとつの「あなた」を生きていることを
人は時々忘れて道を急いでいることがある


 
2017/06/02up   『きょうは詩人』36号 (2017年4月刊)に掲載

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2017年5月

大きな本   
             
<電話帳>の異名をとった『壺井繁治全詩集』は
いまだにわが家で最大の書物だ 
著者にお会いした時 おそるおそる私は訊いた

あの全詩集は まだあるのでしょうか
あるけど重いからね 家まで取りに来てくれたら
割引きして売ってあげるよ

かくしてお宅に伺い 奥様とのお茶にもよばれ
でっかい戦利品をかついで うれしく凱旋
重い本と老齢の詩人は 無名の若者に優しかった

翌年 初めての詩集を携えてお見舞いに行くと
病院はただならぬ気配に包まれていた
老詩人の容態が急変 まもなく旅立ったのだ

「壺井繁治様」と署名した一冊は今も手元にある
勇気がなくて手渡せなかったのだと
なぜか長いあいだ思い込んでいた

何もできずに帰ってくるしかなかったその日
自分の詩集なんか持っていったことが恥ずかしく
記憶が歪んでいったのだろう

老詩人の思い出に 人々は小豆島に詩碑を建てた
「石は 億万年を 黙って 暮らし続けた
その間に 空は 晴れたり 曇ったりした」

<電話帳>を抱えた腕も 歪んでばかりの記憶も 
詩碑を作って祈り やがて消えていく人たちも 
みんな本だ 誰かに何かを手渡そうとした

これは重いものだよ それでも持って行くかい
と 誰かの声が聞こえる 私は目を閉じて答える
これから取りに伺います かならず


2017/05/01up     『詩人会議』2017年6月号に掲載

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2017年4月

微睡(まどろみ)の時

約束から時を奪ったら 何が残る?
会いたいというぼんやりした憧れだけだ
(時は心の棚で 透明な遺失物となる)

だから愛する人と一緒にいられる者たちは
みな時計を取り戻せない遠くへ捨てる
(時は自分を映しだす鏡を失い 目盛を忘れる)

私の時は止まったけれど 君のはまだ動いている?
ときどき思い出したように 誰かが言う
(水面に揺れる木々の反射像がそれを聞いている)

死が時のかなたに住む約束であるあいだ
私たちは 気付かぬ振りをして幸せに暮らした
(時は止まることはないが まどろみはする)

深夜 別々に目を閉じるのに
同じ一日だったと 光と時が絵を描く
(絵の具にはない懐かしい色が昨日に残される)

だが一人で始めなくてはならない朝が来よう
どちらかが先にゆくのが この世のならいだから
(時は目盛を取り戻し 約束は果たされる) 

あなたがその朝 未知という光の刺に
傷つくことのないように祈っている
(生まれたての新しさは 老人の魂には毒だから)

手を振ってください 私が振り返せなくても
出かける時 いつもしてくれたように
(私の生涯の幸せはその手のそよぎの中にあった)

 *二〇一七年四月十七日、結婚四十年の記念日に妻、上手洋子に捧げる。
  タイトルには、せめてもと宝石の名で呼ばれる振り仮名(ルビ)を配した。

2017/04/01up   『冊』55号に掲載予定。 

注にルビを配した、と書いたがこのページでそのやり方がわからないので()で代用した。40周年はルビー婚。

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2017年3月

名をなのれ    
          
電話のベルに応答する
「ただいま電話にでることができません……」
そこで切れれば平安が訪れる
案内音声がさらに続くと
別室の私はゆっくり立ち上がる
「信号音のあとにお名前とご用件を……」
ダルマサンガコロンダ を唱える鬼の背中に
私は近づいていく

案内のあとの信号音が鳴ってもなお切れないのは
伝言をこれから残す気なのか
留守録が始まったらただちに送受器を取る約束だ
が、そこで一拍おいて たいてい切れる
言葉ではなく ためらいが記録される
短い助走と諦めへの失速が

私はきびすを返して自室に戻る
友人であったかもしれない
ならば 名をなのれ
大切な要件なら伝言するがいい
電話に出ないことで人の生き死には起こらない

友人と思って招じ入れたら あやしげな物売りが
何かをまくし立てている
問答無用と切り裂き 死体を表に放り出す
電話の応対とはそのようなものだ

それでも信号音のあとに友人の声が
現れないとは限らないので
ゆっくり立ち上がって受話器のほうへ
歩き始める私である
あいつは出ない とみんなは思っているが
私は毎日 その方角に
歩き始めてはいるのだ
電話ぎらいの生涯の
人からは見えない空間の中で

2017/03/01up    『澪』47号(2017年3月刊)に掲載

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2017年2月

。(句点)

一つ文章が終わったら 欧米では「.」をつける
ペン先をそこに押し付けるだけ 
中には心もちグリグリと力を込める人も?

日本では「。」を書く
塗りつぶさない白地を残しつつ
あくまでちっこい輪っかを隅のほうに

小学校にあがったばかりの子どもは
鉛筆に全身の力を込めてこの小円を描く
無器用ながらも何かを完成させる真剣さで

書かれるマルのほうだって力が入る
少し太すぎる と思いつつも
こんなに大事に書いてくれることがうれしい

私は大きくなったので丸をさっと書き流す
ふつうは時計まわりだけど
逆のあなたって新聞記者あがり?

でも昔小学生だった私は考える
この小さな丸をペンで最近書いたのはいつか
たまに書く葉書くらいしか思い出せない

なので書き方が下手になっている気がする
でも心配ご無用 誰も見てません
ちいさな丸のできばえなんか

今は鉛筆もペンも使わず右手薬指でキーを押す
無意識に数え切れないほど打っているので
どのキーかも覚えていない 見たら「る」だった

主語にも述語にもなれない記号なので
文になれないのは道理だが
これがないと文に鍵がかからない

詩がふわふわしてるのは この留め具がないせい*
だが今回にかぎり 特別に付すこととする
これは詩です。ちがい分かった?


 
*句点を使った詩もありますが、一般的に短詩系文学では句読点を避ける傾向が強いので。

2017/02/01up

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2017年1月

鹿鳴のとき        
          
嘘はその場で食べてしまえばおいしく終わるが
丹精して育てればこの世を豊かにする

嘘はこの世に実在しない物体なので
柔らかさが夢と似ている

ただ夢は勝手にやってきて すぐに遠ざかるのに
嘘は自分で作らねばならず 死ぬまで消えない

動物は子孫を残すために死に物狂いで戦うが
あそこにだって戦術や嘘がある

弱いのに雌を得た雄がいたとしたら
だまされたいほど美しい嘘があったのだ

一生だまし続けてくれている雄がいとしい
目から涙を流して雌鹿が立っている

お前の細い脚に 触れていいかな
追いつけなくなれば倒れて空を見上げるだけ

丘に広がる大きな空は虚とよばれ
口からゆっくり吐かれた空は嘘になるという

鹿たちの鳴き声が遠くまで響きわたり
剥がれ落ちるように日暮れが近づいている

嘘を植えても育たない砂漠というところへ
私はこれから行こうと思っている

2017/01/04up  『詩人会議』2017年1月号に掲載
(この欄に掲載するにあたり一部改稿)
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2016年12月

詩集

本をめくる音がきこえる
誰かが私を読んでいるのだ
だがどのページが開かれているのかを
私は知らない

読み終えられたページは束ねられ
暗がりで眠りについている
広げられた見開きだけが「今」を生き
世界をまぶしがっていよう

灯火の下に開かれたページでは
煮え立つ料理のように文字たちが香りたち
書いた者の想いをたぎらせる
食卓を覗き込む影は幸せそうだ

スクロール(巻物)の時代は遠く去り
コデックス(冊子)ばかりの日々になっても
棲み家を見失った言葉だけが顔を出す
「もうお前は一巻の終わりだ」などと

漢字の「本」がかたどるのは「木の下」で
草木を数える語として生まれたという
優しくしなやかな者たちと暮らすうちに
「おおもと」の意味に育っていったのだ

書いた人がいなくなってから
ほんとうの本の命は始まるのだが
無言でうずくまり続ける私の暗がりに
誰かが訪れて灯をともすことなどあるのだろうか

それでもその音がきこえてくる時がある
風に揺られて草たちがかすかにざわめくと
忘れられたページが一枚めくられる
私のなかのどこかで

 2016/12/01up   『冊』54号(2016年11月刊行)に掲載

 『詩と思想』2018年1・2合併号「2017ベストコレクション」に再録

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2016年11月

帰宅途中

夕暮れが私に来た
電車から降りて さあ歩くぞと思う
歩くのは楽しい
考えなくても勝手に足が運んでくれる
でもそこにきまって あなたがうずくまっている
帰り道がわからないと

帰宅初心者にはよくある勘違いだ
行く先を思い浮かべようとするからいけない 
足に任せればいい
着いたところが行く先なのだから かんたん
けれど 赤い夕焼けを背景に
あなたはシルエットになって私を見ている
私がむかし愛したあらゆる人たちの顔が
逆光の中に溶け込んでいる

自分の家に帰りなさい と諭しても
見えない顔は私を見つめるだけだ
さっきまであったのに 
もう歩くための足もない と

あなたがずっとそこにいることは 樹木なら正しいが
動物としてはまちがっている
と私は説得するのだが
気付けば私もそこに根付き始めている
思い出にみとれて立ちどまる者は
枯葉を足元に落としがちだ
自分に気付かれない 時の数えかたで

そうして今日も 家にたどり着けない
夕暮れが私にやってくると
顔の見えない影と
ずっと話をし続けなくてはならない
歩き始めさえすれば
足が勝手にうちまで運んでくれるはずなのに

駅を出たところに 
二本のイチョウの木がある
その傍らを毎朝夕通る人たちは
昼間 そんな木はないことを知らない


2016/11/01up  『詩と思想』2017年3月号に掲載時に一部改稿
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2016年10月

向こう岸     

対岸どうしが見つめ合っている間を
川が流れていく
そんなふうに水も時も去っていった
さざめいて通りすぎる形を持たぬものたちの背で
あるとき岸のどこかが嗚咽していた
対岸にだけそれが見えた

若い頃みんなが好きだった言葉を覚えている?
「愛とはお互い見つめあうことではなく
共に同じ方向を見つめることである」*
けれど 隣のひと あなたの顔が見えないよ
と同じ側の岸は時々言った
春が来たことも対岸の緑を見て知るのだ

向き合った岸どうしは決して触れ合うことはなく
器になることもできない
同じ方向だけ見ている片側の岸辺は
隣で泣いている堤に気付かない
対岸だけがそれを見て 何もできないでいる
さざなみがまぶしく輝いて 目がいたい

川はいつか堰をあふれてやろうと思っている
感情が人の身の丈を超えてしまう瞬間のように
(遠い昔 氾濫があった)
岸はそうさせまいと手をいっぱい広げ背伸びする
そうして黙って見送り続ける
自分を削って遠ざかる水と時を

時々 小動物が水を飲みにやってくる
喉を潤したあと ふと見上げて
不思議そうに向こう岸を見つめていることがある


 
*サン=テグジュペリ「人間の土地」から

2016/10/01up    『詩人会議』2016年11月号に掲載

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2016年9月

変形   
           
「見」という字には二本の足があり
どこかへ歩いて行きたがるので
目は運ばれていろいろなものに出会うのだった

ある日 ころんで中の棒が一本はずれ
外に飛び出した
しかたないのでそれを片手に歩いている

その時から「児」の形になった
棒をかざして襲いかかろうとするようにも
盾で身を守っている姿勢にも見えた

戦うのはいつも「児」たちだと
辛そうに「親」たちが見ている
我がままが通らなければ力に頼るのが慣わしの世界で

手に持つ棒も 中の棒も捨てると「兄」になる
「口」は大きいことを意味するので兄だという
口で話しあえる者は戦(いくさ)より大きな者だ

「児」に戻って武器や盾を持ってはならない
大きな「兄」であれ 
世界を歩いていく二本足に乗った口となれ

だが 児どもたちはある日 もう歩かなかった
見れば二本足が磨り減ってしまい
「旧」となって墓石のように地上を覆っている

行軍はそこに果て あなたの「児」は戻ってこない
長い時間をかけてついに
「旧」の世に辿り着いたからには

2016/09/01up   『民主文学』2016年10月号掲載
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2016年8月

四の気配

死んだ人の特徴は起き上がってこないことで
だから昨日起きていた自分につなげる必要も消える
しかし死んだように眠ったあとでも 起き上がったのなら
昨日の自分につなげなくてはならない

時々昨日につなげるところを
遠い昔につないでしまう人もある
あなたは誰?ここは私の家ではない
家に帰らなくては

亡くなる少し前  家族で施設を訪ねると
継母は二人の孫たちを見ては繰り返した
あとの二人はどうしたんだい
今日は来ないのかい?

妻と一緒に笑って答えた
うちは最初から二人しかいませんよ
しかし、少したつと同じことを訊くのだった
あとの二人はどうしたんだい?

帰りのバスでそのわけに気付いた
あれは自分が育てた子どもの数だ
上の三人は産まなかった子ども
一番下の子だけが実の息子だった

少年時代、差別されて育ったとひがんだ私たち
食べるものも違っていたし
喧嘩すれば悪いのは年上と決まっていた
末っ子だけが親が違うことを知らずに育った

それでも母親にとって
私たちはいつも四人だったのだ
継母の記憶は その時代につながったのだろう
成人してから死んだ息子は靄のむこう

昨日から今日
今日から明日へと九六年間も間違えずに
つなげ続けてきたのだ 緊張が解かれる日もこよう
その時 人は一番大事なことだけを覚えている

わいわい言いながらそこにいた小動物のような私たち
数えなくてもわかる四つの生き物の気配
どうしたんだい?
あとの二人は今日はこないのかい?

2016/08/01up
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2016年7月

隊列のはなし
           
とうさんはね 小学生の時から行進が嫌いだった
強拍には左足を出し、弱拍は右足で追う
みんなと違ったら目立たずにすばやく直す
今でも 道を歩く時あらゆるものを左右で数える
窓の続く建物や、横断歩道の縞々を
左足から抜け出たらいいことがある
死ぬまでこの癖は治らないだろうね

オリンピックの入場式は近ごろ
だらだら歩くのでとても好きだ
とうさんの少年時代には一糸乱れず行進した
神が閲兵したくなる光景だった

お前たちがまだ小さかったある夜
かあさんがお酒を飲みすぎて気持ち悪くなった
トイレに行ったけどいつまでも帰ってこない
そこでとうさんが迎えに行った
どうした だいじょうぶか
すると私の後ろから小さな娘のお前が覗き込んだ
そのあとからもっと小さな息子まで
よたよたと歩いてそれに並んだ
わが家でただ一度の一列縦隊だったけど
みんなで整列したのが
戦争でなかったことだけはたしかだ
かあさんだって丸腰だったしね

とうさんはその昔 かあさんの前に
一番にならんだんだけど
お前たちもいつか誰かの前に一番にならびなさい

あの夜 狭くて薄暗い廊下には
洗濯機なんかがあって
その先には電気の消えた風呂場があった

2016/07/01up 『詩人会議』2016年8月号掲載
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2016年6月

やり直し

問いは答えを招き寄せようとして
違う新たな問いばかり集めてしまう
たくさんの「なぜ?」に取り囲まれて
私は生を終えるのだと思う

かと思えば 大地や空や木々が
模範解答みたいに目の前に繰り広げられる
誰も問いを発していないのに
美しい解が無言で訪れては翼を休めるのだ

その光景はあまりに懐かしさに満ちているので
私は世界の全てを知りつくして
生を終えるに違いないと思う
(あれ さっきとは逆ではないか)

まったく逆のふたつが住み着いている私は
複雑な心をもった単純な器なのか
「なぜ」というやわらかな未知の光に抱かれた世界を
私はすべて知っていると感じるのだ

複雑なものは単純なものを笑うけれど
単純で透明な一歩だけが私たちを支えてくれる
幼児は未知への歩幅を断崖のように恐れても
ついにはその小さな空をまたぐ

鳥が飛ぶとき
つばさが切るその風によって
自分があることを知る
こんなにも自分はあると

雨が降ってあがったら
さあ 最初からやり直しなさいと
空や大地や木々をまた出してくれた
誰がそれを?と問うのをやめた時 ここが地上だ

2016/06/01up  06/15 改稿 『澪』46号(2016年7月刊)に掲載 

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2016年5月

古代の手紙について

そのむかし
ひとには手紙というものをやりとりする悪習があった
信じられないことに
宛先と 差出人というものが必要だった

現代では 発信は相手を指定しないから許される行為だ
伝えたいことを一人に限るというのは
公平と博愛の原理にはなはだしく反する
法がある限り許すことはできない

なぜ 書いたものを読んでもらう相手を指定したのか
受け取った者は苦しみののちに君を密告した
その者の気持ちがわからないのか
私はただ 告発を受理する担当官にすぎない 

職務上 これを言わねばならないのが残念だ
だが、それ以上に きみが自分自身を
告発したことに気付いていないのが不思議なのだ
自分を愛しすぎて 自分へのユダとなったことを

その後の調べでは 君は手紙を書いたあと
自分が誰に書いたのかを覚えていなかった
それこそ つつましくやさしい現代の発信だ
最初から名を忘れていれば罪にはならなかった

自分自身に語ったことを憶えていない
それこそ 人知の及ばぬ彼の人が
望まれたことだ
記憶できない者が 紙に記すことがお嫌いなのだ

差出人も あて先も 遺してはならぬ
汝(な)が名はアノニマス 無名にして全てである者
固有名詞は人称代名詞の美しさの中に溶けて消えよ
「貴方への愛」という古風な言い回しこそ不滅だ

愛は法で守らなければならない
守られない愛は十字路で命を落とす
そのために 私は固有の汚れを全て削り落とした
裁判官こそ自らの名を忘れた純白そのものだ

神も恋文に署名されたことなど一度もない
あまねく愛を放射されることの代償は
誰かに自分を愛しているかと訊く勇気を失うことだ
問えば答える先を記さねばならぬことこそ恐ろしい

壁に残された署名なき落書きの無垢をたたえよ
サインが罪びとを作ることは以上で語りつくされた
次章で論じなければならないことは
罪の所有者ではなく 罪そのものについてである


2016/05/07up
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2016年4月

あしたの天気

望むと願うは どう違う?
欲することのためにすべきことがあれば「望む」
神や運命がしてくれるのを待つだけなら「願う」
似たようなもんだから ひとくくりに「願望」

そうはいっても違いはみんな分かっている
可愛い「のぞみ」ちゃんはたくさんいるが
「ねがい」ちゃんはあまり聞かない
親たちが決して付けたりしない名前なのだ

あした天気になあれ、は子どもたちの願いだが
旱魃を終わらせるためこれより雨を降らせようぞ
は巫女と農民たちの必死な望み
(生贄が必要じゃ、若くて清らかな娘の命がの)

雨を呼べない王は殺されて当たりまえ
未開の心はほんの数代前まで日本にもあった
壊れぬ橋を架けるには何というても人柱じゃ
埋められた少女が独りで出水と闘こうてくれる

望みも願いもせずに未来を当てるのは予報
猫が耳を撫ぜていたら雨が近い
下駄を遠くに蹴り上げて表なら明日は晴れ
生贄はいらないが 夕闇の中のけんけんは必要

予報は頼りなくて当たり前
外れて雨になったらかばんを頭に走ればいい
のぞみちゃんに傘を差し出したことだってある
少しかげった傘の下はどことなく温かかった

「夕焼けの翌日が晴れというのは迷信ではなく
科学です」と 昔 大好きな先生が言った
それから長いあいだ 科学に憧れて生きた
今では 天気も自由にできない科学こそ慕わしい

2016/04/01up

『詩人会議』2016年6月号に掲載(04/04一部修正)

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2016年3月

うわさ

この世が存在している
という不思議なうわさについて
あなたはどう思いますか

そんなものは影も形もない
という話も聞くのですが
その影とか形とはどのようなものでしょうか

それにしても
そんなうわさを私はどこで聞いてきたのだろう
世界には私とあなたのふたりしかいないのに

うわさのしかたを教えてください
私とあなた以外のことを話せばよいのですか
それなら私たちの外にも世界はあるのですね

あなたと私がいることに不思議はない
話しかける相手がいなければ
言葉たちが生まれるはずもないのだから

あの知恵と死をもたらすリンゴを食べてから
私たちは働かなくてはならなくなり
子どもを産んだり育てたりするようになりました

今 地表は人であふれ
楽しいうわさばなしの花ざかり
おとぎ話や英雄物語、それに神さまの言い伝えまで

 それから果てしない時間が流れ去った
 時を憶えてはならない話に必ず付けられる
 今は昔 の前置きさながらに

ある日 夫を失った老婦人が呟いた
人がみんなずれていなくなるのは 
なぜなのかしらね

テレビにたくさんの人が映っているわ
この世が存在している
という不思議なうわさのように

「ふたり」という器が壊れてからというもの
そこにうわさが盛られることもない
この静まり方は世界の始まりのよう

止まらぬ時の流れの中でひとりって不思議ね
あなたはどう思います と訊いても
答えはない


2016/03/01up
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2016年2月

独白の日

独り言をみんなに向かって言う
世界は沈黙している

誰にも聞こえない約束だから
胸のうちを語るがいいよ

気付けば 私は観衆の前で
大声でわめいている

全世界が耳をそばだてて聴いているのに
誰もうなずいたりしてはくれない

自分に何を知らせたくて独り言を叫ぶのか
いや 何を知らせたくなくて?

大声も身振りも肉体のすることなので
永遠に続く「今」に閉じ込められている

一度でいいからそこから外れてみたい
そこには観衆なんかいないと思うんだ

だがなにもかもが手遅れだ 
科白は私の血や肉や息に溶け込んでしまった

始まりも終わりも忘れた「今」だけが
私という舞台にひしめいている

演技がとうとう完成した思い出に
筋書きが観客たちの耳に置き忘れられる

2016/02/01up

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2016年1月

雨の日の写真               

雨の日の写真を きみは何枚持っている?
雨は降っていても写真に写らない
フレームの端を歩く傘を見て
それと気付くのだ

あの日が雨だったことは誰もが知っている
銃を肩に行進する学生帽の隊列
見送る無数の人々がスタジアムを埋め尽くし
誰かが叫び 少女たちが力のかぎり拍手していた
雨でなかったはずはない
行進曲が雨にぬれ 地面は水びたしだった
その水の表に逆さに映った少年たちが
一糸乱れず進んでいった
だがその日のフィルムに雨は写っていない
そして誰ひとりとして傘をさそうとはしなかった

幸せの降る写真を きみは何枚持っている?
雨のしずくが写真に写りたがらないように
幸せもレンズを向けるとどこかに隠れてしまう
だから人々はカメラに向かってほほえみかける
笑顔が咲くところには幸せの蝶が来ると信じて
そんな決まりを知らぬげに幼児はべそをかくが
親たちはその写真にこそ目を細める
道行く傘に雨を知るように
端のほうに幸せが写りこんでいるから

戦争の中にいる写真を きみは何枚持っている?
ただの一枚も。赤ん坊として生まれた日から
年老いた今日という日まで ただの一枚も。
奇蹟にも似た貴い時間を私は生きた
だがのちの時代の誰が信じてくれるだろう 
写真に写ろうとしなかった平和の女神の横顔を
雨が樹木を養い 時が新しい年輪を育てた日々を

いま遠くに傘が見える
地表に何かが降っているのだ

2016/01/02up   『詩人会議』2016年1月号に掲載
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2015年12月

きのうの樹

きのうあった樹木が今日おなじところで
待っていてくれるとは限らない
誰も見ていない明け方に
どこかへ歩いていってしまうからだ

暁の暗がりに
高くそびえる樹木は
はるかな地平線にうずくまる陽を見つける
光が立ち上がったら居ても立ってもいられない

あそこへ行きたい あそこへ行きたいと
露に濡れた無数の葉をざわめかせ
陽に向かって枝を差し伸べる姿は
不憫で見ていられぬという

思いに負けて木を縛り付けていた土が消え去ると
無数の根たちが地上に這い上がり
ゆっくりと歩いて行くという
高くを目指すことを捨て距離を歩む生き物になって

うれしさのあまり長い影を忘れて行くものもある 
日時計のかたみのように
自分は歩み去ったと信じているだけで
そこに大きな切り株が残されていることもある

だが居なくなった樹木に気付く人は少ない
何かがないことが放つ
不思議な明るさだけがそこにある
木に会いに来た老人は場所を間違えたかと惑う

どこにも行けない者こそ世界に遠さを与えていた
花に集う虫や 実をついばむ鳥たちは
木に託された遠さで広々とした地図を編みあげたが
けさ それをどこかに捨てるため永遠に飛び去った

2015/12/01up 『冊』53号(2016年5月刊)に掲載

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2015年11月

刻限

問うた人はもう
問うたことも忘れたのに
答えようと
今も考え続けている人がいる

それに気付かせることがやさしさであろうか
もう答えるべき刻限は過ぎ
問うた人はどこかへ帰ってしまった
顔をあげなさい ほら一人きりですよと

見回して誰もいなければ
それはしずかで心やすまること
考え込んでいる私を見やりなさるな
もっとひとりになって 考えていたい

問いはいつも人から投げかけられたふりして
自分の中に生まれるもの
問いが人を抱きしめて離さないのは
いとおしいものを選んで降るからにちがいない

問うた人に告げてはならぬ
何を 誰にむかって問うたのかを
あなたのぬすびとの耳がそれを知ったとしても
風に洗われて空に消えよう

夕暮れがきて
もう問いに答えられそうもないと
思いはじめている
それでもその問いを誰にも返したくない

ほんとうは ただ思い出そうとしている
問うたのに答えを待たずいなくなった人のことを
私を覗き込んだ時 ひかりがわずかに遮られた
だから日がこんなに早く暮れる


2015/11/01up 『澪』45号(2016年1月刊)に掲載

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2015年10月

石碑の街

なぜ俺の顔を見ている?
と石が言った
刻まれた文字を読んでいただけだが
見つめすぎていたかもしれない
あまりに苦しそうな声だったので
それ以来 石碑の前に立つのがこわい

石にはもともと
丸みを帯びた背中しかなかった
せいいっぱい世界に背を向け
目をつぶって億年を過ごした
自分の記憶を何かに刻みたがるけものが現れて
彼に顔を与えるまでは

顔があればつい見つめてしまう
いや
見つめるからそれは顔になる

私のわきを通り過ぎる見知らぬ人々の中で
ひとりに顔がともると「あなた」が生まれる
見つめずにはいられない灯のゆらめきに
じっと見入っていると
気付いた不思議そうな声が言う
なぜ私の顔を見るの?

石も 生き物も 空も 同じことを訊いてくる
私が見つめすぎたことを咎めるように
そのたび私はどこかに逃げ帰る

いとしさに気が狂いそうになったら
背中に向かって手を振ることだ
石でも 人でも けものでも 
丸みを帯びたやさしい背中は
小さく振られた手を拒まない
だがけっして相手に気付かれてはならぬ
振り返られたらそこに顔が生まれてしまう

降り積もる年月の底で
文字は自分が言葉であったことを忘れはてた
心は怪訝そうな顔の奥に閉じ込められた
見た者を石に変える怪物の目を隠して
人々は互いに顔を伏せて足早に通り抜ける

気がついた時にはこの地に住んでいた
石碑がどこまでも続く街だ
ここは文化が豊かだと彼らは言う
古代の文字と祝福された相貌が陽に輝き
荘厳な言葉が私たちを見おろしていると

見つめ合うことの恐れも
悲しみも知らぬ旅行記作者たちが
晴れやかに石の文字を見上げている
2015/10/01up

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2015年9月

《A》 木づち

いつまでも歪んでいてはいけない
そう思って トントンと
自分を横から叩いてみた
そしたら反対側がとび出した

自分をうまくトントンできない人は
誰かに頼みましょう というのを思い出して
あなたにおねがいした
同じところなのに
人が叩くと痛いのは不思議だ

それをこらえるには
正しい姿勢になったつもりで
遠くを見ていなさい
とあなたが言った

おろかにも
私はときどき人を信じることがあった
だから遠いところをずーっと見ていた
私の中を木づちの音が通り抜けていった
暗いトンネルを通過する列車みたいに

音はするのに目には見えないんだね
というと あなたは答えた
見るとは外にあるものをつかまえることだけれど
聴くとは来たものを迎えいれること
遠くを見続けるのがつらくなったら
目を閉じていなさい
そのまま眠ってしまってもいいのよ

あなたのやさしい大工しごとは
いつ終わったのだったか
私が目ざめると誰もいなかった
木づちがひとつ落ちていて
私はまっすぐな姿勢になれた気がした

けれど少しだけ歪みが残っていた
自分でも叩くことができるように
残しておいてくれたのだろう
忘れたころ遠慮がちに打ってみる
トン


《B》 足くび

冗談ですよ 参りました ははは
私は足を掴まれて前に進めない
部屋を出て行こうとするのに
布団で寝ていた母親がちいさな私の
足くびを両手でつかんで離さないのだ
私が何を言い そういうことになったのか
憶えていない
ただ、私が何かをからかったので
母親が愛情に満ちたこらしめを
しているのだった

いつまでたっても手を放してくれないので、
へんだなと気付き始めた
私の母はほんとうの母ではなかったので
抱きしめられたことも
手をつないだことさえもなかったではないか
そうして夢からじょじょにさめていった

私は横になってうたたねをしていた
老人の足は冷えやすい
しかも交差させていたので
夢が私を起こそうとしたのだろう
私は涙をうかべて目を覚ました
母親のやさしさから身をふりほどこうとする
うれしさに

ありがとう おかあさん
こんなに歳をとるまで
私は生きることができました

2015/09/01up

「木づち」はその後『冊』52号(2015年11月発行)に掲載(一部改稿)

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2015年8月

たまには世界を救いに2015    
               
たまには世界を救いに
冒険に旅立たなければならないのが
少年である
(差別があってはならない 少女だって)

少年たちは 遠近法を跳び越えたがる
その消失点のかなたに戦火ゆらめき
怒れる神たちが砂漠で戦い続けている
(だが砂漠は忘れやすく 歴史を残すまい)

人の一生はこんなにも長い
その間一度も戦争がないなんて
異常だとは思わなかったのか だがまもなくだ
霧が晴れてようやく戦場への門が開かれる

で 君たちは英雄がいいのか兵士がいいのか
英雄たちは戻ることなど考えてはならぬ
兵士たちは気がふれて帰還することがあるが
世界が救われたのか 問うことは許されない

神族と人の間に生まれた者だけが英雄となれるが
近ごろ人は神の子を産みたがらない
闘って死ぬだけの生をいとう者が増えたからだ
一昔前には最高の栄誉と讃えられたのに

英雄のひとりは倒れる時 悲しげに呻いた
救われるべき世界なんて本当にあったのか
今は人の子たちが無限の隊列をなして進んで行く
血の同盟の前に疑問を口にする者など誰もいない

現代の閲兵場には八条と十条が掲げられる
間に封印された永久欠番九を暗示するためだ
だが聖なる立棺の暗がりを覗きこんではならぬ
明日 世界を救いに少年は旅立つ

2015/08/02up  『詩人会議』2015年8月号掲載

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2015年7月

経歴書
           

  》春

ちいさい頃
わくわくしたことがある
自分でしようとも思わないのに
小鹿のように跳んだりはねたりした
それが過ぎ去ったあと、むっつりした
胸おどったことが恥ずかしく
別の人間になりたかった

  》夏 
 
大人になってから
わくわくしてみた
たくさん生きてきたので案外うまくできた
及第点をつけている審査員みたいな私が
向こう側から私を眺めていた
その直後
激しく鏡が割られる音がした
私の拳と鏡の中の拳が両側からガラスを壊したのだ
どちらからも血が流れていたが
両方とも自分がやったのではないと言い張った

  》秋

やがて
とても静かなわくわくがやってきた
生きているだけでほめられているような
しかし寂しさの混じることがふえた
みんなから少し遅れて笑うところは
長い陽射しに温められた縁側のよう
その上に
夕方の少し前がいちばん温かいと
木の葉が舞い落ちて眠りこんだ

  》冬

今でもたまにわくわくがやってくる
跳びはねずに ぽとんと水に落ち
氷砂糖の結晶のように音もなく溶ける
私はその水のように暮らしている
結晶がたくさん隠れているので
寒い夜にはその角が時々ちくちく当たる
くすぐったくてひとり笑いをすることもある

2015/07/01up  『冊』51号に掲載

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2015年6月

轍のある草原             

   
  ----おれの夢をあんたにやるから
       あんたの静けさをおれにくれ*


ちいさな鳥にむかって
お前はだれだったっけと老人がたずねても
鳥は空がたずねられたと思って通り過ぎる
音楽はそのように去っていって
心にさざなみだけを残す

地面を這う影に向かって
お前はだれだったっけと老人がたずねても
影は地面がたずねられたと思って通り過ぎる
光はそのように去っていって
陽炎の向こうに遠さだけを残す

なにもかもが遠ざかる草原で
車椅子に乗って風に吹かれている
誰が私をここに置いていったのか思い出せない
もう充分に生きた気もするが
さっきこの世にやってきたような気もする

なくなったものはどこに行ってしまうのか
小さいころから疑問だったが
そこがここだったのか
きっと誰かが遠くのどこかで
私をなくしたのだ

「風をしばっておく方法が
きっとあんたには見つかるまいに」*
昔の恋歌はいつもとつぜん落ちてくる
おまえは誰だったっけと自分にたずねても
いつものように答えは返ってこない

車椅子の跡も轍と呼ばれるのだろうか
誰かがここまでやってきたらしい
馬車のように荒々しい深さではないけれど----
草原にうたの終わりがひかって
老人がほどけ 風になりかけている

*部はアルゼンチン・ウエジャ舞曲「パンパマーパ」(詩 H・L・クィンターナ)から


2015/06/01up   『詩と思想』2015年6月号掲載
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2015年5月

水平の姿勢

頭を打ったら世界がぐるぐる回り始めたので
救急車で運ばれ そのまま入院したという
困ったのはおむつで排尿できないことだった
水やお茶を飲み まる一日たっても出ない
機械仕掛けのベッドを傾け 身を起こすと
呪縛が解けたようにそれは出た
おしっこするのがこんなにうれしいとは

思えば年少時 眠りの中で放つ尿ほど
強く禁止されたものはない
おねしょする子など世には出せぬといましめられ
以来この歳になるまでの膨大な睡眠時間を
おもらしゼロで過ごしてきた
寝たら出すな 布団を濡らすは恥辱のきわみ
危うくなれば夢の知らせに目覚めさせられる

しかしその鉄壁の防御体制は
はたして眠りの力だけによるものだったのか
いったん水平の態勢に入れば放出はゆるさないと
固い約束がしみついた体になったのではないか
たとえ意識がいかに強く門を開けよと命令しても
決まりは曲げられぬと開城しない門衛のように
だが少し身を起こせば 身体の錠がはずれる

無事退院でき おむつも卒業しましたと
笑顔の親類縁者の話である
だが それでもおねしょが求められる時期も来よう
この世に初めて来たとき母親の傍らに寝ていたように
横たわってこの世を去る姿勢に
慣れなくてはならぬ時が

2015/05/07up
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2015年4月

代替品      

こころ と
発音されると
みんながうつくしいもののように思う
なぜか わからないままに

じぶんの中の
わからないものを
こころと 呼ぶと
生きていきやすいよ

みんなから見えないようにするには
自分からも見えないようにしないとね
だから「隠」すには
心が ぜったいに必要

心に刀で斬りつけたような痕のあるのが
「必」ずだが こころの自由さはもうない
頭上に刃を載せて「忍」ぶ時にも
心は いくらか必要

「心して聞け」とか言われて
「心」を「しよう」としたが なくなっていた
しかたなく ころころしながら聞いたら
どんぐりやろう と言われた

それいらい 自分の中のわからないものを
ころころと呼んでいるのだが
特に変わったこともなく
それなりに生きやすい毎日だ


2015/04/01up
鮮一孝個人誌『風化』17号(2015年春刊)に掲載


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2015年3月

ちいさな池      

世界のはての透明な湖に ではなく
すぐ近くのどんよりした池に
言葉たちは沈んでいった
また人が落ちたと町の人が囁きあった

溺れたのが幼児のときには
死んだ言葉も幼かった
蛙の鳴き声がどこからともなく響くと
なぜか子を思い出すと 親たちは言った

池というより防火用水の貯水池だったのか
少し前まで戦争があった
子どもがはまって死ぬと おとなたちは
言葉に出さないで別のものを思い出していた

最初はまわりに有刺鉄線が張りめぐらされたが
くぐり抜けて入っては死ぬ子が絶えず
あるとき池は埋めたてられた
今その上で子どもたちが遊んでいる

池はとうの昔になくなったのに
夏になると 蛙がどこからか湧いてきて鳴く
死ねない言葉たちのように
見えない池の水面に顔を出して


2015/03/02 up   『民主文学』2015年4月号掲載

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2015年2月

文字が紙の上に        

話をしている時
いつも消しゴムで本をこすっている詩人がいた
読んだ時に自分の心がつけた
汚れを消していたのか

私も本に線を引く癖が直らないので
見ならって消しゴムを買ってきた
いらいその詩人と話すときは
並んでその作業をすることになった

かんなで木を削る大工のように
レンズを磨く職人のように
手を動かしながらの話は尽きなかった
その間に私の本たちは元に戻るのだった

だがある日気づいた
詩人の本からは 文字がみな消えていくことに
言葉は彼の手に吸い込まれていった
時には本そのものが消えていることもあった

驚いてそのことを聞いてみると
詩人だからね 仕方ないんだよ
と 寂しそうに笑っていた
見えないだけでなくなってはいないけどね

文字が紙の上にとどまっているうちは
まだ本を読んだことにはならない
自分の中で新しい言葉に生まれ変わるあいだ
本はひととき行方知れずになることもあるのだと

消しゴムのかすが山のようになって
私の手を埋めつくしているのに
文字も本も消せない自分が
はずかしい

2015/02/02up 『詩人会議』2015年3月号に掲載
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2015年1月

言葉のすみか  
                      
言葉はひととき
私の口に住みついた
そこから出て行く時だけ声をあげ
中には誰も残っていないふりをする
そういう住み方で

お前が死んだか見てやろうと
鏡が口の前にやってきた
そこに映りたくない言葉は鏡を曇らせた
や、この口は生きているぞ
言葉が隠れているんだからな

それでも口はいつか死ぬ
すると言葉は
花から花へ舞い移る蝶のように
ひらひらどこかへのがれて
別のところに住み始める

夜おそい電車のなかで
赤ん坊が声を張り上げてぐずる
がんばれ 言葉のつぼみ
もうすこしして花が咲いたら
蝶になってあそこに行ってやろう

赤ん坊が眠り込むと
生きているのか心配になるほど静かだ
その口の前に近づいていくのは
鏡ではなくて
かすかな息に濡れたい母親の耳たぶ

2015/01/05up    『詩人会議』2015年1月号掲載
(一部修正)

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2014年12月

連絡がとれない人

コーヒーをいれようとして
水を少し入れた薬缶をガス台に置く
スイッチを入れると青い火が点く
時間を無駄に過ごしてはならないので
隣室に入り愛について考える
たちまちコーヒーは忘れ去られ
目的を失った薬缶が空焚きされ始めると
焦げつく匂いが充満する

家ごと燃えてしまったのは
老人たる私が火のことを忘れたからだが
一言だけ言わせてほしい
私の知っている火は可愛らしい青い炎で
あんなに大きくはなかった

サイレンが鳴って あたりが騒がしくなる頃には
私は同住所に住むお年寄りで 連絡がとれない人 
となっていた
黒こげの私が誰かと聞かれても困る 
人間だれしも 自分を見失うことがあるものだ
焼け跡で発見された遺体と
連絡がとれない住人とをつなぐ線は
単に「私である」ことに尽きるが
私が私に連絡をとるのが難しい

そこに家があったとか
誰がそこに暮らしていたとか
コーヒーをいれようとしたなどの物語は
地球というものがあった
というのと同じくらい疑わしい
連絡のとれない星 と仮りに呼んでみると
なぜか永劫の静けさに包まれる気がする
二度とニュースで読まれることもない

憶えているのは 
カチンという音と
ぼっと点いた青い炎だけ
宇宙の始まりのような 小さなできごとでした
そのあと隣の部屋に行き 愛について考えていた
ほんとうです

2014/12/01up
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2014年11月

公園のはずれで
   

見なれない木に
赤い実がなっていた
というより 見なれているのか
そうでないのかも わからない木を
近くによってしげしげと見る
これは何という木なんだろうね

足下に繁茂する草は
小さい頃からなじんでいるが
名前は知らない
歳とった今頃になって
ずいぶん長いこと毎年出会っていたことに気付く
これは何という草だったかしら

独りごとを落とすように
互いに訊きあっても
答えが出てこないふたりである
幻の分厚い図鑑を持たされているが
そのほとんどが空白のページなのだ

私たちは欲張りではなかったね
知らないものをこんなにたくさん残したまま
この世からいなくなる

2014/11/04up  その後『太郎の部屋』34(2015/7/15刊行)掲載時に改稿

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2014年10月

みどりどんぐり

足もとに転がっているものに気付いて
近くの木を見上げる
しばらくしてようやく見つけた
密生する葉たちのかげで
息を潜めている緑のどんぐりたちを

こんがり茶褐色のはずが
鮮やかな草色だったとは
一人前になる前は生野菜なのか
熊が胃にためこんで冬眠するには
あまりに夏色すぎるではないか
熊だって暗い土の中では
種子たちに混じって眠りたいだろう
一度死んだ種を春が目覚めさせにくるとき
自分も一緒に起こしてもらえるように

決して熊の来ないアスファルトの道を
散歩の年寄りが時々通りかかる
散らばっているこげ茶の粒を見ては
去年もこんな季節があったと思い出す
なるべく踏んで砕かないよう
気遣って歩いたりしている
じきに清掃のおじさんがやってくるだろう

若い母親に連れられた幼稚園児が
その樹の下を歩いていく
どんぐりのはかまみたいな帽子をかぶって
時々母親にぶるさがりたがって
あれも緑だな
緑の中では緑がわからない
そんなふうに季節がすぎる
実りはその中に隠され続けて
ある日落ちる
熊が来てくれるのを夢見て

  2014/10/01up   『澪』43号(2014年12月刊)に掲載。

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2014年9月

上からと下からと

古代ギリシャの噂話

君を疑った私をなぐれ
などと青年同士が頬を打ち合うと
王は感動して死罪をとりやめた*
処刑の合図の日没はもう来ない
夕暮れは青いままに教科書に閉じ込められ
鍵のかかる音がした
かと思うと

湯船に漬かったらお湯がざあっと流れ出る 
のを見たおっさんが裸で街中を走り
ヘウレーカ!**などと奇声を上げると
金細工師の死刑が確定した
黄金の王冠が
純粋を疑われた瞬間
死という混ぜものが入り込んだ
かと思うと

同じ川の流れには二度と入れない
と語った哲人***は「暗い人」のあだ名どおり
隠喩ふうに謎めく言葉を残したが
水痘症を治そうと牛の糞を全身に塗って死んだ
その瞬間も
川は彼の中を流れていった
今は私たちの中を流れている
かと思うと


一九七〇年代の東京

酔っ払った時の愛の誓いは
信じられない
とおまえが言うので
酔っ払った時ほど
人間が本当のことを言う瞬間はない
と思い付きを言ったら
そうなの?と納得された
信じてはならないものを
おまえが信じたので
その言葉は
真実の列に加えられた
誰かが信じる前から
真実であったものなど
この世にはひとつもない


年代不詳の地球上空

遠い飛行のあと
違う名前の中に降り立つだろう
翼と足と嘴

ヒトの肌や髪、目の色が変わり
言語が複雑に入り組む境界線を
鳥たちは無言で越える
空高く翔んでいる間は
何語の名前も着ていない

名付けるのが好きな地表の動物が
空を見上げている
初めて空から落ちてきたとき
抱きとめるように名前を付けたから
ふわりと地上に降り立つことができた
そう信じる子どものように

上からと
下からと
目が合うことがある
名付けるよりも
名を知るよりも先に


*太宰治「走れメロス」から。
**「ヘウレーカ」は古典ギリシャ語の動詞「ヘウリスコー」(見出す、分かる)の
一人称単数完了直説法能動態。一語で「我発見せり(分かったぞ)」の意。英語読
みは「ユリイカ」。「おっさん」はアルキメデス(紀元前287−212)。
***ギリシャの哲学者ヘラクレイトス(紀元前500年頃の生まれ)。


2014/09/01up  のちに書き直し『詩人会議』2015年3月号に「我発見せり」と改題。

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2014年8月

罪のひとつも

罪は罰より足が速い
だから
かけっこでは必ず罪が勝つ
寂しい顔をしてゴールで待っていると
あとからやっと追いついた罰が
罪を抱きしめる
すると
罪びとの中ではてしない苦しみが壊れ始める
愛に代わって罰が人を許すからだ

しかしこのごろ
先回りした罰が
小犬のように
私を見上げていたりする
これは何かの間違いだ
罰は罪より先に生まれたりはしない
可愛い顔をして
罪が生まれるのを待っているのだろうか
罪が宿ったと見るやいなや
肉球でトントンと肩を叩くつもりだ
それを知ってか
新しい罪たちは私を避けるようになった

そうではない
あの小犬は追っていた自分の罪からはぐれて
私の夢の中に迷い込んでしまったのだ
目指すものがどこにもいないので
ぼんやりしている
かけっこするにも相手がいない
罰が罪を慕うさまは
それは痛々しいものだ

罪のひとつも分けてやりたいのはやまやまだが
私にだってそれは必要なのだ
たくさんあったはずと安心していたら
いつからかひとつも見当たらない
今日だって
夢の中ならあるかもしれないと
忘れ物をとりに戻ったところなのだ
夢は罪の吹き溜まりだからね
もっとも そこから何かを
持ち帰れたことなど一度もないけれど

さあ お帰り
お前の競争相手は
私じゃない
私に
かけっこはもう残されていない


2014/08/01up

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2014年7月

吸っちゃいますよ    

電気掃除機を使いすぎると
住所が吸われやしないかい?

  またそんなところで詩心なんかして
  どいてくださいな 吸っちゃいますよ

今、柱が一本消えた気がするんだけど
ほんとうに大丈夫だろうね

  大黒柱はとっくになくなってますよ
  でも扉さえあれば救急車の目印になるわ

郵便物はポストより来たりて
病む魂と死せる肉体は玄関より去りぬ

  あれ、今日は近代詩ふう
  あなた 昔から言文一致じゃなかった?

今どきの言文一致はイングリッシュ混じり
古代ギリシャ語派の私には無理だ

  たて穴式住居には番地は付いてたのかしらね
  男は漂流物だから所番地は不要でしょうけど

英語の「アドレス」には、「住所」のほかに
「話しかける」という意味があるらしいね

  そういう哲学は食器洗いながらやってくださる?
  お皿にならいくら話しかけてもいいわよ

洗剤付けたスポンジを@状にまあるくこする
うん、けっこうアドレスっぽいぞ……

  やっぱりさっき住所を吸っちゃったみたい
  買い物から帰って来れなかったら ごめんね


2014/07/01up   『澪』42号(2014年6月刊)に掲載

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2014年6月

白夜

文字の台紙が紙であるように
言葉の台紙は息だという
夢の台紙が眠りであるように
愛の台紙は寂しさだという

記憶の台紙が最近たわみはじめた
光と影の感光板が波打つ河に変貌する
舟を出すと空が暗く覆われ
なにもかも忘れ去ってしまう
忘れたことにも気付かず
河のなかに自分を置き去りにすると
はてしない安らぎが訪れる

紙からずり落ちていった文字たち
止まった息が密かに逃がした言葉たち
浅い眠りに溺れていった夢たち
寂しさの扉をあけた愛たちは
使われなくなった鍵のふりをして失われる

生まれた時のことを誰も憶えていないのは
自分がただ白い台紙だったから
文字や言葉や夢や愛がそこに書き込まれたが
長い時をへてまた薄れていく
来たときと同じ祝福の霧に包まれて

夜が生んだものは闇にとけ
どこかに帰りたがっているのに
漆黒の夜はまだ来ない
たどり着いた見知らぬ土地で
今日も白夜
見知らぬ私が空を見上げる

2014/06/02up 『冊』50号に掲載
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2014年5

とある時間

シルバーシートに座ってしまったからには
携帯電話はいけないと自分に言い聞かせ
手帳に詩を書き
それを破って
紙飛行機を作ることにした

高架線を走っているのだし
窓ガラスの向こうには
夜が広がっていて
飛行機を飛ばすには最適だ
と窓をあける

こんな寒いのに
何をするんですか
と取り押さえられた
この冬いちばんの冷え込みだと
気象庁だって言ってました
寒さの主張にも権威を持ち出す青年

生きているかぎり
誰かに羽交い絞めしていてほしい
そんな気持ちになることもある
ふわふわどこかに飛んでいかないように
ありがとう 青年
組み敷いてくれて

戦場にも
宇宙にも
未開民族の村にも行かずに
一生を過ごした私が
とある場所
とある時間
の中に落ちていた
文字で汚れた紙飛行機になって

私はどこかを飛んできてここに居るのか
生まれた時からずっとここに居たのか
(電源もお切りください)
これには従えない まだ

2014/05/01up

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2014年4

ウージの下で千代にさよなら 


沖縄は遠い
どんなことがあっても遠い
みんなで見捨てたから遠い

遠いのはそこで本土決戦があったからか
遠いのはそこが外国だったからか
遠いのは洞窟(ガマ)の奥で爆音がしたからか
遠いのは照準の中に浮かび上がる白旗の少女か
遠いのは「琉球処分」で皇民化されたからか
遠いのは人種の博覧会に出品されたからか
遠いのは貼り紙「朝鮮人と沖縄人お断り」ゆえか
遠いのは山之口獏が寂しい座布団に座ったからか
遠いのはさとうきび畑をざわわの風が渡るからか
遠いのはちゅらさんの姿がまぶしすぎるからか

少女がそこからやってきて
またそのどこかの島に帰って行ったように遠い
どこからともなく「芭蕉布」が歌いだされ
デイゴが咲き乱れる中を
踊り続ける人々のように遠い
カチャーシーが熱を帯びればおびるほど遠い

この遠さを渡れ
と誰かが言う
やまとんちゅーよ 渡れと
ここの空はお嫁に行きたがっているのに
貰い手がどこにもない
だから婿をとるのだ
さあ おいで わしらの島へ
火の手のあがった空を抱きしめに

 *タイトルは、宮沢和史作詩作曲「島唄」の歌詞「ウー
   ジぬ(の)森で あなたと出会い/ウージぬ(の)下
   で 千代にさよなら」から。ウージは砂糖きび。


2014/04/01up   『詩人会議』2014年4月号掲載
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2014年3月

手袋と春


柵の棒のひとつに
毛糸の手袋がかぶせられていた
あなたの落し物はここ
と手招くように
柵は暖かい帽子をもらったようにうれしかったが
いつまでたっても手袋はそこにあった
寒い季節が過ぎ去り
春が来ても

落とした人は
いつもここを通る人ではなかったのだろう
二度と通らない道をその人は
なぜその日通ったのかと想像する
そしてその日、なぜ手袋を脱いだのかと
冬なのに暖かい日だったのだろうか
でなければ
手袋をしてでは触れることのできない
大切なものをさわったのだ

あれは落とした時に音がしないもの
歩み去る人を
呼び戻そうと声をあげたりせず
地面にうずくまっているもの
自分が仕える手だって口はきかないので
その真似をしたがったのだ

私もたくさんの手袋をなくしてきたから
もう新しいのはもらえなくなった
探しにいくには
この世界は広すぎるし
心の中はもっともっと広い

落とされた手袋よ 
人の手を温められなければ
空を指差せばいいよ
そう思う間もなく
指は何かのスイッチを押したのか
春の日差しがやって来た

2014/03/05up  『冊』49号(2014年5月刊)に掲載。

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2010年2

どこにも行けないもの 


空が大地を生んだとき
高いところから落としたので
足がこわれてしまった
だから大地はそこにうずくまったまま
どこにも行けなくなった

その背中で生まれた草木は天に向かって伸び
木々の間から鳥たちは空へ飛び立った

ある夜明け 朝露が言った
小鳥よ 私をお飲み
間もなく消えてしまう前に
空高く私を連れて行っておくれ
私もまた 空から生まれた者なのだから

小鳥は光る露を口に含み
首を空に伸ばして歌った
どんなに高く空を飛んでも
私も最後は地に落ちて横たわるのです
雨粒が地面を恋しがるように

生き物たちは はてしなく死に続け
その遺骸は雪のように降りしきった
どこにも行けない大地の上に
そしてどこにも行けないものだけが
命を生み出した やわらかい死のなかに

何も受け止めることのできない空は
雷を打ち鳴らしたあとの静寂の中に
虹を描いたりした

2014/02/03up  『民主文学』2014年3月号に掲載。

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2014年1月

冬の写生

青空がよく見えるように
葉を落として
木は立っていた
だから世界は透き通ってみえた

ただ一箇所だけくろぐろと
枯れた葉の塊が視界をさえぎっていた
折れた枝が落ちきれず
さかさに吊り下がっていたのだ

びっしり葉をまとってその枝は死んでいた
生きた樹木がすべての葉を脱ぎ捨て
固い樹皮だけで風に耐えている中を

木々を枯らして過ぎ去るので
北風は「木枯らし」と呼ばれた
言葉が見えない風を写生したのだ
続きを見えない絵筆が描きあげた
そこにあるすべては
生きて はだかなだけなのだと

団地の五階から小さな娘が
出勤していく私にいつまでも手を振っていた
声も届かない点になるまで
私も点から手を出して振り返した

冬枯れの景色は遠くを招き寄せる
緑の季節には隠されていたバスが
木々のあいだから姿を現し
ゆっくり曲がってこちらにやってくる


2014/01/03up 

『詩人会議』2014年8月号に掲載(一部修正)。

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2013年12月

七年後         

親は子どもたちに教えたものだ
どんなにほしいものがあっても
嘘や盗みによって手に入れてはいけないのだと
目に涙をためて子どもたちは諦めた
それを見る親たちもつらかったが
いつか自分の力でそれを得ようと
努力する子どもたちを信じたのだ

カードが裏返され「トーキヨ」が呼ばれると
二度目のオリンピックが私たちの国に来た
だが その過程が報道されるにつれ
喜びは失望と悲しみに変わった
国を代表する政治家が虚偽の証言をすることで
世界の祭典は招きよせられたのだ

静かに放射能の水が海に流れ出
高濃度の汚泥や汚染水がはてしなく蓄積し
家に戻れず影のように漂流する民は
子どもたちが甲状腺の病でないかおびえている
それらは美しい言葉で覆われてしまった
「完全にブロック」「アンダー・コントロール」と

跳びあがり 抱き合い 号外が流れ
この国家的慶賀に異を唱える声はかき消された
嘘をついて容易く何かを手に入れてくる子どもを
叱る親たちはもういない
持ち帰ったものの大きさや華やかさ
どううまく成し遂げたかが褒められる国になった

まだ時間は残されている 七年後なのだ
何かよい方法がきっと出てくるはずだ
だが ほんとうにそうなのか
今日こそ その七年後ではないのか
歴史は 
全ての人々に見えているのに
見ようとせずに捨て去られた「今」だ

2013/12/01up  『詩人会議』2014年1月号に掲載。

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2013年11月

小学校   


 》校庭のすみで

生き物がかりの女の子がやってきて
私を抱き上げた
だからきっと私は
生き物にちがいない
でもほんとうは 生き物がかりって
神さまのことだよ 
と頭のいい子たちは言っている


》校門で

桜がかなしがっていた
ある日気付くと
自分の名を知らない者は
ひとりもいなかったから
誰にもしられぬ山奥にでも行って
生きるということを
小さな芽からやり直したい
ランドセルなんかしょって


 》渡り廊下で

これを持っていて
と少女に何かを手渡された
好きな子だったのでうれしく
少年は紳士になって待ち続けた
待たせた?
ううん ちっとも
預かったものを返すとき
彼は白髪の老人になっていた
こういうことは
木とか 雲にも よくおきることだ


》屋上で

人間になってみようと
あるとき思った
いつとも言えない
遠いむかしのことだ
なれたことは なれた
だがこっちに来てからというもの
前の自分は何だったのか
思い出せず 頭がくるいそうだ
どこまでも広がる夕やけの下
下校時間のチャイムが鳴っている

2013/11/01up 『冊』48号(2013年11月刊)に掲載


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2013年10月

二つの声が

低いゆっくりした声と
焦るようにせわしなくまくし立てる高い声が闘っている
何を言っているのかはわからない
言葉であるかさえもわからない
誰とも会わない日が続くと
それは訪れた----留年続きの学生時代

声をかけられることは
問いであり責めであった
私は答えようとして
どもったり顔をまっかにした----小学校にあがる前

私は問われないのに
あらゆることに答えようとして
しゃべり続けている
あなたはどうしてそんなに
とめどなく話し続けるのかと言われて
その静かな口調に
低いゆっくりとした声を思い出した----定年退職して五年

ゆっくりした声が始まると
高い声も始まるかもしれません
長い間忘れていた使者までやってきている

知らせてくれてありがとう
そして もう行ってください

2013/10/02up

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2013年9月

家族       

ところばんちという不思議なものの上で
暮らしていたが

ただいま と入る玄関が流れ去った
帰り道が立ち入り禁止の柵に断ち切られた
時には  国がまるごと消えた
地面も人も 隣の国の持ち物になれる

いま 広々としたものばかりが暮れかかる
見渡すかぎりの海は
星ぼしのところばんちのようだ
波がいま 遠くから帰ってきて
愛する浜辺にしなだれかかる
戻ってきたよ と

疲れた子どもが寝ころがって
眠ってしまえる場所
母がくれた言葉で夢が見られる 
いつもの ところばんちに
夜よ おいで

2013/09/01up   『詩人会議』2013年10月号掲載
(詩と写真の構成による企画「奪われた野にも」
--七詩人が参加--中の一編。写真は鄭周河氏。
)

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2013年8月

あの塔で私を待って


縮小率1:1の地図ができてから
現実と地図を間違える人が後を断たない
でこぼこの現実の上に地図は広げにくいので
わかりそうなもの と思うのは 
古い紙の時代の思い出にすぎない
今や地図はあらゆる物のうえに照射される光の線だ

人が地図のなかで暮らせないのは
肉体に高さが与えられているためだ
現に その建物の入り口に立ったのに
立体的な私は
平面の建築物に入っていけなかった
私のため息も かなり立体的だったので
ドアの隙間からの置手紙のように
忍び込ませることもかなわなかった

ああ、これは地図だったのだと
肩を落として帰って行く私を
最近地図に加えられた高い塔の展望台から
恋人は見送ってくれた
どんなに高い建物であってもそこは二次元世界
彼女が出てくることはできなかった

今年最高の人気映画、ご覧になりましたか?
「あの塔で私を待って」
あの原作者は私です
若者たちは純粋ですからね
私の夢を自分のものとすぐに思いこんでくれましたよ

「あなたはあの塔で私を待っていてくれたことがある」
というコピーに若者たちは憧れ
さらに透明に磨きあげてくれました
スライドの光のようにそれを胸から発しながら
若者たちが行き交う姿はなんと美しいことでしょう
自分が登ったことがないからといって
それがこの地上にないということにはならない
登ったことがないからこそ それを確信するのです
あの光の塔を信じずに生きていくことなど
誰にもできはしませんよ

「知り合いであの塔に登ったという人を
私はひとりも知らない」
と呟く年寄りが時々現れますが
その人は現実と地図を間違えたこともなく
地図や本の中に恋人を持ったこともない寂しい老人なんです
私のようなね

自分が立体であることを忘れそうになったら
(誰にもあることです)
人の目を盗んで伏目がちに足下を見おろしなさい
ご自分の影がそこにあれば思い出すのです
その塔に登ることはけっしてできないのだと
そして塔から手を振っている恋人の
影ひとつない美しさをあらためて讃えるのです
彼女は 永遠に降りては来れないのだと
しかし それによって真実が消えることはない
「あなたはあの塔で私を待っていてくれたことがある」

高架を走る電車に揺られながら
遠くから見たことがあります
塔はぼんやりと空を見上げていました
地図たちがいつもするあのしぐさで

2013/08/01up
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2013年7月

立ちつくすペンギン  

いちめんのペンギンである。何万もの立像が 吹雪
く氷原で足の間に卵を温めている。まもなく連れ合
いが小魚で喉の奥を満たして戻ってくるだろう。

あんなにたくさんの中で家族を見分けられるのか、
と人間は思う。彼らよりはるかに多い自分たちがそ
れを行なっていることを不思議に思わないで。

ブラッド・ピットが人の顔を識別できない「失顔
症」だと自ら公表した。知人から失礼な人間だと嫌
われて悩んでいるという。彼の目に映るのは 人間
には区別のつかない林立するペンギンの顔なのか。

いっそ ペンギンになってしまえば 人間の顔の区
別など問題にもならない。しかし ペンギンの心を
得れば、すべてのペンギンが別々の顔を持ち始め 
その社会の悲喜劇がくっきりと見えてくるだろう。

卵を渡された夫は ただ立ち尽くしてそれを温める。
いつまでも帰ってこない妻はどこかで死んでいるか
もしれないが 待ち続けるほかになすすべもない。
携帯電話がかかってこないペンギン。避難勧告の広
報車が来ないペンギン。消息掲示板がないペンギン。
彼が待ち続けるのは 彼女の顔や声や 独特のしぐ
さを識別でき、記憶し続けているからだ。

正確には「相貌失認」。アルツハイマーとは違い 
顔だけが識別できなくなる。コンピュータが指紋・
顔認証ができるまでに育ったのと交差して 人間は
顔を判別できない病を得た。「どこでお会いしまし
たっけ。おお そうでしたそうでした。憶えてます
とも」。相手がペンギンの顔をしていても驚くには
あたらない。パスワードも 誰からの認証も不要な
一面氷に閉ざされた世界に立ちつくしている。ペン
ギンの群れに、今ブリザードが襲いかかる。

2013/07/01up  『詩人会議』2013年8月号に掲載

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 2013年6月

アルバムとあじさい

 

アルバムが道端で
雨に打たれていた
たまたま梅雨の頃だったので
アジサイの横に

結婚する子どもが自分の分を
抜き去っていく 思い出の分骨?
そうなれば家族写真も骨抜き
私たちの白黒写真はみんな剥がして
お菓子の缶カラにでも入れておきましょう

それより何より今は画像ファイルの時代
本の形をしたものはこの世から消えていくのです
粘土に刻まれた文字の時代が遠く去ったように
それにしても
雨に濡れてるとはなんとアナクロな

思い出は分別収集でも
いちばん曜日を間違えられるゴミの種別
ある人は可燃性だといい、ある人は資源だという
考えてみれば
写真ほど役に立たないものはない
知っている人だけに喜びを与えるけれど
その人たちがいなくなれば
開ける扉を失った鍵のようなもの

小さい頃楽しみだった
テレビドラマの「スパイ大作戦」では
任務が伝えられると録音テープが
音立てて燃え尽きたものだ
「この指令は自動的に消滅する
では 成功を祈る」
あとには一片のゴミも残さず 煙だけたてて

成功を祈られてこの世を生きて
任務を解かれる時期も近い
だが本当をいうと
早口すぎてミッションがよく聞き取れなかった

残骸めくアルバムの傍らで
あじさいは雨に濡れてますます生気をおびるが
すこしたてば その大きくて華やかなぶん
生き物の汚れをさらすだろう
私の生まれた季節が静かに過ぎる

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2013年5月

箱の花
          

私の中に箱がいくつも落ちている
いつからなのか思い出せない
私の秘密が入っていたはずだが
まだ生きているかどうかはわからない

あければ煙がたちのぼり
白髪になって過去と友だちを失う箱もあるそうな
ふだんは日常のくぼみにたまっている時間が
ある時思い出したように流れ去るのだとか

箱たちはかすかに意志を滲ませている
誰かにあけられるのではなく
自分であきたいらしい
時が満ちれば咲く花のように

箱たちはある朝 いっせいに咲いた
それまで守られていた内側が
外側の空にふれると
私の秘密も世界の息とまじった

こうして秘密が飛び去ってしまうと
世界はあまりにさびしい光景だった
ふたのない箱が咲き乱れているだけだったから
たまに紙でできた蝶がひらひらと舞った

ふたのない箱は
退化した翼を羽ばたかせようとする鳥のようだった
飛べない背中には雨がたまったり渇いたりしたが
いつかまた つぼみのようなものができた

内側はまた外側にあふれることを
夢み始めたのだろう
私には内緒で 独りで咲こうと 
無口に四角ばっている私の中のつぼみ

2013/05/01up  『冊』47号(2013/05刊)に掲載。

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2013年4月

セイレーンの歌  

その歌声を聴いた者は
あまりの美しさに引き寄せられ
恍惚のうちに最期を迎えるという
船が難破し漁師や船員たちが戻らないと
人々はセイレーンの名をささやいた

地上に海がやってきた日 
彼女もまた現れたのか
美しい星空を見上げ
冷たい海水に漬かってその歌を聴いた者は
新しい朝を見なかった

本当は逆なのだという人たちもいる
海上でただ死を待つ者たちに寄り添い
末期の苦しみを喜びに変えるために
彼女は歌ったのだと

セイレーンはいつからか
「サイレン」に生まれ変わった
人を招き寄せる美しい歌声ではなく
遠ざかれ と叫び続ける警報音に
あの日もそれは災厄を告げて鳴り響いた

「ただちに高台に避難してください」
一人でも多くの人に と放送を続けて
命を落とした少女がいた
街の空に響き渡ったその声を
生き延びた人たちは胸に刻みこんだ

セイレーンの歌を聴いて死ぬことを免れた
ただ一人の人間、オデュッセウスは
二十年の漂流のはて故郷にたどり着いたが
津波と放射能に追われた「美しい国」の民は
いつ家路をたどることができるのか
春は今年もやってくるというのに

2013/04/01up   『赤旗』(2013年3月8日付)に掲載

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2013年3


冠詞主義者


中学校ではじめて英語を学んだとき
a と the の違いを教えられた
それから ist を付けると人を意味することも

半世紀をへたある日
a・the・ist という語に出くわした
「ひとつの」「その」「する人」?

辞書をひくとこうあった
[e′iθiist ] 無神論者 不信心者
なんだ、俺のことか

別れて暮らした実母と姉は「アーメン」を唱え
寝起きを共にした父は早口の「なんまんだぶ」だった
心の底からの祈りは私をひるませたが

それらの飛沫を知らぬ間に浴びてしまっていたら
親不孝だが 少しずつ洗い落とさなくては
人の一生は神を忘れるにはちょうどよい長さだ

a や the の使い分けはとても難しいというが
英語が母語の人たちは理由も説明できずに使いこなす
思いおもいの神の言葉に生きるのも同じこと

英単語に頭をひねった できの悪い中学生は
シュールレアリストやダダイストの傍らを抜けて
気付けば「a」だの「the」イストになっていた

ピアノをする人だからピアニストと
同じクラスの少女にうっとりしたのだけが
今だって間違っていないこの世の英文法なのだ



この詩への覚書
「atheist」(辞書では、音節に分けて「a・the・ist」と表記)は、古代ギリシャ語の
「ア・テオス(a-theos)」(反・神性)が語源。意味は「神を認めない、神的でない、
不敬な、非道な、見捨てられた」(古川晴風『ギリシャ語辞典』)

ギリシャ語では否定・欠如を意味する接頭辞「a」のついた語が多く、たとえば「アトム」
(原子)は「分割できないもの=a-tomos」、「ア・レーテイア」(真理)は「忘却に抗
するもの」。ネットでよく使われる英語の「ア・ノニマス」(匿名)は文字通り「名前が
ない」----こうした語の一つである。   2013/03/01up

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2013年2月

風の中の声

私たちが話しながら歩いていると
離れて前を行く人が
急に振り返る
こちらで話している声が
その人を呼んだとでもいうように

風の中を私の声が駆けぬけていって
相手の肩をつかんだのだろう

えっ という顔をする人
挨拶をされたのかと きょろきょろする人
危険から身をかばおうとする人

振り返ったところに見える私が
知らない人であることに安心し
誰かと笑顔で話していることに安心し
また もとの同じ距離が
舗装道路の上に張りめぐらされる
並木の緑も安堵しているので
また顔を前に向ける
そう ひとは歩くときはみんな
前を向いているのだというように

その無防備な背中を見ながら
私たちは話の続きをする
してもしなくてもいい話を
まわりのひとたちを驚かさないように
けれど互いに届くだけの声は出して
私たちの後からやってくる人たちには
無防備な背中をさらして

広々としたグラウンドに出た
少年たちが走りながら何かを叫んでいる
言っていることはわからないが
声が風の中から聞こえてくる

2013/02/01up

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2013年1月

永遠のしまい方

たどり着けない永遠より
さわれるやわらかい行き止りがいい
胎児は暗黒の母の海で
手足が壁にふれると安らぐという

だが赤子はこの世に生まれた瞬間
「永遠」にとり囲まれる
貧しい贈り物を照らす薄明かりのもと
何かに手招きされている気配の中で

遠さを見るために
さあ目を開けなさい 私のいとしい子よ
闇に慣れた目がまぶしそうにうすく開かれると
おぼろげな柵は取り払われた

いらい 時の外に暮らす昔話や
夢の奥に消えていく小道や
水溜りに映る空の青さが
遠さとはてしなさを私に注ぎこみ続けた

永遠に一をたすとき
人は明けゆく空が率いる一日を思うのか
私は暮れかかる地上に最後の夜を縫い付ける
ボロボロになった私の永遠をしまうのだ

なつかしい胎内の闇から太古の海へ
浮遊していく自分を感じる
世界がどんなに揺れても手を伸ばせば
やわらかい行き止まりが守ってくれる

 

 2013/01/05up 02/01改稿   『詩人会議』2013年4月号掲載

これより過去の作品を読みたい方は以下から行けます。

O.Kの「今月の詩」2008/01-2012/12

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

     

 

 


 

 

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