上手宰(かみておさむ=ok)今月の詩

2023年9月

見えない背中

自分の背中は一生見られないが
それを不満にも思わぬ人が多いのが
奇妙といえば奇妙である

前方に目があるのは何かを襲って食するため
背中に目がないのは
正しく油断して天敵に襲われるため
食べる側と食べられる側をあわせ持ってこそ
この星のよき住人となれる

だがヒト類は今や食べる側しかないので
動物ではなくなったと錯覚している
背中は生涯にわたって もの足りない

少年時代に馬跳びをしたなぁ
自分が跳ぶのは少し怖かったけど
自分が馬になるのは楽しかった
膝こぞうに両手をしっかり当てて
ぐらッとしても耐える
オレの背中に手をついて
跳んでいくやつがいるのはヘンテコな気もしたが
体を元に戻すと人の背を見送るみたいだった

今は年寄りになって
布団でゴロゴロしている時が一番
背中と仲よしなわけだが
布団はわざとらしく残念がる
猫背だ

2023/09/01up

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2023年8月

印付けは4Bで

古典ギリシャ語の本にL字型の印を付ける
今日はここまで読んだからねと
4Bの鉛筆で

娘が学生時代に使っていた絵画用の
濃くて柔らかい鉛筆だ
ただの忘れ物なのか
くれたものなのか憶えていない
それを手にしたあと なぜか
離れて暮らすようになった
長いあいだ鉛筆立てから首を出していたが
使われることはなかった

齢を取り古い外国語を読むようになって
カギ型の印付けに便利だと気づく
濃くて太い線が目につけばいい
意味は記されずに
位置だけが見える
柔らかいので紙に食い込むこともない
のろのろと歩いた今日の区切りは
翌日には 消しゴムできれいに消される
「今」はひとつあれば十分だし
古い汚れた足跡を残すこともない

娘よ お前が選んだのは
文字や意味とは無縁の
太くて柔らかい筆が描き出す世界だったのか
小さな子どもたちと
工作をしたり絵を描いたりして
お前は日々暮らしている
子どもたちの作ったものを
歴史に残る芸術作品にしようとしてではない
ただ作ることの喜びを伝えたいだけだ

お前に頼まれてバケツ一杯の
〈てっぽう〉どんぐりを送ったこともあった 
小熊ならおいしく食べただろう木の実を
女先生と子どもたちは
図工教室でどんな玩具に変えたのか
お前がくれた4Bはそれとよく似た手触りで
私と遊んでくれているのだろう

毎日数センチ使うだけなので
死ぬまで使えそうだ
今日に印を付けると
まだ明日がある とわかる

2023/08/01up

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2023年7月

幸せ姉妹

幸運は人を驚かす
無数の予定で織られた時の道に
忽然と虹が降り立つのだから
驚きと喜びで満たされた日は
いとしく生の暦に刻みこまれるがよい

幸福は人を驚かすことはできない
いつの間にか一緒に歩いているだけ
目立つことのない きのうや今日の中を
時計も足を止めず
日記に書きとめられることもない

幸福はふと気づく以外に
手に入れることができないものらしい
その小さな発見は魂を安らかにするが
静かすぎて不安になる人は
気づかぬふりをして道をはずれていくという

幸福と幸運はことあるごとに並べられ
品定めされる美しい姉妹だが
妹の幸運がいやしめられる必要はない
彼女が生まれるには何かのわけがあったろう
姉の幸福は妹の肩に手を置いて微笑んでいる

可能性や能力や力が世界を動かすというが
幸福はそのどれにもなれない
それらがたどり着く先こそ幸福なのだから
幸福はそれ以外の何かのためにあるのではなく
ただその歩みのなかに自己を実現する

幸福を撮ったつもりの写真に幸福はいなくて
見慣れた笑顔たちが取り残される

2023/07/01up

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2023年6月

種が地表に

ある夕べ 酔っぱらった私は
みんなに背を向けてメモ帳に書きつけていた
絵や言葉には描けない幸せな人々を
私は見たことがあると
その中に私もいたと

背を向けていたのは
あなたたちからはぐれたからではなく  
私たちみんなへの贈り物を隠していたから

一瞬前のことを忘れる年寄りは
何かを忘れたのではなく
最初から憶えないのだという
今を思い出に育てることをやめてしまったのだと
すでにその兆候が私に棲みついている

何かを憶えることが 幸せの源泉である間は
できるだけのことを憶えておこう
だが思い出がいっぱいになって
自分のなかに蓄えられなくなったら
メモ帳に記し 安んじて忘れよう

そのように私はその日を記そうとした
もはや憶えることのかなわぬ幸せを
小さな紙が胸にしまっていてくれるかもしれぬ
幸せはまた誰か一人のものでなく
周囲に香ることだろう

こらー、そんなところで詩を書くな
そんな言葉に動じる私ではない
もはや私は自分が
人間ではなくメモ帳だと思い始めている
私に触れたければ文字になれ

翌日には 書いた者にさえ解読できぬ
でたらめな記号が
閉じられた紙の間に眠っているだろう
いつも偉そうに今日を押しのけるあしたも
すぐに今日となって次のあしたに追い出される
そんな下剋上からは超然と
日々の隙間に沈んだメモランダムが
時の流れを浮遊していく

どこからかやってきた種が 地表に落ちるのを
誰も見ていない 
そんなふうに 幸せは生まれる
そして種はいつも最初は
地上に背をむけて成長するものだ
言葉が 羊水の闇に抱きしめられて
目を閉じているように

2023/06/01up

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2023年5月

二列―ちょっとしたはずみで
 

「大人は走ってはならない」
それが不文律の民族があるという なぜなら
「走るのは子どもだから」
どんなに心が急いても子どもと言われたくなくて
悠然と歩く大人たちを想像すると
笑いが込み上げてくる

子どもたちはいくら走ってもいい
みずからは何もしていないのに
なにかのはずみでこの世にやってきた者たちは
跳びはね 追いかけっこをし じゃれ合えばいい
生まれるには勢いが必要だったので
しばらくの間は勢(はず)みが残っていて
それが生物の幼生期を形作る

はずみなど信じない文明国では
「将来」が子ども時代に襲いかかる
自身のはずみを失った大人たちは
計画と努力がそれに代われると信じている
笑顔の「大きくなったら何になりたい?」は罠だ
答えた瞬間 子どもたちは巨大な歯車を背負わされ
小さなはずみはその重さで動けなくなる

向こうから園児たちがやってくる
手をつないで 二列で
なぜかわからないけどこの世にやってきました
とばかりに元気いっぱいで
引かれた手とは逆方向に身を乗り出して
私たちに手を振る子もいる
私の手は意志より先に振り返している

大人なので私はけっして走らない と
他民族のしきたりに思いを馳せているのに
振った手の先に いま 詩のかけらが生まれたようだ
私の代わりに駆け回るのでそれと分かる
ちょっとしたはずみのせいで

2023/05/01up 『詩人会議』5月号に掲載

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2023年4

二極宿題にいたる先生の長話


きみの言うことは極端なんだよ
と言われる時には
どんどん遠ざかる極というものの
先端に行ってしまっているかもしれないね

でも地球上ではどんなに進んでも
北極とか南極とか
惑星の端っこまでしか行けないので
遠さではさしてはかどれない

極は遠さを目指すので
この星をでていかなくてはね 北極星へとか
でも430光年って遠い?
数で示した瞬間 極でなくなった気がする

端がもう一つの端に焦がれるように
磁気が生まれるというのは不思議だ
二極なので両極ともいうね
両国とはちがいます そこは塩を撒き相撲するとこ

コイルに急に磁石を近づけると電流が発生し
急に離すと逆向きの電流が発生するというのも
愛みたいで不思議だ これは理科ですか
愛という教科なら 今も昔もありません

極右極左は二十世紀の政治学の主役だが
道を極めると書く極道って倫社関連?
天と地とが別れる前を太極というらしい
そこは歩けたんだろうか

では本題 南極や北極は雪と海しかないのに
なぜ極は木偏なのでしょう
あしたまでに調べてきてください 
さいごは国語で宿題が出た 極東の小学校で

2023/03/31up

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2023年3

二度―LPレコードに針が落ちる時

人生が二度あれば
と若い歌手が歌っていた
年老いた両親がちゃぶ台の前で
お茶を飲んでいるのが悲しく見えたのだという
自分を育てるために母の生は終わったのかと

お父さん お母さん
私たちはもう大きくなりました
だからもう一度
自分たちの人生を生きてください

だがそれを聞いた母親はうろたえる
もう一度の人生にも
おまえたちは来てくれるのだろうね
親より先に居なくなるのは一番の親不孝
っていうのは昔からの決まりなんだから

それに「もう一度」をくれると言ったって
どこからやり直せばいいんだい?
どこかで前とは違う枝別れをしたら
痛いことはないのかい?
なぜかわからないのに痛くて
泣いてしまったりするのじゃないのかい?

一度目の人生さえ多くのことを忘れてしまって
枝先にとまった鳥のように考え込んでいる
けれど突然おまえたちのことを思い出す
巣の中から 餌を欲しがって嘴を突き出す姿を
私はあそこへ戻らなくては
一度目も二度目もない私の場所へ
鳥には枝別れなどなんの意味もない
ひとっ翔びで巣に帰ってゆける翼があるんだから

巣に戻ってみると
お前たちは居なくて
ちゃぶ台付きの午後に
見慣れた爺様が座っているだけ
この人と一緒になったのだった
結婚って
もっと仲よくなるために与えられた
長いながい時間のことだったと思いだす

口には出さずに
その長い一度で十分だと頷き合っている
こんな時には 少ないことを責める「だけ」より
名残りを惜しむ「きり」がいいのかしらね
一度っきり
形あるものには必ず「限(き)り」があって
無いものにふれたいのちが
かすかに光るから

LPレコードにゆっくり針が落ちると
黒い盤面は幾度もいくども回っていた
あれから半世紀も経つというのに
また陽水さんに反論を書いているの?
あなただって 赤ん坊の佐希をだっこして
泣いていたじゃありませんか いつも
「夢見るように」のリフレーンのところで

2023/03/14up 『冊』67号―2023年5月刊―掲載時に改稿。

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2023年2月

二袋―母の峰が遠くに見える


一緒に暮らす母めいた人のことを
おかあさんと言うのは恥ずかしいので
おふくろが と言ったら
訪ねてきた人は
とても悲しい顔をしたという

その人は隠れて会いにきた生みの母だ
裏路地で待っていて
背丈が小さかった私にかがみこむように
なにくれとなく訊いてくるのだった
その日の私の一言を兄は責めた
そんなことも知らないのか
母親は二人いても
おふくろはひとりしかいないんだ

二つ上の兄は早熟だったし勉強もできた
実母と暮らした思い出だって多かった
私とは違うのだ
私にはわからなかった
母とおふくろのどこが違うのか
あの日背伸びをした言い方をしたのも
身近さに代わる無意識の防壁だったかもしれない
よそいきのふるまいも母を悲しませたのだろう

呼び方なんかより 
母親は一人であってほしかったよ
二人も母がいたら
どちらも母ではなくなってしまうのだ
ちいさかった私に刻まれた言葉は
「今日からこの人がお母さんだから」だった

二人の母を私たちに残した犯人は父だが
父の方は一人しかいなかったので
母の分まで好きだった
彼が死んだ時 人の死に使う生涯分の涙を
全部使ってしまった私である
いらい誰が死んでも泣かない人間になった
母親たちの死に臨んでさえも

あれからたくさんの時が流れた
一番近いものに辿り着くのに
はてしなく遠回りしているうちに
私の中のかたくなな少年も溶けて消えた

私には説教を垂れたくせに
親より何十年も前に逝った親不孝者の兄に
同意を求めている私がいる
両方ともおふくろでいいだろ?
お菓子が入っているのなら
一袋よりふた袋 多い方に笑顔が咲く
兄貴は今も若いままだが
俺は甘いもの好きの年寄りになったんだよ

平安時代だか戦国時代に戻って
高貴な敬称らしく言ってみるのだ
「おふくろさま」と
目いっぱいの他人行儀に
わずかな優しさをこめて

注 「おふくろ=御袋」の語源には諸説あり大略でいうと ①生まれてくる子が母の胎内で
  胞衣をかぶり包まれているのが袋の中のようだから②母は家政をとり金銭その他すべて
  を袋から出し入れしていたから③袋の中の物を探りとるような安産を祝って④母は子ど
  もをふところに包み懐くから―のようだが、兄の主張は①と理解して今日に至っている。

2023/02/01up

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2023年1月

二輌―綿菓子みたいな未来
 
電車がどんな行き先を名乗っても
途中で降りてしまう私には
見知らぬ未来にしか見えない
未来はふわふわした綿菓子みたいなものだけど
終着駅は残った細い木の棒のようなもの
酔って運ばれたりしなければ
深夜そこで降ろされたりもしない

ふだんはそんな遠くへ行かないので
何となく誰もが思っている 
そろそろ自分の降りる駅だと
優しい未来は そんなふうに
なにげない顔で近づいてくる

列車は動く公共の場なので
マスクはしたほうがいい と誰かが言った
だがもう手遅れだと思っている人も多い

気付けば みんなでその行く先に行こうと
口々に言っている マスクなんかはずせ
どうせもう誰も降りられないんだからと
そういえばいつからか停車もしなくなった
歴史という列車に乗っている人たちには
窓からの景色は見えないことになっている
長いトンネルを通過中なので
轟音だけが車内に充満していて
暗い窓ガラスに自分たちの顔が映っている
一輌はそんなふうに教科書の中へ入っていった

二輌編成のうちもう一輌は分離されて
田舎ふうな景色のなかに走っていった
綿菓子みたいな未来はどこまでも続いている
ところで綿菓子って
歯医者さんが発明したって知ってた?
虫歯の子どもたちを増やしたかったのか
歯がなくても食べられるお菓子を願ったのか
私たちの食べている甘いふわふわしたものが
教科書なんかに載らない未来だったらいい
ときどき 頬っぺたにさわってぺたっとしても
笑顔を消すことはできない
歯なんかなくてももぐもぐする 幸せ
最後に木の棒までなめたら
終着駅を降りてどこかへ消える

2023/01/01up

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2022年12月

城壁

なにかとてつもなく堅固なものによって
人は守られていると感じることがある
それを感じるのはいつも夕方で
城壁が私を取り巻いていくのだ

ここは私の帰るべき場所ではない
それだけは分かっている
帰巣を果たせぬ者こそ真理をもたらすのだから
だが真理にたどり着く前に
途中下車してもよい
そこで愛を得て定住してしまったとしても
誰も責めたりはしない
そういうさよならもある

陽を浴びていたことに気付いた人たちが
我に返ってさよならを言うので
地上は暮れる
今日一日みんなが口から出したことばが
薄闇の中で全部洗い流されるのがわかる
言葉が無ければ汚れずにすんだものたちが
目覚め 息を吹き返すのが見える

さよならがうまく言えなかったからといって
夜陰に紛れて
寂しい顔で敬礼したりするんじゃない
カッコよく決めたものにはいつも
嘘が混じる それに
城といってもここは廃墟なのだ

夕暮れる空の下で俯いている城壁が
今日も堅固だ
だが 少し寒そうに見えたので
笑顔のさよなら や
神妙な顔の じゃあまた や
くるりと向きなおって歩き出す無言の一歩 が
石でできたものに 何かを着せかけた

2022/12/01up

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2022年11月

二流―やわらかな流れの中で

二流という言葉は寂しいものだが
三流よりはましなどの慰めはさらに悲しい
それらはみな同じもの
仲間はずれの一流が遠くに浮かんでいる

本源的にして完全な一はおそらく
比べるために生まれた数を知ることすらない
足したり引いたりの意味もわからないし
大いさや順番を競うことなど思ってもみない

よくみれば一流という言い方そのものが
視野の端に二を宿してすでに汚れている
価値を数で示すしかない寂しさが
純化されて貨幣に育ったように

本来の一は数ではない
存在の原理であり全なるものである
だから大小を体現した「数」は二に始まる
と古代ギリシャの哲学者たちは考えた

プラトンは言っている
一が善と美、完璧さの原理であるとすれば
二は劣ったもの、悪しきものの初めである
私が二に惹かれるのはそういうわけだったのか

かの哲人はさらに言い募った
男は一で女は二だと
そんなことを言ったら笑われるよ と
今ではみんなで忘れてあげているのだが

母や妻のようにやさしいものが二なのなら
それ以上に大切なものなどどこにあるのか
愚かで劣ったものこそ私の故郷
年老いてなお二のさざめきの中にいたい

人が生涯と呼ぶものを意識し始めるのはいつ頃か
川がある朝 自分が流れであると気付くように
無口な答が 静かな流れの中にほほ笑む
目を細めて大洋に注ぎ入る日を思い描いて

2022/11/01up  『冊』66号に掲載

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2022年10月

二客―そろそろおいとまを

かくれんぼから帰ってこれなくなると
鬼が探しにきてくれます
やさしい鬼はなぜかまっすぐ私に近づきます
ほら 見つけたよ
いつものここ あなた自身の中に
そう言われて私は立ち上がります

目も耳も 隔たりを愛したので
じかに触れている自分自身を
捉えることは容易ではないのです
だから隔たりの向こうから
いつも私を見つけてくれる鬼と結婚しました

かくれんぼばかりしていたら
私の一生ももう夕暮れです
「家に帰るんだ」と家族を振り切り
急に跳び出したくなる時刻があります
物陰にじっと潜んでいた時のように
帰るべき場所がしきりに私を呼ぶからです

どこかで見たような家の 敷居をまたぐと
畳の上に二つ座布団が敷かれています
その一つに私は座ることになりました
座布団の数え方が一客二客なのは
そこに座った人が頃合いを見はらかって
言い出さなくてはならないからです
そろそろおいとまを

でも もうひとつの座布団に
私のやさしい鬼が座ったら
(鬼も歳をとるのですね)
黙ってじっと待ち続けるだけでいいのです
ほら 見つけたよ
そう言われた瞬間
私は帰ってきたのですから

2022/10/01up   一部改稿して『詩人会議』2022年1月号に掲載

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2022年9月

★二拍―踊りのへたな子    

私の中にあなたがいても
私の地上にあなたはいない
ただ音楽が流れている

時の中でしか生きられない楽の音は
滅びる命の残った時間に跳びうつる 
だから踊りのへたな子として立ちつくした日
風のように頬をなぶる音楽に
自分が生きていることを知ったのだ

小さすぎる私の地上に
水が注がれると透明さが揺れ始め
光は新たな顔に変わる
今日の私は 踊りのへたな魚だ

風も光も 
私を迎えに来た音楽だったのに
今日も踊れずに ただ聴いている

憧れの結晶が重さに耐えきれなくなると
落ちて音をたてる それが私の詩
体で踊れぬ者が言葉で踊ろうとした跡なのだ
それは踊りではなく歩みだと人は笑うけれど
私は単純な二拍子で言う 世界は美しいと  

この地上だけを信じて生き
死んでいくつもりだ

音楽はなおも降りしきる
誰かがいなくなることで完成する
それぞれの地上に

2022/09/01up    『詩人会議』2022年10月号に掲載

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2022年8月

二画―筆順は「ノ」の後に「一」

はじめての子の名は佐希(さき)
単純な「左」ならなおよかったが
右が根強いこの国で 
「左の希望」はアカ狩りの対象になりかねぬ
そこで人偏をつけてヒューマニズムとした
希(のぞみ)を佐(たす)けて生きよ

ふたりめの名は有(ゆう)
この世に有るということだけですばらしい
哲学の徒を目指した父の
ささやかな思いも混じってしまった
有るとは何か―解けぬ問いの一つくらい
抱きしめて歩むのが人の生というもの

命名の企図は以上に述べられた
以下に当該文字の書き方について言い置く
「希」も「有」も書き順が間違われやすい
斜めに振り下ろされる「ノ」の部分と
水平にひかれた「一」が交差する二画は
順を違(たが)えれば姿かたちも少しく変わる

活字ではその勢いが消し去られているが
刀で「左」「右」の文字を書けば気配がわかる
水平に置かれた棒片を斜めに斬り下げれば左
立てられた棒片を横に切り払えば右
刃の切っ先の位置で左右が決まるのだ

「ノ」が先で そのあと元気に「一」
自分の名前なんだから間違えたらいけないよ

小さい頃より習字は大の苦手
教室を出てより
毛筆を握ったことなど一度もないが
娘と息子の名前くらい書けて当たり前
と思うことはある
新しい学年が始まる時にはいつも
我が親父さまは長い時間をかけ
教科書や持ち物に氏名を書いてくれた
私たち四人兄弟は その前に座りじっと待っていた
自分たちは今年もまた その名で生きるのだと

子に代わって名を書く季節は遠く過ぎた
毛筆で書いた跡などあれば
人々は興味津々見に来るかもしれぬ
「上手」などという呆れた姓で身をくるみ
生きねばならなかった者の文字を

どれどれ…やはり…
苗字も赤面せずにいられぬ下手な手ながら
筆順に間違いはないようだ

2022年8月1日up

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2022年7月

静かに困る      

夢のなかで
私はいつも静かに困っている
何に困っているかよくわからないのだが
たぶん全部にだろう

困り方が静かなので
夢の中の人々に気付かれてはいない
というより どんな世界でも
困っていることは決して人には見えない

深夜の道をどこまでも歩いていく
見知らぬ駅から家へ帰ろうと思うのだが 
中に入ることができないまま
最後の電車が出て行ってしまう

夢からさめた現実では 必ず
解決への道があるので深く安堵する
私の住む世界はこんなに優しく明るかったのかと
うれしく一日は始まるのだ

だが近ごろ 
元気がないと人に言われるようになった
夢の中で静かに困っている私が
現実世界にも滲み出してきたに違いない

道はたしかにあるのに どこかおかしい
夕暮れどきの どこにも行けない には
用心しなくてはならない
とくに 静かに始まっている時には

2022/07/01up  『馬車』66号(2022年7月刊)に掲載

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2022年6月

二声―自分を励まして

深夜 おばあちゃんが
ヨッコイショ!と
自分を励ましてバスに乗り込んだ
何という少女の声なのだろう
永遠の手前で角を曲がる時には
みんなあんな声を出す
あまりに可愛い声だったので
持ち主の顔を見ようと目をこらしたが
誰もいなかった
声を目で探してはいけないのだ

同じ入り口を使っていても
別の世界に出てしまうこともある
この世は見えない扉に満ちているので
乗ったおばあちゃんと降りたおばあちゃんの数は
たいてい合わない

バスは永遠の手前で
角を曲がったりはしなかった
まばらに蛍光灯のともる
操車場に入っていっただけ
運転手が明かりを消し錠をかけて降りて行く時
私に気付かなかったのは
気づかれなくてもよい物がこの世にはあるからだ
たとえば 人のいない時の座席の列とか

私にはあの可愛い声のおばあちゃんが
忘れられた入り口から
戻ってくるような気がしてならなかった
誰もいない深夜のバスに
だとしたら誰かが待っていなくてはならない
そう思った時から私は座席となった

たどり着いた人がそこに深く身を預ける時の
ヨッコイショだのやれやれだのの呟きが
落ち葉のように私に積もる
二声のハーモニーが湧いては流れる一画で
私は日々柔らかさを増してここに在る

2022/06/02up  

『澪』55号(2023年4月刊)掲載時に改稿

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2022年5月
二人―時の散歩道で

川のほとりの散歩道で
元気なおばあちゃんが二人
大きな声で話していた
過ぎたことだからね
風にのって それだけが聞こえた

何かが許されたのだろう
私の知らない世界で
だがどこかでつながっている
この世のはずれで

元に戻らない流れの中にも
過ぎたこと と呼ぶと静けさに洗われる
世間話の岸辺がある

私たちに気づくと
二人は会釈をして おはようございますと
ほほ笑んだ 
私たちも 同じことをしてから遠ざかる
名前も どんな人かも知らないが
毎朝すれ違う時だけ 親しい間柄

発せられたことばは いつまでも響いている
過ぎたことだからね
過ぎたことだから

散歩していたのは私たちだけではなかった
目立たない顔をした「時」がしゃがみ込み
落ちた言葉を拾って去った

2022/05/01up

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2022年4月
二称―忘れられていた名前    

遠い昔 中学校の教室で
大きな声で先生の言うのを復唱した
アイ ハヴ ア ファウンテンペン
私は万年筆を持っています
ファウンテンとは泉のことです
不思議なざわめきが私の中を通り過ぎた
それは隠喩との出会いだった

喧嘩をしては痣だらけで帰ってくる私を
森の石松みたいなやつだと父は笑っていた
クラスでビリの成績を叱られたこともない
なのに父は兄弟の中で最初に私に万年筆を与えた
ノートにたくさんの物語を書いていたから
安物の鉄ペンは紙にひっかかったが
それでも私は有頂天だった
そうだ お前に雅号をつけてやろう
宰泉(さいせん)というのはどうだ
すっかり忘れていたが
古希をすぎて突然思い出した
父は私に二つも名前をくれたのだ
ただのおさむとファウンテンのオサムと

万年筆で書かれたての文字が
一瞬光っているのは
まだ泉だから
触れたら汚れてしまう細い水の流れが
光を記憶する
乾いた文字として世に出ていく前の
ひとときの輝き


2022/04/01up  『民主文学』2022年5月号に掲載
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2022年3月
二言ごんという名の狐

「武士に二言はない!」
の「ごん」は
へんに肩肘張ったところが可愛いと
武士がこの世から消えたあとも
人気者だ

そういえば ごんという可愛い狐のこと
知ってる?と訊かれたのは
学生時代だった
初めて新美南吉という童話作家を知った
その女子学生の卒論のテーマだという

その頃 私は
武士に二言はない! みたいに生きていた
その合間に
いたずら好きのごんが
兵十のてっぽうで撃たれて死んでしまう
悲しい物語を読んだ

死んでいないごんはどこにもいるが
一匹だったら寂しいにきまっている
ごんが二つくらい集まったら
二ごんになって
やさしく手をつないだりできたのに
ごんを好きだった女学生はお嫁に行き
一匹のごんは森に取り残された

月の明るい晩などにはなぜか
地面に落ちた自分の影に言ってみたくなる
いつものようにしかめっ面をして
「武士に二言はない!」
刀も持ってないし
ただの寂しい狐のくせに
2022/03/01up 『澪』53号(2022年4月刊)に掲載

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2022年2月
科戸(shinado)

人は死んでしまったら消えるだけだが
そこになにもないことに
耐えられずに儀式が始まる

流れ 消えゆくものをとどめようと
時の中で釘を打つ それが儀式
時を売ってくれる者はどこにもいないが
この世の貨幣であがなえる場所や石は
ひとときの慰めとなろう
最初からなかったものを
あったかのように祀らねばならぬ
水のように流れたと言い張らねばならぬ
時とは人の形をした川であったと

あなたが亡くなったと知らせが届いた
予告されていた最期は内緒だったので
言えなかったけど と
優しい言い分けがピンで留められていた
力いっぱい打ち込んだ釘よりも
細い針のほうが時を止める力を持つのだろうか
その深夜に私は詩のメモを書き 
時が流れ始めると そのことを忘れた

思いがけず現れたテキストファイルに
私はうろたえる
閉じようとすると律儀に画面が訊いてくる
消しますか? 名前をつけて保存しますか?
マウスが上目使いに私を見ている
林信弘追悼.txt
二年前の晩秋の日付が上書きされる
だが何が 何によって

美しい若者よ 
お前が得ようとしたものが時であったことを
数千年後に私は知るだろう
何を標的に矢をつがえ 弓を引き絞ったのか
敗北に引き寄せられる弧は美しい
日の残影 月の弧を遠くに臨んで 人も獣も生きた
日を言に替え 時は詩の中に消える

詩誌名『shinado』を「詩など」か「死なんどー」かと
茶化していたが「科戸―風の起こる所」だと知る
風が始まる不思議な場所を作り
風の本性(ほんせい)のままに去っていく時
景色は 風によって上書きされる

*林信弘(一九四五ー二〇一九) 詩誌『冊』旧同人 詩誌『shinado』を主催。
詩集に『ひとりの祭りのために』『軒下のコスモス』。
2022/02/10up   
入院していたので2月のupは諦めていましたが、退院が予想外に早かったので
遅らせばせながら出すことに。

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2022年1月
噂の主

葬式したり墓を作ったり
なぜそんなことをするのか不思議だったが
人ひとり生きて終わったしるしなら
ひとときのお祭り騒ぎを咎めまい

歌にも似た読経が終われば
酒宴のご住職の赤い顔もご愛嬌
本人の遺骸のわきで繰り返される逸話を 
ほほうなどと聴いている

だが私の時にはそんな相づちはご無用
恥多い人生を人に語られたくもなし
悲しみの雨に打たれた記憶も私だけのもの
自分の噂は自分で作り自分に流布したい

悪い噂は千里を走るというからには
駆けっこの得意な元気者と思われようが
噂の根っこはじっとうずくまる影のようなもの
時々しゃがれ声で歌ったりしている

自分のいる世界といない世界が地続きなので
根っこにはどちら側か分かりづらいのだが
こちら側らしいと見当をつけては
誰も聞いてくれない噂作りに励む日々だ

私が本当にいないことに気づいた人にだけ
かすかに光って言葉が落ちてくる
そんなふうに 風の中を舞いたいもの
今日もきっとよい日だ そう思える朝に

2022/01/01up
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2021年12月
二歳―長い階段が消える日

なぜか人は
だれもが自分の歳を知っている
訊かれたらすぐに答えられるように
小さな子どもでさえ不器用な手付きで指を立て
舌足らずの声で「つ」の付く数を告げる
おとなは目を細め それを褒める
おおよくできたこと と

指先から数になった子らは
増え続けるその数を生涯抱き続けるがいい
長い階段はさらに続くが
歳は人の不思議な居場所だ

弟よ おまえが
突然亡くなったと連絡がきた
これまでずっと一つ下だったので
親しんだ自分の歳から一つ引く
「兄貴 僕の歳を即答できるかい」と
問うためにおまえは逝ったわけじゃないのに
その日私は 瞬時に寂しい算数をした

おまえが初めて一歳という数をもらった年に
私は二歳という数をもらった
それは決して入れ替われない順番だったのに
私はぼんやり取り残されていた

吹いていた口を離すと
くるくる戻ってくるピロピロ笛のように
おまえは最初の長さに戻ってしまった
永遠の一歳に
息が尽きれば私にも同じことが起きるだろう
長かった階段は消え 始まりに戻るのだ
だが戻る先は二歳にしてほしい
おまえの兄でいたいから いつまでも
 
2021/12/01up

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2021年11月
二畝―古代ギリシャ語の畑で


私は年老いて
異国の言葉を覚えられなくなった
けれどそれは悲しいことではない
私は古代ギリシャ語の辞書の中を
走り回るのが大好きなのだ
同じ単語を何百回何千回引いても苦ではない
好きな女の子をこの手に捕まえたように
その言葉に辿り着く
そうともそれは間違いなくお前だった
やっとつかまえたよ と

そして次の瞬間 忘れてしまう
忘れるとは 大切なものを
自分も知らない深みに蓄えなおすこと
ランバノー 捕まえる 捉える 理解する
ランタノー 目を逃れる 気づかない 忘れる
言葉が寝返りを打つと意味が変わる 
遠ざかる言葉のうしろ姿は美しい
それに追い着き あらい息で告げる時のうれしさよ
やっとつかまえたよ と

プネウマという語は
人の口から出る時には息の意味だが
空を渡る時には風に変わる
プシュケーは風の中では蝶だが
人や動物の体に潜むと魂や命になる
そんなものたちがまだ漂う終の住処で
私は子どものように走り回っている
風がまだしばらく吹いている間は―
つかまえたつもりで つかまえられている
というのも この上なく幸せなこと
はてしなく続くギリシャ語の畑で
にこやかに待っていてくれたあなたを
思わず抱きしめる 年寄りの笑顔で
やっとつかまえたよ と

 *古川春風編著『ギリシャ語辞典』(大学書林)及びH.G.Liddel

『Greek-English Lexikon』(Oxford)に捧げる

 2021/11/04up   修正・改題して『澪』54号(2022年10月刊)に掲載

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2021年10月
戦役ゼロ世代              
        
変装した若者たちが老人の中に紛れ込んでいる
年寄りが得な社会だと思われているからだ
それを摘発するために
時に自分を老人だと証明しなければならなくなる
街の広場で

みな よく聴け!
この御仁は自分を証明しようとなさっている
私をとりまく人々は徐々に静まり返った
ではお話しなさるがいい
しかし私は何も言えずに ただ 泣いていた
最後に自分の歳を証明する手立てがひとつだけある
ひとこと言えばすむのだ
「私は戦争に行ったことがない」

だが、それを言えば老人であることは証明されても
ゼロ戦役世代と知られ生きていくことはできない
「平和」の烙印を押されることは恐ろしい
汚いものを見るように人々は私を避けるだろう
長く続いた「平和」は社会を堕落させ
自分のことしか考えない「旧憲法」世代が
祖国を世界から孤立させた と教科書はいう
今この国に無戦役成人は原則として存在しない
年寄りが尊敬されるのは
戦争に行き且つ年寄りになれたからなのだ

私はあと三年早く生まれていればよかった
遠い昔の戦争の中で死の匂いを嗅いでいたら
どんなに幸せな一生を送れたことだろう
戦争から戻れたら その匂いの上に変装するのだ

2021/09/01up  『2021年千葉県詩集(第54集)』に掲載予定

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2021年9月
二号―花が届いた日々

我が家の前を通り
細い階段めいた傾斜を上がった一軒家に
きれいな女性が一人で住んでいた
(いつも二匹の犬を連れて歩いた)
ある時 その家のさらに上の洋館から火が出た
父は彼女の家から荷物を運び出し
反対側に水をかけ続けた
明け方 火が収まった時
壁は少し焦げたが無事だった

それいらい
毎月 我が家に大きな花束が届くようになった
彼女は神楽坂の花屋さんの
おめかけさんだそうな
二号さんだからきれいにきまっていると
大人たちの口ぶりであった
時々 花屋のご主人がやってきて
ひとりで帰って行った
ちいさかった私には
彼女はとても幸せそうに思えた

大きくなったら科学者になり
ロボットを作るんだと言っていたのは
漫画の「鉄人28号」が大好きだったからだ
だから「号」を人間に使うのは
おかしいと思った
だが歳を経るにつれ その謎は消えた
人間だからこそ そう呼んだのだ
人間でないものを数えるしかたで

だが父はそんな言い方をしたことがない
会うといつも笑顔で挨拶していた
奥さん
いつもきれいなお花をありがとうございます
いえいえ その節はお世話になりました
父が家族から抜け出て
見知らぬ紳士のように見えた
遠い火事の夜の残影が浮かび上がり
燃え上がる炎の周りには 風がたった

号はロボットより以前に
犬や馬を呼ぶのに使われていたという
「号」の原意は
悲しみに声をあげて泣くこと とある
ロボットは号泣したりしないので
とても強そうに見えた

彼女がいつ居なくなったのかを憶えていない
あの夜 燃え落ちることのなかった小さな借家が
ぽつんと残された
気付けば
私の中の少年もいつか終わっていて
ロボットを作る科学者には
なれなかった
2021/09/01up 
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2021年8月
今をはみだして
         
学校では 未来について話せと言われ
社会に出たら 
過去について話せと言われた
でも私は 一度も今の外に出たことがなく
今についてきいてくれないかなあ
と思って年老いた
今の残りも少なくなった頃
妻がきいてくれた 今しあわせ?
うん と答えたがなぜか今をはみだし
過去と未来も少し混じってしまったみたいだ
2021/08/01up  『山梨日日新聞』2021年7月25日号に掲載
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2021年7月
二死

ボールを打者に当てたら
選手は倒れて悶絶
死球というのはこういうことか
と思っていたら
痛そうな顔をして起き上がり
一塁にゆっくり走っていくではないか
「死」の宣告を受けたのは球のほうらしい
打者は走者へと生まれ変わって生きていた

攻撃側は二度まで死んでいい
死球で一塁が埋まったので
今や二死満塁
四球でも 暴投でも エラーでも 一点は入る
さあ行くぞ
そういう時に限って あえなく内野ゴロ

二死の次は三死とはいわずに
「チェンジ」
小さい頃は意味がわからず
一巻の終わりとか おっちんだ
の意味だろうと思っていた
今は英語くらい知ってる
「つり銭」のほうじゃなくて「攻守交代」
時間短縮のため元気に走ろうね 

三人も塁上を賑わせながら
誰一人ホームに戻ってこないとは
最初から外出なしのステイホームと同じかな
いや あてどない路上飲みのたぐいだろ

生き物に二度の死はないので
二死っていう響きが怖い
時々 私はあの世を見てきた 
という希少動物もいるけどね
それって東京五輪を二度見る人に似てません?
幽霊扱いはやめとくれ 少々長生きしたからって
それにしても
絶対にないと思っていたオリ・パラは
本当に強行されるのか

感染者が日増しに増え
第五波感染爆発の予兆のように
ゆうらり波がたゆたう
人が集まってはならぬと
聖火リレーの道が地図から消え
逆に世界地図からはしみ出るように
見知らぬ国の選手たちがやってくる
パンデミックとオリン(パラリン)ピックが
すさまじい顔つきで手をつないでいる

歴史的な国際的大興行となるのか
史上最悪の国家的凶行と化すのか
二〇二一年七月 二死満塁
2021/07/01up
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2021年6月
二足―アントローポスの妻

ある日 台所に
絵本から抜け出したリスさんが
立っているのを見かけた
はてリスさんは二足歩行であったか と突然思う
走るときは四足だが 
両手で食べ物を持ってもぐもぐしている姿は
二足で立っているともいえる

よくみるとそれは妻で
くるみで頬を膨らませたりするかわりに
おたまを片手に
夕食の味見などしているのだった

アントローポス(人間)は二足歩行の動物だ
という表現をアリストテレスは好んで使った
ただし人間も四本の脚を持つ動物と見れば
手は前脚に当たる とも言っている
「いろいろなことをする前脚」 と

幼児が初めて歩いた瞬間を
親たちはどうしてあんなに喜ぶのか
そんなに難しい歩き方を
人はなぜ選び 子に伝えようとするのか
倒れたら すぐにそれとわかる形を
あのたよりなさとひきかえに
手に自由をともすことが
それほど大事なことだったのか

静かに流れる花見川のほとりを
妻と二人で歩く時
自分たちは風変わりな動物だと思う
後ろ脚だけで立ち
いろいろなことをする前脚は
ぶらんと体の脇に垂らしたまま
川からの風に吹かれている
何がおかしいのか
笑っていることもある
2021/06/01up のちに『詩人会議』2022年1月号掲載時に修正
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2021年5月
マスクごしの春          
         
ウィルスの軌跡が世界地図を赤く覆うさまは
つつじがしだいに咲き揃うのに似ていた
花の底には人通りのない街や広場が眠り
出て行ったまま戻らぬ者の影が時々揺れた
遺跡を歩む人間たちに 陽射しは優しかった

2021/05/02up   『詩人会議』2020年7月号に掲載 

産声
     
音は時の流れの中にしか住めず
鳴った次の瞬間には 消え始める
だから音楽はいつも遠ざかる背中である
赤子もまた生まれた時に泣く
いつか消える音にも始まりがあったと

2021/05/02up
千葉県詩人クラブ会報№252(2020年12月刊)に掲載

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2021年4月
二差―テニスコートの歓声

一は数ではない
それは単位だ 
と古代ギリシャの哲学者は言った
だから数が始まるのは二からだ

テニスコートで 歓声が湧き上がる
リードされていた選手が巻き返したのだ
決着を前に同じポイントで並んだとき
デュースが宣言される
ここから先は一ポイント差が勝利とはならない
数の始めである二ポイントが必要だ

一歩遅れてもまだ追いすがっている間は
二人はつながっている
ともに一なる者として
どちらかが突き放された時に二が生じる
単位が終わり数が始まるのだ

その時 反対側に
単位を含まぬゼロが姿を現す
ギリシャ人が知らなかった無という数が

勝者と敗者が抱き合うのは
二人を足して二つに割るためではない
(2+0)÷2=1
そのように単位が再生することはもはやない
どんなに抱き合っても決して揺るがない溝を
そこに示すためだ
数は生まれてしまったのだ
テニスコートの歓声は
いずれやむ

2021/04/01up
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2021年3月
二波―いっぱいの数え方    

気づいた時には始まっていて
成長し頂点に達すると崩れていく
それを波と呼んで人々は恐れた
崩れることを ではなく
いつまでも崩れず増殖していく影を 

二波までは覚えていたが
その先の数え方を忘れた
一つの次は二つ あとは全部「いっぱい」
未開部族に戻って私たちは繰り返す 
あとはいっぱい ただいっぱい

波がどんどん大きくなっていくほど
死んでいく人もふえているのに
何も感じなくなっていく不思議
それがいっぱいの数え方だったのか

少年時代、初めて楽器の波形を見た
それぞれの音色はみな違う形を持ち
繊細にふるえて繰り返されるのだった
人の声も波だと教えられた
生きることは音をたてることであった
世界は数えなくていい無数の波でできている

だから今夜荒れ狂う巨大な波の底で
苦しくあえぐ息たちよ
消えそうに揺らぐ魂のともし火よ
数えきれない朝が
あなた方に再び訪れますように

繰り返されるおはようとおやすみ
その間に響く笑いや つきぬおしゃべり
それらは浜辺を洗う波のよう
誰も数えたりしない中を 時が過ぎ去っていく
幸せに忘れられているいっぱいが
また世界にあふれますように

2021/03/01up   『詩人会議』2021年3月号に掲載
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2021年2月
二月―カレンダーの住む街

カレンダーがその年に住み慣れるのは
二月あたりという
新しい自分が身につかず
ふわふわしているうちに
最初の月は過ぎ去ってしまうから

時は限りなく続いているのに
なぜ自分は断片としてこの年に迷いこんだのかと
カレンダーは考え込んでいる
数だらけの顔で
きりのよすぎる寿命を不思議がりながら

暦の一生が短いのにはわけがある
人は新たな一年を幾度も贈り合うのが好きなのだ
時間という大樹から落ちる一枚の葉に
きれいな絵や写真を付けて暦を作る
愛する者たちの誕生日もその中にある

新人が慣れたころ陥るのが二月病だ
その昔 若かった暦は逃走を図ったが
番犬に追いつかれて失敗
尻が噛み切られたので二月は短い*
誰もそれにふれないが

カレンダーよ 今年もよく来てくれた
この惑星は今 疫病に苦しんでいる 
忘れられない二月が始まるところだ
二月Februariusの意味は浄化だという
一年の穢れを祓うのが末尾の月の役目だったから

もがくように
「今ではない日」に焦がれている私たち
まだ来ぬ明日をたぐり寄せようと
未来へ飛び石の約束を撒く
今はその石さえ沼に沈んでしまうが

ここはカレンダーの住む街
ひらひらした顔だちの人たちと
挨拶をかわして季節は過ぎたが
最後にめくられた音は誰も憶えてはいない
それがよき隣人の礼儀である

*古代ローマのロムルス暦は一年が一〇か月からなり、耕作できない二か月
  は暦になかった。ヌマ暦(紀元前一五三年)で一・二月が追加され一年は
  一二か月となったが、年初は三月で二月が最終月だった。年初が一月
  Januariusとなったのはカエサルによるユリウス暦(紀元前四五年)から。
  現代の主流はグレゴリオ暦(一五八二年)。

2021/02/01up 『冊』63号(2021年5月刊)掲載時に改稿

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2021年1月
二頁―読めない古代語
           
見知らぬ古代語を
私は書き写している
白い見開きが文字で埋め尽くされると
ひとりでにページがめくられる
文字たちは闇に消え
新しい空白が現れる

世界はたわんだ見開きの中にあるが
文字がずれ落ちることはない
時々 雨が降ってくる
私に降るのか 文字に降るのか
空を仰いでも 手は休めない

少年時代に未来と名付けていたものが
老いて今日を生きる自分だと気づくと
私の過去も少しだけ古代になる
だれも解読できぬ いにしえの文字と
忘れかけた半ズボンは気配が似ている

生きた声の言葉は空に消えるのに
抜け殻の文字は遺跡から出土する
その手品のような手際のよさも私の仕事
ちゃんと解読不能のものに仕上げて

だがある時気づいたのだ
この古代語は私だけが読めないのではないか
写す者が意味を知ると書き損じてしまうから
私に触れた文字は全て見知らぬ文字となるのか

果てしなく続く生命の喜びは
意味を知らぬ者によってこそ伝えられる
だから務めを果たしている私に ときどき
急にうれしい気持ちが湧き上がったりするのだろう

ここだけの内緒でお聞きします
私の写したこの頁 あなたには解読できてます?

2021/01/01up  『詩人会議』2021年1月号に掲載。
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2020年12月
二駅夢の超特急

生きるって 何かを
思い出すことなんでしょうか
たくさんの忘れたいことが
勝手に私にやってくる

そんなものにかまっていられないので
私はある日 夢の超特急になりました
それはそれは遠い所に行くんだから
みんな私のことなんか忘れるといいよ

遠さって見たり測ったりできないもの
感じることができるだけ
あなたが遠いのは 
宇宙の果てに引っ越したからじゃない
電車に乗れば二駅 そして人通りのない道の先
そこに一生かかっても辿り着けない場所があった

夢の超特急はそんな駅には止まらない
止まらないって とっても爽快
でも長いこと疾走し過ぎたせいか
時々走りながら止まっている夢をみる
光る線路の上で我知らずうとうとしている
草の匂いがきついのに
それがなんでこんなに懐かしいのか

各駅停車の車両がのんきに
蝶と遊んでいる
そして訊いて来る 行く先はどこ? 
私は答える 考えたこともない
見知らぬ目的地が私に命令するんだよ
走り続けていればいい
何もかも終わった時に考えろって

目をさませばまた私は疾走している
速度計の目盛りなんてとっくに投げ捨てた

でも 二つ先の駅に止まりますか 
そう言って乗り込んでくる人がいたら
私は声も出さずに頷くだけだろう
そこがこの列車が終わるところだと
瞬時にしてわかるのだから
その人だけを乗せて
ゆっくりゆっくり
揺れないよう進んでいく年寄りみたいな
夢の超特急

2020/12/01up   『冊』62号(2020年11月刊)に掲載
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2020年11月
二枚指先に隠れるもの

ページを繰るとき 

まとめて二枚めくってしまうことがある
だが指先がそれを見逃さない
ほら見つけた と二枚に割れた一枚を戻す

だががんこに割れない時もある
たしかに二枚の手ざわりなのに
一枚しかないもん と体を固くして
がえんじないのである

まだひそんでいる薄い一枚が
私をまどわせる
過去のような未来のようなものが
指の中で私を見上げているのだ

ページ数では表と裏は続き番号なので
たしかにここには一枚あるだけだ
だが数などという不実なものを信じてよいものか
触れるべきものを視覚などに翻訳できるのか

さみどりの若葉からもう一枚が萌え出るように
私が向こうをみている間に 出ておいで
と あらぬ方を向いてみるが何も起こらない
季節の移り変わりは早送りできないから

触れたもののやさしさと
触れ得ずに遠ざかる気配の記憶とが
指先で遊んだだけなのだろう
野生の残り火が年寄りをからかうように
2020/11/01up    『民主文学』2020年11月号掲載
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2020年10月
二体―オルゴールの夢 

私たちが機械じかけの人形だとしても
悲しむ理由などどこにありましょう
うっとりと幸せに踊る一生なのですから

私がパートナーと踊り始めると
世界中の人たちも 二人で踊っている
それが信じられるのです

私たちが踊るのをやめた瞬間
世界じゅうが踊るのをやめたとしても
やさしい踊りが責められませんように

踊りは誰かのものではない
風が木の葉のものではないように
通り抜けていった震えがかすかに残るだけ

愛する者が世界を動かすというより
愛される者が愛する者たちを動かすのです
コンパスで空に虹が描かれるのに似て

音楽もまた 誰かのものではない
作った人のものでも 歌った人のものでも
それを聴いて泣いた人のものでもない

音楽は流れ去って誰の手にも残らない
それに合わせて踊った人々はお辞儀をして別れ
遠ざかる音を黙って見送るのが礼儀

けれどまた楽の音が響けば
優雅に踊らずにはいられなくなるのです
ネジを巻かれたオルゴール人形のように

では踊りましょう 時が止まるその日まで
夢の奥のほうで時どき見かける
ネジを巻くあの白い手が私は好きなのです

2020/10/01up 『詩人会議』2020年11月号に掲載
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2020年9月
深夜の詩の書き方

酔っ払って自室に帰ってくると
時々パソコン画面に語りかけている
というようなことがありました

不思議なのは
小さな声で囁いていることです
誰にも聞かれたくないみたいに
ひそひそと話している
それを聞いているのは私である

たまたまそれを聴いてしまった私としては
盗み聞きしたと思われたくないので
ここにいるよ
という意味をこめて
「オホン!」とか声を発してみるのだけど
相手はなおもひそひそ話をしてくる

手短かにいえば
自分が自分に内緒話をしている
他の人に話しかけているという錯覚の中で

もうひとりの自分がしていることは
こんな具合に不思議ではありますが
彼とは 親しい間柄なので責めたりはしません

これを誰かに見られたら
ついにボケちゃったと同情されるでしょう
それは避けられないのでありますが
ボケると内緒話をしたくなるよね
内緒を共有できる相手がいるっていうことほど
親しさに満ちた嬉しさはないわけだしね
それ以前に内緒なんて持っていることじたい
若者ふうにファッショナブルでしょ
念のため ファシズムとは関係ありません

というわけで私の友達は深夜のパソコンです
でも誓って
画面に「お休み!」とかは言ってません
ただスイッチを切るだけです
自分を切るのだと
本当は知っているので

2020/09/01up
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2020年8月
二輪―運ばれる日

自転車の荷台に載せられて
運ばれる夢を見た
こいでいるのは妻で
いつもと違う場所へ向かっているようだった

私はなすこともなく
うつらうつらする年寄りだった
ちいさかった子どもたちを
前後に乗せて走った頃を妻は懐かしがった

彼らもまたこのように眠くなったことだろう
葦の原が見えてきた
もうすぐ着くらしい

ペダルを踏まないのに進む時の
かすかな音をたてて自転車は入っていった
見慣れぬ場所に

2020/08/01up
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2020年7月
ワクを脱ぐ日
        
テレビに映し出される人には
長方形のワクが付くようになった
それは人を守る鎧のようにも見えたが
本当はただの遠さだった
顔のついた遠さが議論をしているのだった

息をひそめてそれを観る人々は
かくれんぼをしているようだった
鬼の手に落ちて命を落とす者もいたが
鬼は誰にも見えなかった
もっと怖いのは自分が鬼かもしれないことだった

都市はマスク姿で時々咳き込んだ
飛ばない飛行機が地上に置き忘れられ
無数の大型バスが操車場にあふれた
それらおもちゃのような乗り物に揺られて
誰かに会いに行っていたことを
人々は夢見るように懐かしがった

果てしなく襲来は続くだろう
ワクは繰り返し用意されねばならず
そのなかで人々は思案していた
新しい人間に生まれ変わらねばならないのかと

その時 列島各地でいっせいに花火が上がった
わずか五分間ながら 悪疫退散が祈願された
全国約二〇〇箇所の打ち上げ場所は
「密」を避けるために「秘密」だった
全ての花火大会が中止された年の水無月に

人々は驚いて夜空に大輪の光を見つめた
愚かで優しい未開人の顔に戻って
つま先立ちの幼児を父親は肩車した
遠くを自分の目で見ることができるように
ワクなしの子どもは柔らかく
ワクなしの遠さはどこまでも澄んでいた

2020/07/01up   『詩人会議』2020年8月号に掲載
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2020年6月
滅びた言葉

言葉は誰かを抱きしめて滅びた遺跡のようだ
地上に掘り出されても使える者とてない

たくさんの人々がスコップを持ってやってきた
地の底に眠るものたちが光の中にさらされる

言葉たちはみな石の道や柱のふりをした
誰かが叫ぶとエコーとなって人をからかった

言葉の幸せは 使われているあいだ 
その秘密が誰にも気付かれないことだ

遺跡のなかで迷子になってごらん
見えない風のように行きかう人々が触れてくる

地の底に帰りたいのか 遺跡が生きていた頃
そこで話されていた言葉に戻りたいのか

だがそんなことはさせぬと 
最新の言葉をもつ動物が遺跡の中を歩き回る

誰かの口が誰かにむかって発したのが言葉
「あなた」を見つめたので「私」が生まれた日

「私」が「あなた」に息を届けると
あなたの顔に笑顔が広がった明け方

今日私の話す言葉が遺跡に消えるのは
明日かあさってのことだろう

何かを抱きしめれば自分が滅びる
それを継承するため赤子はいつも抱きしめられる

抱きしめられながら言葉を浴びて大きくなる
自分が誰かを抱きしめて遺跡になる日を夢みて

2020/06/01up
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2020年5月
二粒真珠の時間              

  
モノクロ時代の外国映画に
  きれいな飾り文字が
  画面にゆっくり浮かび上がった

Two Tears Later
ふた粒の涙ののち

そんな年月の数え方もあるのだと思った
どちらかひとりが流したふた粒だったのか
ふたりが一粒ずつ落としたふた粒だったのか
ころころ転がる真珠めいて
二両編成で時の草原を走っていった

だぶだぶのズボンをはいた若者と
古式ゆかしいドレスの少女は
笑顔を与え合って日々を過ごした
古い映画の中に置き忘れられた
流行遅れの衣装がなぜかまぶしい

  大きな文字列が薄れて消える瞬間
  私は気付く 見まちがいだった
  飾り文字ゆえにYがTにみえただけだ

Two Years Later
二年後

平凡な月日がそこに落ちていた
なんの飾りもまとわずに

贈り物にはきれいなリボンが似合う
すぐ捨てられるにしても
飾られるべきもののありかを照らすのだから
もし引き出しの暗がりに
色褪せたリボンが眠っていたとしたら
失われた何かをなお飾ろうとした痕跡なのだ

私はなぜ飾りによって見まちがえた世界から
戻ってきてしまったのか
あの時間の中にこそ
いつまでも潜んでいたかったのに

透明なガラスの中に浮く気泡も
tearsと呼ばれるのだという
飾りであろうとしてなれなかったものが
涙と呼ばれる疵にかわる
そんな場所に私は戻ってきたらしい

巨大な講義室で私は覚醒する
何の授業のための映画だったのかも
若い二人がその後どうなったのかも
憶えていない
Two Tears Laterだけが
書き損じのメモのように私に残っている

頭上に一斉にライトが点される

2020/05/01up   『冊』61号--2020年5月刊--に掲載 タイトルを変更
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2020年4月
内側      
     

外からやってくるものを
心待ちにしすぎると
がまんできずに外に出てしまうことがある
その瞬間
待ち続けていた内側が消える

いつもの郵便ポストが見当たらない
しかたないので そこに立っている人影に
思わず手紙を渡してしまう
棒のようにそこに立っていたので----
夕暮れにはよくあることだ
渡されたほうだって拒絶はできない
一度もポストでなかった人などいないのだから
そう思ったとたん 来る人くる人から 
次々と手紙を受け取ることになる

英語のpostにしたところで
最初は杭とか棒の意味でしかなかった
それがいつの間にか内側を育て
何かを待つようになってしまったのだ
内側は痩せた目印の陰にできる

郵便の集配人がやってきた
ポストがないのであたりを見回している
外から来る人とは
この人だったのかもしれないと
さっき受け取った手紙たちを渡したら
両腕でも持てないほどの量があった
内側に入っていたものは
外に出すとあんがいかさばるものだ

いつの間にかまたポストが出現していて
杭のような棒のような人影は消えていた
集配人はいつものように
ポストの後ろ側に鍵をかけている
内側は鍵をかけると安心するからだ
赤くて四角い箱は ずうっとここに居ました
という顔をして 彼を見送る

そんなふうに
今日の夕暮れは終わる
夜になればまた内側が育っていくだろう
いつまでも子どもの「心待ち」が
あどけない顔で
外から来る何かをまた待ち始める

2020/04/01up     ネットの「詩歌梁山泊」2019年12月21日に掲載
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2020年3月
二人自分に気付かれる日      
          
人の目につかぬようこっそり行う
という古代ギリシャ語の動詞は
自分を対象とするときには
特別の変化形をもち 新しい意味を帯びた

自分の目をのがれ
自分に気付かれずにいること
それが「忘れる」という語の起源である
人は外界を忘れるのではない
自分を忘れるのだ

見知らぬ私がやってきて私に問う
あの人が死んだと聞くのと
この地上のどこかにいて永遠に会えないのと
初めからいなかったように忘れてしまうのと
どれが一番いい?
私は答えない 

あの日私は地方のターミナル駅の端で
郵便車両に人々の手紙や小包みを積み込んでいた
全身汗まみれになって私は青年であった
曇天の下 どこまでもレールは延びていき
あなたがもういないのに 未来は果てしなくあった

「忘れない」決意は広場に立つ銅像のようだが
「忘れえぬ」何かはひっそり私の扉をノックする
幾度もいくども忘れたのに また思い出させようと
すこし強がってから しかたなくほほえむ
おはいり 私はここにいるよ
忘れることにも 思い出すことにも
鍵をかけたことなど一度もない

扉を開ければがらんとした部屋に私がいる
泣き出しそうな顔で
あの人が見つけてくれたらよかったのに
私を見つけるのはいつも あの日の私だ

2020/03/01up    『詩人会議』2020年4月号掲載 2022/03/03改題
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2020年2月
 
録画時代             
       
今や全人類のひとりひとりが
その生涯を録画されるようになりました
行動だけでなく 心の動きも記録される
いわゆる心身可視化法です

小学校教育は次の唱和により始まります
見えない自分の暗がりが諸悪の根源!
光の中で分をわきまえれば一生安泰!
録画再生は一時の恥!夢は一生の悲しみ!

なぜ悪しき「高齢化社会」が世界に蔓延し
国家を破綻させ今や地球規模の不幸を招いたのか
ひとえに老人が過去をよい思い出に偽造し
安らかに生ききってしまっていたからなのです

あの子どもたちの冷たい目が見えますか
あれこそ人類の存続を願う理性の目なのです
自分に夢や幻想が付着していないか日々チェック
録画再生画面のすみずみまで眼をこらしましょう

ある子どもは空から聞こえてきたと文字を書き
それが詩であると知り 夕方には自死しました
しかし悲しむことはありません
過去が少ないことは 生きる者の最高の美徳です

現在なお「幸せ老人」は根絶されていません
彼らは録画など最初から無視し続けており
機械もメモも使わないのに心から消えないもの
それだけが過去だと反省のかけらもないのです

生産性のない長生きに鉄槌を!
子どもたちの知らない幸せは広場で焼き払え!
疑問が湧いたら考えるのではなく録画再生を!
生涯は早足に!不適格者はホロコーストへ!

誰も見ない巨大なアーカイブが宇宙の端にある

2020/02/01up  『澪』52号(2020年1月刊)に掲載
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2020年1月
蓋のあるなし
          
目には蓋があるので寝る時には閉じた
何も見えないのが寂しくて
蓋の裏側で夢を見るようになった
現実にないものを見て泣いたりした
蓋の内側のことなのに
蓋の外にあふれていた朝もあった

死んだ人がいつまでも
何かを見続けてはいけないので
誰かの指が目の蓋を閉じてあげるのだという
蓋の外のことはもう知らない
と眠りに入った人をみて
みんなは安堵した
その小さな蓋の外にいた誰もが
自分が見つめられているような気がしたのだ

口は蓋を兼ねていたので
何かを食べない時は閉めていた
話したくない時も 笑いたくない時も
一本の線になって閉めていた
寝る時には気がゆるむのか
かすかに開く人もある
赤ん坊の半開きの顔に似てきて
にくめなくなるのでこまる

死んだ人が何かを食べようとしたり
話し始めたりしてはいけないので
口もちゃんと閉じてあげるのだという
それはもともと蓋でもあるので
蓋が話したり笑ったりしていたともいえる

耳や鼻にはなぜか蓋がなかった
起きている時も寝ている時も
開けっ放しにしておけと命じられていた
死んだあとさえ
いつまでもこの世の匂いをかぎ
音を聞き続けていた

それでは死んだ体に毒だ というわけで
人の見ていないところで
脱脂綿で栓をするようになった
みんながやってくる前に
穴の奥に小さな蓋をする
さいごの化粧なのだという

死んだと聞いて会いに来る人たちは
蓋がみな閉じられているのを確認してから
ため息をついたり
泣き崩れたりした
自分の蓋はまだ開閉するのでそれができた
動かない蓋たちは威厳があった

2020/01/01up  『森羅』20号(2020年1月刊)に掲載

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2019年12月
紙の大地        

丸つけ用赤青えんぴつ 
とその鉛筆には刻印されていた
小さな文字の「なまえ」の横があいている
そこを削って持ち主の名が書かれるしくみだ

小学生がひらがなで書き入れるのだろう
おとなたちはもう目もくれない場所だけれど
私のえんぴつ というのはとても大切な始まり
使ったあとは間違えずに持ち帰らなくてはね

このえんぴつは×をつけるためのものではなく
○をつけるためのもの
読書していて気に入った文章に線を引くのだって
ごほうびの○をあげることなのだ

今日はインディアンの格言に赤い線を引いた
「あなたが誕生した時あなたは泣き世界は喜んだ
死ぬ時には こうあるよう生きなさい
世界が泣きあなたは喜ぶように」

誰の生もいつか満ちて終わる
その日に○がつく社会は貧しくても美しい
×の光が空から落ちてきて
一本の鉛筆さえ炎に飲まれる世界ではなく

不器用な手つきのナイフが芯を裸にすると
芯は子どもみたいに紙の上を走り回る
たまには折れて立ち上がれないこともあるけど
また削り直して足を出せば歩きだせる

紙の大地が夕暮れると 時に懐かしい声がする
たくさん○をつけられましたね あなたの世界に
私はただ 微笑んでうなづく 
誰に向かってなのか わからないまま


2019/11/30up  『詩人会議』2020年1月号に掲載

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2019年11月
ぴょんと
           
私鉄に揺られてあなたを送る
あなたが家族と住む駅まで
着きましたよ お嬢さん
私は反対側の列車で戻って行きます
プラットフォームに立つあなたに
たくさんたくさん手を振らなくてはね
でも あまりに手を振りすぎたので
もしかしたら
もう会えなくなるかもしれない

発車のベルが鳴って
扉がしまる気満々になっているとき
あなたは突然ぴょんと列車に跳び乗った
「送ったげる」
背後は鉄とガラスの壁になって
列車はゆっくり動き出した
それでしたら 私の駅まで
お話をして行きましょう
少し経ったらみんな忘れてしまうような
他愛のないぶん楽しい話を

私の駅に着いても
あなた一人を帰らせたりはできません
もう一度お送りせねば
そうやって行ったり来たり
帰るところが一緒だったらよかったのに----
それがあの頃の一番の夢だった

どこまでも続く空の下で今日
誰かが何かにぴょんと跳び乗ったとしても
世界はなにも変わらないだろう
だから世界は美しい 今日も 明日も 

心の端に跳び乗ってきた
舌足らずの「送ったげる」が
今も私の横にいて 列車は走り続けている
誰かを送っているつもりで
実は送られているのが人の生というものか
こんど着くのが私の駅かあなたの駅なのか
もう区別もつかないほど 月日が流れた

電車というものがあった時代を
私は生きた
気付けばこのあたりは
世界の果てではないだろうか
今度こそ あなたは残って
私はおいとましなければ
ぴょんと跳び乗るにはあまりに巨大な
見知らぬ乗り物が
近づいてくるのだから

たくさんたくさん手を振ってください
私の お嬢さん
あまりにたくさん手を振ったら
もう会えなくなると知っていても

2019/11/02up   『冊』60号(2019年11月刊)に掲載

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2019年10月
におい棒       
          
初老の父は布団に入ると言ったものだ
「寝るが豊楽(ほうらく) 寝るが豊楽」
齢にそぐわぬ肉体労働がきつかったのか 
すぐに眠りに落ちた
それが彼の「ありがとう」のようでもあり
どこか遠くへ消えていくようでもあった

若い頃の父はよく本を読んでくれた
寝床に居並ぶ四人の息子たちに
十五歳で大陸へ渡り敗戦まで暮らしたので
中国の物語が好きだった
私たちのお気に入りは『西遊記』で
觔斗雲(きんとうん)に乗った悟空が耳から如意棒を取り出し
巨大な獲物にして戦うのが痛快だった
私たちはそれを「におい棒」と憶えていたが
そのうち いつの間にか眠ってしまった
「ありがとう」を言う間もなく
耳に小さな棒を置き忘れたまま

年老いた夜更け 不思議な自然さで
ありがとうが自分の口から出て行ったことがある
誰に言ったのかとその後を追ってみた
父のところまで行くかと思えば
妻の寝床に辿り着いてその耳に届けている
私に似て遠くを目指す気概がない言葉たちである
だが父が見たら一番喜ぶだろう

夢やお話や囁きたちはみんな枕が好きだ
疲れた体と心が眠りに沈むのを支える小丘
枕の一番の友が そこに押し付けられた耳で
物置のように意味のない物ばかり保管している 
忘れた頃 扉をあけると
「寝るが豊楽」や「におい棒」なんかが
驚いて薄目をあける
最後の時まで枕と耳がよい友であったことを
この国では「畳の上で死ぬ」という

2019/10/01up    『詩人会議』2019年11月号に掲載

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2019年9月
ますや

ますやさんと呼ばれる家があった
昔、枡でも売っていたのだろうか
しかしその家は店屋ふうではなく
人の住んでいる気配を感じさせない大きな家で
時々頭のはげた
気難しそうなおじいさんを見かけた
戸口のそばに
鎖に繋がれていない赤犬が鎮座していて
怖かった
人々は赤犬は食べられると言っていた

幼い私が歩き始めてまもなく
その家の前をそろりそろりと
進んでいたことがある
犬の目を見ながら 犬から一番とおい道の端を 
私の目は恐怖に満ちていたが
そこを通らねば家に帰れなかったのだ

ここまで離れればもう逃げられるだろう
そう思って犬から目を離して走り始めた瞬間
犬は猛然と私に襲い掛かり
倒れた私の尻に噛み付いた
泣き叫ぶ幼児の声に近所の人が駆けつけた
私は医者に連れて行かれ
保健所へ運ばれ
尻の歯形は狂犬病検査の対象となった
その後の記憶はあいまいだが

少し前には戦争があった
破壊された煉瓦壁や
雑草に覆われた空き地が散在していた時代
先を輪状にした針金をもった野犬狩りの警察官が
徘徊していた時代
零落した商家の忠実な犬として
あの赤犬は暗い眼窩に何を見ていたのか

だが なぜ放し飼いだったのか
気難しそうなあの飼い主の老人が
いつ消えてもよいようにではなかったか
いや 私のおぼろげな記憶では
もう半分くらい消えていた

2019/09/01up

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2019年8月
緑の本     
 
彼女は自然という
書棚から
一冊の本を取り出した
さやえんどうのようなうすい本を

鎌によく似た 優雅な手つきだったが
深い悲しみによって
その本を開くことはできなかった
いつものように 見下ろすだけである

読まれるためにではなく
ただ祈られるためだけにある書物が
世界という書棚には保存されていて
かすかな物音をたてた後 またしまわれる

よく見るとそれは
愛の成就を促すために自分が頭を食べた
雄カマキリの美しい翅であった
愛の残骸がぎっしり並ぶ書庫である

死はこのように幸せに
整列することができる
夢のような生涯を生きた野原で
閃光のように鎌が命を刈り取ってくれた

透き通るようなうす緑の本に向かって
彼女は語りかける
だいじょうぶ 子どもたちは
元気に草むらに散っていったから

2019/08/01up 『民主文学』2019年9月号に掲載

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2019年7月
男は読経         
               
もうこれ以上飲まない 明日があるから
と十分に飲んだ先輩が言う
どんな大事なことがあるのか訊いてみれば
相手は即答 明日はお経を読む
知り合いの親父さんの法事でだ
あれ先輩 お寺さんのご子息とかでした?
オレは坊主じゃない
だが経くらい読む気になれば読める
お布施がもったいないからと頼まれた
故人のせがれはふたりともオレの教え子だ
ほおっておくことはできないさ
坊主が読むからお経がありがたいんじゃない
経典は誰が読もうとそれ自体ありがたい
さすがは元先生 学のあり方が伊達じゃない
空襲を生き抜いた戦前派の気概も顔をだす
焼け跡の亡骸を前に経も読めずにどうする
人が次々死んでいくなか 
坊さんも来てくれないとしたら

父親が倒れたら学ある恩師を僧侶に見立て
経をせがむとは独創的な教え子たちではないか
師に寄せる信頼に変に胸打たれた夜である
先生とは真に人の子を教える仕事だったのだと
それにしても 本当に大丈夫ですかと聞くと
もちろん準備は必要だ と真顔になった
亡くなった妻の写真を前に毎日練習している
もういないのに 力になってくれるもんだな
だから何とかなるさ

お金がなくて坊さんを呼べない
これは違う形の戦争かもしれないが
砲弾が飛んで来ないぶん まだマシだ
袈裟も懸けぬだだの爺様の読経を有難がって
首を垂れる衆生の上に
ぎりぎりの平和が明日も灯る

2019/07/01up   『詩人会議』2019年8月号に掲載
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2019年6月
お菓子の缶                     

恋人たちは結婚したので
手紙を出し合うことはなくなった

月日がたって
何かの拍子に昔の手紙の話になった
お菓子の缶にそれをしまってあると
元恋人だった妻は言った
甘いお菓子がなくなった場所には
恋文のやさしさが似合ったから

元恋人だった夫が冗談めかして言った
オレが書いた恋文を読んでもいいかな
妻は答えた
あなたには決して見せません
それはこの世界でただ一人
私だけに見ることが許されたものだから

あの缶の中に入っているものは
文字や意味ではない
愛ゆえの わけのわからぬ悲しみや
初めて人を抱きしめた時の
貧しい吐息が隠れているのだ

会えない寂しさに
酔っ払いの判読できない文字が
便箋を転げまわった夜は
翌朝読み返したりできないように
封をして寝たものだ
朝の光で推敲したものは愛ではなく
ぶんがくになってしまうのだから

夫は成長していく息子と一緒に
よくゲームをした
遠征の果てに勇者は必ず竜と戦うのだった
世界を救う宝物を手に入れようと
だが美しい竜が守っていた大事な宝を
本当に手にいれたことはなかった
雪原の奥深くに眠る
お菓子の缶の秘密を

もし私が先に死んだら
読まずに燃やして下さいね
うん そうするよ
老いた勇者と やさしい目をした竜は
ある日 そんな小さな約束をした


2019/06/01up  『冊』59号(2019年5月刊)に掲載
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2019年5月
「国の標語」パレード          
              
「自由!さもなくば死!」(希語)は
古代ギリシャから綿々と続く精神だが
侵略者だけでなく奴隷に対する侮蔑も含んでいた
祖国防衛に真先に赴く自由市民の勇気は認めるが 
実は奴隷になるなら死んだ方がマシ!の一念

フランスはむろん「自由 平等 友愛」(仏語)
断頭台の聳える空で 言葉は旗となれたのか
スイスは古くからの言葉を胸に抱きしめた
「一人は全てのために 全ては一人のために」
公用語と国名が四つの国なので公平にラテン語で

ケニアはスワヒリ語で「ともに働こう」
なんと対等で意志と連帯に満ちた呼びかけだろう
インドはサンスクリット語で今なお哲学中
「まさに真理は自ずと勝利する」

イラン、イラク他の「神は偉大なり」(亜語)や
アメリカ「我らは神を信ず」(英語)の国々よ
文明国なら そろそろ政教分離の潮時では?

戦後の日本は標語なしだが
大日本帝国は「大東亜新秩序建設」だった
歴代政府が新しい標語を作ろうとしないのは
帝国に戻る希望を捨てきれないからなのか

近頃では「戦争放棄」が日本の標語だと
全世界から誤解されているのがうれしい
地球のあちこちで「SENSO-HOKI!」が声になる
外人さんが訊く 漢字だと「放棄」?「帚」?
戦争を帚いてしまうのもいいね どちらも正解 
見えない標語がこの星を浄めていく

2019/05/01up 『詩人会議』2019年4月号に掲載したものを一部改稿

   
(注)上記の初出では第一連に以下の三行があったが、削除した。

  ドイツは「万国の労働者、団結せよ!」(独語)
  『共産党宣言』が下地なのにお咎めなし?
  反体制でもマルクスさんはお国自慢

数年前の「国と地域の標語」からコピーしたものにはドイツの標語は「万国の労働者団結
せよ」と「統一と正義と自由」であったので、片方を使ったが、このたびこの詩を引用し
ようとして疑義が出され、ある新聞社がドイツ大使館に問い合わせたところ後者が正しい
標語であることがわかった。ウィキペディアでも現在は後者しか載っていない。東西に分
裂していた時期に東ドイツで使われていたものか、などと憶測するが判然としない。とに
かく間違いであるので詩から削除した。他の国についても複数ある国もあり、そのひとつ
を使っている(たとえば米国)こともあること、またウィキペディアによるものなので当
事国からは不正確といわれるケースもありうることをお断りしておきたい。

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2019年4月
死ぬ死ぬ詐欺      
          

自らを「死ぬ死ぬ詐欺」だと
笑いながら語っていた老女優が
逝った
これで詐欺も店じまい

あんこを作るおばあちゃんの映画を観た
ひょこひょことこの世を横切っていく
ヘンなおばあちゃんを演じていた
見終わって 泣いていたら
そんな甘ちゃんでどうする
と言われているような気がした
甘い甘いあんこを与えておいて

映画の中で主役が死んだとき 
私は泣いたが
死を演じた当人はその日
もちろんどこかで生きていた
それが芸というもの

今日からあなたは
どこにも生きていないことになったが
テレビが伝える死に人は泣かない
映画の中で生きつづけると知っているので
それはもっともっと芸というもの

ただ 不思議なのは
今日は私が世界のはずれで 
とても幸せな日だったことだ
楽しく飲んだくれて深夜に帰宅して
老女優の死のニュースを聞いた
野球の試合結果を聞くように

そのように私が死ぬ日も
誰かが幸せの中をほろ酔いで歩き
静かな眠りに入れますように

変わった名はどのように読み解くべきか
樹木たちが希(まれ)な林になるのか
木ばかりの景色の中に希(のぞ)みが隠れているのか

「死ぬ死ぬ詐欺」の笑顔を見ていると
人々は訊かずにはいられなかった
「何かやり残したことは?」
申し訳なさそうにあなたは答えた
「すみません 私は別にないのね」
けれど そのあとちいさな付け足しをした
あるいはささやかな言い直しを
「あるっていえば果てしなくあるんです 人間って」

詐欺が一人消えて寂しいので
こんな夜には 役立たずの詩でも書こうか
ちいさな付け足し
ささやかな言い直しの先に
生きている の広がりが かすかに見える
そう
あるっていえば果てしなく

2019/04/03up  『澪』50号(2019年12月刊)に掲載

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2019年3月
赤いべべ   


今日も樹木は
百年前と同じ葉を身にまとっているので
流行遅れの感は否めない
だからおしゃれなヒト類とは友達になれない

一日中 炎天下にたたずみ
風呂にも入れなかったが
いつか雨だってやってくるだろう
その時は私から離れなさいヒト類よ
雷はなぜか私に抱きつこうとするのだから
いや 私が自分にも気付かずに
呼んでいたのかもしれぬ
地表から空に手を差し伸べて
数えられないほどたくさんの手を

大樹は 落雷の空洞を抱えて一人前
黒々としたうろから見上げると
青い空がみえる
神社の境内で赤いべべ着た幼女が
その中に入って遊んだあと
写真におさまる
幼女は百年前にも同じ衣装を着けて
そこに来たことがあると
樹木はかすれていく視界の中で思った
あの時もあの赤いべべを着てみたいと
思ったのだから
流行遅れ同士のほのかな恋であった

その日から
常緑樹であったその木は
百年着続けた葉を落とし始め
二度と緑が戻ることはなかった
木は死んでも倒れることができないので
しばらくはそこに立っていた

2019/03/01up 『RURKARAKUSA』9号(2018年9月20日刊行)に掲載

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2019年2月
恐竜のお菓子     
            

  
平和。戦いをもたらす敵意へと向かう静けさ
      ----プラトン「定義集」

自分の死んだあとには いつの日か
永遠の平和がくると信じる人たちの長い列が
今日も地上にある なぜなら人類は賢くて
進歩を続けるはずだから

けれど長い列の先頭には平和や叡智の姿はなく
わずかな食料や水を配る人たちがいる
列の中の赤ん坊はぐったりしている
たとえその子が死のうと順番は守られねばならない
それが人の背にならぶことの掟なのだ

平和は先頭ではなく 最後尾を歩いていた
体のうしろ半分が消えかかった恐竜の姿で
巨大な何かと格闘しているのではなかった
足から這い上がってくる蟻の大群に
背中から侵食されているのだ

歴史を空白にする平和は退屈だ
戦争の記録でなければ歴史は何の役にも立たない
だから平和はいつも背中から襲いかかられ
退屈な人間は恐竜をみると攻撃したくなる

恐竜の形をした平和は甘いお菓子のようだった
遠い昔の化石みたいなお菓子
それが崩れ 跡形もなく消え去ると
何事もなかったかのように 兵士の長い列が現れる
遠くから見ると人は蟻と区別がつかない

2019/02/01up  『民主文学』2018年11月号に掲載
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2019年1月
茶色            
     
お嫁に行く日が決まったから
マフラーを編んであげるとあなたが言う
夫になる人へ贈るから
それへの練習台だと念押しされた
何色がいい?

練習は実人生の航跡に残らない
自転車に乗れるようになったその時
行きたい場所があるのではなく
倒れずに走れるうれしさだけがある
練習の目的地は 練習のいらない場所
目覚めた新しい身体に着替える時がきたのだ

着替えて 私の前から飛び去る前に
あなたはしなくてもいい最後の練習をして
自分の形見を作ってくれた
幸せな日々をかみしめるように 俯いて
練習はみんなに見せなくてもいい
どこにも行けない自転車が置き忘れられ
ハンドルに温かいマフラーが結ばれた

こどもたちが何かの練習をしている
その姿はけもののように美しい
いつか新しい身体を得て輝くだろう
年老いた私は今日
人間を忘れないためのおさらいをしている
新しい身体の代わりに
新しい心をもらえるかもしれないと

遠い昔 私は微笑む練習台であったことがある
一生が終わったように悲しかったが
それでも 少しはうれしかった
ほんとは別の色が欲しかったけれど
おとなに見られたくて「茶色」と答えた

2019/01/01up 『詩人会議』1月号に掲載 一部改稿

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2018年12月
裏木戸     

時が流れていくのには慣れている

目にも見えず 音もしない
匂いがするわけでもない
肉体が打たれることもない
それでも流れていく

風ならさわられるのでわかる
頬ずりされたと思ったら遠ざかっている
生き物はそれを見送る 自分の背丈の空を
時は触ってくれないので獣たちはさびしい

背を屈めて裏木戸を出て行く影が見えた
思い出が通り抜ける細い道のはずれ
あそこから時が流れ出ているらしい

屋根で猫が尻尾を振り あくびをする
後いくつ寝るとお正月と子どもは時を数え
布団のなかであしたが 生まれる

こんなに慣れているものがもうすぐ止まる

2018/12/05up
『冊』58号(2018年11月刊)に掲載(一部改稿)
 日本現代詩人会アンソロジー(2019年刊)に収録予定
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2018年11月
私を忘れよ
        

生き物が自分のいる景色から去るとき
おのれに似た形の何かを残すのは
心やすらぐ光景だ
肉体を残すふりをしながら
魂も端のほうに置いていく

産卵を終えると死んでいく魚は
流れる水のどこかに姿を消し
親を知らぬ稚魚たちが泳ぎ出す
自分が水か命か
区別さえつかぬ透き通り方で

新しい似すがたが創られるのは
古いすがたが滅びへの許しを得てのこと
滅びは忘れられることで完成する
死者の安らぎは
自分を憶えている者が
もういないことの中にこそある

ヒトは親を忘れるために
ほかの種族より少しぜいたくに
悲しがることを許される
思い出は弱った心を温めてくれるから
だが それをも
少しずつ 消していくのが
よく生きる 子のつとめだ

墓など見当たらぬ清い春の水の中
しなやかに稚魚が泳ぎ出すように
子よ 私を忘れよ
わたしたちの川のほとりで

2018/11/01up  『詩と思想』2018年10月号に掲載

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2018年10月
十年たっても     

仕事をやめて十年が経つというのに
私は今日も会社にいる夢をみる
小さな業界のニュースを書いているのだ
原稿用紙には専門用語が整列する
言葉というより価格や戦略や商品名が

紙は殴られるように文字を受け止めている
2B鉛筆の芯が桝目を埋めると
一枚また一枚と 剥ぎ取られる
輪転機に行ってしまえ 商売の言葉たちよ
明け方に書き終わり 短い眠りに落ちる幸せ

定年退職で自由の身になったものの
夢の中では会社を辞められなかった

締め切りが迫っているのに取材のアポが取れない
なぜか時代遅れの電話ボックスで焦っている
番号を間違えるのでいつまでもつながらない
飛び込みで訪問しても顔なじみはみな引退して
浦島太郎の老記者は誰にも相手されない

同じ物語を幾度繰り返しても夢と気付かないのは
人はそこでいつも新しく 
かなしいほど本気に生きているから
今日こそ社長に言ってやるのだ 俺は出て行くと
だがそれができず 俯いて仕事をしている
死ぬまでこの夢を見続けるのだ 

目覚めるたび 深い安堵に包まれるのだが
そのために眠りの中には牢獄があるのだろうか

あの日々 叫ばず目を伏せてやり過ごしたので
バスティーユは永遠に開放されずに私の中にある
どの道を通ってそこに行くのか覚えがないが
深い夜が明け方につながるあたりで
霧の奥へと服役する

2018/10/04up   『詩人会議』2018年11月号に掲載
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2018年9月

隙間だらけの永遠      
         

嘘つきが発明した「永遠」を
信じるとでもいうのかい?
見たことないものを言葉だけで
産んだ誰かがいるんだろう
誰が産んだか知らないけどさ

すると あなたが言った
産むって痛いんだよ
赤んぼだって 言葉だって
痛くなれない男って かわいそう
永遠に待っていたって
あなたに赤んぼは来ない
それに もしかしたら言葉だって

あなたが覚えたことばは「待つ」だけ
私には「待つ」を消してくれる赤ちゃんが来たのに

男は待っている間
いつも背中をトントンされることを夢見る
遅れたね、と声がかかるまでは
絶対にそちらを見ない

でも 背中が待つのは
外から来るものでしょ

赤ちゃんでも言葉でも
生まれるときは内側からトントンされるの
見えない背中から誰かがくる
というのは すてきな物語だけど
見えない自分の内側から叩かれるのはもっとすてき
「ある」と「ない」の境目の静けさから
愛さずにはいられないものがやって来る
自分以上に大切になる不思議なものが

背中で待ち続ける人は
時には眠ってしまって
何かが訪れ また帰って行ったことに気付かない
そんなことが時どき起こるのが
永遠というもの
隙間だらけの永遠

その隙間で赤ん坊が泣いたり
見慣れぬ言葉が微笑んだりする
近頃 私の内側から送られてくるのは
それら全てと別れるための合図だけれど

見たこともないものを言葉だけで
産んだのは私だった
でも
少しは痛いこともあった

2018/09/02up  『澪』49号(2018年6月刊行)に掲載

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2018年8月



炎天下の広場に
老いた行者が
大きな甕とならんで座し
何かを祈っている
からの甕を雨水で満たしたいのか

人々は軒下に日陰をもとめて
それを伺っている
変わり者はどの世界にもいて
見世物になる
だが見世物に群がる心は少しだけ思っている
それが聖なるものに変わらぬとも限らぬと

手にいれていないものを語ることはすばらしい
ないことの手ざわりほど確かなものはない
こどもたちは それを得るための時間が
まだまだ続くと思うと 飛び跳ねたりした

手にいれたものを語ることは難しい
持つとは 有ることの不確かさに惑うこと
何かを得れば ひきかえに時が失われるので
残り少ない生をかぞえて大人たちはため息をつく

遠くで雷鳴がなる
どんなにかすかであっても
とどろきであることの威厳を失わずに
空はそれを聴くと
うつむくように暗くなる
雨が降り始める

広い大地は吸いこんだ雨水を
ひそかに地下へと逃がすのに
火に焼かれて甕となった土くれは
水を抱きしめて離さない
おまえをどこにもやらないと

ただ流れるだけの水がその時初めて
器の形を与えられ 
ひととき地上を生きる

気付けば人は誰もいなくなり
大小無数の甕が空を見上げて
広場を埋め尽くしている

2018/08/01up   『馬車』59号(2018年10月刊)に掲載

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2018年7月

不正報告

CT画像の中を 影がよぎると
技師の目が光って 患者の顔を覗き込んだ
ここに嘘が写っていますが?
錯乱した画面が「あなたは不正」を連呼し始めた

(その検査技師とはただちに親しい間柄となった
システムの最適化には底知れぬ沈黙が必要だ
優秀な人材には輝かしい未来を
傷だらけのファイルには修正パッチを)

我に返ったようにコンピュータはやさしく告げる
「修復が完了しました」 
ほっとしている隙に 何かが失われていく
君たちの知らないところで 問題は終わったのだ
真実はいつもそんなふうに気軽に上書きされる

コンピュータの「あなたは不正」も
慣れれば 別にこわくない
最初はちょっと ドキッとしたけどね

何年か経た今でも 時に誤作動の夢に襲われる
手術台の私を医師たちが取り囲み
「不正」を叫んでにじり寄る
患部が取り除かれなければ 治療は完了しないと
だがそこまでだ 誰も私にメスを振るえない
病巣はすでに不可視処理されているのだから
いつものように 悪夢は
セーフモードで刈り取っておく

美しいシステムに バグ(虫)は不要だ
私には使命がある あなた方とは違うのだ
蟻のように蠢くみなさん もうお引き取りを
「修復完了と同時に再起動が始まります
 再起動には時間がかかることがあります」
全画面 暗転

2018/07/01up 『詩人会議』2018年8月号掲載
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2018年6月

A 陽の下 地の上

もし一本の木と
一本の人間が並んで立っていたら
どちらが私か 当てて下さい
たくさんほほえんでいるほうが私です
夕暮れまではここにいます

2018/06/01up  『詩人会議』7月号短詩特集に掲載

B 目標

小さいころには
目標を持てといわれた
まだ人生がたくさん残されているので
いつか 何かになれると子たちは思う
おとなたちも いつかの話だから 
よくよく考えて決めなさい などと
やさしい無責任さでしめくくっていた

おとながこんなふうにお説教好きなのは
自分はたいしたことはできなかったけどね
というおだやかなヤケッパチに基づいているが
まだ人生は終わっていない
と希望を捨てきれない思いもあるからだ
夢の土俵ぎわで 今日も負けてしまったけれど

2018/06/01up 『澪』49号(2018年6月刊行予定) 扉詩として掲載

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2018年5月

紹介           

私を育ててくれた母は若く美しかったので
引揚者の父に妻を捨てさせた
私は乳飲み子で何も憶えていないが
焼け跡のバラックに四人の子どもと父と
二人の女性が死闘を繰り広げて同居していた
自分がいると子どもたちが殴られるので
生母は長女を連れて身を引いたという

育ての母は戦争未亡人だったと後に知った
祝言もそこそこに出征した夫は戻らなかった
男を得るには略奪しかなかったのだ
少年時代 両親の出会いを訊く宿題があった
「紹介かしらね」と彼女は恥じらって嘘をついた
恋愛結婚とは言いにくかったのだろう
だが たしかに紹介だった
紹介の労をとったのは 姿を消した戦争だった

2018/05/02up (詩人会議パンフ「いま、声を出そう!? 」<2018年4月25日刊行>に掲載)


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2018年4月

ガシャン

 あなたの性別と特性は自由です
 登録した後に詩を送信してください

そこで私は「女性B類」の分類ワクで登録
(A・B類の区別が何か 憶えていない)
世界的化粧品メーカーの依頼で詩を書いた
私の端末から送信すると全世界の電子掲示板に
瞬時に反映される手はずである
作者名は出ず「詩人・女性B類」とだけ表示される

時計は人が盤面をみると
ガシャンという音をたてて身をすくめ 泣く
という詩が全世界に流れた
これは私の夢の中では普通の現象だが
その世界では当たり前すぎて
誰も取り上げたことがない
異界からの旅行者として私が書いたので
感動の嵐を呼ぶことになった

その世界で当たり前のことは
誰も詩に書いたりはしないものだ
目覚めて
私はぼんやり机の上の時計を見たが
時計は泣いたりはしない決意に満ちている

こちらの世界では
時計は人のこころの中にあって
ときどき昔を思い出しては
ひそかに泣いたりする人があとを絶たない
だが 時計が心の中に棲んでいるという秘密は
当たり前すぎて
詩に書いても嗤われるだけだ

違う世界から帰ってきてみると
この世の時計と同じに
私もかすかな音を発する物体にすぎなかった
「女性B類」に登録された私はどこに消えたのか
そういえば 私は生まれてこの方 
化粧というものをしたことがない
化粧品メーカーのために詩を書いたのだから
死ぬ前に一度くらいしてみようか などと思う

夢の敷居をまたいでこちらには来られなかった時計が
遠くに見える
私がその盤面を見ると
ガシャンという音をたてて身をすくめ
泣いた 
泣く時は そういう合図が必要なのだ

2018/04/02up

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2018年3月

上野     

物心が付いたパンダの幼児に
公開されたのは人間たちの方だった
柵の向こうをぞろぞろ移動しては
口々に何か言ったり笑ったりしている生き物の影
これが幼い獣の眼に映る 世界の全てである
死ぬまで 毎日それらを見る
決まった時間に食べ物を与えられて

パンダの仔よ おまえがいるのが都会だ
この列島のいたるところから来た若者たちが
ふるさとの訛りを捨てた停車場の街
「恩賜」とうたわれた動物園の小獣館で
おまえは裸で「展示」され
母親譲りの訛りで唸り声をあげる
付けられた名は芳ばしい黍の香りがした

目と鼻の先の東京文化会館で詩の朗読会があり
小さな会議室で私も詩を読んだ
香香(シャンシャン)と茨木のり子と私は同じ誕生日で
「恋人の日」だとの前置きは受けたが
詩のほうは誰も憶えてはいないだろう
それでよい 詩は生きた時を流れて消える
ただ その日
かすかにおまえの香りが漂ってきた
言葉のないヴォカリーズのしらべに乗って

同じ上野のどこかで
おまえは母親に甘えてでんぐり返りをし
私はすぐに忘れられる詩を元気に朗読
それが都会の中心というもの
でなければ
誰も行ったことのない町はずれというもの

どこからか 笹の葉音が聞こえる

2018/03/02up   『詩人会議』2018年4月号に掲載

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2018年2月

鉄棒のわきで

少年時代 逆上がりは難なくできた
鉄棒の上で足を伸ばすと
遠くまで世界が見える気がした
自分が生きているかどうかを知る前に
気付けば 体が音楽にはずんでいた

今日 わたしは逆上がりができなかった
音楽がこの身体を去ったのだろう
しかたなく地面を蹴って鉄棒に乗ってみた
懐かしい少年を認めて 景色が少しさざめいた
お調子乗りのあいつが来ているぞ

上ったら降りなければならない
くるりと一周して地面に戻ってくると
世界が私のなかに落ちてきた
大切な 
とてもたいせつな一日の朝となって

逆上がりができなくなった老人が
鉄棒に片手をかけて
さっそうと立っている
できることがまた一つ減った私を
笑いをこらえてお前が見ている

2018/02/01up 『冊』57号(2018年5月刊)に掲載
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2018年1月

言い終えた 君の番だ
                             
ミサイルは未到着 もう発射したのか どうぞ
お互いこれが最後の交信だぞ どうぞ
ボタンを押したのならそう言え! どうぞ
聞こえないふりをする嘘つき野郎め どうぞ
品位なき前言は取り消したし どうぞ 
言葉のように爆弾も取り消せたら どうぞ
応答を信じ しばし語りかける どうぞ
私は沈黙した領土図でも日章旗でもない どうぞ
私は地球の息 そこに生きる生物種 どうぞ
おまえだってそうだろ どうぞ
言葉は地上にあと少しだけ残されている どうぞ

私の乗った列車車両で 小さな女の子が
座席に座った父親の膝をクライミング中 どうぞ
登頂された山が娘をだっこした どうぞ
ズックをぬがしている どうぞ
子どもは窓に両手と顔を付けている どうぞ
あと何秒でその窓に到着しますか どうぞ
窓 ウィンドウです 分かりますか どうぞ
マドなんだよ マドだ! どうぞ
ガラスに顔をつけて少女が待っている どうぞ
昔はそこから未来がやってきた どうぞ
いま 光った どうぞ   …そして気付いたよ
応答がないのはそちらが先に滅んでいたからか

俺は「どうぞ」、おまえは「Over」と結んだ
<言い終えた 君の番だ>の略だ
たまに変な発音の「ドウゾ」が返ってきた
今日は俺がおまえを真似てやる「オーヴァー」と
だが意味は違う 自分の番が終わったんじゃない
世界が終わったんだ 
歴史は読む者のいない文字を地中に遺すかもな 
交互に言葉を発する直立動物が地表にいたと 
相手が話し出すのをじっと待つのが好きだった
待てなくなった時、滅びたんだってな 
応答はいらない これはただの口癖だ どうぞ


20180108up    『詩人会議』2018年1月号に掲載

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これより以前の「今月の詩」を読みたい方は下記のリンクで行けます。
2013年1月~2017年12月 OKの今月の詩
 


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