上手宰(かみておさむ=ok)今月の詩

2024年9

さよなら、カッチーニ 

大切にしまいこまれるものは
今なくても困らないもの
忘れられた暗がりが宝物を育てる

一生かかって探そうと思っていた
気配のようなものが手に入ってしまった時も
いつまでもそれに触れていてはならない

長いひきだしにコトリと置いて
光の届かない暗やみへ押しやる
もうきっと開けることもないだろう

そのひきだしは棺に似てやさしかったので
大切なものをしまうのだと言って
みんなが人を捨てにきた

さあ 終わった
自分にも知られぬ秘密を隠しおおせたら
私はどこへ行こうか

そうやってヴァヴィロフは死んだ
自分が作った美しい曲を作者不詳と言い張って
カッチーニの名が冠されたのはいつ頃からか

誰も開けたことのない
ひきだしが人しれず 歌っていることがある
かすかに涙をうかべるほど 幸せそうに

*ウラディミール・ヴァヴィロフ 1925年、ソビエト(旧ソ連)に生まれ、サンクトペテルブルク(当時はレニングラード)
音楽院に学んだギタリスト・リュート奏者。自分の作曲した曲をルネサンス時代の作曲家の未発表作品として演奏した。特に
有名なのが当初作者不詳とされのちに過去の作曲家カッチーニ作と言われるようになった「カッチーニのアヴェ・マリア」で、
三大「アヴェ・マリア」に数えられるほど一般に親しまれている。自作と告白することなく1973年没。

2024/09/01up

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2024年8月

よその国の憲法
             
武器を持つ自由とは 人を殺す照準を心に宿すこと
十字上の顔を冷静に憎み トリガーを引けば 
この世から人がひとり消える

125メートル先の屋根から発射音が響くと
頬と耳を朱けに染めた男が 振り返りざま拳をつきあげた
消される運命をかわし 神に祝福されし者となったのだ

狙撃されたから銃規制?愚かなことを
標的を耐えた肉体こそ この国を統べるにふさわしい
ここは民が自由に武器を持つ反乱の国

もうすぐ投票がある
銃は留守番していて 代わりに人が投票にゆく
老人のように壁に寄りかかる銃の 眠りは浅い

腕はすなわち武器(Arms)だと母語も憲法も語る 
紙で国の行先が決まる形式は風前の灯だ
独裁と武器だらけの地球は活気にあふれている

ところで 狙撃者は瞬時に射殺されたはずなのに
この照準を覗いている君は誰だ

 *規律ある民兵は、自由な国家の安全にとって必要であるから、人民が武器を保有しまた携帯する権利は、これを侵してはならない。―アメリカ合衆国憲法修正第2条
A well regulated Militia, being necessary to the security of a free State, the right of the people to keep and bear Arms, shall not be infringed.

2024/08/01up  

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2024年7月

疵ありの幸せ

この幸せには小さな疵がついている
これじゃだいなしだな 捨ててしまおう
幸せはひとりにひとつ ときまっているから
捨てればまた完璧な幸せの予感が遠くに生まれる

今は「ない」けど完璧な幸せはお姫様みたいに
遠くのお城で孤高に寝起きしている
今身近に「ある」けど疵付きの幸せは
自分を恥じていつも誰かに謝ってばかり

「幸」はもともと 死ぬべき時にそれを免れること
の意だと辞典の〈解字〉が言う
上部の「夭」(若くして死ぬ)を
下部の「屰」(反対の意)がくつがえしたのだ

生まれてじきに消えた無数の子どもたちが
「幸」の字を育てた
自分が得ることのなかった「しあわせ」を
短かった「一度きり」から見送ることで

大きくなれたなら「幸」は逆立ちしようが
左右に寝返りを打とうが「幸」のまま
「辛」に「一」を足せば「幸」の俗説も楽しい
しあわせはこの世で元気だ

疵は目だけが見るもの
抱きしめることしか知らない幸せは何も見ない
完璧な幸せは人を抱きしめたことがないので
高いお城の奥深くで とっても退屈

2024/07/12up

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2024年6月

パヴァーヌ          

はるか先まで続く長い階段を
逆さ向きで降りていく人たちは
階段をおそるおそる降りる幼児のようでもあり
見知らぬ競技のスポーツ選手のようでもあった
みんな手を前に出しているので
ピアノを弾いているように見えた
彼らの鍵盤から音楽が空に響いた
「エディット・ピアフへの讃め歌」を演奏しながら
目を閉じ降りていく人
ジョルジュ・ブラッサンスの「通行人」が鳴れば
空を人々が静かに行き交った
時々 踏み外した手が何かにしがみつくように
不協和音を響かせたりもした
誰もが笑顔で私を見上げながら
遠ざかって行った 音楽のしずくを残して
その先はもう日暮れの水平線だぞと
私が叫んでも誰も止まる者はない
彼らを追って
私だけが前を向いて下りていく
タップダンスのように賑やかに
「いつわりの無頓着さ」と名付けた即興曲が
若い私の足から湧きあがる
踊りたかったのはこんなのじゃない
と階段を蹴るのだが
誰にも追いつけない
だが突然階段が終ると
そこから先は永遠の平地が広がっている
「亡き王女のためのパヴァーヌ」が響いてきて 
優雅な踊りがさざ波のように広がってゆく
何処までも続く競技場で 人々は
足から夕暮れに染まりながら微笑み
手招きしている
追わなくてもよかったのだ
誰ひとり空へ戻っていこうとする者のない
取り残された階段が
オーロラを仰いで いま起床する

 *パヴァーヌは実際に踊られることはなくなり、音楽用舞曲としてのみ残っているらしい。
ただそのステップは結婚式のいわゆるヴァージンロードを歩む花嫁とそれをエスコートする
父親の「ためらいの足取り」に見られるという。

2024/05/28up 

詩人会議の実作合評会「詩作2024」(05/25)で批評を受けた作品。
(上記の会は月一回、土曜日の午後、詩人会議事務所(JR大塚駅下車徒歩5分)で開催。
 次回は6月8日13時~ 10人程度のこじんまりした会です。
 どなたでも参加できます。参加費5百円〈会場での詩のコピー代含む〉)

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2024年5月

上手宰 短詩集

問題。下の3篇の短詩のなかで、『詩人会議』2024年7月号短詩特集に
提出した作品はどれでしょう。

見送り

何かに通り過ぎられる寂しさは
標識ふうに立ち尽くしてみるとよくわかる
通り過ぎていく背中が自分だと気付いても
追い抜き返したりしてはいけない 
お前は行け 私は遠さを測る杭となる

春の林
           
うぐいすが啼いている
地べたの蟻たちにも聞こえているか
ご馳走が尽きれば虫たちを襲う
巨大な小鳥たちの嘴も 今は愛に忙しい
お互い 春だ

まだ残りがある

笑うにも怒るにも顔だけでいいが
生まれたての赤ん坊が泣くには涙が要る
それだけは持たされてこの世に来た
全部使い切ったら元居た場所に戻る
まだ残りがあるので 時々隠れて泣いている


正解は『詩人会議』7月号の刊行(6月初旬)までお待ちください。
どれが掲載されたか、以上にどの作品がよいと思ったか、を知りたいので
お好きな作品があればご投票ください。

投票方法は以下の方法のいずれかにて。

①上手のメールアドレス kamite.osamu@gmail.com に書き込む
②mixiのマイミクさんは詩の紹介の日記にコメント、もしくはメッセージ欄に書き込む


結果を公表する場合は投票者のお名前は出しません。先日、詩人会議の実作合評「詩作2024」で感想を聞きました。
その時掲載作品はお知らせしてありますが、その時投票していただいた方に再度投票していただいてもかまいません。
(その時よりタイトルを一部変更しました)。

2024/05/01up   上記のいずれかひとつが『詩人会議』2024年7月号に掲載。

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2024年4月

おまえはあたらしい  

蝶がとんできた
あれはあたらしいもの?
いえ あれはとてもふるいもの
わたしがうまれるより
ずっとむかしから
この星をとびまわっていた

人があるいてきた
あれはあたらしいもの?
いえ あれもとてもふるいもの
わたしがうまれるより
ずっとむかしから
この星をいったりきたり

わたしもふるいものたちのなかへ
まぎれていこうとしていたのに
あなたと会ったらなぜか
あたらしいもののふりをした
そのときから私は死すべきものとなった

蝶が花のうえでお行儀よくしていられずに
そらからずれ落ちそうにみだれとんだ日
そのまま舞いおりた草はらが
わたしたちの星となった
その草はらでは うまれてくるものと
死んでいくものとが 笑いあってくらしていた
あたらしいものにだけゆるされた死が
近づいてくると だれのこころにも
しあわせ感が残り火のように湧きあがるのだった

いのちがきえたふるいものは
ちがうかたちでえいえんをいきる
それはそれでたいせつなこと
みんなにおまえはあたらしいと教えるために
ことばや意味や記憶へと姿をかえ
この星をしずかに移動していく

蝶がとんできた
あれはふるいもの?
いえ あれはこのうえなくあたらしいもの
ことばになんかならないよと笑いさざめき
美しいりんぷんや匂いをふりまいては 
じきにいなくなるもの
風だけがそれらを抱きとめて
わざとどこかに置きわすれにゆく
この星のふるいもの のよゆうをみせて

2024/04/01up  『冊』69号(2024年5月刊)に掲載。

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2024年3月

いらない日々のあいだに 
         
人生はいらない日々のあいだに
楽しいことが落ちている長い道にすぎない
その楽しみがどんなにささいなものでも
近づいたら思わず駆け寄り
両手で抱きしめずにはいられない

その日が待ちきれない子らは
「あといくつ寝るとお正月」と歌う
寝ることが時を消し去ることを
すでに知っているのだ
なくてもよい日々はどこかへ追いやられる

不満だらけの人生をかこつ時期にも
目覚めれば 生きるに値する道が
朝の中をどこまでも続いていたのが不思議だった
だが今朝 妻の声に目をあけたら
朝の中の道が 少し先で消えていた
その消え方が妙にいとおしくて
この世がまた好きになった

楽しいことが落ちていなければ
いらない日々と思っていたものは
やさしい風も吹きぬける小径だった
目的地など最初からなかったと気付けば
歩いているだけでうれしい動物に戻る
蟻やもぐらだって棲まわせている土の道だ
ぬかるむことだってあるだろう
滑って転ばぬようにね
切れ目から遠くに輝くものが見えた
あれはきっと海だ
道も川も果てるところ
拾い集めて私の中にぎゅうぎゅう詰めになった
楽しいことを あの輝きの底に沈めに行く

道はなお続いていて 光る何かが私を手招きする
あなたの宝物に加えてくださいと
欲張り爺さんになって道端にかがみこむと
ちいさな背中に木漏れ日が踊る

2024/03/01up 『澪』57号(2024年4月刊)に掲載

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2024年2月

練習問題

私が古典ギリシャ語で暗記した最初の文は
偉大な英雄や賢人の名言ではなく
入門書の練習問題の一行だった
正答したので赤鉛筆で〇を付け手帳に書き写した
野外朗読会で得意げに暗誦さえした
自作詩の前に 五秒間だけ
ワケの分からぬ発音がスピーカーから流れ
私の心の空ではギリシャ文字が
鳥のように江戸川べりを渡っていった
「へー トゥー ポイエートゥー エピストレー
エケレウセン エイレーネン アゲイン」
日本語訳がそれを追いかけた 
「詩人の手紙は平和を守ることを命じた」

私の一生も練習問題のように過ぎた
過去はみな易しいドリル帳に見えてくる
本当はそのときそのとき大変だったのだが
それに 間違ったとしても生は生だ
大戦が終わり血や瓦礫が掃き清められた草地で
おとなたちが「平和」の練習をしていた
誰も恥ずかしがったりしなかった
だから子どもの私たちも真似をした
あれから一度も戦争をしない国で暮らしてきたが
己の一生に〇を付けようとしてその手が止まる 
遠くで低い爆発音が響いている

練習問題の中に住んでいた詩人が姿を消したのは
安物の住居を恥じてのことだろう
だとするとそれを暗誦する私の立場はどうなるのか
それでも時々ひとりで口ずさんでみる
エイレーネン アゲイン:平和を守ること と
世界中の言語の数だけ その言葉はあって
人々から抱きしめられているはずなのに
人間という動物にはなぜか一番遠い夢らしい
忘れていたら練習しよう 自分の声を聴いてみよう
詩人が平和を命じることはできない ただ希うだけ

2024/02/01up

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 2024年1月

モダンな帰り道    

私たちは打ち寄せる波として生きた
初めのうちは校舎に打ち寄せたが
どれも卒業すると会社に変わるきまりだ
朝やってきた波は大きな容れ物を満たしては
日暮れには引く波になって帰って行った 
遠くにあるそれぞれの小さな容れ物へと
そして水滴になって眠った
そこへの帰り道 わずかな自由の隙間で
友だちに会ったり恋をしたりした
飲めなかった酒が飲めるようになると
思いきり飛翔しようと試みては墜落した 
痛いアスファルトがひんやり抱きしめてくれ
アルコール漬けの翼ごと電車で運ばれた
詩から逃れられない体質なら
車内で鞄をごそごそ探して鉛筆と手帳をさぐり
やってきた言葉を捕まえるのに熱中してればいい
街灯の下で文字を書きつけるのもご自由に
そんな帰り道が私の人生になった
だが今夜は鉛筆を探す暇さえなかったではないか
そもそも私は電車になんか乗ってないし
駅につながるアスファルトも歩いていない
瞬時にワープして自室にいる自分を発見しただけ
その直前までどこにいた?
みんなと一緒に居たその場所がどこにもない
「退出します」の呪文とともに一人になる
残りかすのように茶碗に酒が残っていて
キーボードが欠伸をかみ殺しながら言う
お前はずっとここに居ただけ
アリバイが欲しけりゃ俺が証言してやるとも
画面に語りかけたり笑ったり
一人芝居していたお前の横顔を
どこにも行ってないお前には帰り道もない
翔ぶべき空も倒れ込む大地も時代遅れになった
水滴の眠りだけがなお続くだろう
みんなの心から居なくなる時は上品にな
瞬時に そして「はるかかなたに(remote)」

2024/01/02up 『詩人会議』2024年1月号に掲載

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これより以前の「今月の詩」を読みたい方は下記のリンクで行けます。
2018年1月~2023年12月

 

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