ok今月の詩(2008/01-2012/12)

........................................................................................

2012年12月

食べられない生き物  

火葬炉から出てくる死者の姿は
見覚えのある人間のふくらみではなく
落ちている石のようだった
肩の力も腰の粘りも抜けていて
ペッタリ金属平面に落ちている骨たち
交通事故のアスファルトに描かれた
白墨の線のように
寝返りひとつ打てずに
空を見上げている

血も肉も感情も欲望も抜き取った
火はこんなにも生き物を清潔にする

人間が他の動物の肉を食べるときは
ほどほどの焼き加減でおいしくいただくが
人間を焼くときは
更にさらに焼きつくす
まるで意地になっているかのように
黒焦げではまだ足りない
全てを焼きつくして白い骨だけが残ると
参会者は安心する
私たちはこの生き物を食べなかった 

愛は甘美な肉に宿っていたのか
それとも目には見えぬ魂に?
いやむしろ
かろうじてそれら二つをつなぎ留めていた
かすがいのようなものが愛だったのか
生きている間は
肉も魂も 身をよじるたび
食い込む痛さに 棘のようなきっさきをなじったものだが

かすがいの両手からふたつのものが落ちた
食べなかった生き物の骨のとなりには
もっと食べられない魂があるはずだと
みんなで手を合わせている

燃え落ちた建築物が
どこかに笛を隠していたことは誰もが知っている
ありかはわからないままだが
その笛が二度と鳴らぬよう 焼き払うために
私たちは今日集まった

 2012/12/1up  『PO』147号に掲載 詩集『香る日』収載時に「隠された笛」と改題
.......................................................................................................           

2012年11月

目次の門

本を読もうとして
目次の門さえくぐり抜けられない
目の前に広げられた本の読み方さえ
私は忘れてしまったのだ
間もなくその日がやってくるという予感のなかで
今朝も私は文字を習い憶えている
地面に砂をまいて
くり返し そこに指で書くのだ 
指先から押し出されていく文字が
地を飾っては すぐに消される

文字から目を上げて世界を見ようとすると
日は翳った
めがねに文字のかけらが付いたに違いない
小さな黒い汚れを息で吹き飛ばすと
世界は素晴らしくクリアで明るくなった
そのように光を浴びながら
私は焼け死んだ

それでもときどき
暗がりで死んでいる私を
ことばが起こしに来てくれることがある
そのまま朝を迎えては
自分を見失いそうになるのだが
私はなぜ目覚めているのか
生きていると錯覚してしまうではないか  

見たことのある景色にたどり着いた
立ちはだかる目次の門が
文字の群れとして聳えている
今はもう読めない その中のいくつかを
私は砂の上になぞったことがある

道端にまいた砂はいつか砂漠に育っていた
刻まれた風紋はタトゥーのようにやさしげなので
私の指先は風であったのかと疑う
それから書物の門は砂に埋もれていった
預言は成就されなければならないからだ

2012/11/01up
『詩と思想』2012年11月号巻頭詩欄に掲載

......................................................................................

2012年10月

再現

 

   ----城侑に


そのころ私は若く
彼のあとをよちよちついて
野原をさまよった
お互いねぐらに帰る時間になると
城さんは言うのだ、
オレについて来い
この地上におまえが泊まれるところを
作ってやろう
城さん、僕は二駅乗ればアパートに帰れるんですが
独り身ですけど
上手、それはちがうぞ
安易な安らぎに生きてはだめだ
世界のことを一緒に考えなきゃならん
詩人なんだから

気付けば 夜更けて
辺境の地 城さんの家の扉の前に立っているのだ
上手 オレが先に入るからな
そのあとをそっとついてこい
城さんの大きな背中に隠れて
家に上がらせてもらう
しかしすぐに家人に発見される
奥さん、こんな遅くにすみません

あれから何十年もたって
今夜 城さんの通夜に行ってきた
電車に乗っていても、
バスに乗っていても隣から城さんが話しかけてくる
昔となにも変わらない
家に着くと
あの日と似た団地の扉の前で
彼の真似をする
城さん、オレが先にはいりますから
そのあと そっとついてきてください
そっとですよ

でも鉄の扉は大きな音をたてる
玄関に灯りがついて
妻が迎えに出てくる
あなた、塩を持ってるでしょ
あがる前にお清めをしなくてはね
私はサラサラした細かい結晶を浴びる
私が生の中に戻っていくための通行証なのだ
妻には見えない城さんの体に
それらの粒は礫のように痛いので
じゃな 上手
と ちょっとだけ寂しそうな顔をして帰って行った
(そんな顔をすることが時としてあった)

暗い夜を歩きながら 彼は
世界のことを今も考えていると思う
詩人なんだから

  *タイトルは城侑の泥棒詩£の作品名から、形見にもらった。


2012/10/02up   『澪』39号(2012年11月刊行)に掲載

....................................................................................................
2012年9月

気付かれぬ時間

テープレコーダーは
なおも回り続けていた
少し前まで舌のまわらぬ幼児の
誕生日のようすが録音されていたが
主人公たちが去ったあとも
作動していることすら忘れられた機器が
いつまでもその家の物音を
無言で飲み込んでいた

かすかにテレビから流れてくる
アナウンサーの声
若い父と
ほんのすこし前 母親になったばかりの
あどけなさを残した少女が
立ったり座ったりする気配
こどもが眠りについた安堵のうえに
言葉すくなにふりつもる
残り物のような夜の音
客の訪れのような賑やかさではなく
何かを片付けるときの無言
若い父親は若い夫になって
何かを言ったようだが
記憶装置はそれをとらえそこなった
テーブルに落ちてくる蛍光灯のあかりが
読みかけの新聞紙の細かな文字に
沁みこんでいった

磁気テープの表面は
鉄の錆のようなものだという
日常のなかに何げなく忘れられ
静かに錆びていくことほど
満ち足りた時間の影があるだろうか
何の音かわからぬ
ざわめきがどこからか聞こえている
テープはもう少し回っているつもりだ
時がながれていることが
誰にも気付かれないあいだは

2012/09/01up   『詩人会議』2013年1月号に掲載
 

...............................................................................................................

2012年8月

佐渡汽船

二時間半も船に揺られれば
日本本島だが、
海で隔てられていることが
外国にいるような気持ちにさせるのか
入口ゲートの看板が
さまざまな国語で
私たちを見送ってくれている
おなじみの See You Again! から
お隣りなのに読めないハングルまで

中に私にもわかる外国語があった
一路平安
ぶっきらぼうでやさしい言葉だ
帰路 何ごともなく
自分たちの生きる平らかな日常に
戻られますように

地下には輝く金が眠り
流人たちが果てた島
拉致された人たちを隔てる暗い海
異国から連れてこられたトキが空を舞う
戻るべき一路とはどの方角なのか

はじめてあの世に渡るときも
あんな看板があれば心強かろう
長いながい旅のはて
あとはさいごの海を渡るだけ
今にも船が姿を現しそうな待ち合い所で
かすかな風が耳元で囁く
一路平安

2012/08/01up 『民主主義文学』2012年9月号掲載。

..............................................................................................................

2012年7月

洪水を起こした虹

双子の兄弟である虹、チニとマワリは洪水を起こした。水は地上全
体にあふれすべての生き物を殺した。娘が二人だけ残った。虹が彼
らの妻にするために救ったのである。どちらの虹もじっと見つめて
はいけない。*

双子の虹に驚くのは目の退化した現代人だけらしい。東京に住む未
開人の友人から虹は二つ同時に見えることがあると写真を見せられ
た。「副虹」と呼ばれるふたつめはうすいので見えにくいが、色の
並び順は逆になるのだという。神話を創った未開人たちの視力は今
とは比較にならない鋭さでふたつをくっきりとらえていたのだろう。

よい目だからこそ、彼らはじっと見つめることを怖れたのだ。見つ
め続けるということは、そのあいだ相手が自分の中に入ってくるの
を許すことだ。愛する者の笑顔は見る者の胸をしめつける。目から
入って心に落ちたものは憧れという傷口をつくる。妖しく魅する物
の怪の目も、病も死もみなそこから入ってくる。目を閉じよ。美し
いものは恐ろしい。心をわななかせるもの、自分の意志に反してそ
れを見続けさせるもの、からだ全体をざわめかせるもの、それらか
ら今すぐに目をそらせよ。

虹は雨の終りを告げるものだ。未開人の目にその光景は、それまで
雨でつながれていた天と地が切り離されたものと映じた。天地を再
び結びつけたのは彩り鮮やかな蛇(虹)であり、その身体の橋を渡
って疫病と天災が地上に降り立ってきたのだと*。毒をもつ小動物や
茸がみな鮮やかな原色をまとったように、虹があらゆる色の階梯で
大空を覆うのを彼らは恐怖のまなざしで見つめることしかできなか
った。そして一瞬後にはそれを見ることを自らに禁じた。

虹の妻となるために生き延びさせられた娘たちはそのとき何を思っ
ただろう。自分の親族すべてを滅ぼした虹の横顔を見ながら。妻は
他の家族から娘を奪うことによってのみ手にいれられるものだ。そ
のことを誰よりも知っているのは娘たちだ。いつも虹の傍らにいる
ので彼女たちの寝姿も少しずつ色の帯を流す川に似てきた。虹は女
を支配し且つ慈しみ、子を産ませた。息子たちは大きくなれば洪水
を起こすだろう。はてしなく。そして繰り返し人間の娘たちを奪っ
ては妻とするだろう。子を生む女だけを残してあらゆる生き物たち
は地上から拭い去られるのだ。虹の子孫は未だに絶えることなく、
思い出したように現代の空にかかる。まもなく滅ぼされる者たちが
それを見上げる、なぜかやさしい顔で。

 *レヴィ・ストロースが『生のものと火を通したもの』の中で叙述
した南米カタウィシ族の神話の要旨(一連)と解釈要旨(四連)

2012/07/01up

..........................................................................................................................................................

 

2012年6月

空飛ぶじゅうたん 

声にのったことばは
なんだかえらい
口から出たとたん
私に別れを告げ
どこかに消えていくのだが
さみしそうな顔ひとつするわけでもなく
遠ざかる空飛ぶじゅうたんの上で
笑いながら手を振ったりしている
もう使ってしまったんだから
どこにでもいなくなればいいよ
と私は宙を見上げている

時には
それはちがうな などと
じゅうたんに乗り込んできて
相撲をとろうとすることばもある
おいおい危ないじゃないか
もうじゅうたんが消えかかっているぞ

しゃべるときはもっと推敲してからにしろよ
などと言われても困る
それは光と目に監視された
文字の仕事さ
暗闇のなかでも
ことばはためらうことなく勇敢に
空飛ぶじゅうたんで乗り出していく

「夕」の下に「口」と書いて「名」
顔も識別できなくなった夕闇の底で
だれかにたどり着こうと
たよりなく声にだされたのが
名のはじまりなのか

空飛ぶじゅうたんが
本当に地面から浮き上がるかどうかは
空を飛ぶことを信じる力にかかっていると
かつて南米の作家が書いた
声にのったことばは 
とおい昔
人類が信じた最初の魔法だったのだ
だがそのことを誰もおぼえてはいない

それがえらい と思うのは
じゅうたんをうまく飛ばせなかったり
そこから落ちてはみんなに笑われる
ちいさなこどもたちだけだ
魔法がうまく使えるようになると
彼らもすぐにそれを忘れてしまう

2012/06/01up
2012/07/10『冊』45号に掲載時に改稿。
..............................................................................................................................................

2012年5月

陶器

みごとな壷が献上された
この世のものとも思えぬ妖しい美しさに
臣下の者どもが息を飲むなか
若き皇帝は言った
「いつかこの宝も壊れる時がこよう
その時、不注意で壊した者の命が失われぬよう
いま 余の目の前で打ち壊すがよい」

皿洗いをしていて落としそうになると
いつもこの話を思い出す
今日も壊さずにすんだが
いつかは粉々に壊してしまう時があるだろう
近々やってくるという大地震では
陶片に混じって私たちも倒れているかもしれない

我が家の陶磁器はほとんどが
妻の作ったものだ
定年退職後 食器を洗うようになって
そのことに気付いた
彼女の手の平から生み出された時
壊れやすいそれらを創ったのは
もっと壊れやすい心であったかもしれない

小さい頃 親父がいきなり皿を片手に
家を飛び出し表の石でそれを割ったことがある
さあ、これを元に戻してみろ
接着剤で付ければいいと弟は意地を張ったが
それは元のものではないと親父は悲しげに言った
私はそのとき初めて壊れるということの
意味を知ったのだった

財宝よりも人の命がだいじと
壷を壊させた若き賢帝も
後にたくさんの家臣の命を横暴に奪った
接着剤も効かない入れ物たちをこわすには
陶器よりすこしだけ多く時間がかかったろう
人の命が危うくなるほど高価な壷など
創り出したことも触れたこともない幸せ

妻の創った皿や器はさっきまで食卓にあって
そこに盛られた命のかけらを
私たちは賑やかに食べた
命が残した汚れは今きれいに洗い流され
ぶきような私に布巾で拭かれると
彼らは風呂上りのようにくつろいで
食器棚の所定の位置におさまった

2012/05/03up 詩集『香る日』収載時に「落としそうになると」と改題

......................................................................................

2012年4月

答え合わせ

答え合わせをしようとして
そんなものはないと言われ
うろたえ 涙ぐんだりしている
そのように私は
何も知りえぬ日々を生きてきた

答えられない問いはない
天上に輝く星々の運行のように
永遠の法則のもと 世界は美しい
その秘密にいつかふれることができるように
君たちは学ばなくてはね
やわらかな表情で先生は語った

けれどその先生も
答え合わせの紙を持ったまま
この世からいなくなった
とっくに大人になったというのに
今も答えを誰かにせがんでいる私を見たら
先生は苦笑するだろう

自分の間違いを指摘されるのが
どんなにうれしいことか
年老いて知ったが
そこから歩き出す不安は残ったままだ
みんなが楽しく踊っているのに
加わることができない少年のように
夕闇の中に立ちつくしている

私が終わった時
答えの書かれた紙が
ひらひらと空から舞い降りてくるだろう
はてしなく落ちてくる雪のように
生きている間に答えられなかった無数の解が
私の汚れをそそぐのだ

答え合わせというのは
行方知れずだったあなたが真新しい住所を
知らせてくるようなもの
踊りができない私なのに
みんなが笑顔で迎えてくれるようなもの
問いと答えが音楽のように溶けあって
その日わたしは
新しい一冊の本をもらう
何が書かれているのか
読む前からわたしはもう知っている

2012/04/02up

.............................................................................

2012年3月

かがり火


祭は終わったのだが
祭はそれでも少しだけ高く聳えていた
自分を凌駕するものと闘うためにではなく
目にはいる世界を見まもるために
僅かに高い背丈を与えられたからだ

秋の虫たちが地表をおおって鳴いても
やがて沈黙がやってくる
虫の音の絶えた日を誰も憶えてはいないが
僅かに高い背丈を与えられたものだけが
その無言を聴く

だが祭は終わることができない
たとえ今日の賑わいは閉じられても
次の訪れを信じるものがあるかぎりは
気付けばまたやってきている
終わることのできないものの影が

あらゆるものたちに
わずかに高い背丈が与えられたのち
巨大な門が開かれていく夜
その奥にかがり火が見えてこよう
誰が見たのでもない
全ての者たちに見えてしまうかすかな炎だ
見ることはちいさな意志に過ぎないが
見えてくることは宿命であるかのように
時をまたいでさらに暗闇の深くに
あかく揺らいでいる

2012/03/02up 

........................................................................................

2012年2月

じっと見つめてくる


私の時計は家具たちの隙間に納まっているので
夕暮れに取り囲まれると文字盤が見えなくなる
顔がなくなった人のように
こちらを見ているのだけがわかる

時がいつからそこに置かれたのか
思い出そうとしてぼんやりしていると
人が次々とやってきては
断崖から落ちていくのが見える

下を覗き込むと暗がりが広がっていて
あそこにも時が流れていると人々は嘘のようなことを言う
数知れぬ動物たちも影絵のように落ちていくが
その横顔はたいそううれしげだ

そこを抜けたものたちはみな
体も軽くなってとび跳ねたくなるらしい
落ちていくのか上昇していくのか
本当のところは誰にもわからないのだが

文字盤の顔が薄闇に溶けると
時たちはほんとうの自分を取り戻す
それらが周りからじっと見つめてくるので
私も加わろうと 暗く透き通り始める

2012/02/01up 『澪』38号(2012年4月刊)に掲載

..........................................................................

2012年1月

紙芝居  

ずっと寝ないでいると
人は死んでしまうという
眠りはあんなに死に似ているのに
生を支えているという不思議

生きていくには
死んだふりが必要なのにちがいない
寝る子は育つ というのも 
死んだふりをじょうずにできる子は
元気に大きくなれるからだ
死の湖のほとりで眠り
命のしぶきを知らずに浴びてくる

目覚めた赤子は
母親と世界に笑いかける
眠る前の続きであることに満足して
さあ眠るまでに
何かを憶えておこう
目覚めたとき
同じ世界であることを
証し立てることのできる目印を

それを憶えたら
もう寝なくては
起きれば今日と同じ世界が
私を待っている
導火線のように活気にみちて
目的地に進んでいくのだ

今日はこれでおしまい
続きはまたあした
と風呂敷をかぶせられた紙芝居が
いつからか来なくなった
自転車もおじさんも
けれど今日は来るような気がして
公園の片隅で待っている夕暮れ
深い眠りが私をおそう

『冊』44号(2012年1月刊)に掲載。2012/01/05up

..............................................................................................................

2011年12月

アンモナイト

早朝どころか未明ではないか
こんな早く目覚めてしまったので
年寄りという言葉を不思議がってみる
人は「年を取った」と嘆くのに
「年取り」とは呼ばれず
「年寄り」になるのはなぜかと

「寄る」には積み重なる、の意味があるという
間違いのない足し算のようにではなく
数えられない気配が歳月のうえに積もる
降りしきる雪のように
堆積していく地層のように

年寄りは繰り返し同じことを話す
と迷惑そうに言われることがある
だがそれは長い間生きてきて
大切な何かを知った人の言葉なのだ
ほかのことをみな忘れてしまうのと引き換えに
残る者たちに話しておきたい物語
時の灰が降り積もった心にだけ分かる
地層に埋もれた化石のような輝き

若者が遠い星に憧れている夜
自分の奥深く眠るアンモナイトを感じながら
老人は眠りにつく
地上から失われた種族のように小さく丸まって
そしてまだ暗いうちに目覚める

寄る年波がはてしなく私に積み重なれば
小さな者たちに語り聞かせる物語のひとつも
私の中にでき上がるだろうか
「お」をつけて「お年寄り」
と呼ばれる自分を想像してひとりで照れた
それから朝に向かって
もう来てもいいよ と声をかけた

『詩人会議』2012年1月号に掲載。 2011/12/01up

............................................................................................

2011年11月

桜に椿

広々とした園内には各種の花が咲き乱れていたが、
もっとも驚くべきものは私たちがあゆむアスファルトの
道に顔を出している椿だった。ほぼ1メートル幅の道
に、雑草のようにはびこっているのだが、それを踏み
つけながら私たちは歩いていた。枝と葉しか出ていな
いのだが椿であることは間違いなかった。透き通って
見える地中を覗き込むと、その暗い深みには果てしな
く椿が林立し、そこでは花も付いているようだ。私た
ちがこの細い道を歩き続けるのをやめれば、椿は地表
を覆いつくすだろうと思われた。かつてヨーロッパでは
自死者の亡きがらはその魂が地上に這い出してこな
いように人の往来が激しい十字路に埋められたという
が、私たちは、そのように椿を地中に封じ込めている
のだった。

夢からさめると昨日の友人たちとの話を思い出した。
日本への永住を決意して再来日したドナルド・キーン氏
の出演したテレビ番組が話題となっていたが私だけ観
ていなかった。なぜ日本人は桜が好きなのかと彼がイ
ンタビューされていたとNさんが話すと、Yさんは桜の
木の根本にある死体という梶井基次郎のイメージを読
んで以来、桜が気持ち悪くなったと言った。それから
ひとしきり桜が話題になっている間、花びらが激しく
私たちの頭上に舞っていたが、それが私の椿の夢と関
わりがあるのだろうか。

明け方の静けさの中で突然私はある光景を思い出した。
桜の花びらが散りしかれた薄桃色の斜面に、さらに椿
の花が落ち鮮やかな赤で歪んだ同心円を作っているの
を見たことがあったのだ。その上に霧雨が降りかかり、
今にも赤い絵具が坂を流れ下りそうな危険な気配だっ
た。その異様に美しい色彩の中心に向かって小さな蟻
がゆっくりと歩いていく。あれは老いたドナルド・キー
ン氏にちがいない。

2011/11/01up

...................................................................................................................................

2011年10月

飲まず食わずで     

ある秋、見知らぬ虫が私の部屋へ迷い込み
身も世もなく鳴き始めた
小さすぎてどこにいるのかわからないが
鳴き声だけになって生きている
夜にはその音色がどれほど響き渡るか
ともに暮らすとよくわかる
飲まず食わずで歌い続けて死ぬ気らしい

アナトール・フランスは書いている
自分が神なら人間を大きな猿のようにではなく
ある種の昆虫のように作っただろうと
生の最後には翅(はね)のみを与えられ
胃をもたない清められた形に生まれ変わって
残された時を愛だけ求めて生きられるように
(だが人間は人生で最も美しい若い時代
胃を満たすために愛を犠牲にしていると)

その虫はきっとカネタタキだと友人が
虫の鳴き声をたくさん送ってくれた
同じ種族とおぼしき虫の音を部屋に流すと
私のカネタタキも元気に鳴いて応える
いくら叫び求めてもここに恋の相手はいない
早くここを出て行ってくれと
昼間は秋空いっぱいに窓を開け放ったりもした
鳴き声がやんで とうとう居なくなったかと
妙にしんみりしていると じきに鳴き始める

一週間後に鳴き声は私の部屋から隣に移った
これこれそれは私の妻だ
意外にも
彼女はいとも簡単にかれを捕らえ外に投げ出した
さあ 恋人を探しにお行き
いらい 秋の虫たちがいっせいに鳴いていても
カネタタキの声だけははっきり聴き分けられる
それはそれは可愛く鉦を叩くのだから

2011/10/01up 『詩人会議』2011年11月号に掲載。

.....................................................................................................................

 

2011年9月

引き出しの闇         

引き出しを
力強く引っ張ったら
抜けてしまって
箪笥は歯が抜けた幼児の顔で
笑いかけてきた
四角い空洞がそこにできてみると
元あったものをそこに戻すのは芸がない
同じような形をした別の何かを
するすると入れてみたいものだ
そんな思いにとらわれる

一昨日の夢を四角く切り取って
そろそろと入れてみた
だが二日も違うと もう入らない
夢は終わった後もひそかに成長する
もう少し削らなくては無理だと
眠りの門番が言う
もちろん私は抗議した
寸法を測らなくてはならない夢は
はたして夢と言えるのか 
許可をもらわないと発効しない希望が
もはや希望と呼べないように

ところで何のために
引き出しなんか開けたんだっけ?
ちょっと気になっただけさ
あの頃みていた夢はどんなものだったのか
整理された人生だってたまには覗きたくなる
忘れ物がそこで見つかるかもしれないと
開けてみればいつも見慣れた衣服ばかり
間違っても宝石が落ちていたりすることはない
人の生とはそういうものなんだから

泥棒は引き出しを下から手早く開けていき
戻す手間を省くそうだ
そんなふうに自分の思い出に
侵入したコソ泥であったのかもしれぬ
あけっぱなしにしたまま
慌ててその場から逃げてばかりだから
物をあるべきところに戻す礼節もわきまえない
そんな大人にだけはなるなよと
ちいさい時に言われ続けたような気がする

それにしても
元気余って抜けてしまった引き出しは
どうすればいいのだろう
なぜかもう
元には戻せない気がする
「元に戻す」ということじたいが
最初からなかったような気がし始める
引き出しを力任せに引っ張って
尻もちをついていた私は
恥ずかしくなったのか
もうどこかへ消えてしまった

誰もいなくなったので
箪笥の空洞の奥は
どんどん暗くなっていって
星さえ光り始める
夜空のように広々としたそこに
するすると入っていく何かが
この地上のどこかできっと生まれていると
薄暗い部屋がつぶやく

2011/09/01up 『澪』37号(2011/09刊)に掲載
.................................................................................................

2011年8月

折れ芯  

赤青えんぴつの両端を小刀で削っていると
力の入れ方が悪くてよく芯が折れた
芯の抜けた空洞を取り囲んで
尖った木のギザギザだけが残るのだが
黒えんぴつより芯が太いだけに
もったいなさがひとしおだ

うまく削れたのでいざ書こうとすると
芯がぽろりと抜けてしまうこともあった
「折れ芯」とみんなは呼んでいた
まわりを木片で保護されているのに
中で折れているのがとても不思議だった
いつ どうやって 芯は切断されたのか
あの細長い棒の奥で
私たちの気付かぬ地震でも起きていたのか

折れ芯≠ニいう漢字平仮名まじりを
オレシン≠ニ片仮名にすると
見知らぬ化学物質めいてくる
東北地方の風の中では炉心≠ニ訛ったりもした
折れ芯溶融
誰も中を覗くことができない熱い中心で
永遠とも思える時間が折れ続けていく
遠いウクライナの石棺のように

あれ以来 無人化した家並みの封鎖地域は
地図帳に彩色された同心円で表記されるようになった
芯を取り巻く鉛筆の木部のように
日本列島全体に転移が始まっているが
不思議に思う人など誰もいない


2011/08/03up 『民主文学』2011年8月号に掲載

....................................................................................................................................

2011年7月

潮干狩り  

瓦礫の中に家族の写真を探す
何十年と一緒に暮らしたのに
一枚の写真がないために
思い出す顔はぼやけて
私はおまえの笑顔を抱きしめることもできない
抱きしめた手の感触はなくても
声は聞こえてこなくても
その写真にほおずりしたい

赤児の時から写真はありあまるほど撮った
アルバムに貼りきれずに
箱に無造作に入れておいたプリントたちは
時間に撫でられて心もちしなっていた
写真は「防腐剤をかけられた死」だと
スーザン・ソンタグは言った
成長するたび脱皮していく子どもたちは
無数の死を抜け殻として残す
浴室の手前に脱ぎ散らかされた衣服のように

遺体が見つかったのだからまだ幸せだと言われて
頷いている家族もいる
声が出ない分だけ大きくおおきく頷いて
一面瓦礫の原にポツンと停まっている車の
陰に駆け込んで泣いている
そんな悲しい「しあわせ」の較べっこに
それ以上 誰が声をかけられよう

これだけ探し回ったのに生き死にもわからない
せめて何か形見でも とうつむいて探す人影は
遠くから見ると潮干狩りをする人々のようだ
春がいつものようにやってきた かのように
砂の中から丸々太った浅利はいつ出てくるのか
どんなに泥で汚れていたって
その写真の中では
家族みんなが笑っている

2011/07/01up 『詩人会議』2011年8月号に掲載

............................................................................................................

2011 年6月


地面はいつから測られるようになったのか
大地はあの日
自分の肌に刻み込まれた無数の距離を
剥がし落とそうと
はげしく身を震わせる巨大な生き物のようだった
そのあと大きな波を呼び寄せて
地表を洗い流させた
その夜は
とても美しい星空が広がったというが
見た者はほとんどいなかった
地上が火に包まれ
伝説がテレビ画面の中で生まれ続けていたので

もう測ったりはしないよ
朝の光の中で
誰かが答えた 泣きながら
使い物にならなくなった土地は捨てて
どこかへ行くんだ
きのうまで人が住んでいた地面は
どこまでも続く浅い海に変わり
ただ空を映していた
あの海の底で友だちが呼んでいるようだ
だから風がこんなに強いのだろう

あの日から
心を通り過ぎていく「時」の測り方も忘れた
かつて時間は風のように
私たちや木々の中を吹きぬけたものだが
たしかあのあとやってきたのが
春というものだったような気がする

距離も時間も飛び散ったあと
目に見えないものを測り続ける日々が始まった
一人分がいっぱいになったら
交代しなくてはならないので
マスクをかけた目盛りの顔をして
長い列に並んでいる

2011/06/01up  『冊』43号に掲載

.........................................................................................

2011年5月

狙撃手     

手が大きく振られたら
手りゅう弾が投げられたと思い
射撃してはならない
見慣れない身振りだからといって
おびえて発砲してはいけない
愛は最初に会ったときには必ず
見たことのないしぐさで
人を驚かせるものなのだ
けれど優秀な狙撃手のあなたは
今日も
遠くから近づいてきた
豆粒大の笑顔を
みごとに撃ち殺した

『澪』36号に掲載
...........................................................................

2011年4月

メガス セイスモス(大地震)

私はその日
外国のことばを記憶するつもりだった
話す人がこの地上に一人もいない
古代のことばを

 トスートス そのように大きい
トゥレコー 走る
フテイロー 破壊する
フォベロス 恐ろしい
フェウゴー 逃げる

逃げ惑う人々を追って濁流が大地を舐めていく
人間が造ったあらゆるものが波間で砕かれ
押し流されながら自らに火さえ放っている

何も憶えられない
記憶には眠りが必要だと
誰かが語っていたのを思い出す
けれど眠りは私の中に落ちていかない
やってくるのは
深い底から突き上げてくる
大地の揺ればかりだ

 トテ その昔
カリエイス 優美な 
オーフェレオー 助ける
フィラントローポス 優しい
ヒュラッソー 守る 

記憶するのはもう無理だと思います
眠ることができないのだから
眠れば恐ろしい大地の振動だけを記憶してしまうのだから
(一晩で私は病気になりつつある)

受験生のみなさん
明日の試験はもともとなかったことにします
知識も鉛筆も容れ物からこぼれ落ちて
もう使い物にならない

波が去ると海のほうから
真っ暗闇と沈黙がやってきた
春は怖気づいて近づくのをやめた
それでもあなたたちは振り返って
憶えておこうとするのだろうか
揺れる大地に
雪が降りしきったことを

 ケイモーン 冬
ヒュラクス 衛兵
ヒュプセーロス 高い
クロノス 時間
フォイタオー 歩き回る

これが明日からのあなたの試験範囲
使われなくなったことばは瓦礫のように
どこまでも散らかっているが
そうでないものも落ちている
自分が壊れることとひきかえに
愛するものを地上に残そうとした人たちもいた
彼らが落としていったことばを拾いにいこう
とうに私たちは古代人だ

 プシュケー たましい
カリス 恵み
ヒュルールゴス きこり
コレウオー 踊る
ヒュロン 木の葉


作者からの覚書

「大地震」のギリシア語表記は「μεγασ σεισμοσ」。
この詩に使われた単語は、私が毎週行なってきたテストの最終回(12回目)の試験範囲の
τ、υ、φ、χ、ψ、ωで始まるギリシア語の基礎単語70語からのもの。読者にとっては
どうでもよいことだろうが、私は何だか几帳面にそれを守りたかった。ただ、タイトルの
み試験範囲外の語を使った。試験官のカミさんはギリシア文字は読めないので、私がカタ
カナを振っている。地震の翌日に予定されていたテストはやむなく一週間延期したが(こ
こから先は明らかに自慢だが)
、そこで8週連続で100点をとり、ワンクールが終了した。
我が家のテストとは関わりなく、たくさんの大学の入試が中止になったことはみなさんも
ご存知の通りである。  2011/04/01up

................................................................................................................................................................

2011年3月

井上陽水

妻は私の妻になるまえから
井上陽水が好きだった
そして不思議なことに
結婚する前も したあとも
陽水と私はずっと歳が同じだった

歌は歌えないけど
「傘がない」という詩くらい書けるさ
そう思って生きてきた あれから40年も
あれは誰にも書けないことばだったのに

私の初めての赤ん坊が泣きやまないとき
陽水の歌が流れていた
「人生が二度あれば」と
あやうくそれを信じそうになった三十歳の私だった
親たちはもちろん
人生は二度いらない、と微笑んでいた
年寄りのほほえみはなんであんなに
水に拡がっていく波紋のように静かなのか

陽水は親父さんの歳をまちがえて歌ったが
ライブコンサートだったので
そのままレコードになった
針を落とすと
今日もまた まちがえて歌っている
やさしい声で

かぞえ間違いされるほど
たくさんの歳をもらえたのだから
よろこばなくてはね
パチパチと音をたてながら
古いレコード盤がいう

その黒い盤面が湖面のように見えてきて
底のほうに夕暮れが漂い始める
服を汚したちいさな子が泣きながら歩いてくると
どこからともなく陽水の声が響くのだ
「さあ泣かないで家にお帰り
今日の日はすべてがこれで終わった」*

べそをかく子にハンカチはないのだし
愛する者のもとへ急ぐ若者は
永遠に傘を与えられることはない
妻は私の妻になるまえから
井上陽水が好きだった
それら全ては
誰かが描いた絵のように自然なことだった
絵の表面はうっすらホコリで覆われてきたので
少し見えにくくなったが
陽水と私の同い年関係もなお続行中である

 *井上陽水「家へお帰り」から。

2011/03/01up その後『澪』36号に掲載。詩集『香る日』収載時に一部修正

........................................................................................

2011年2月

国境のかけら      

私は国境をひとつ持っている
もういらなくなったので砕かれ
みやげ物として売られているのだという
透明プラスチック容器に入れられ絵葉書に埋め込まれていた
「切手を貼ってベルリンの街角で投函することもできたけれど」
はるばる運んできたあなたから「壁」のかけらは手渡された
21世紀のある日 分割されることのなかった国の首都で

もう一つ 「国内亡命」のための国境が
「20世紀ドイツ詩の水脈」と副題の付いた書物*の中にあった
それは地面に立てられた壁ではなく
詩人たちの心に刻まれた傷口の物語だった
「一つの呻き声によって、あらゆる苦痛をうめくこと」**
そう記した詩人はこの世を去るとき言い遺した
追悼にはピアノ用に編曲されたブルックナーを弾いてほしいと

国境をもらった日 あなたにその話をした
ふたりともブルックナーがとても好きだったから
それから物静かなドイツ文学の碩学が詩人たちを招いてひらく
小さなサロンに話は移っていった
郊外へ向かう電車の窓がとても明るかったので
いつかあなたがその曲を弾いてくれそうな気がした

 *神品芳夫編著『自然詩の系譜----20世紀ドイツ詩の水脈』(みすず書房)
**オスカー・レルケ「詩人」から(詩集『一番長い昼』所収)。前掲書中の引用より。

神品芳夫さんの傘寿のお祝いのための詞花集『はるまつり』に掲載。

..........................................................................................................................

2011年1月

屋上の声  

明日も生きてるはずの人たちに手紙を「書いた」
は 目立たない中学二年生女子の能動態
昨日いなくなった少女に手紙を「書かれた」 
は 同級生や先生や校長先生の受動態

屋上から身を「投げた」は能動態
アスファルトに「叩きつけられた」は受動態
落ちる間に「態」が変化した

 心がもうこれ以上生きていけないと泣くので
体ごとこわすことにしました
肉体が死ねば心も消えるのだと
ずっと前から知っていました
学校でならったわけではなくて

少女が自分自身を殺そうとしたら
彼女は殺す人? 殺される人?
能動態と受動態が一人の中で
みつめあっていた
誰にも見えなかったけれど

 「いじめる」はみんなで出し合った能動態
あの子と口をきいたら
一人ぼっちの受動態がうつってしまう

英語でいうと能動態は the active voice
受動態は the passive voice
「態」がなぜvoice=「声」で表されるのか
わかる人がいたら教えてください
私にわかっているのは
屋上の少女がふたつの声だったということ
小さすぎて誰にも聞こえなかったけれ

voiceには使われることの少ない意味がある
意志、希望

『詩人会議』2010年2月号に掲載 2011/01/03up

..............................................................................................................................

 

2010年12月

夢の門

闇が私を満たし始めると
ことばが私にやってきて
すぐにどこかへ消えていこうとする
別れの挨拶のようなものなのだろうが、
そう簡単に逃がすものかと
ことばの背中にくらいついている
夢の入り口で戦うのは久しぶりだ

しかしやはりそのことばは
私の手を振り切って遠ざかり
暗がりにぼんやり見える夢の門あたりで
私は取り残される
入れ替わりに
見知らぬ母がやってきて 私にさわりたがる
生まれたその日からおまえは眠りたがりの赤子だったと

その手にふれられると
老人の私がみるみる赤ん坊に戻されていくのだ
私は少年のあたりで踏みとどまり 叫ぶ
俺の闇を盗むな 
母親よりも暗闇のほうがまだしもなんだから
だが彼女はひるむようすもない
赤ん坊がおとなになるより
もっと盗まれたのは私のほうなんだからと
鬼のように私を抱いては放さない
ことばはもうとっくに失われているので
それらは眼や食いしばる口元で交わされる対話である

幸せそうな顔をして
鬼が私のおしりをペタペタと叩く
叩かれるとどんどん私は赤子に戻ってしまう
どんなにやせこけた赤んぼうであっても
お尻は 手のひらに値するふくらみをもつ
叩かれているのに
勝利を誇って笑う鬼の形相の真下で
なぜか私は幸福である
麻酔に落ちていくような脱力感だ
痛いよ痛いよと泣き声を発しながら
叩く者の手に抱きしめられていたい
そのようにして 世界は闇にまぎれていく

ひとめぐりの永遠のあとに朝がくる
別の朝なのに同じ自分であるのはなぜなのか
目覚めると青年だった季節もあるが
今日は老人として目覚める
さらに 遠くないある日
体を動かすこともできぬまま
眼に朝の光がさす目覚めさえ訪れよう
あの夜逃げていったことばは
今も時々やってくるが
決してつかまえられない

見知らぬ母はもう朝からやってきていて
ベッドのそばで子守唄を歌っている
幸せそうな鬼の顔で
差し込む朝の光の中に
夢の門がぼんやり見えている

2010/12/02up 2012年11月刊行の『冊』46号に手を加えて掲載。
............................................................................................................................

2010年11月

カイロウドウケツ

自分に欠けたものを思い出すたびに
そのへこんだところに
何かを詰め込まなくてはと
考えたものだ
若い時には
(ではなく ついさっきも)
埋められなかったへこみを気にして
一生を終えてしまいそうだ

けれど
どこかがへこんでいる、どころではなく
全部が空洞になっている生物がある
見知らぬ夫婦の海老たちがやってきて
その中に住みつくと
彼らは一生出ていかないという

やわらかい毛糸で編んだような
円筒形の家が
海の底にふんわりと立っている
ビーナスの花かご(venusflowerbasket)と
西洋人は呼び
カイロウドウケツ(海老洞穴)と東洋人は名付けた

へこんでいたり
欠けているところは
何かの容れものになることがある
時には
思いもしなかったものが棲みつくことも

幼年時代
わたしが自分を憶えたのは
在るものによってではなく
欠けたものによってだった
子どもたちにとり囲まれ はやされて
私はいっしんに走り
自分という容れ物に逃げ込んだ
ないということはそれほど人目をひくものだったのか
あの日も 今日も
同じ形のへこみをもって
私は生きている
それは誰の目にもわかる私のしるしなのだ

ビーナスの花かごにやってきた海老たちは
夫婦になってから来たのではない
彼らは幼生として流れ着いたのだ
ひとつが雌として成長すると
もうひとつは雄になるのである
相手に欠けたものに 自分がなって
ふたりして一生をそこで暮らす
そうしなければ生きていけない海老の種族がある
わたしのへこみに
そんな何かがずっと前から
棲んでいるような
気配だけを感じることがある

2010/11/01up 『冊』42号に掲載。

.........................................................................................................

2010年10月

貴婦人

あの日は雨が降っていたので
突進していって
あなたに傘をさした
私は貧しかったけれど
傘をもっていることが奇跡だったし
幸せだった
あなたは背の低い少年を見て
ほほえんだ

何十年もたってから
その話をすると
あなたは笑った
たくさんのことを忘れるために
私は生きているの
でも思い出したわ
あなたではない紳士が一人いらっしゃって
傘をさしてくれたことがあります
あなたはそれを見ていたのね
あの深く暗い雨の合間から

でもその方はとうに亡くなったのを
あなたは知らなかっただけ
そのひとの代わりを
私のために演じてくれなくてもいいの
でも ありがとう
愛を盗み見て
愛を真似ようとしたあなた

雨がいま降ってくれば
思い出してくれるはずだ
背の低い少年が
思いきり手を伸ばして
あなたを雨粒から守ろうとした日を

思い出の中に雨が降り始めた
私は突進していこうとしたが
そこにはすでに紳士がいて
優雅なしぐさで あなたに傘を差しかけていた
あれは私の傘だ
私はそれを遠くから見ていた
(どこで入れ替わったのだろう)
彼はとても美しいので
私は自分が愛を盗み見る
通りがかりの子どもになってしまって
どこかに隠れたくなった
あなただけには見られたくないので
そばにいる犬に
ちょっとじゃれてから
ひそかに 帰っていった
犬と私は傘がないので
一緒に濡れた

それから何十年もして
彼女から手紙が来た
紳士ってこの世に存在するのかしら?
雨がこんなに降っているのに
なんで来てくれないの?
こんな悪天候の日以外に
あなたはどんな役に立つんでしょう
私の少年へ。傘のない貴婦人より。

2010/10/01up

.........................................................................

2010年年9月

霧の指          

学生時代に先輩が言った
自衛隊員が朝鮮学校の前までやってきて
パタパタと伏せの姿勢に入り
銃を構えて仮想訓練をするんだぞ

ことの真偽は確かめていないが
四十年も前に耳にした
異様な伝聞だった

学校というのは子どもたちが集う場所だ
それを銃を持った大人たちが取り囲む
その子どもたちに銃口が擬せられるのはなぜか
彼らがチョーセンだからだ
子どもだろうが大人だろうが関係ない
チョーセンという属性を持つ者は
照準スコープの十字にふさわしい
生徒も教師も校門も校舎も

いやなら日本人になれ
日本人に生まれなおして来い
チョーセンだった母親を憎め
俺たちが銃口を向けているのは
お前だけじゃない
お前の母親も父親も祖父も祖母も
全部狙っているのだ
だから
お前から生まれる子どもも
その子どもたちや孫たちの誰ひとり
この銃口から逃げられると思うなよ

亡霊のように銃を持った兵隊が
私たちの胸をよぎっていく
地を這う霧のように
匍匐前進していく
日々の
差別の思想はそのように進む
霧のような指でも
引き金はひける
前方で子どもが倒れる

「前方」とは
漠然と目の向こうに広がる
歴史になる前の陰の世界だ
どこまで行っても
倒れたこどもにたどり着くことができない
眼をこらしてよく見ていないと
自分がいつのまにか
霧になってしまうところだ

この詩は河津聖恵さんが中心になって緊急にまとめられた『朝鮮学校無償化除外反対アンソロジー』(79人の詩人が参加)のために書いたもの。7月25日締め切りで8月1日発行(実際の刷り上りは8月6日)という驚異的な速さだったが、河津さんの危機意識が表れている。高校無償化は現政府の基本方針だが、当初適用される予定だった朝鮮学校を拉致問題を理由に除外しようとする動きが出てきた。これは一見すると分かりやすい論理のようだが実は差別の発想である。昨日(8月31日)の新聞報道によると同日予定されていた教育専門家による検討会の結論が先送りになった。理由は北朝鮮拉致問題を担当する内閣部門会議と共催で報告書を「検討」することになったため。10月中旬に先送りした意図は明白である。私は詩を書いただけだが、河津さんたちは国会請願など具体的な行動を展開している。同アンソロジーには詩のほかこの問題や差別についての散文を寄せるという形をとっている。私の書いたものを(少々固いが)以下に載せる。

国際的互恵関係を破壊するな

 日本も締約国である「経済的、社会的および文化的権利に関する国際規約」は第十三条で初等教育の無償化、中等教育(日本の高校も含まれる)の無償教育の漸進的な導入により教育が「すべての者に対して機会が与えられるものとすること」をうたっており、新政権の高校無償化方針はこれに沿ったもの。これに対し朝鮮学校を除外しようとする介入は「父母及び場合により法定保護者が(略)自己の信念に従って児童の宗教的及び道徳的教育を確保する自由を有することを尊重することを約束する」という同条の精神に背くものだ。北朝鮮の拉致問題に報復すべきとの一見分かりやすい意見があるが、政府の犯罪と国民の権利は別物である。海外在留の日本人は高校無償化を実施している国では日本政府と意見が異なる場合でも無償化の恩恵を受けているはずであり、そうした互恵関係を率先して破壊するのは愚かな行為と感じる。
.......................................................................................

 

2010年8月

stoned to death

大きな石の一撃で死なせてはならない
大きさの上限も法に定められている
無限にも思える恐怖と激痛のあとの死こそが
判決の主文でなければならない
(刑は三日間に及ぶこともある
日ごとに石は大きなものに変えられる)
大切なことはみんなでそれを行うことだ
憎しみの浄火で 
許されないものを地上から消し去るのだ

男は腰から下を
女は胸から下を
地面に埋められて標的になる
声が出ないように猿轡をかまされ
肉片が飛び散らぬよう白い布で何重にも覆われる
さあ憎しみを投げるのだ
手の感触でそれを記憶せねば
(布は次第に赤く染まり
一時間もすれば真っ赤になる
さらに時がたつと茶色く変色していく)
いつまでも死なないので 早く死ね もう死んでくれ と
蒼ざめて石を投げつけるのだ
死んだのか
まだ死んではいない もっと投げるのだ
投げない者は同じ罪を抱いている疑いがかかるぞ
周りの人間よりももっと真剣に投げるのだ

石は私によって投げられた
石は私たちによって投げられた
私たちのひ弱な拳は腕からちぎれ
石と化して飛んでいった
石には血と苦痛と死と憎しみが染み付く
だが私の手から離れるときはまだ
それは聖なる像の破片のはずだった
投げた先でそれは汚れてしまったのだ
なぜならそこに汚れたものがいたから
私たちはそれを遠巻きに囲み
そのきみわるいものを打ち滅ぼすのだ

首切り役人よ
私たちに代わって いくらでも
薄暗がりで刃を振り下ろすがいい
だが この罪だけは
私たち全員の手で処罰しなければならない
観衆を集めた 陽の降り注ぐ広場で
鋭利な刃によってではなく
私たちが目覚めさせた鈍重な石によって

愛することの温もりを知る手こそが
自分の抱きしめたことのない愛を打ち殺すのだ
そのとき人間は
地面からはえ出た無数の手になる
しなる腕の林がひとつの命めがけて波のようにざわめき
揺れる林は息を吐くように石の群を降らす

林は夕暮れるとばらばらにほぐれ
一対の手になって家に帰る
同じ手が愛するものをしなやかに抱きしめる
安心おし
われわれの愛は守られた
われわれを魅了しようとする悪魔を
今日も血みどろに屠ってやった
許されない愛は抹殺されなくてはならない
何度でもだ 何度でも
石たちこそ永遠にわれわれの友達だ

それらの石が山道に転がっていても
だれも あの時の石とは気づくまい
血は雨が洗い流して無垢なものに戻る
私がその石を投げた手であったことは
私が死ぬまで憶えているだろう
だがそれもたかが私の死ぬまでのこと
ひとりの手の汚れなど人ごと拭い去られる

だがけっして死なないのは私たち
掟のもとで立ち上がる私たち
ある日 投げる手が長い眠りから醒めると
石たちがこちらを見上げていることに気づく
彼らは長い間地面に転がっていることに飽き
空を飛びたいのだ
私たちが石を拾うよりも前に
彼らは私たちの手に飛び乗ってくる
私たちは明るい光の中で微笑みあう
そうとも 俺達こそ最も古くからの友だ
投げつける相手はすぐに見つかるさ

【補注】石打ちの刑は21世紀においてもイスラム諸国の一部ではイスラム法に基づく正式な死刑の形式である(廃止している国もある)。異教崇拝など宗教的な罪のほか、姦通(ほとんどが強姦の被害女性といわれる)、同性愛、近親姦、獣姦など「倒錯した性行為」が対象となるが、圧倒的に女性が多い。刑は土日、スタジアム等で大観衆を集めてお祭り騒ぎの中に執行されるのが日常の風景と言われる。石を投げるのは被処刑者と親しく暮らした近隣住民である。2006年、2007年のこれによる死者は世界で各一千人以上と報告されている。詩のタイトルは2008年12月27日付英『ガーディアン』紙の記事「Rape victim, 13, stoned to death in Somalia」の見出しから採った(詩はそれを説明するものではない)。同事件はBBC News 11/4/2008、『New York Times』 11/5/2008などでも報道されたが、ソマリアの13歳の少女がイスラム民兵組織の3人の兵士にレイプされ、父親が処罰を求めて訴えたところ逆に少女が拘束され姦通罪で処刑されたという内容。民兵組織は少女は23歳と偽って発表したが実は13歳の子どもだった。

2010/08/02up 『冊』41号に掲載。

.........................................................................................................

2010年7月

平行のきれはし            

本当なのだろうか
憧れることは
交わることの億万倍も価値があるというのは
いちど交差した直線は互いに遠ざかるだけだが
平行線は相手を傍らに見つめて
永遠に見失うことがないという

だが私は平行線の果てを想像することができない
永遠ゆえに価値あるとされたものたちは
始まったとたんにはさみで裁ち切られて
生活のあちこちに落ちている
人間が四角を好むのを責めてはいけない
永遠を追い続けることのかなわなかった者は
せめて断片だけでも手にしたいのだ

机の上にひとつの封筒がある
この世で最も美しい平行線の切れ端が私を見上げる
(さあ帰りますよ
私の脇から透明に延びていく二本の直線は
ほかの人たちには見えないけれど
あなたはその一本なのだから
はやくこっちに来なさい)

急かされてこれから出かけることになった
私は幾何学の公理を生きるのだ
明け方の返信封筒にも似た静かな平行を
けれど遠くに行ける者が本当にいるのだろうか
繰り出されたシャープペンの細い芯が折れるように
永遠は折れ 地上に落ちた

平行線の壊れる音を聞いた者はいない
机の上の封筒が消えるのを見た者も

2010/07/01up (『詩と思想』2010年7月号巻頭詩欄掲載)
.............................................................................................

2010年6月

子どもだまし

太陽光を思う存分吸わせたあと
押入れの暗闇でみると
手の平の中で
どくろの面が青白く光った
子どもたちはみな
賛嘆の声をあげた

子どもだましの 安物のおもちゃだったと
思い出にタイトルまで付けて
記憶の引き出しにしまったのだが
その箪笥の中も暗かったのか
こんどは違うところが光り始めた

「子どもだまし」という言葉が
とうに忘れていた優しさで
点滅しているのだ

大人が子どもをだましたわけではない
子どもたちが自分で驚きうれしがっていただけなのだ
不思議なことだらけのこの世界に生まれてきて
目をみはっている間は

悪い子だからと投げ込まれる押入れは
泣き喚いても出ようとするくらい怖かった
涙と洟で汚れた顔でようやく出された時には
しゃくりあげて言葉も出ない
これからはいい子になるかと念押しされて
ただただうなづき
節を曲げることをおぼえた

いたずら坊主たち数人で入った時は
そんなことはころりと忘れている
隙間から差し込む光が敵であるかのように
襖をもっとちゃんと閉めろ
年かさの子の飛ばす指令もたくましい

それからじわじわと
手の平を開けた
ほうら 
どくろの面が透き通るように光り
小さな子はその神秘に
笑顔がしたたり落ちそうだ
「子どもだまし」の幸せにうっとりして

 

2010/06/04up 

................................................................................... 

2010年5月 

窓から鍵を  

もうとっくに定年退職しているのに
夢の中では会社を辞められない
毎日出社しては自分のものではない仕事をしている
明日はもう来ません、と
今日こそ社長に叩きつけてやろう
そう心に誓うものの
コワくて言えたためしがない
夢のはしっこのほうで
金縛りにあったように社員であり続けている

だがある日、ついに解雇を言い渡された
「お前に高給を払うほどウチは金がないんだよ!
夢の世界に出稼ぎに来るのはやめてくれ!!」
理由はどうでもいい
夢にまで見た「明日から来るに及ばず」拝領なのだ
うれしさのあまりハグさえしたい衝動はこらえたが
隠しきれぬ団塊世代の浮かれ方で
夢のドアを後にした

呼び止められて振り返ると
総務の女性が鍵を置いていけという
それはそうだ
夢の中に盗みに入ったと言われたくはないものな
彼女はそれを高層階の窓から遠くへ投げた
金色の煙となって空に消えていくその光跡を
社長までやってきてみんなで黙って見ていた
彼らにはひとつの鍵がなくなっただけだが
私からは扉ごと会社がなくなったのだ

そのぶんだけ広くなった夢のあちこちへ
好きな人たちに会うためにだけ時々出かける
深い眠りの湖をわたるさざなみのように
ただ夢の都の乗り物代は高い
もう定期がないことだけが なんとも残念だ

2010/05/02up  (『詩人会議』2010年6月号掲載)

......................................................................................

2010年4月

舞台裏の椅子

舞台裏の椅子に私は腰かけていた
ピアノを演奏しているあなたが
視界のはじに見えた
最後の一音が鳴ったと思ったとき
私は瞬時まどろんだ
目をあけると
あなたが泣きそうな顔で去って行くところだった
声は聞こえないが
ひどい!
と 口の形が私を責めていた
椅子を蹴ってそのあとを追ったが
あなたは振り切って先に行ってしまう
聴衆の拍手は鳴りやまない
眠ってしまった裏切り者にしるしを刻みたくて
拍手はいつまでも続くのだった

忍び寄る睡魔に負けて一瞬
老人は浅い眠りの浜辺に倒れこむ
長いあいだ生きてきた疲れが
湧き上がる潮騒に洗い流され
まぶたの水平線は
失われたものたちを沈めた海を閉じる

そのわずかな時間に
遠ざかっていくあなたは
追いつかれるのをいやがって
逃れる姿で月桂樹になったダプネーのようだ
樹木の肌を背中として残し
顔と差し伸べた腕を音楽の中に溶け込ませた姿勢で
私を置き去りにする

老人のまどろみは
世界に向かって頷くように幸せそうだが
本当は
飛び立つ者たちを黙って見送ろうと
うつむく影たちの儀式にすぎない

私が今朝みた夢の主役は
あなたと私ではない
音楽の終わりと
人が去ったあとの椅子である


2010/04/01up
...................................................................................................

2010年3月

古代の鏡

古代の鏡がガラスの向こうに並んでいる
複雑巧緻な装飾が人目を引くが
あれらはみな鏡の背中である
時の権勢の名残のように
実用の裏側に刻み込まれた匠のわざは
時代を経るにしたがい輝きを増したが
鏡の表を見ようとする者は誰もいない

ひとりの女性が
愛されることを願って自分を映し見た
円形状のふっくらとした姿見
金属の地肌を磨いただけの----
そんなものを展示する価値がどこにある?
鏡はいつもうつろで 人を待つだけが取り柄
見知らぬ見学客が覗き込めば その影さえ
自分の中にとりこんでしまうさびしい実用よ
お前たちは博物館には似合わない 
だが帰ってゆくべき日々の暮らしも
今は遠くに去った

鏡とともに香った女性たちは
日に幾度となくわが身を映しては
身づくろいし化粧をこらしたことだろう
時には理由もわからぬうれしさに微笑みもしたろう
そのいじらしさを
人前にさらすことなどできぬように
それを映した鏡の表も
誰にも見せてはならぬ
その思いの上に緑青は降り積もり
照明を浴びた鏡たちはみな
訪れる私たちに背を向け
静まりかえっている

『冊』40号(2010年2月発行)に掲載 2010/03/03一部改稿up

...........................................................................................

2010年2月

口約束

妻が言う
死んでいく瞬間、男は
おちんちんを握ってもらうと
安心して幸せにこの世を去るらしいよ
それはそうかもしれないと
寛容になった閻魔様のように私はうなづく
フロイト云々と理屈を言わなくても
実感で納得できる

希望するなら、握ってあげようか?
と無料登録の勧誘まできたので
一応希望しておいた
しかし、聖なる死の瞬間に
そんなことしたら、変態と思われるぞ
とりわけ理性の殿堂、白亜の病院では
それより いざとなって
おまえにそんな勇気があるのかどうか
けれど口約束のときは
こまかいことは考えないものだ

病院ではなく
家の布団でならいいかもしれないね
そろそろ死ぬ頃合いだからと秒読みが始まったら
元気に、さあいくぞと声をかけてくれ
この世にぐずぐずしてるんじゃない、と

生まれるのも一回だけだし
死ぬ瞬間も一度だけだ
暗闇と光の境目は
やさしい何かに
包まれて通りすぎて行きたいよ

長い生涯、私にしがみついて
片時も離れたことのないおちんちんよ
鎮まれ 永遠に
私が言ってだめでも
おまえが呪文を唱えれば
きっとお行儀よくしてくれることだろう
あいつはおまえになついていたから

医師は時計の針を見ているがいい
私はそんな時間の中で死ぬのではない
お前の掌のなかで
永遠という時の流れに放たれるのだ

2010/02/01up

..............................................................................


2010年1月

アポローン           

<ひかりは闇にまもられている
ひかりは闇を傷つけるのに>

太陽神アポローンと月の女神アルテミスは
日ごと夜ごと 空をかける
大神ゼウスがよその女に産ませた双子だったので
幼い頃にはずいぶんいじめられたものだが
成長すると高貴な輝きは隠れなきものとなり
地上を照らして人々にあがめられた
その満ち欠けからは暦が作られ 
稲穂は大地を讃えた
竪琴からは音楽と詩が生まれ 
弓は獣たちを射た
だがそれは小さな惑星から仰いだ牧歌にすぎない

美しく広大な宇宙には無数のアポローンがいて
異なる諸天空から燃える合図を送り
アルテミスも数知れぬ鏡として空を舞っている
果てしない宇宙からみれば
それらさえ 星々のかすかな瞬きにすぎない
無言で彼らを包み込むのはぶあつい闇だけだ

暗闇は刃のようなひかりたちを抱きしめている
ひかりがその身をよじるたび くらやみは傷を負うが
いくら血が流れても暗黒の中ゆえ誰にも見えない
ひとつのひかりが今 遠くへ旅立った夢をみている
翼ある言葉は誰にそれを告げ知らせればよいのか

<ひかりは闇の揺りかごで眠りにつき
闇は遠くを見つめて目ざめている>

2010/01/08up

.................................................................................................................................

2009年12月

砂時計

長いあいだ
私は自分が生きていると感じるために
時を盗んでいなければならなかった
会社の時間をぬすみ
家庭の時間をぬすみ
神や思想の時間をぬすんだ
だから私は時間の隙間で暮らしてきたのだ

ぬすんだものが次第にたまり
喉元まで達すると
自分が砂時計に思えてきた
その苦しさにひっくり返せば
ぬすんだものたちはみな
さらさらと流れ落ちる砂のように
元あったところに帰っていくのだろうか

だがぬすんだと思っていたものが
すべて与えられたものだと言われたとき
腕のわるい盗人はうろたえるしかなかった
誰も彼もが私に言うのだ
それは私が差し上げたもので
あなたがぬすんだことなど
一度としてありはしなかったと

倒立することでぬすんだ時間を元に戻す
そのことさえ拒否された日
天から地に向かう砂の時は終わった
私は横倒しになったまま眠りにつき
川を流れてどこか遠い海にでも出ようと思っている

もらったものなんかひとつもない
私の中に散らばってラメのように光る砂粒は
みんな世界から盗みだしたものだ
そう呟きながら

09/12/03up その後『澪』34号(2010年4月刊)に掲載

.................................................................................................

2009年11月

洞窟

宝物を隠したこどもは
それを忘れていく日々に気付かない
心の洞窟の奥深くにしまったので
まいにち見に行くことができなかったのだ

世界にうっかり忘れられる年ごろになると
自分の軽さに驚き それを思い出す
隠し場所への道が失われたのではなく
探しに行くわたしが消えかかっているらしいと

冒険家や盗賊たちの暗闘に満ちた暗がりではなく
自分の中の迷路をさまようのはうらさびしい
宝物の箱は「待つこと」と「忘れること」の地衣に覆われ
中身はみずから錆びた眠りにつこうとしている

それでも行かなければならないような気がする
なぜって それを宝物に変えたのは自分なのだから
その箱は違う世界への入り口とさえ見えたのだ
せくことはない いずれ辿り着くだろう

胸の奥深くできしむように
箱が開く音がすると
たいまつが地面に落ち
かすかに残っていたわたしも消える

09/11/11up
..........................................................................................


2009年10月

哲学史      

古代ギリシアの哲学者タレスは
ある夜、星に気をとられて溝に落ちた
ともの老婆に大声で助けを求めると
彼女は応えたという
タレスさま、あなたは足下にあるものさえご覧になれないのに
天上のものを知ることができるとお考えなのですか

愛すべき老婆よ
足下からあなたの大地が
どこまでも連なっていきますように
あなたが地上から落ちたりせず
賢者が愚かな行いをした時には
こごとを浴びせつつ手を差し出してあげられるように

先ごろ、地上は機械仕掛けが進んでいる
川の水ではなく鉄の道が流れていたり
金属製の階段が斜めに上昇したりするので
跳びのるのがたいへんだ
先日も 乗り込むべき箱が消えていたので
暗やみに墜落して人が死んだ
彼の名前がタレスであるかを疑った人は少ない
誰もが哲学史を学んでいるとは限らないからだ

四角柱の形をした暗やみの底で
男は携帯電話を握りしめて倒れていた
彼の見入っていた画面の奥には
星と同じほどの遠さがひそんでいたのか
闇は星を見ようとする者をやさしく引き寄せる
明るい場所から星は見えないよ
こちらへおいで と

老婆の信じていた頑丈な大地は
私たちをなぐさめるだろう
たいらかな大地は地平線までも続くのだ
そのどこかに定められた死が地雷のようにうずくまり
私の足裏がそこにたどり着くのを待ちわびているにしても

遠いものを見ようとして足を踏みはずす
そのことのない日々を
時々恥じて
私は生きている

09/10/02up
(『PO』 2009秋号No.134に掲載)

.................................................................................................................................

2009年9月

鏡であった日々


自分自身にさえ打ち明けられないことを
誰にうちあけようとしているのか
自分自身を割ることのできぬ鏡は
誰かに壊されることを夢見る
しかし誰も鏡を割りには来てくれない
映った自分の姿を見ては去っていくだけ

  2
鏡に過去はない
いつも今だけを映している
だが誰も見ていない時の鏡に
何が映っているかを見た者はいない


鏡に連れ合いを与えよう
お互いに見詰め合うがいい
相手を自分の中に容れて
空洞の反復が永遠のかなたへ続いていく
その中に何かを置き忘れたくなるので
子どもが産まれてくる

  4
鏡が割れると破片の数だけ空ができる
つながっていない別々の空には
同じ数の太陽や月さえも
太陽神アポロンと
月の女神アルテミスが
いま美しい弓を引き絞って
巨大な鏡の前に立っている

*02年1月のこの欄に載せたものを改作し、
『詩人会議』09年10月号に掲載。

....................................................................................................................

2009年8月

あらぬもの

同じ地上に生きているとだけ知っているが
けして会えずに残りの生涯を暮らしていくことと
ある日受け取る死の報せとでは
どちらがすぐれて不在といえるだろうか

私の死が先にあなたに届けられたら
液体状にさざ波をたてていた仮の不在が
石膏のように素性の正しい形に定着されたことを     
静かによろこんでほしい

報せが届いても 知らずに時が流れても
何も変わることはないだろう
それでも「ある」が「あった」に変れば
何かが落ち着くかもしれぬ それが人というもの

数えない者には目に見えぬ風となり
数えようとする者には樹木のはるか高くから
激しいざわめきとして告げ知らされる何かの航跡
だが本当に通り過ぎていったものはあったのか

「あるものはあり あらぬものはあらぬ」*1
馬車に乗って空を翔けていく女神が言う
だが私には 「あらぬもの」に耳を傾けている時にだけ
「あるもの」の気配が陽炎のように訪れたものだ

「亡き王女のためのパヴァーヌ」*2
だから あのように幸せな嘆きのなかに
気品に満ち優雅に踊られたのではなかったか
不在こそ優しさの完成であるかのように

「あらぬものは、あるものに劣らずある」*3と声が響く
そうだとも 女神が飛び去ったあとには
さらに大きな容れものを用意するつもりだ
すみずみまで「いない」がいきわたった私の空を

そして時々さびしく空に矢を放ってみたりもするだろう
永遠を抱きしめた矢が空に静止するかを確かめようと*4
だが矢が空にとどまることはない
矢は飛び そして落ちることを願う生き物たちだ

あなたから死の報せはまだこない
私も地面を亀の首を伸ばしてなお歩き続けている
わきを無数のアキレウスが走りぬけていくが*5
遠ざかる彼らの後ろ姿が私は好きだ


*1古代ギリシアの哲学者パルメニデスが残した言葉。「在る=有」とは一にして永遠で、生
成も消滅も存在しないとした(詩の形で書かれた断片は、真理の女神が迎えによこした馬車
に乗って大空にそびえる門に迎え入れられ真実を授けられるというもの)。存在論のひとつの
極北であり反論は未だに困難である。プラトンに大きな影響を与え、実体は人間に知覚でき
ないとする理論の礎となった。さらにプラトンの論理がキリスト教神学中心思想として採用・
保護されたことを考えると、「リンゴはリンゴで、リンゴでないものはリンゴでない」ふうな一行
ながら、ヨーロッパの哲学の歴史にとって最も重要な命題ともいえる。アリストテレスは、パル
メニデスの「有」について、理論的には当然の帰結だが事実の上から見ると狂気の沙汰だ、
と書いている。
*2モーリス・ラヴェルがパリ音楽院在学中に作曲した、スペイン宮廷舞曲の形式によるピア
ノ曲。のちに作者自身によりオーケストラに編曲したものが親しまれている。
*3古代ギリシアの哲学者レウキッポスの言葉。デモクリトスとともに、それ以上分割できな
い物質(アトモン→アトム)から世界は構成されるとした原子論の創始者。ふたりともパルメ
ニデスの流れを継承していたが、存在に対しては逆の説を打ち立て、多元論に道を開いた。
*4エレアのゼノン(ストア派の祖、ゼノンとは別人)が展開した有名なパラドックス。師パルメ
ニデスの理論を否定する論者に対して、相手の理論を受け入れ突き詰めるとこういう矛盾に
陥ると論証。飛ぶ矢は静止して飛ぶことはできないとした。
*5ゼノンの同上のパラドックスの一つ。遅れて出発したアキレウスは、時間が無限に分割可
能なら永遠に亀を追い越せないと論理展開した。

■作者からの覚書
高田真さんの詩集『長い引用の在る悲歌(エレジー)』に影響されたわけではありませんが、
「たくさんの注のある恋歌(ロマンス)」でもいいか、と勝手に勇気付けられ七面倒臭い注を意
欲的に付けてみました^^;。本来、注なしでも引用部分を普通の日本語として読んでいただくの
が私の願いですが、やや哲学ふうな味付けをした以上、何もないのは不親切かもしれないと
思い、一般的な紹介を付しました。したがって、この注は一切無視して読んでいただいてかま
いません。初期ギリシア哲学者たちの「言い方」に惹かれる面も私にはありますので、その片
鱗を知っていただきたいという勝手な思いもありましたが、ギリシア哲学を勉強せい、というよ
うな意図はまったくありません^^;。        09/08/03up

..............................................................................................................................


2009年7月

模型

1 算数

五メートルおきに
20本の木を円の形に植えました
周囲の長さはぜんぶで何メートルになるでしょう
誰も正解できないでいると
クラス一の劣等生のあいつが解いた
その日を境にやつはみるみる優等生になっていった
植木算デビューだと教師は笑って回顧した
(何へのデビューだったのか
人間扱いされて生きていくことへの?)
ほんとうは植木算ではなかった
三つの線で描いたモデルが答を教えてくれたのだ
世界の構造は単純な模型に変換できると
彼は知った
だが それからというもの
友達が誰もいないと感じる日には
三本の木が淋しく彼の中に立っていて
何かの気配にせかされるように
それを数え続ける幻感に襲われるようになった

2 音楽

生という1つの距離が存在するためには
それに1をプラスした2つの端がなくてはならない
これは確かに植木算だった
だから誰の生にも誕生と死 
というみすぼらしい杭が離れて立っている
何かを測量するために打ち込まれたのだろう
(その向こうに遠く神が見えたのか)
二本の杭のあいだを
時には鳥が飛んだり
弦のようなものが張り巡らされて
音楽が鳴ったりすることがあった 
測量が終わると杭は抜いて持ち去られた
しばらくのあいだ穴だけが残り
雨が降ると水がたまったりしたが
やがて土に埋もれて ただの大地に戻った

3 図画

屋根の上に乗るのはこわいので
チョークで地面に家の屋根を描き
空に飛びたつ練習をした
綱渡りの芸人のように両手を広げ
バランスをとりながら歩いたりしたが
それでも足を踏み外した
チョークの絵から片足がはみ出しただけなのに
遠い地面に向かって君は落下していった
(飛ぼうとする意志を一度でも持った者なら
堕ちることも覚悟しなければならない)
屋根は絵だと決めたものの
空は絵になりきってくれていなかったのだ
ドイツには古くからの言い伝えがある
刃を上向きにしてナイフを置いてはいけない
神や天使がけがをするから
君が神だったのか天使だったのかを
誰も憶えてはいない
09/07/02up

...........................................................................................................................................

2009年6月

 最後の標本

思いつめた顔をした「私」が
「あなた」に忍び寄っていっては
「影」について語るという事件が頻発している
見かけたらすぐに通報してほしい
もちろんそれは「私」のニセモノである

本物の「私」は
円筒形をしたガラス容器の中に住んでいる
フォルマリン漬けの標本となって
「影」を抱く苦悩のポーズで立ち尽くしているのだ
この「私」がどこへ行けるというのか
今日も見学者たちに説明する学芸員の声が響く

見えますか、この部分が
人体と魂をむしばむ「影」と呼ばれるエリアです
古代史に詳しい方ならご存知かもしれませんが
25世紀以前は「愛」とも呼ばれていました
病気であることが知られていなかった未開時代とはいえ
感染による死者はごく僅かだったといいます
当時のヒト類は頑健だったのですね

これが自らを「私」と呼んだ人類最後の症例標本です
ごらんのように胸や腕に「影」を保有しています
法定伝染病番号:ΕΓΩ=ΣΥ612。もちろん強伝染性です 
現代なら地球を死で覆いつくすでしょう 
恐るべきことに かつて人類は全ての成員が
自分のことを「私」であると信じて疑わなかったのです
そしてその変種として「あなた」も発生しました
(「あなた」がいないと「私」は生きられなかったことは
古代の全ての言語にその痕跡をとどめています)
「影」を人類から完全に放逐した時
「私」も「あなた」も死語になりました 

街なかで「あなた」と呼びかけられると
意味が不明であるにもかかわらず
被害者たちはみな恐怖と恍惚感に打たれるという
「あなたの影をください」と容疑者にかきくどかれると
大きく手を広げて相手を抱きしめずにはいられなくなる
翼を広げていく鳥になったように感じ
自分が内に秘めていた影を開け放したくなるというのだ
だが地球連邦の見解に変化はみられない
「感染した鳥は全て焼却せよ」

犯人に親愛感をいだき、かばおうとする被害者の心理状態
すなわちストックホルム・シンドロームも問題になっています
それが捜査と感染防止システムの構築を遅らせているのです
犯行現場にいた「私」がどの方向へ逃走したのかを問いつめると
怯えたように自分を指差す被害者さえ現れ始めています
「影」の病原菌的感染が疑われるだけでなく
精神波汚染に向けての鑑定準備が急がれます
いずれにせよ
我々人類は清潔なガラス容器の中で生まれ育ってきたのです
不潔な「影」とか「愛」の感染によって子孫を残したなどという
古代の神話を復活させてはなりません
当館の最大の意義はそこにあります

見学の一団が去れば
「私」はこの円筒形のガラスの中に取り残される
次の人々が訪れる靴音は
砂時計の砂のように時が流れていることを教えてくれるが
「私」はいつもここにいる
だから昨日通報された
「あなた」へ近づいていった影は「私」ではない
この地上にいる「あなた」は永遠に安全であり
「私」を名乗る犯人も決してつかまることはない

だが時々立ったまま夢をみることがある
フォルマリンの眠りのむこう
わたしたちが生きていた何世紀も前の世界を----
あなたがわたしを探しに来るのが見える
その翼の影が夜のようにどこまでも広がっているので
あなただとわかる

覚書
ΕΓΩ =ΣΥはもちろん造語ですが、古典ギリシア語の人称代名詞から採った
ものです。発音をカタカナで示すと「エゴー」(私)と「シュ」(あなた)。
エゴイズムの「エゴ」はギリシア語の「私」からきているんですね。

その後『澪』33号(09年9月発行)に掲載、 『詩人会議』2010年4月号のグループ誌特集に採録。
............................................................................................................

2009年5月

 つばめは南をめざす

「わたしが行くのはエジプトではありません。死の家へ行くのです。
死は眠りの兄弟です。そうじゃありませんか?」そしてつばめは幸福
の王子のくちびるにキスをすると、王子の足もとに落ちて死にました。
(オスカー・ワイルド『幸福な王子』)


今年もつばめがやってくる
それならここはきっとエジプトなのだろう
ピラミッドは見えないが砂漠は果てしなくある
だが南国に辿り着いたつばめは幸せだったのか

砂漠に必要なものは駱駝や泉ではなく
銃と兵士たちと装甲車だ
けが人たちが運び込まれる白亜のモスク
その屋根の下のつばめの巣に
高性能なミサイル砲の照準器が恋をする

爆発音の後に石の家は崩れ去り
額から血を流した人間の子どもの目は
遠くを見つめたまま動かない
つばめの親子のことなど誰も憶えていない
動物たちは人に知られずいなくなるものなのだ

いや最初からつばめなどいなかったと
崩れた屋根が空に向かって言い訳をする
私にしみ込んだ赤い血はみな人間たちのものだ
死者が多ければ多いほど神の祝福がくだるが
つばめの死骸を数えても神はお喜びにならない
さあ今日も数えるがいい
果てしなくむくろを数える日々に慣れれば
いつか命の数え方を忘れることもできよう
それよりずっと早く翼の数え方も

だが心根のやさしいつばめたちは今日も囁く
「南の国に何かご用はありませんか
これから出発しますけれど?」

09/05/04 up(『詩人会議』09年6月号に掲載)
................................................................................................................

2009年4月

くせ

何かに熱中すると
おまえはいつも
口をあけたまま首をかしげるのね
おかしな子だよ
そう言って笑った

わたしを産まなかった母の目がそのとき
少しやさしげに思えた
いつもははんにゃのように美しくて
冷たいお面のようだったのに
自分のことをちょっとだけ
好きになってくれたのかもしれない

けれどすぐにはんにゃの面は着け直された
うすい唇はいつも私を叱責した
おまえはほんとにお調子乗りなんだから
そうして人生は学ばれていった
わたしは人に愛されるためにではなく
何かを愛するために生まれてきたのだと

それから二十年ほどたったある日
私の妻となった女性に言われた
あなたは口をあけ 首をかしげて何を書いているの?
熱中するとあなたはいつもそうしているけれど----
それを見つけたのがうれしくてしかたない
とでもいうように

からかいには愛が潜んでいることもあると
そんな歳になって私は知ったのだ
そして同じくせをからかった遠い昔の人の面影を追った
あの日だってきっと
少しは私がかわいいと思ってくれたのだ
おかしな子だよ、と

        09/04/17(32回目の結婚記念日)up  

          その後、『詩人会議』2010年3月号に改稿して掲載。


.........................................................................................................

2009年3月

 緑にけぶる美しい故国   

親父はよく言っていた
いちめん黄土色の中国とはちがってな
日本は美しい国だった
引き揚げ船から緑にけぶる山なみを見て
なんて美しい故国なのだろうと思ったよ
けれど その後にいつも付け加えた
そこに住んでいる人間はそのように美しくはなかった
せせこましくて不寛容で自分のことしか考えない
生き辛い国に帰って来てしまったものだ

同じ景色を遠くに認めた引き揚げ船から
海に身を投げる女性たちが続出した
彼らはみな妊婦だった

どんな理由も言い訳にしかなりますまい
異国の血を引く父無し子が生まれれば生きてはいかれぬ
海に沈んだら、私の名前も住所も
みなお忘れください
家族や親戚に迷惑がかかってはなりませぬゆえ

あの島影までの距離の何百倍、何千倍もの
苦難の道を歩んできた身
夢にまでみた故国は涙がでるほど慕わしい
けれど目指す地を目の前にしておののき
最後の距離を越えられぬ
おなかの子どもと私の居場所は
去ってきた国にも これから向かう国にもない
果てしなく広がっている海だけが
私たちを抱きとめてくれましょう

永遠に目的地に辿り着かない幻の船が
緑にけぶる島々の横を通り過ぎる
美しい島影がみえると甲板で喚声があがる

09/03/05up
..................................................................................................
2009年2月
休載しました。すみません。m(_ _)m
...................................................................................................
2009年1月

図工の時間

Iの頭に小刀を当て
ごく小さな力でトンと叩くと
Yができます
乱暴にやってはいけませんよ

IとY
アイとワイ
愛と猥
どれも似ていて区別がつきにくい

Yという岐路で無数の選択を繰り返す
それが生きることだというのは本当だろうか
どちらか一方を選んだつもりでも
歩いていく私の背後でYの先端部が閉じられれば
Iという一本道でしかなくなる
生きることはIの果てしない連なりではなかったのか

後悔をしたことなど一度もない
それが私という物語だ
どんなに別の道を歩いても
私の足は今の私にしかたどり着けないだろうから
ただときどき
今日はもう暮れてほしいと思う日がある
心乱れると見えるYの道が
夢のあと
Iの形を取り戻してくれるように

私は二つの道のどちらかへ
消えていく旅人であるのではない
二つの道が流れ込んでくる時間の門が私なのだ

小刀が途中で止まらず
YでなくIIになってしまった人は
先生のところに材料を取りにいらっしゃい
ときどき結晶しすぎたあいは
待っていたかのように
小さな力でも
まっぷたつに割れてしまうことがあります

    09/01/10up

.................................................................................

2008年12月

 あやされる

眠気が私をあやす
もうお前はたくさん生きた
この世のことなど忘れておしまい と
レーテーの川を小舟で渡っている私に
死の対岸がかすんで見えてくる

遠い昔の賢者は言った
あなたがどこへ旅しても気が晴れないのは
いつも自分を一緒に連れて行くからだと
だから今度こそ自分を置いてきぼりにしてやろう
この川を渡ればすべてはぼんやりしてきて
自分さえも忘れ去ってしまうのだから

真理というギリシア語「アレーテイア」の中には
忘却の川「レーテー」が流れているが
「その逆」という意味の接頭辞「ア」も住んでいて
けなげに流れを堰きとめようとしているらしい
忘れてはいけません と
けれど
長い間、真理を見つけられず
これからも見つけられそうにない私に
忘れてはいけないものなど何もないのだ

だから私は真理とはほど遠い
小さな記憶たちを小舟に乗せて
この岸を離れていくのだ

深夜小さな者の寝顔に浮かんでいた
長いまつげの影や
私より後からこの世に来ながら
先に逝ってしまった友たちのおどけた足取りを
数え切れない手紙たちや
末尾に記したその人だけが知る宛名を
祭りの夜を重ねてやさしく老いた
夢たちも少しはわきに積みこんで

晴ればれと私はレーテーの水に告げる
私にはまだこんなにたくさん
忘れることのできるものたちが残っていたよと

言葉は時間に抱きしめられて滅びた遺跡だから
そこに人など住んではいない
時にひっそり真理が息をひそめ
誰にも見えないように隠れているというが
私の舟に乗せてはやらない
初めての旅に出るには
無言でなくてはならないのだ

世界はぼんやりと暮れてくる
眠くなってきた
私は天上の光とも別れを告げたので
糸を切られた操り人形のように小舟にくず折れた
小舟は川を静かに横切っていく
舟べりから垂れ下がった木の手が
水面に長い線を描いている
冷たさも感じない
レーテーが私に入ってくる

*レーテー(lethe)は「忘却」の意。ギリシア神話では地上から
冥界に行く時にわたる川。わたる時に前世の記憶を全て失う。


■作者からの覚書■「アレーテイア」(aletheia)の部分はギリシア文字にした
かったが、私のPC技術が低いことと、私にできても読者のPCに古代ギリシア語
フォントがないと見られないので、カタカナとした。紙に印刷する機会があればギ
リシア文字に直したい。
08/12/09up

............................................................................................................

2008年11月



夢は牢に閉じ込められた愛なのだと
誰かが言った
しばらく そのままにしておくと
死んでしまうらしい

それで時おり
夢のなきがらを引き取りに行くのだが
牢で死んでいるのはいつも私である
迎えに来ている自分は誰だったのか

その牢には扉も鍵もない
夢にかける鍵などないように
どうやってそこへ入ったのかと
あなたはいぶかしがるが

牢は外から入るものではなく
夢が生まれた時から着せられているものだ
そこから牢を抜け出るという表現はあやまりで
牢は脱ごうと思うかどうかにかかっている

格子ごしに無言で見つめ合っているのは
あなたと私だ
いずれか一人がこれから死んでいく愛なのだが
どちらが格子に閉じ込められた者であるかを忘れた

私の体がちぎれて変形し格子の外へ浮遊し始めた
牢を脱いでいるのだろう
これが夢の死ぬ姿だったのか
迎えの者が階段を下りてくる靴音が響く


08/11/05 up
09/02/13改稿

.....................................................................................................................
2008年10月
お休みしました。m(_ _)m
......................................................................................................................
2008年9月

 空を舞う羽

「非」という文字は
せなかを向けあった形をしているけれど
もとは左右に開いた鳥の翼だって知ってた?
そこに埋もれれば
たまには温かいこともあるのかしら
引き裂かれて背を向けたふたつのもの
そのはざまに心が落ち込めば
「悲」しみも生まれるそうね

「北」という文字も
ブックエンドのように
互いにそっぽを向いているけれど
翼を持たないヒトのせなかは冷たいものよ
その垂直な空洞を肉の上に乗せれば 
そむ(背)くという言葉のできあがり

あなたはあなたの空を見ていればいいわ
私はわたしの湖のさざ波を見ているのだから
お互いに見えないものを持つことは大切なこと
人は誰だって
決められた文字の
パーツのように生きていくものよ
背中にあなたの存在を感じていても
あなたを見つめたことは一度もなかったわね

けれど一度だけ掟を破って
「非」という字をハサミで切ってみたの
そして寝返りを打ってあなたの背中にそっと手をかけたら
私たちは「羽」という文字になって
空からゆっくり湖に向かって落ちていった

「北」も半分に切って一つを裏返してみたら
せなかが並んで「比」べるという文字ができた
たくさん作ると
前へならえ!で整列する校庭の子供たちのよう
比比比比比比比……

可笑しくて笑ったとたんに
私たちはまた本のなかに戻っていた
いつものように背を向けて
そのすき間を時間が流れていけるように
限りないものがそこを通り過ぎていけるように
08/09/17up
......................................................................................................................

2008年8月

 08/08/08

今年は西暦2008年だが
イエスが生まれる前はどのように年を数えていたのか

エジプトのファラオたちは教えてくれる
イエスが生まれるよりずっと前から時間はあったと
けれどピラミッドに眠れば王たちは時間を忘れる
欲しいのは永遠の命
いやしい時間など流れて去るがよい と
だからエジプトは歴史のない文明だ

古代ギリシアの人々は違う数え方をした
第88回オリンピック大会の年にプラトンは生まれ
第108回オリンピック大会第一年に八十一歳で死んだ
と、というように*
時間にくさびを打ち込むのは聖人や王の誕生日ではなく
投げられた槍の耀き、疾走した足跡
古代オリンピックは躍動のカレンダーだった

きょう、中国北京で近代オリンピック第29回大会が始まった。
無数の古代の太鼓が轟くと光が踊った
これも、ひとつの年の数え方なのだろう
開幕日にはプラトンの最後の年に引けをとらぬ
美しい数字が選ばれた
08/08/08
ゼロと無限大が交互に並ぶかのような

しかし私の知らない遠くの島には
別の数え方もあるという
数えるための数字は3種類しかない
1(ひとつ)の次は 2(ふたつ)
その次は「いっぱい」なので
オリンピックの4年には決して到達できない

約1200年続いた古代オリンピックと
今年で112年目の近代オリンピックとではどちらが長い?
わからないわからない
両方とも、「ふたつ」より多いので
見上げた空の星の数と同じ「いっぱい」なのだ

歴史の始まりがどこにあるのか
と問うのは愚かなこと
祖先は、父がひとつめで、祖父はふたつめ
その先は「いっぱい」のかなたに消えている
それが私の「時」の数え方
今わかることといえば
私がひとつめで、あなたがふたつめ
こどもたちは数えることのできない
「いっぱい」の始まりだ
それが私のだいじなものたちの数え方

テレビで華やかな光と花火に彩られた
アジアの国の五輪開会式を見ている
4年前はどんな年だったか
と古代ギリシア人の真似をしてみたが、
何も思い出せない
ただ、梟を従えた女神アテナの市での
オリンピックだった
だから夜と昼が逆だった
それが私に数えることのできた全て

1千人を超える選手団を送り込んだのは
米国と中国だったが
かつてアレクサンドロスの大帝国をほこった
マケドニアは10人ほどで行進
笑顔で世界に挨拶をした

*西暦に直すと紀元前428〜348年。
08/08/09up
..........................................................................................................

2008年7月

不具合

画面が固まったまま動かない

黒く燃えつきた車が瓦礫に半分のめり込んでいて
傍らには人のような影が倒れている
あと数秒たてば 動き出すかもしれない
あの影は立ち上がり
こちらに向かって微笑むかもしれない
それまでは 少年か年寄りか、男性か女性か
兵士か通行人かは不明だ

まだ完了していない
「不具合」という静止画面
どれだけ待てばよいのか
十秒か一分か、一時間か
倒れている影が自分の息子に似ていたら
米兵の親たちは、たとえ何年でも
倒れた影の顔や体型を凝視し続けるだろう
砂漠の国からのニュースの一点を

だが、いつまでたっても誰も立ち上がらない
もう待てない
停滞した世界は消し去り新しい世界を立ち上げるのだ
あなたの両手はピアノを演奏する美しい手のように
キーボードを疾走する

「ぐあい」やら「あんばい」というやわらかな言葉が
「不具合」として現代に復活した時、
冷たく耀く鋼鉄製の用語になった
それが生じれば苛立ちの対象となるが
誰も一切責任を負わないことが明示されている
国際協定に支配された戦闘地域のようだ

不具合なのはその車なのか
倒れているヒトに似た黒い影なのか
彼らの上に広がっている空なのか
その下を吹き荒れる粗い砂塵なのか
それを映し出そうとするテレビカメラなのか
電波を反射させる衛星なのか
それをそんなに遠くから観ようとしている
私自身のうつろな目なのか

「このプログラムは応答していません
作業中、保存されていなかったデータは全て失われます」
「終了しますか」
「ただちに終了しますか」
「この不具合を神に報告しますか?」
「どの神にしますか。強く推奨するのは……」

08/07/11 up
.......................................................................................................................................

2008年6月
お休みしました。すみません。m(_ _)m
............................................................................................................................................

2008年5月

文庫本片手に

吊革につかまり
文庫本片手に年老いた

死ぬまでにこの二行を使った詩を書こうと思った
勤め人になったばかりの若い頃に

青年の私が「年老いた」と書いた時
その言葉は詩に育つ可能性に満ち
光るレールのように
どこまでも延びていった

この歳になって同じ言葉を発すると
レールは生い茂る夏草に抱かれるように
置き忘れられた
錆びた引込み線に変貌する

その上の車輌の形をした透明な空間に
吊革につかまった私が浮かんでいる
もう列車はどこにも動いては行かないのに
それに気付かず
私は文庫本に読みふけっているようだ

いやそうではない
電車は今も昔も動いてはいなかった
時に 文庫本から目を上げると
車窓の景色が流れ去っていくので
自分がどこかに運ばれているような気がしただけだ

窓の外を流れていったものたち
あれが歴史というものだったのか
私はそれを見るために
ここに立たされていたことに気付く
そして歴史とはいつも街並みなのだった

そのうち 透明な車輌の空間が混み合ってきた
手がちぎれるように痛い
吊革につかまっているのもやっとだったので
文庫本は
私の手から離れどこかへ落ちていった
動かない列車にも終着駅はあるのだろうか
しかし今は
それはどうでもいいことのように思えてくる
私がこの車輌を降りるところが駅であり
駅を抜け出ると
やはり街並みが広がっていることだろう
窓枠はなくなっていて


■この詩への覚書
冒頭の2連計4行は太宰治のパロディのつもりだったが、念のためその部分
(『晩年』に収録された「道化の華」冒頭)を参照してみると、違っていた。私の
記憶では「ここを過ぎて悲しみの市(まち)」を引用し、そのあとに「この行を使
った小説を書こうと思っていた」というような展開だったと思っていたが、正しい
のは、その引用が冒頭に置かれているという事実だけで、少し先にいった本文
中に、「栄ある書き出しの一行にまつりあげたかったからである」と触れられて
いる。これらが私の中で混濁したのだろうか。そこで引用されているのはダンテ
の格調高い一行だが、私の二行は対照的にみすぼらしいものである。しかしこ
の言葉は、長いこと私の心の中に住み着いてしまっていて、死ぬまでにこの行
を用いた傑作が書かれる予定であった。しかしその熟成がならぬままに通勤生
活も終わろうとしているので、一応詩として形にしてみた。詩の評価とは別に、
私は人はそんな形で歳をとるのだと、若い頃、思ったのだった。文庫本は夕刊紙
になり、携帯ラジオやウォークマンになり、現在は携帯電話になっている。そうい
う時代にあっても、文庫本がなくなっていないことが少しだけうれしい。若い人た
ちは携帯片手に年老いるのだろう。「冊」同人の詩の言葉を使わせていただくと、
私も「はしのほうだけ」それらにまざっているのだが。 
 この詩が書かれた日は娘の佐希の誕生日だったので、彼女に
捧げることにしたい。喜ばれそうもない作品ではあるが。 
  08/05/09 up
...............................................................................................................................................

2008年4月

 傍白

私の心の中にだけあるはずの言葉を
静まりかえった人々が聴いている
観客席はいつも
誰もいない暗がりのふりをしている
そこに向かって私は人知れぬ愛や嘆き、
苦しさのあまり、おそろしい疑いさえも語ってしまう

舞台の登場人物たちには
私の心の中の言葉は聞こえない
それが芝居の約束ごと
人の心を覗けるのは
観客という装置だけだ

劇中の人たちからはぐれ
舞台の端に歩み寄ると
夜の海辺に立ちつくしている幻想にとらわれる
ひたひたとさざ波が私の足元を洗うのを感じ
水の一粒ひとつぶに語りかけるように
私は暗い海に言葉をぼろぼろと落とす

それは孤独な演説者のモノローグ(独白)*ではない
誰にも気付かれぬよう自分だけに語る言葉でありながら
いつも誰かに聞かれていなければならないアサイド(傍白)*なのだ

明るい舞台には扉や窓があって
私がそこを通って出て行けば
あなた方とはさよならできる
お望みなら隣室で銃声を鳴らす演出にしてもいい

けれど
私と暗がりの観客席の間には
夢と現実との間のように扉がない
劇中人物たちは次々と去ってしまったのに
私だけが芝居の出口を失ったまま
役者を脱ぐことができない

黙ってこちらを見上げていた観客は
すでに暗い海になっていて
それは満ちてくる
空からオーロラのような幕が
私に向かってゆっくり降り始めた

註 *1 モノローグ(monologue)……独白、ひとりごと=soliloquy
   *2 アサイド(aside)……傍白、わきぜりふ

08/04/15up

....................................................................................................................................

2008年3月
休刊しました。すみません。
...........................................................................................................

2008年2月

静かに置かれた時計

コイルに磁石が近づいていく瞬間
電流が生じ
遠ざかっていくときには
逆向きの電流が流れる

私が学校で学んだ
最も美しい神秘の法則だった
人が人に接近していく時と
離れていく瞬間に生まれる愛に
それはとても似ていたから

地球はとてつもなく大きな磁石で
その中で人や動物が駆け寄ったり
逃げ回ったりした
あらゆるものにプラスとマイナスが発生し
引かれあったり 退けあったりしている不思議さ
始原の時から人がしてきたことといえば
その二つの極の間で
笑ったり泣いたりすることだけだったのか

年老いて薄い文庫本を読んだ
アインシュタイン著『相対性理論』
それはコイルと磁石の間に生まれる愛の物語に
別の角度から光を与えたものだった

私には難しい本だった
だからあなたにうまく説明してあげることはできない
けれど ひとつだけ憶えていることがある
光が駆け抜ける宇宙の中にたくさんの時計を仮想するとき
この物理学者は形容詞を付けて呼んだのだ
「静かに置かれた時計」と

省くことのできない理由があったのか
その理由さえ もう忘れた
言葉の透明さに惹かれてただ繰り返してみる
「静かに置かれた時計」と
そしてかすかに思い出す
それは時刻を知るためにあるのではなく
遠さをはかるために置かれた里程標であったことを

心の遠さをはかるために
相手の心のところまで歩いて行ったりしてはいけない
ましてやその距離を埋めようとして
抱きしめたりしては

どこにも行けない「静かに置かれた時計」だけが
私たちに与えられている
とおい昔にあなたの横を通り過ぎたひかりが
いま私にたどりついた
離れた時計は違う時刻をさして静止している
電磁場のかすかな乱れが
治癒した肺の影のように記憶されていたとしても

この詩への覚書
上記『相対性理論』は岩波文庫にあります。アインシュタインの原文は約50ページ。
訳者の補注と解説が約120ページ。訳者の説明は中学の代数がわかるなら理解
できることになっています。翻訳者はそれらを総合して『相対性理論』という本として
いますが、原論文のタイトルは「動いている物体の電気力学」です。現在ではこれを
中心としたいくつかの論文を「特殊相対性理論」と呼んでいるそうです。科学的なこと
は追及しないでください^^;。でも私はけっこう物理は好きで、高校時代、「私のテスト
で100点を取った人がいない」という物理の先生から史上初の100点をとりました。
受験する大学を変え、受験科目からはずれたので、3学期に白紙で出したのですが、
それでも5をつけてくれました。何が言いたい?ちょっとみえを張っただけなのでゆる
してください^^;。昔から哲学をするひとは物理や数学が好きな人は多いようですけど
ね。不思議なことが好きで、そのわけを考えずにはいられない人種だからでしょうか。
       08/02/02up

.....................................................................................................................................................

2008年1月

望みの裏地

何かをふかく諦めた
そんな夢から目覚める朝がある
思い出せない気配のようなものが
おぼろげに香って私の心をよぎっていく

眠りの部屋を出る瞬間
夢の衣装は朝の光に溶けて消えるのに
思い出のような影が去りぎわ
ふと立ち止まってこっちを見ていた

手が届きそうで触れられない何か
もっとも近くまで行きながら失ったものは
人の深い眠りの中にいくども訪れるのだろう

失ったものの堆積が、この世の幸せという裏地をつくる
誰に見せることもなく 華やかさもないが
生きることの温かさがわたしを包み込む朝だ

08/01/01up その後「裏地」と改題、『上手宰詩集』(土曜美術社販売)に収録した。

過去の「今月の詩」を読みたい方は以下から行けます。

今月の詩(2004/1-2007/11)

 



 

 

 

 

inserted by FC2 system