詩集『香る日』から

第五詩集『香る日』は2013年7月14日、ジャンクション・ハーベ ストから刊行され
ました。これまでの四冊(及び一冊の選詩集)は全て自分で編集しましたが、今回
はジャンクション・ハーベストの柴田三吉さんと草野信子さんに制作していただき
ました。とはいえ、前詩集以後の作品は約100編ありましたので、35編を私が粗選
りしてお渡しし、そこから24編を選んで構成・配列の全てをお任せしています。深
く感謝申し上げます。また初めての並製の本となりました。装丁は草野信子さんが
ご自身撮影の写真を使ってデザインしてくれました。

この詩集の特徴は特にはありませんが、年をとったこと(65歳直後に刊行)、60
歳で定年退職した後に書かれた詩が多いので気持ち的に落ち着いていたという
のが特徴と言えばいえるかもしれません。長い時期を生きてくると、失うことも多
いですが、生きてきたことの中で得た喜びも感じることができるようになりました。
そうしたものを描きたいという気持ちは人生の残り時間が少なくなるほどにつよく
なってきているようです。                              (2013/08/27up)

カバー装画 草野信子
...............................................................................

詩集の構 成(目次)

序詩 裏地
1
フーガの技法
香る日
平行のきれはし
舞台裏の椅子
静かに置かれた時計
目次の門
文庫本片手に
砂時計
老人の涙
2
潮干狩り

セイレーンの歌
さびしい模型
哲学史
屋上の声
永遠のしまい方
3
水たまりに落ちた星
落としそうになると
井上陽水
判定
気付かれぬ時間
隠された笛
再現

...........................................................................
序詩


裏地
          

何かをふかく諦めた
そんな夢から目覚める朝がある
思い出せない気配のようなものが
おぼろげに香って私の心をよぎっていく

眠りの部屋を出る瞬間
夢の衣装は朝の光に溶けて消えるのに
思い出のような影が去りぎわ
ふと立ち止まってこっちを見ていた

手が届きそうで触れられない何か
もっとも近くまで行きながら失ったものは
人の深い眠りの中にいくども訪れるのだろう

失ったものの堆積が、この世の幸せという裏地をつくる
誰に見せることもなく 華やかさもないが
生きることの温かさがわたしを包み込む朝だ

?から

香る日

虹が咲いた雲にかかった木はよい香りがする
と古代ローマの著述家は記している
それは誰にもすぐわかるので
虹に打たれた木と呼ばれるのだと* 
   
大男のきこりが山に足をかけ
巨大な斧を振るうと
雨上がりの空に色鮮やかな弧が描かれた
あれは
失われる ということを教えるために
空に遣わされた虹
人々に見つけられるのを待っては消えていく
大男が去った森には
打ち下ろされた斧だけが残されている

あなたたちには見えないか
太い幹に打ち込まれた光る斧が
斧を包み込むまあたらしい傷口が
傷口だけが香るのだ

その時からだ
樹木が虹をまねて
自分の奥深くに年輪を隠し持つようになったのは
だが誰もそれを見ることはできぬ
いつかまた木こりがやってきて
その木を伐り倒す日までは

人も木も やわらかな風のなかに
かぐわしく香る日がある
虹はもう消えてしまったのに
虹に打たれた者であることはけっして消えない
それがわかるように香る日がある

*プル タルコス『食卓歓談集』(『モラリア』所収)より


舞台裏の椅子

舞台裏の椅子に私は腰かけていた
ピアノを演奏しているあなたが
視界のはじに見えた
最後の一音が鳴ったと思ったとき
私は瞬時まどろんだ
目をあけると
あなたが泣きそうな顔で去って行くところだった
声は聞こえないが
ひどい!
と 口の形が私を責めていた
椅子を蹴ってそのあとを追ったが
あなたは振り切って先に行ってしまう
聴衆の拍手は鳴りやまない
眠ってしまった裏切り者にしるしを刻みたくて
拍手はいつまでも続くのだった

忍び寄る睡魔に負けて一瞬
老人は浅い眠りの浜辺に倒れこむ
長いあいだ生きてきた疲れが
湧き上がる潮騒に洗い流され
まぶたの水平線は
失われたものたちを沈めた海を閉じる

そのわずかな時間に
遠ざかっていくあなたは
追いつかれるのをいやがって
逃れる姿で月桂樹になったダプネーのようだ
樹木の肌を背中として残し
顔と差し伸べた腕を音楽の中に溶け込ませた姿勢で
私を置き去りにする

老人のまどろみは
世界に向かって頷くように幸せそうだが
本当は
飛び立つ者たちを黙って見送ろうと
うつむく影たちの儀式にすぎない

私が今朝みた夢の主役は
あなたと私ではない
音楽の終わりと
人が去ったあとの椅子である


静かに置かれた時計          

コイルに磁石が近づいていく瞬間
電流が生じ
遠ざかっていくときには
逆向きの電流が流れる

私が学校で学んだ
最も美しい神秘の法則だった
人が人に接近していく時と
離れていく瞬間に生まれる愛に
それはとても似ていたから

地球はとてつもなく大きな磁石で
その中で人や動物が駆け寄ったり
逃げ回ったりした
あらゆるものにプラスとマイナスが発生し
引かれあったり 退けあったりしている不思議さ
始原の時から人がしてきたことといえば
その二つの極の間で
笑ったり泣いたりすることだけだったのか

年老いて薄い文庫本を読んだ
アインシュタイン著『相対性理論』
それはコイルと磁石の間に生まれる愛の物語に
別の角度から光を与えたものだった

私には難しい本だった
だからあなたにうまく説明してあげることはできない
けれど ひとつだけ憶えていることがある
光が駆け抜ける宇宙の中にたくさんの時計を仮想するとき
この物理学者は形容詞を付けて呼んだのだ
「静かに置かれた時計」と

省くことのできない理由があったのか
言葉の透明さに惹かれてただ繰り返してみる
「静かに置かれた時計」と
そしてかすかに思い出す
それは時刻を知るためにあるのではなく
遠さをはかるために置かれた里程標であったことを

心の遠さをはかるために
相手の心のところまで歩いて行ったりしてはいけない
ましてやその距離を埋めようとして
抱きしめたりしては

どこにも行けない「静かに置かれた時計」だけが
私たちに与えられている
とおい昔にあなたの横を通り過ぎたひかりが
いま私にたどりついた
離れた時計は違う時刻をさして静止している
電磁場のかすかな乱れが
治癒した肺の影のように記憶されたまま


目次の門    

本を読もうとして
目次の門さえくぐり抜けられない
目の前に広げられた本の読み方さえ
私は忘れてしまったのだ
間もなくその日がやってくるという予感のなかで
今朝も私は文字を習い憶えている
地面に砂をまいて
くり返し そこに指で書くのだ 
指先から押し出されていく文字が
地を飾っては すぐに消される

文字から目を上げて世界を見ようとすると
日は翳った
めがねに文字のかけらが付いたに違いない
小さな黒い汚れを息で吹き飛ばすと
世界は素晴らしくクリアで明るくなった
そのように光を浴びながら
私は焼け死んだ

それでもときどき
暗がりで死んでいる私を
ことばが起こしに来てくれることがある
そのまま朝を迎えるたび
自分を見失いそうになるのだが
(私はなぜ目覚めているのか
生きていると錯覚してしまうではないか)  

見たことのある景色にたどり着いた
立ちはだかる目次の門が
文字の群れとして聳えている
今はもう読めない その中のいくつかを
私は砂の上になぞったことがある

道端にまいた砂はいつか砂漠に育っていた
刻まれた風紋はタトゥーのようにやさしげなので
私の指先は風であったのかと疑う
書物の都は無言で砂に埋もれていった
預言は成就されなければならないからだ


文庫本片手に 

吊革につかまり
文庫本片手に年老いた

死ぬまでにこの二行を使った詩を書こうと思った
勤め人になったばかりの若い頃に

青年の私が「年老いた」と書いた時
その言葉は詩に育つ可能性に満ち
光るレールのように
どこまでも延びていった

この歳になって同じ言葉を発すると
レールは生い茂る夏草に抱かれるように
置き忘れられさび付いた
引込み線に変貌する

その上の車輌の形をした透明な空間に
吊革につかまった私が浮かんでいる
もう列車はどこにも動いては行かないのに
それに気付かず
私は文庫本に読みふけっているようだ

いやそうではない
電車は今も昔も動いてはいなかった
時に 文庫本から目を上げると
車窓の景色が流れ去っていくので
自分がどこかに運ばれているような気がしただけだ

窓の外を流れていったものたち
あれが歴史というものだったのか
私はそれを見るために
ここに立たされていたことに気付く
そして歴史とはいつも
そこに人々が住む街並みなのだった

そのうち 透明な車輌の空間が混み合ってきた
手がちぎれるように痛い
吊革につかまっているのもやっとだったので
文庫本は
私の手から離れどこかへ落ちていった
動かない列車にも終着駅はあるのだろうか
しかし今は
それはどうでもいいことのように思えてくる
私がこの車輌を降りるところが駅であり
駅を抜け出ると
やはり街並みが広がっていることだろう
窓枠だけがなくなっていて

?から

潮干狩り


瓦礫の中に家族の写真を探す
何十年と一緒に暮らしたのに
一枚の写真がないために
思い出す顔はぼやけて
私はおまえの笑顔を抱きしめることもできない
抱きしめた手の感触はなくても
声は聞こえてこなくても
その写真にほおずりしたい

赤児の時から写真はありあまるほど撮った
アルバムに貼りきれずに
箱に無造作に入れておいたプリントたちは
時間に撫でられて心もちしなっていた
写真は防腐処置をほどこされた死だ*
成長するたび脱皮していく子どもたちは
無数の死を抜け殻として残す
浴室の手前に脱ぎ散らかされた衣服のように

遺体が見つかったのだからまだ幸せだと言われて
頷いている家族もいる
声が出ない分だけ大きくおおきく頷いて
一面瓦礫の原にポツンと停まっている車の
陰に駆け込んで泣いている
そんな悲しい「しあわせ」の較べっこに
それ以上 誰が声をかけられよう

これだけ探し回ったのに生き死にもわからない
せめて何か形見でも とうつむいて探す人影は
遠くから見ると潮干狩りをする人々のようだ
春がいつものようにやってきた かのように

砂の中から丸々太った浅利はいつ出てくるのか
どんなに泥で汚れていたって
その写真の中では
家族みんなが笑っている

*スー ザン・ソンタグ『写真論』

セイレーンの歌  

その歌声を聴いた者は
あまりの美しさに引き寄せられ
恍惚のうちに最期を迎えるという
船が難破し漁師や船員たちが戻らないと
人々はセイレーンの名をささやいた

地上に海がやってきた日 
彼女もまた現れたのか
美しい星空を見上げ
冷たい海水に漬かってその歌を聴いた者は
新しい朝を見なかった

本当は逆なのだという人たちもいる
海上でただ死を待つ者たちに寄り添い
末期の苦しみを喜びに変えるために
彼女は歌ったのだと

セイレーンはいつからか
「サイレン」に生まれ変わった
人を招き寄せる美しい歌声ではなく
遠ざかれ と叫び続ける警報音に
あの日もそれは災厄を告げて鳴り響いた

「ただちに高台に避難してください」
一人でも多くの人に と放送を続けて
命を落とした少女がいた
街の空に響き渡ったその声を
生き延びた人たちは胸に刻みこんだ

セイレーンの歌を聴いて死ぬことを免れた
ただ一人の人間、オデュッセウスは
二十年の漂流のはて故郷にたどり着いたが
津波と放射能に追われた「美しい国」の民は
いつ家路をたどることができるのか
春は今年もやってくるというのに

哲学史   

古代ギリシアの哲学者タレスは
ある夜、星に気をとられて溝に落ちた
ともの老婆に大声で助けを求めると
彼女は応えたという
タレスさま、あなたは足下にあるものさえご覧になれないのに
天上のものを知ることができるとお考えなのですか

愛すべき老婆よ
足下からあなたの大地が
どこまでも連なっていきますように
あなたが地上から落ちたりせず
賢者が愚かな行いをした時には
こごとを浴びせつつ手を差し出してあげられるように

近ごろ、地上は機械仕掛けが進んでいる
川の水ではなく鉄の道が流れていたり
金属製の階段が斜めに上昇したりするので
跳びのるのがたいへんだ
先日も 乗り込むべき箱が消えていたので
暗やみに墜落して人が死んだ
彼の名前がタレスであるかを疑った人は少ない
誰もが哲学史を学んでいるとは限らないからだ

四角柱の形をした暗やみの底で
男は携帯電話を握りしめて倒れていた
彼の見入っていた画面の奥には
星と同じほどの遠さがひそんでいたのか
闇は星を見ようとする者をやさしく引き寄せる
明るい場所から星は見えないよ
こちらへおいで と

老婆の信じていた頑丈な大地は
私たちをなぐさめる
たいらかな大地は地平線までも続くのだ
そのどこかに定められた死が地雷のようにうずくまり
私の足裏がそこにたどり着くのを待ちわびているにしても

遠いものを見ようとして足を踏みはずす
そのことのない日々を
時々恥じて
私は生きている

?から

水たまりに落ちた星

もう歩くのがいやになったので
星を見ようと地面に寝っころがった
すると昔なじみの雨が空からやってきて
俺は水たまりになってしまった

その水たまりを
起こそうとするのは誰だ

いつまでたってもバカなんだから
どしゃぶりの雨の中で
どんな星が見えるっていうのさ
こんな雨の中で寝ていたら
肺炎で死んでしまうよ
そんな散文的なお説教なんか呟いている

あの日 汚い水たまりを
背中におぶって歩いたので
おまえはそのあと
いいことがひとつもない

俺を水たまりのままに放置して
帰っていくクールさがあれば
おまえはもっと幸せになれただろう
俺にしたって
顔を叩かれたかったのは雨粒で
おまえの掌じゃない 
冷たい水が背中にしみ通っていくのだって
気持ちよかったんだ

それでも俺は起きあがった
やさしい気持ちでしてくれることには
人は従わなくてはいけないんだ
ちょっとだけおんぶされたけど
そのあとはふらふらと
自分の足で歩いていった
人間にはどこか帰るところがあるものだ

だがこれだけはほんとうだ
どしゃ降りの中でも
星がひとつ
水たまりになった俺に落ちてきた
その水たまりを背負ったので
それがお前の背中に転がった
今もそれを付けてお前は生きているんだろう
世界中で
おまえだけが見ることのできない
きれいな星なんだ

井上陽水    

妻は私の妻になるまえから
井上陽水が好きだった
そして
結婚する前も したあとも
陽水と私はずっと歳が同じだった

歌は歌えないけど
「傘がない」という詩くらい書けるさ
そう思って生きてきた あれから40年も
あれは誰にも書けないことばだったのに

私の初めての赤ん坊が泣きやまないとき
陽水の歌が流れていた
「人生が二度あれば」と
あやうくそれを信じそうになった三十歳の私だった
親たちはもちろん
人生は二度いらない と微笑んでいた
年寄りのほほえみはなんであんなに
水に拡がっていく波紋のように静かなのか

陽水は親父さんの歳をまちがえて歌ったが
ライブコンサートだったので
そのままレコードになった
針を落とすと
今日もまた まちがえて歌っている
やさしい声で

かぞえ間違いされるほど
たくさんの歳をもらえたのだから
よろこばなくてはね
パチパチと音をたてながら
古いレコード盤がいう

その黒い盤面が湖面のように見えてきて
底のほうに夕暮れが漂い始める
服を汚したちいさな子が泣きながら歩いてくると
どこからともなく陽水の声が響くのだ
「さあ泣かないで家にお帰り
今日の日はすべてがこれで終わった」*

べそをかく子にハンカチはないのだし
愛する者のもとへ急ぐ若者は
永遠に傘を与えられることはない
妻は私の妻になるまえから
井上陽水が好きだった
それら全ては
誰かが描いた絵のように自然なことだった
陽水と私の同い年関係もなお続行中である

*井上 陽水「家へお帰り」から。


判定

知りあいに似た顔に町中で出合う
その人ではないかと
近づいていくあいだ
似ている要素はどんどん大きくなっていくが
ある瞬間
一つの要素が決然と言い放つ
違う と

たくさんの「似ている」を
押しのけて
たった一つの「違う」が全てを決定する
確信に満ちたその判定が下れば
一顧だにせず遠ざかっていくことに
人々がためらうことはない

向こうから
あなたに似た人が歩いてくる
二人はどんどん近づいていく
その顔がほほえんだと同じ瞬間
私もほほえんで手をあげる

それはとても不思議なことではないだろうか
あなたがあなたであることに
たったひとつの「違う」さえ
紛れ込む隙間がないということは

知りあいはそのように
近づいていくことでお互いがわかるが
愛し合う者たちは
もっと不思議なのだ
どんなに遠くても
豆粒のように小さい姿の中にも
それがわかる

遠いところから手を振られるとうれしいのは
そういうわけなのだ
顔だって
ぼんやりとしか見えないのに
ひとかけらの「違う」もないと
あんなに遠いところで 手を大きく振っている


気付かれぬ時間

テープレコーダーはなおも回り続けていた
少し前まで 舌のまわらぬ幼児の
誕生日のようすが録音されていたが
主人公たちが去ったあとも
作動していることすら忘れられた機器が
その家の物音を
無言で飲み込んでいた

かすかにテレビから流れてくるアナウンサーの声
若い父と
ほんのすこし前 母親になったばかりの
あどけなさを残した少女が
立ったり座ったりする気配
こどもが眠りについた安堵のうえに
言葉すくなにふりつもる
残り物のような夜の音
客の訪れにも似た晴れやかさは遠のき
何かを片付ける時の無言
若い父親は若い夫になって
何かを言ったようだが
記憶装置はそれをとらえそこなった
テーブルに落ちてくる蛍光灯のあかりが
読みかけの新聞紙の細かな文字に
沁みこんでいった

磁気テープの表面は
鉄の錆のようなものだという
日常のなかに何げなく忘れられ
静かに錆びていくことほど
満ち足りた時間の影があるだろうか
何の音かわからぬ
ざわめきがどこからか聞こえている
テープはもう少し回っているつもりだ
時がながれていることが
誰にも気付かれないあいだは


再現 ----城侑氏に


そのころ私は若く
彼のあとをよちよちついて
野原をさまよった
お互いねぐらに帰る時間になると
城さんは言うのだ
オレについて来い
この地上におまえが泊まれるところを
作ってやろう
城さん、僕は二駅乗ればアパートに帰れます
独り身ですけど
上手、それはちがうぞ
安易な安らぎに生きてはだめだ
世界のことを一緒に考えなきゃならん
詩人なんだから

気付けば 夜更けて
辺境の地 城さんの家の扉の前に立っているのだ
上手 オレが先に入るからな
そのあとをそっとついてこい
城さんの大きな背中に隠れて
家に上がらせてもらう
しかしすぐに家人に発見される
奥さん、こんな遅くにすみません

あれから何十年もたって
今夜 城さんの通夜に行ってきた
その帰り道には
電車に乗っていても
バスに乗っていても隣から城さんが話しかけてくる
昔となにも変わらない
家に着くと
あの日と似た団地の扉の前で
彼の真似をする
城さん、オレが先にはいりますから
そのあと そっとついてきてください
そっとですよ

でも鉄の扉は大きな音をたてる
玄関に灯りがついて
妻が迎えに出てくる
あなた、塩を持ってるでしょ
あがる前にお清めをしなくてはね
私はサラサラした細かい結晶を浴びる
私が生の中に戻っていくための儀式なのだ
妻には見えない城さんの体に
それらの粒は礫のように痛いので
じゃな 上手
ちょっとだけ寂しそうな顔をして帰って行った
(そんな顔をすることが時としてあった)

暗い夜を歩きながら 彼は
世界のことを今も考えていると思う
詩人なんだから

*タイ トルは城侑氏の?泥棒詩?中の著名な一編の題名から、形見にもらった。


 







inserted by FC2 system

inserted by FC2 system