私が出会った好きな詩 [08/11〜]

わたしが日々出会った詩を、若干の私の感想などと一緒にご紹介します。詩集の場合、感想は
詩集全体のこともあると思いますが、詩の全行引用はひとつにとどめます。不定期に気ままにお
こないますので、ながらくご無沙汰になる可能性も^^;。現在から過去に向かう配列です。

2019/09/13

『森羅』18号(2019/09/09刊)


  すきだよ       池井昌樹

ぼくのこと
すき?
あうひとごとに
そのこはきいた
ぼくのこと
すき?
ああすきだよと
そのこえに
にっこりと
うなずいて
そのこはきょうも
あそびにいった
きょうもあしたも
あさっても
あそびつづけて
としおいて
だれひとり
すきだよと
こたえてくれるものもない
さいごのあるひ
さいごにいちど
もういちどだけ
そのこはきいた
ぼくのこと
すき?
そしてにっこり
うなずいて
めをとじた

わたしもいつも おなじことを聞いている。「ぼくのことすき?」と。世界中の人にきいても誰も好きだと
いってくれなかったら、最後の一人に好きになってもらおうと思う。それが「自分」だ。とても悲しいこと
のようにも思えるがとても楽しいことかもしれない。自分が自分を好きになれるなんて。

ナルキッコスが自分を愛したのは、水の面に映った自分が美しかったので恋してしまったのだが、私には
そんなことはありえないので、自分が美しくなくても好きになってくれる自分がうれしい。ただ、自分に自
分が「すきだよ」と言ってあげられるのは、世界中の誰もそういってくれないことと引き換えなのがなんと
はなしに寂しいが。

誰かが私を好きだと言ってくれたらよかったのに。だから最後のさいごまで、それを訊いたのだ。そしてす
べての終りに、自分がうなづく。にっこり笑って。年をとった少年の笑顔は美しい。ナルキッコスでなくて
も。「すきだよ」と言ってくれた人がいるのだから。


池井昌樹詩集『遺品』が出た。どの作品もすばらしいが、上記の詩は手書き手作り詩誌『森羅』に載ったば
かりなので詩集には入っていない。私にとってあまりに特別な詩なのでこちらを紹介する。

2013/07/02(火)
『詩人会議』2013年8月号 のちに詩集『バウムクーヘン』(2018年)に収録

 しじん     谷川俊太郎

へんなふくをきたおとこのひとがきた
せんせいがこのひとはしじんですといった
しじんのひとはあごにひげをはやしていて
みみにいやりんぐをつけていた
「わたしはしぬまでしをかきます」といった
「たくさんたくさんかくつもりです
つまらないのもかくでしょう でも
ひとつでもきにいったしをみつけてほしい」

それからしずかなこえでしをよんだ
なにをいっているのかよくわからなかったけど
ことばがおがわみたいにながれていく
こころがふだんとちがうふうになって
どっかにわすれものでもしたみたい
なにかしつもんはとせんせいがいったので
「しってなんですか?」としじんにきいたら
「ぼくにもよくわからないのです」といった

みんながはくしゅしたらしじんのひとはおじぎした
なんだかなみだぐんでいるみたいだった
 

『盛夏作品特集』のトップに掲載されたものだ。出だしを読むと
奇矯なかっこうをした自称「詩人」へのからかいの詩かなと思っ
たが、途中からそうではないと感じ始めた。なぜなら「ひとつで
もきにいったしをみつけてほしい」というのは、あまりにも自分
の気持ちと一緒だったし、「詩とは何か」と訊かれたら私も答え
られないだろうと思ったからだ。人生というのは、真に訊きたい
ことがある時は質問の時間が与えられず、質問が無意味な時
に、その時間が与えられる。「何か質問は?」と。質問も答えも
いらない時間が詩にふれた時間なのに。

私は単純な人間なので、「あなたは詩人です」という気持ちのこ
もった拍手を受けたら、きっと涙ぐんでしまうと思う。それが子
どもたちだったらなおのことだ。「たくさんたくさん書くつもりで
す」と私も思っている。「どっかにわすれものでもしたみたい」
と子どもやおとなが感じるような詩を。

今朝、夢を見た。薄暗い部屋に壁に文字が書いてあって、コイン
を渡すと、年寄りが歌をうたうように読んでくれるのだ。同じ旋
律を繰り返しているだけだが、その旋律に乗せないと壁の文字は
読めないのである。読めても意味が伝わってこないのだ。目がさ
めてからもそのメロディだけが私の中に流れ続けていた。これは
何の曲だろうと必死に思い出そうとした。最初それはスメタナの
「モルダウ」のようだと思ったが、もう少し悲しい感じがした。
そしてようやく、わかった。「死んだ男がのこしたものは」(詩
・谷川俊太郎、曲・武満徹)だった。夢はいつも不思議なことを
する。わたしは覚醒し、これを書いた。

 

 

2012/09/28(金)

 尾崎まこと詩集『断崖、あるいは岬、そして地層』(竹林館)
 
  尾崎まことさんの名を鮮烈に憶えたのは、二年ほど前、文庫本サイズの童話集『千年夢
見る木』に感動してからだ。こんど詩集『断崖、あるいは岬、そして地層』が送られて来
たので読んだらほとんどの詩がよく思えた。単純に見えるが、繊細な感性で、自分と一緒
にあるこの世界を愛していることがちゃんと言葉になっているので、うれしく、うらやま
しく読んだ。人やものをいとおしむやり方がこのように素直だと、人によっては言うかも
しれない。甘ちゃんだな、と。しかし、私はこれが詩なのだと思う。
 
  空の駅  尾崎まこと
 
突然、荒ぶることがある
あるいは投げられた独楽(コマ)のように
シンと静まることがある
心は
僕らの皮膚が抱える
もうひとつの自然であろう
 
蒔くにしろ
植えるにしろ
刈り入れるにしろ
だから
その時を
待たなければならない
なにも
待たないものを
心と呼んではいけない
 
あるときは雨を
あるときは光を
あるときは風を
あるときは嵐さえも
ずっとずっと
あなたを
 

 

 

 

2010/12/20(月)
水野るり子詩集『ユニコーンの夜に』(土曜美術社出版販売)

月蝕の客

月蝕の夜 男ともだちがドアをノックした。ひたいに一
本角を生やしていた。「何しろ月が欠けはじめている
ので」という。東の空では古びた暖炉のような月が煤に
おおわれて欠けはじめていた。彼は今夜もユニコーンの
背に乗ってやってきたのだ。いつものように月の谷を渡
って。

窓ぎわの七つの羊歯の鉢を越えて、薄い月の光が入って
きた。部屋のあちこちで、こわれたもの、欠け落ちたも
の、古いがらくたなどがキラキラと光りはじめた。それ
は祝祭のようだった。小さな星とそれより少し大きな星
の軌道が傾いて出会ったみじかい夜だった。今、この星
の影が三十八万キロの距離をこえてもうひとつの星にと
どいている証しの夜だった。わたしたちはバルコニーに
並んで、人が人と出会うまでの宇宙的な距離のことを想
った。

室内はほの暗いつぶやきで満たされていた。たとえば貝
がら、土器のかけら、手袋の片一方、死んだ犬の首輪…
などのつぶやきだった。それは身元不明の溺死者、打ち
棄てられた港のドック、廃線のレール…などの声を思い
出させた。かれらはみんな今夜の月のようにひっそりと
凹んだかたちをして、失われた記憶を満たしてくれるな
にかを待っていた。わたしたちは欠けた月の下で、とも
にひとすじの川をさかのぼりながら、かれらの記憶を遠
くたずねる旅をした。

それからわたしたちは(決して知ることのないだろうは
るか未来で)欠如をかかえてこの星に生きるものたちの
ことを話した。(それは異星からくる鳥めいた種族かも
しれない)。「だが、かれらもやっぱりうつくしい存在
なのだ」と一本角の男ともだちがいった。「この青いガ
ラスのかけらとおなじにね」とわたしはいった。この星
が粘菌類やウミウシや一角サイを乗せて巡ってきた天空
のながい闇をわたしは思い浮かべた。

見上げると月はほとんど丸くなって中天をきちょうめん
に移動している。室内のものたちも元通り整列しはじめ
ていた。(いつもの順で、いつもの位置に)。窓の外に
ユニコーンの影が待っていた…。そして月が彼の帰り道
をくっきり照らしていた。

水野るり子さんの詩は昔から好きだが、今回の詩集も幻想的な風景の中に生命の本源を指し示すような作品が多く、堪能した。「あなたはあのころ/草ぐさや 木になる実のことを/水の…響きで呼びましたね(略)/とおい惑星のことばのように/あなたのくちびるが/低くその名を響かせると/わたしのてのひらは/そのたびに/なつかしい水の重さに/しなりながら/見たことのない星に呼ばれました/お兄さん/あなたはいま/どのあたりの橋をわたっていますか/あなたが/この地上に名を置いて/ひとり去ってから/どれだけの春が過ぎたでしょう/わたし胸の水槽は/いまも波紋をひろげています」(「草の兄に」部分)というように、草が水であること、その命のようなもの(死してもなおあるものなので、せまい生命という言葉におさまりきれないもの)が響いて伝え合うものについて語っている。上記の詩は詩集タイトル「ユニコーンの夜に」起きたことを書いたものだが、彼女とユニコーンに乗って訪ねて来た友人との静かな対話や、月が欠けるときに輝き出すものたちの祝祭は美しい。この世には役に立たないものがたくさんある。しかし、それらがわたしたち「欠如をかかえてこの星に生きるものたち」(現在もはるか未来も)ではないかと思う。この詩集には謎めいた「西」という地域が出てくる。死への入り口のようにもみえ、聖なる未知に連なる森であるようにも見える。水野さんの世界では老婆があるときには幼女になる。草のように若く萌えるかと思えば朽ちてゆく葉のようでもある。そうしたものを貫くのが水の流れである。たまたまだが明日(21日)夕方に皆既月蝕が見られるという。部屋の中で何が輝き出すのか眼をこらして見ていよう。

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010/11/30(火)

佐々木安美詩集『新しい浮子 古い浮子』 (栗売社)

別離

眼には見えない
大きな筆を両手で抱えて
あのひとはむこう岸に立っていた
旗を振るように
その筆を振って笑っている
見えるよ
わたしは浮子から目を離して
無言で応え
あの人がいるはずの向こう岸に軽く手を振った
するとあの人は大きな筆を川にひたし
たっぷりと水を含ませ
空に字を書き始めた
高く薄く
その字は空に広がっていく
釣り人たちの声が戻り
世界の音が戻ってくる
あの人の書いた字は
空の彼方に消えた
土手には点々と土筆がでている
さようなら

親しい人が亡くなった時には、落ち込んでしまってなかなかうまく詩にならないものだが、この詩はみごとだと思った。舞台設定はむしろオーソドックスである。彼岸と此岸を分ける川が流れていて、作者も釣りをしていたようだ。釣り糸をたれ、ぼんやり考え事をしている時は、彼岸の友達が反対岸にいる相手にもわかる大きな字を書いてやろうなどということを思いつきがちな時間帯である。しかも笑っている。これが最後だぞ、とでもいうように川の色をした墨で空に文字を書く。何の文字を書いたのかと訊ねる必要もない(自慢ではないが、私などは書はわからない字のほうが多いのだ。大切なことはそれが絵でなく文字であることだ)。両岸の二人にとってそれが字であることがわかっているものが空に書かれ(何とおおらかで信頼にみちた交信だろうか)、やがてそれは飛行機雲が広がり薄れていく時のように消えていく。それと引き換えにこちらの岸のツクシが眼に入る。この種族は漢字で書くと「土」の「筆」か…などと思いをめぐらせていると、避難する間も与えられず、いきなりかぶせられる。「さようなら」と。作者が語った(音にはなっていないが)言葉は「見えるよ」と「さようなら」の二つだけだが、それらの単純さの中に、彼の見たヘンに楽しげな幻の書道ごっことは裏腹な、透き通るような悲しみが残される。

タイトルにも示されているように、釣り関連の詩が多い。なにしろ詩集の冒頭が「詩を書くのをやめてから/フナを釣り始めた/詩を書く友人は少なくなり/ほとんどゼロになった」(「十二月田」)である。20年ぶりの詩集だという。そこから届けられた詩集なのだ、と緊張して読み始めることになる(詩誌『生き事』『一個』でほとんどの詩を読んでいるのだが、詩集になるということは、それとは違う何かである)。「新しい浮子」「古い浮子」という二編が並んでいる。内容的にはひとつの詩のような流れではあるが、一応別の詩なので、二つの詩のタイトルが詩集名になっているというのは珍しいと思う。「新しい浮子があれば/わたしはこの陥没した人生から 抜け出せるかもしれない」という「新しい浮子」の最終2行に対して「古い浮子」の最終行は「無数の浮子 浮子の墓場 欲しい浮子など一本もない」と突き放すように閉じられる。それは望みのむなしさと現実に遭遇する絶望を言いたいのだろうか。そうではなく未来が過去へと集積していく間に出会う「巨大な生き物が深く息をしている気配」との格闘としての現在なのだ。その生き物は「眠っているわたし自身の内部」であるが、それは生を詩によって表現する者の苦悩を意味しているのだと思う。だから釣りに関わる詩は複雑な葛藤の中にある。釣り人と詩人とフナが退け合ったり重なったりする。どれもすばらしいが、特に「恍惚の人」は生や存在に迫っていく傑作だと思う。釣りの奥義がこれらの詩を支えているらしい。それらの中で上に挙げた「別離」はモティーフ自体はシリアスだが、静かでのどかな間奏曲的な美しさに満ちている。

比喩が多用されると、日常の言葉が通れない鏡のように感じてしまうことがあるが、逆に、光が大気中から水の中に入る時のように屈折が必要な場合もある。詩は単に鏡であるだけということはできない。言葉が何かにぶつかってはね返っていくもの(その場合、その言葉はぶつかったときのかすかな衝撃や音や光によって記憶される)ではなくて、当たった皮膚や心に溶けて浸透していくものが必要だ。水の表面で反射することで得られる輝きと、水の中に入っていく光のバランスのようなものだろうか。佐々木安美の言葉にはむろん輝きもあるが、人間の肌やたましいに浸透していく深い力を持っていることを、この詩集を読んであらためて実感した。
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2010/08/07(土)
山岡和範詩選集一四〇篇
 (コールサック詩文庫vol.

納骨

お墓の蓋が持ち上げられた
二十五年前に死んだ息子の骨壷が見えた
いまその母延子の新しい骨壷が
墓守の手で横に安置された
ぼくの連れ合いの延子は死んで息子と再会した

「死んだら天国 おまえは地獄だ」
それは子どものころ聞いた
生きている人の言うことばだ
死んだ人は残った人の心に寄り添ってくるが
死んだ人は焼かれて骨と灰になる

死んだ人は遠い空の星になったり
地獄の鬼に舌を抜かれたりはしない
延子は焼かれて骨になって骨壷に入れられて
ぼくもいつかその横に座るのだが
墓守はその空間を残して石の蓋を閉じた
     (詩集『スイちゃんの対話』所収)

山岡さんの詩を読んでいると、「文は人なり」という言葉を思い出す。はったりをかましたり華美な言辞を弄して目を引く
ような詩は書かない。しかし平明だからといって緊張感がないわけではない。言葉は練られていて、あるべきところに
あるべき言葉があるという文の名手である。しかし技術然とした部分は消し去られているので、静かな想いだけが読者
に伝わってくる。時に、どうしてこの一行がこのように感動的なのか分析はできないが、とにかく深く胸に刻まれてしまう
言葉がある。それこそが本当の詩なのだ。選詩集というのは一般的に読み続けるのがキツいものだが、この詩集は12
冊のオリジナル詩集・近作詩篇からの抜粋として楽しく読めた。その理由のひとつは、読んでいる時に惹きつけられつつ
も負荷を与えられない安定した文体によるものだろう。同時にそこに盛られている、人が生きていくときの真実さに胸打
たれるからだ。

戦争末期に少年時代を過ごした著者は当然のごとく軍国少年だったが、成長して教師になる。子ども達を戦場に送りた
くないという思いからいろいろな活動にも参加するが、本当に自分は何かをなしえているのかといつも自問する。時に彼
は書く。「僕は暗闇を歩いていた」(「戦後五十余年を生きて」)。あるいは広島出身だが、原爆投下の時瀬戸内海の島
にいて自分の家族が被爆しなかったことから、「峠三吉さんや、学校の先輩の田川さん、被爆した友人の話を聞くたびに、
ひそかに逃げ出そうとしている自分を見てきた」(「あれから五十年逃げて生きのびた」)と自分を振り返る。しかし戦争は
始まってしまえば逃げる場所はないし、原爆は地球に落ちたことに気付く。こんなふうに何かを自分のものにするのに時
間がかかるのだが、その間の自分への正直さと他者への誠実さが作品に気品を与えている。このような人が子どもたち
を教える先生であったことを喜びたい。少年時代の著者自身(先生をいじめたりさえしたという)に、教師となった自分が光
を与える諸詩篇もたいへん面白く、深く考えさせるものだった。

上に挙げた詩は奥さんの死を描いたものだが、そのなかに若くして亡くなった息子さんも出てくる(この死については、
「皆既月食」という胸に迫る詩がある)。淡々とした作品だが死者と生者の関係も浮き彫りにするみごとな詩だと思う。山
岡さんはまだひと時この世に残って、心に寄り添ってくる彼らと付き合って暮らすのだ。しかし、彼らの骨壷の横に自分の
空間があるということが残された希望ですらある。この詩は同時に戦争下に大人たちが語っていた死生観をも映し出して
いて興味深い。それをひとりの少年が記憶していて、老年になって詩に結晶させたのだ。
意識して書いたのだろうか。各5行×3連。このようにまったく無駄のない言葉によって人の心に届く詩を書きたいものだ。

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2010/07/30(金)
茂本和宏詩集『あなたの中の丸い大きな穴』
 (ジャンクション・ハーベスト)

問いにぶら下がって       

元気かと問われて
そこから先が折れている
折れたその端に
ぶら下がる
とりあえず
ぶら下がって
元気です と
返してみるが
先の折れた問いは
問いのまま
ぶら下がった私は
ぶらさがったまま
何のかわりもなく
夕方になったりするのだ
すると また誰かが
元気か と
折れたそれを突き出してきて


一日も
十年も
もう 過ぎてしまった

『冊』同人仲間の茂本和宏さんから新詩集が送られてきた。そういえば予告は7月末だったのでぎりぎり成就
である。
ご本人はポップスの詩を書くのだと常々公言しているが、そうでもないと思った。しかし他の呼び方がわからな
いのでそれでもいいか、と思う。全体的にオモシロイが、突然孤独の霧がかかったりするので、夏休みの宿題
的森探索のように詩集に迷い込んだ人は気をつけたほうがよい。現に、詩集が届いた日は急に寒い夏になっ
たのである。以前の詩集で私が好きなのは『冬のプール』だった……

仲間贔屓ではなくよい詩集だと思う。珍しく感想の手紙を書いた。明日彼らの家に行くのだが、手紙は手渡しよ
りも切手付きのほうがよいので、ポストに入れてから行こう。
『冊』に載っていない、私には初見の詩を一編ご紹介。

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09/11/05(木)
北沢秋恵詩集『千枚の葉、ミルフィーユ』 (樹海社)

あの時すれ違ったのは

「さようなら」
ストレッチャーに乗せられて
すれ違ったとき
姉がそう言ったのだ
姿も声も透明
だからあんなにも近づいて
私に声をかけてくれたのだ

生と死の境界線
鋭く切り立つ場所
すれすれに急接近したとき
急カーブを切ってくれたのは
最先端医療
金属と電子機器と
若い医師の技術
私は呼吸もセーブされて
動けない擬似人形
「人形ですから見逃してください」
そんなことを言っていたのは
母だったのかな

猛烈な勢いで時間が疾走し
私は冷たい乗り物に横たわったまま
暗闇を巡り
眩い光線にさらされ
高速回転で攪拌された
それから時間は急激に力を失い
ほとんど進行を止めたかのようだった

時計の無い場所
外の光も闇も差し込まない場所
「眠っているときと
そうでないときの差があまり無いね」
「まだ人形のつもりだから」
私のことをしゃべっていたのは
誰だったのだろう
知らない
知っているようだけれど
私の側に大勢のひとが訪れていた
知っているような気がする
知らない人たち
「眠っているようだね」
「眠っているように生きているね」
姉はいないのだろうか

私は巨大なシーツに包まれ
鋭角な物から隠されていた
時間はゆっくりと動き始め
音が
幾分滲んだ音が
私の耳元まで届けられ
それはモーツァルトだった

冒頭の「五月」という詩にひかれた。風と馬が出てくる詩だった。風と驢馬のことを書いたことの
ある私はモチーフで共鳴してしまう傾向がある。次の詩を読んでみなくては。そうやって次々と
よい詩に会った。キリンだのラクだのも出てきた(ともによい詩だと思った)。言葉が安定している
が、気付かれないようにしかけがあって、それが全体をやわらかくしつつ芯を与えているというの
だろうか。例えば「五月」の場合。「風が駆ける/すると馬がたてがみを躍らせて駆け出す/風
と馬が競って走る/緑のたてがみが果てしなく遠くまで行く/追う視線が連れて行かれる/戻
れない地点まで行くか」(第一連)。走っていく馬のたてがみは筆のように五月の緑の景色を描
き、そのものに同化していく。「追う視線が連れていかれる」は鮮やかな表現で、馬の背に乗って
連れていかれるようなイメージがあることに加え、人が何かを視ることが意志によるものではなく
しぜんにそれを追ってしまうように見ていることがある----それは自然の歩みを追うようだ----
というようなことまで感じさせる。

上掲の詩でいうと、最大のしかけは「人形」と、最初は姉の、それ以降は誰が言ったとも判然と
しない幻想的な発語である。人間と人形の違いは何か。それは患者が思うことなのか、医療の
側、あるいは患者以外の人が感じることなのか。とにかくそこに働く違和がこの詩の主役のよう
な気がする。事実がどうかはわからないが、姉も母も亡くなっていると読んだほうが、この詩は
説得力が増すように思う。これからの時代、人の生死はこうした機械に取り囲まれて展開される
ようになるのだろう。しかし、それら「鋭角なもの」たちに囲まれていながらも人はどこまでも人で
しかなく「幾分滲んだ音」が作者が生還した証しとなる。そこに到る暗闇のなかで聞いた「人形で
すから見逃してください」という不思議な言葉は、ある意味で「最先端医療」にあらがうものであり
それらの無かった時代の母や姉の言葉とも取れる。「さようなら」は生の側から言われたのか、死
の世界から投げかけられたのか。両方とも成り立つような気がしてくる。人の生と死とは何かを問
いかける衝迫力を秘めた、忘れられない言葉になりそうだ。

巻末の紹介を読んだら詩人会議の会員とあった。『詩人会議』誌上ではあまりみかけないが、と
思い、一年分の同誌の目次を見たところ発見。失礼しました。私より一歳年下なので、今年還暦
だろう。女性の場合、おめでとう、と言うべきなのかどうか……。

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09/07/18(火)
正岡洋夫詩集『食虫記』 (編集工房ノア)

 蝉

蝉の鳴く季節になると
栴檀の木の枝に
猫が集まり始める
低い枝から順に蝉を捕らえては
頭からばりばりと食べる
口のあいだから羽根だけが出ていて
しばらくばたばたしているが
やがて静かになる
私は家族の中で
猫を追い払う役目をしていた
猫は凶暴な動物だ
私が追い払おうとすると
一斉に目を見開き
身を低くして飛びかかろうとする
いまも私のほうを向いて
二匹の猫が低い声で威嚇するのだ
ある時箒を振り回していると
蝉をうまそうに頬張っていた猫が
私の方を向いてそんなことをするより
おまえも食べてみろと言った
おそるおそる蝉の腹の方を少し齧った
腹の中は空洞になっていて
白い身の歯ごたえが何ともうまかったのだ
それから私は猫の後ろに座って
逃げる元気のなさそうな蝉を
毎日数匹食べるようになった
いまでは他の猫を押し退けて
枝の先まで登っていってうまそうな蝉を
選んで食べるのが楽しみだ
体中に蝉がつまっているような感覚で
休んでいるときも羽根の音が
腹のあたりから響いてくるのだが
それが何とも心地よい
いまも蝉の頭を頬張っていると
二匹の猫が尻尾を立てて威嚇するのだ
地面には銀色の羽根がいっぱいだが
家には人の気配はない


蝉が好物でない方にはやや抵抗があるかもしれないが、詩集名ともなっている「食虫」シリーズ
の一編を挙げた。不思議な孤独感が詩の世界を支配している詩人だが、ついに虫と生命の交感
をするに至ったのかという感じがした。排除しようとしていた猫の誘惑にのり仲間に引き入れられ、
今度は同じ嗜好ゆえに競う仲となる。奇妙だが人間と猫とはそのような関係かもしれない。そこに
は言葉があるが、人間と蝉との間には言葉がない。

正岡洋夫さんがどのような方か存じ上げないが、以前の2詩集『時間が流れ込む場所』(99年、編
集工房ノア)と『海辺の私を呼び』(01年、同)に、同時代感覚のようなものを感じ、それいらい人知
れずファンの私である。怠惰なので感想を書き送ったことさえないが。静かで安定感のある言葉だ
が、その奥に燃焼しきれていない情熱が隠されているように感じる。「夜の海の上で/落ちてくる
小鳥を両手で受けとめるような死を/じっと見つめている私たち/犬も泣き凍るような犬死にで消え
ていった人たち/生きる意味があったと言うことはできるでしょうか/世界の不正と貧しさのただ中
で/その現実を動かそうとする私たちの困苦のただ中で/声は無限のほうへ開かれています/開
かれた窓から小鳥が飛び立っています/振り返ってあなたは誰ですか/帰ってこない小鳥たちを待
ちながら/夢はたしかにここに少しずつ帰ってきます/たましいの領域でそれはかたちになるのでし
ょうか」(「海辺の私を呼び」から)。あるいは「何かを書くためにここにいるのではない/右手を胸に
あて左手には帽子/雪の降る指差した向こうの世界で/言葉がゆっくり立ち上がる/ついに書くこ
とと書かないことはひとつだ」(「指差す男----ヴァルザー」から。詩集『海辺の私を呼び』所収)と記
す時、希望は失われてしまったのか、と思う。しかし、そのような形でしか語れない希望もあるのだと
感じる。

そうした思いがあったので、今回の詩集が届くと、その日の夕方までには読んでしまった。?(壊れ
る)、?(食虫記)、?(帰郷)。?は老化をモチーフにしながらも、そこから生きていることを確認する
ような不思議な力がみなぎる世界である。?は上に挙げたような世界。?は人間が地に戻るという
意味での「帰郷」なのかもしれないが、生命体の崩壊、腐乱を含めて死を突き詰めていく点で異様な
迫力がある(これに対する好悪の感情は分かれるとは思うが)。思うに、方法やテーマを突き詰めず
にはいられない方なのだろう。

初出欄をみると、一作を除きすべて同人誌『RIVIERE』(最初のEにはアクサン-グラーヴが付く)に発
表したものである。上述の2冊もほぼ同様である(同誌とその前身である『月刊近文』が中心)。この
ようにして詩を書き続けている方もあるのだと、深い感慨があった。そういえば、最近、同誌をほかの
方からいただいたことを思い出し、正岡さんの詩を探して読んだ。娘さんのお墓についての詩が載っ
ていた。十字架に鳥や虫たちがとまるという静かで慈愛に満ちた詩であった。
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09/07/01(火)
奥主榮詩集『日本はいま戦争をしている』 (土曜美術社販売)

 柊の壁

おかあさま
僕は昨日 柊の壁のそばまで行ってまいりました
先の面会日にお話した
あの広い療養所のそばの生け垣まで
近寄ってはならぬと言いつけられていたことは
けして忘れてはおりません
でも土地の子たちに
都会っ子は意気地なしだと
空襲がおそろしくて逃げてきたなどと
言わせておくのはシャクなので
僕たちにも度胸があるのだということを
見せつけてやりたかったのです
三吉のやつばかりが
何やら逃げ口上を申していたのですが
鉄拳を見せつけたら
おとなしくなり ついてまいりました
柊の向こうには何かとても
怖ろしげなものがあるのかと
だからこそ寄ってはならぬと思っていたのですが
枝と葉の隙間から僕が見たのは
なぜかしら とても哀しそうなまなざしをした
僕と同い年くらいのおかっぱの子でした
そうですか おかあさま
あの壁の向こうの人々は
そのような恐ろしい病に
体をむしばまれているのですね
けれど僕にはあの子の姿が
とても近しいものに思えてならないのです
それどころか
許された面会日にはこうして会うことのできる僕が
一生を日の当たらない場所で生きていかねばならない
あの方たちより
よほど幸せであるのだと
思い至るほどに
あちら側の方たちをまるで汚らわしいもののように云われることは
とても心が苦しいのです
 
ええ おかあさま
そうした言葉を確かに耳にしたことがあります
悪しきことのすべてが前世からの報いであるかのような
何か永劫に救われないものででもあるかのような
そのような呼び方を以前
土地の子たちが吐き捨てるように
口にしておりました
けれど僕らは常日頃
科学の心を学校の先生方から学んでおります
松の根の油がどのように零戦を飛ばすか
だからこそ僕たちの動員が祖国を救うこと
野口英世がどのような辛苦の末に黄熱病の菌を見つけ出し
頓馬な白ン坊どもの目の玉を剥かせたか
   そういえば三吉の奴
   前に野口博士の発見は恥知らずな病のものだなどと
   とんでもないことを申しておりました
そうした正しいまなざしで見れば
あの方たちの病もまたいつか
完治し僕らととともに亜細亜の朋友たちへと手を差しのべる
そんな日が訪れるはずではありませんか

わかりました おかあさま
やまいとなることが不忠なこころのあらわれ
この非常時に
天子様のお役に立たぬ身体を持っていることなど
許しがたい不名誉です
年端がゆかぬいたいけな子であるほどに
不届きな血筋をあらわしています
けれど おかあさま
ああしたものどもがいることを知ったればこそ
僕は心に刻みます
不忠さ故に無念に生きながらえる
おかっぱの子の哀しげなまなざしを
そうして それらのすべてを負い
僕自身は自らの肉体を強くすこやかに鍛え上げ
見事股肱の御楯となり
東洋平和の礎として果てたいのであります

一冊まるごと、真剣に戦争のことを書いている詩集だ。私のいう「真剣さ」とはどれだけた
くさん戦時の事実がでてくるかとか、反戦運動的な価値があるかとかいうことではない。
自分がそこにいたら、どうしたかという想像力をどれだけ持ちえるかということだ。どんなに
血気盛んに反戦をぶち上げても、観念的で、お気軽感の拭えない反戦詩は多い。あるい
は歴史的な事実や体験を積み上げていても、検証する精神が欠けている場合には、文芸
としての魅力に乏しいものになりがちだ。それら欠陥のほとんどは、悪としての戦争を超克
した現在、私(あるいは「われわれ」)は正義に基づいて発言しているのだという、理由のな
いおごりや、自己への批評性のなさから発している。体験を書く人は常に被害者で、自分
の意志とは別に権力によってそうさせられていただけなのだ、という一種の自己保身と安
全圏の壁を打ち立てているのだ。だから詩としてもつまらないし、心に迫ってこない。

以上書いてきたことのそれぞれを反転させれば、この詩集の特質を語ることになるだろう。
自分がその時代に生きていたら、自分はどのように生きただろうか。なぜ人々はあのように
流されていったのか。自分はそこに行って自分の意志そのものを冷徹に見つめたい、と。

ここに挙げた「柊の壁」は終戦前夜の学童疎開の少年の心の動きと、ハンセンとみられる
隔離政策、人間への差別意識を巧みに組み合わせたみごとな作品だと思う。少年の中に
目覚める
、隔離されている少女への人間らしい想いを自ら打ち消して、最終的には天子様
に仕える身で病気をするなどとんでもない不忠であるという論理にまで自己を高めていく。
あるいは科学の正しさを学び、あるいは亜細亜の朋友のためとの高潔な目的のために、と
少年が理想と純粋さを口にすればするほど、その情景は痛ましいものとなる。彼の幼さは
葛藤を欠いて流される大人のものを投影している。たしかに、それをあやつる思考が働いて
はいる。この詩には2箇所の行アキがあるが、そのあとに少年は自分の意志をひるがえす。
「ええ おかあさま」「わかりました おかあさま」と。少年が少女に寄り添おうとすると、その
空白の時間に彼の中に何かが注入されるのだ。その中身は書かれていない。それは読者
が考えなければならないものだからだ。そして言わずもがなだが、作者自身もそこで考え抜
いているものでもある。そして大切なことは、最終的に自らがその道を選び取っていく姿だ。

この詩集には「日本はいま戦争をしている」という同名の詩が二つ収められている。一つ目
は実際の戦中の時代であり、二つ目は2009年である。後者は「それを誰も戦争と呼ばな
い」が、そうこうしているうちに「日本はいつのまにか戦争をしていた/気がついてみると 
ただそれだけのことが目の前にあり」と進展してゆき、最終的には「そのことについて何か
問いかけたり/考えたりすることが/すでに無用なこととなり」となっていく。わかっていて
もそれがなかなか詩として書かれてこなかった、怖い世界を実感する。人は誰もがナチス
のユダヤ人虐殺を、信じられないことのように非難するが、それは公然と行なわれたし、ナ
チスドイツだけでなく、その支配下にあった国や「友好国」も、指定された「割り当て」に従っ
て何千人、何万人とユダヤ人を狩り出しては、供出したのだ。彼らが殺されることを知りな
がら。そのことが直接この詩集で書かれてはいないが、エーリヒ・ケストナーが見た焚書
の情景を描いた短い、静かな詩「「つみあげられた」が心に残る。ケストナーは本が焼かれ
たあとには人が焼かれると言い、そしてそれは現実となってしまった。しかし、この詩で奥
主さんは「その目で確かめながらエーリヒ・ケストナーは/けして希望を失いはしなかった」
と書いている。それと同じ目で私たちは日本の戦後を見つめてきたのかという問いは根源
的なものであり、また逆の立場から炎(教科書に墨を塗る)を見たかもしれない者の存在を
意識せざるをえないところも不気味である。

「奥主榮」という詩は、自閉症気味の子どもとして育った作者から見えてきた世界の構造を
示すものだ。それは加害と被害のねじれた意識に照明を当てるものであったが、決して正義
の基準を示すためのものではない。人がどれだけ残虐になりうるかという可能性を自らの中
に探究した、苦渋に満ちた散文詩である。あるいは加害意識の可能性を言い立てすぎて偽
悪趣味と言われるかも知れない。しかし私はそうは思わない。自分が加害者になりうるとい
う想像力によって自らを何かにつなぎとめておくことこそ、彼の誠実であり、そこに現実を見
抜く目があるとの「意識の体感」とも呼ぶべきものを信じたいからだ。

新鋭詩人シリーズの一冊として刊行されているが、その枠を超えていると私には思える。そ
してまた「パソコン通信」で詩作をスタートさせたと略歴にあるが、それらの詩人が実りをもた
らす時代に入ってきたことを感じさせる詩集でもある。
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09/06/21(日)
中上哲夫詩集『エルヴィスが死んだ日の夜』(書肆山田)

 一万分の一の帰還

親しい友人が病気になった
一万人に一人という病気に。
なんとかという近畿地方の町に特有の風土病で
母親の胎内で感染したものが
六十年目に顕現したというのだ
もしもそんなことがありうるのなら
かれと同じ年に隣町で生まれたわたしが
その病気にかかってもすこしも不思議はなかった
と思った
そして
たまたま人間の子に生まれたけれども
蟻や団子虫に生まれてもすこしもふしぎはなかったのだ
と思った
(ちょうど地面を蟻と団子虫が這っていたのさ)
きょうの午後
大学の図書館で会ったら
七ヵ月間車椅子の上で暮らさなければならなかった友人は
とても幸せだった
とわたしに語った
その間ずっと死んだ母親を身近に感じることができたので、と

今更なんで?と言われそうだ。6年前に出た詩集だし、高見順賞・丸山薫賞も受賞しても
いる。しかし、こんど読んでみて、自分が別人になったのか?と思えるほどこの詩集がよ
かった。前回読んだ時は高見順賞の受賞パーティによばれたので、慌てて読んだからかも
知れない。詩集は、ゆったりした気持ちで読まないといけないというよい見本だ。それに私
自身が仕事をやめて見えてくるものが違ってきたのかもしれないと思う。そういうわけで最
初に接したのは5、6年前だが、私がこの詩集に真に出会ったのは最近のことなのだ。一
見ドライに書いているが、その情景のなかに瞑想が紛れ込んでいて、抒情的な断片が角
度を変えると光るのだ。若い頃、「ついに詩は抒情を盛る器にすぎないか」(記憶によるもの
で正確な引用ではない)などと書かれているので、抒情が嫌いな人なんだと思っていたが、
この詩集に限って言えば、かなり抒情が底流に流れているのは否定しようがないだろう。
私は辻征夫さんの詩がとても好きだが、中上さんは対極的な詩風だと思っていた。しかしこ
んど読んでみて近しいものがあることに気付かされた。

私が結婚して今の団地に住むようになった頃、中上さんは団地の向いのマンションにお住
まいで、ある日、辛生鐘と一緒に私の家に遊びに来てくれたことがある。ところが連れて来
たちいさな息子さんが迷子になってしまい、みんなで手分けして捜索?に当たった^^;。まも
なく神奈川方面に引越しされたが。

詩の集まりではみんなと付き合うのはたいてい二次会までで、「さあ、帰って詩を書こう」と
いうのが彼の決まり文句だが「本当に書いているんですか?」と訊いた。「書いているよ。辻
征夫が、あれは本当だった、って書いてるでしょ」。私はその文章を読んでいないが、どのよ
うに確かめたのだろうか。探して読んでみよう。「未明に訪れる者よ」という詩には「いくら書き
続けてもけして読まれない」と思って悲しくなる詩人に、毎日未明にその詩稿を読みに来るも
のがあることが書かれている。「でも、と男はしあわせな気持ちで思い返すのだ。いま、私に
は読者がいるのだと。世界でただ一人の大きな頭の読者が。」彼はその姿を見たことがない
が、いることは間違いないと断言している。この詩や冒頭の「二十世紀最後の夏はこんな仕
事をした」などが特に私は好きだ。

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09/04/27(月)
斉藤なつみ詩集『私のいた場所』 (砂子屋書房)


 馬

土壁造りの馬小屋の
四角くくりぬいた窓から
馬は いつも顔を出していた

窓の奥は暗く
そこから深い闇が始まるようで
うっそうと木々の繁る道からは
何も見えなかった

焚き付けの杉葉を拾いに
父と山へ歩いていった日にも
馬は窓から顔を出していた

その家で主の葬儀のあった日にも
馬は顔を出していた
顔を出して
弔いに集まった人々の頭上遠くの
空を眺めやっていた

馬には顔しかないのだった
田を耕し
重い荷を負った体は
馬小屋の闇にとけて
きっと もうないのだった

空にはいつも
碧い風が吹いていたから
顔だけが
忘れてしまった風景や
まだ来ない風景に
まなざしを
遠く
投げているのだった


昨年読んだ詩集の中で印象に残っていた一冊だったので、日本現代詩人会の会報に「第22回
福田正夫賞」受賞とありうれしかった。とても謙虚な方らしく、詩集の「あとがき」には「詩はむず
かしいもの、と思っていましたが、中日新聞に掲載されていました『私の詩』(柏木義雄・選)を何
気なく目にして、新鮮な感動を覚えました。身近な生活の一こまが素直な言葉で書かれていたか
らです」というきっかけから同欄への投稿を始め、詩作約20年となる昨年、初めての詩集を出した
ことが書かれている。どれも静かな詩である。端正な語り口で、奇をてらうようなところが全くない。
だが、それは
単に「身近な生活の一こまが素直な言葉で書かれている」ものとはいえない。この
詩で言えば、存
在というものを、あるいはその中に流れている時間というものを、その中を歩んで
消えていく人間と
いうものを、言葉少なに描いているのだ。ここに描かれた馬は、もはや肉体を持
たない。馬の肉体は
馬小屋の闇にとけてしまっていて、馬の顔だけが葬儀に集まる人たちの上に
広がる空を見ている
のだ。人間には見ることのできない未来さえもみるまなざしが設定されている。
それは真の詩人だけ
がもつことのできる視点である。言葉のやさしさという外見とはうらはらに、
磨きぬかれた発想とその言葉への定着作業がなされているのだ。このほか、非常にすぐれた詩が
たくさん収められている。


怠惰で詩集をいただいても感想も書かないことが多い私だが、この詩集には短い感想を書き、推
薦できる賞には1票を入れた(福田正夫賞受賞は私のせいではありません ^^;)
。同賞はよい詩集
に与えられているなぁと思う。数年前に「冊」同人の中村あけみさんも受賞されているので、よけい
にそう思うのかもしれない斉藤さんについてはこの一冊の詩集でしか知らないのだが、私の好き
になった詩集が栄誉を受けるのを見るのはうれしいことだ。もっとも、例によって私だけが知らない
だけで、実力を買われている人なのかもしれないが^^;。

追記。会報をよく読んだら、斉藤さん、H氏賞でも候補になっていましたね。あと、若い頃仲のよか
った三田麻里さんも候補になっていました。この薄い詩集も面白く(深刻でもある)、感想を書いた
直後に私の選詩集ができたので送ろうとしたら「本屋でめっけて思わず買っちゃいました〜」という
手紙が先に来た^^;。伊藤浩子さんの詩集も、土曜美術社の若手シリーズの中で一番面白かった
ですね。そんなわけで今年はH氏賞選考評が楽しみだなぁ。受賞作の中島悦子さん『マッチ売り
の偽書』をまだ読んでいないので買いにいかなくては(立ち読みして面白かったら、ですが)。

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09/03/26(木)
同人誌『冊』38号から


 雨音       渋谷卓男

雨が降りはじめて
今日で四十四年になる
わたしが生まれた日に降り出した雨は
今日まで一日として止むことはなかった
わたしは晴れ渡った空を知らない
日ざしが注ぐのを見たことがない
土砂降りの雨に降り籠められて
いくつ出発の機会を見送ったことだろう

 雨はわたしの布団を濡らし
 わたしの食卓を濡らし
 わたしの子どもと
 死んだ父母(ちちはは)を濡らす

いや
ただ一日
陽の射した朝はあったのかもしれない
雲が切れ
さしのべた掌にこぼれたものは
あれは
光ではなかったか

眼を閉じていたように思う
まぶたの裏までが
眩しかったように思う
地上に光のあった日
あの日の記憶に手をかざして
雨の中ふたたび歩いてきた
奇蹟を待つことの愚かさも
歳の数ほどは知りながら

 やがて雨は
 町を濡らし
 国を濡らし
 瓦礫と壁と有刺鉄線を濡らす

濡れてもよかった
首筋から雨を流し
心臓から雨を流し
雨のなか雨そのものとなって
ひとを濡らしてさえいた
それでもわたしが
わたしたちが願うことを捨てなかったのは
明日歩きはじめるものの靴を
濡らしたくはなかったからだ

聞こえる
雨音に足音を聞いて立ち止まる
すると再び
あたりは激しい雨音だけに包まれる
だがわたしは知っている
雨音は雨の音ではない
打たれた木
打たれた花
打たれた道
天を仰いで打たれた者たちの顔が
音を立てるのだ

この詩が送られてきて、はじめて読んだ時、私の心はしんと静まりかえった。その静けさのなかに私
は雨に打たれた者たちの音を聞かなくてはならないと思った。それから、この詩がなぜここまで私の
胸に迫るのかを考えてみた。ためつすがめつ、この詩の秘密に迫ろうとした。しかし、よい詩というも
のは、それらの秘密の隠れ家なので、それをあばくことはできないのだった。

よい詩にもいろいろあって、言葉遣いがすばらしく、読んでいると才能のない自分が折れかかるという
ものもある。その点、この詩は文体としてはごく普通でまっとうすぎるくらいである。しかし、その淡々と
した語り口の中に持続的に浮かび上がってくる悲しみのようなものは、いったい何なんだと私はどこか
で怯えてしまう。私の心にじかに触れてくる言葉の塊なのだ。自分が生まれた時に雨が降り始めて空
が晴れたことがないという。気象庁に問い合わせる余裕も与えられず、渋谷地方ではそうなのだと信じ
るしかないのである。よく憶えていないがどこかで「地上に光のあった日」を体験しているという。しかし
彼はその時、目を閉じていたらしい。信じるに足るものは、そのようにして見なければならないことを彼
は知っていたのだろう。それが詩人というものだ。その記憶は一生持ち続けなければならないかもしれ
ない大事なものだったから、消費するようにではなく抱きしめるように感じ、記憶すべきであったのだ。
彼は雨の中にいるだけでなく、自らも雨になってしまい人に降りさえするようになった。それでも彼は諦
めてはいないという。「
明日歩きはじめるものの靴を/濡らしたくはなかったからだ」と。ここには正直、
泣かされました。

最終連は、私が何ごとかを言うより、もう一度読んでいただきたい。雨の中で耳をすまし、立ち止まり、
しかしまた降り込められ、そして自分が知っていることを迷いなく語る----短い中でそれらをみごとに書
ききっていると感じる。しかも、そこで語られたことがすばらしかった。私は、世界は降ってくる雨を仰いで
打たれているものたちでできているのだと知った。彼らの顔が打たれた音が雨音なのだと。

彼に会った折に「ガルシア=マルケスの『百年の孤独』を読んだ?」と訊いたら「いえ、読んでません」と
言っていた。その中に4年と11ヶ月と2日、雨が降り続ける話が出てくるのだが、この詩では軽くその
10倍以上続いており、まだまだやむ気配
さえない^^;。

うまく説明できないのだが、長いこと詩を書いてきて私が詩に求めている核心のようなものをこの詩に感
じる。だから逆に自分にも人にも説明できないほうが私には幸せなのかもしれない。

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09/01/24(土)

高田真詩集『長い引用のある悲歌(エレジー)』(ジャンクション・ハーベスト

昨年11月に刊行されたこの詩集の出版を祝う会が2月22日に開かれる。案内の葉書がそろそろ届く頃と
思う。高田真(たかだまこと)さんの第四詩集。彼女は私たち『冊』の同人でもあるが、武蔵野詩人会議(詩
誌名は『櫟』)にも所属されていて、その両者の共催でお祝いすることになった。

次に挙げた詩は『冊』36号で発表されたもので、私はとても好きな作品である。亡くしたお兄さんのことを書
かれているが、肉親の死に遭遇した悲しみを、感情に流されて描くのではなく、これだけ文学的な形を与え
えたことに驚愕を覚える。少年と少女が野山を歩いたことを読者は知る。兄が死んだことで、その野山は蘇る。
彼らがそこから旅立ち遠くまできたことさえも、その死が思い出させてくれる。人に「たましいのひとりだち」な
どできるのだろうか、と私は思う。しかし、その言葉を受け止めようとする妹がいる。最後にはやはり「夢うつつ
に」「手を差し出してしまう」のではあるけれども。小さな子どもはそのしぐさを知らずしらずにしてしまうのだ。
その時、童女としての作者は夢の中にいて、兄が見えない。近くにいることだけが分かっているのに、見えな
い、もしくは視ない。夢の端がついばまれるのを感じる、濡れた足音は聞こえる。しかし見えない。その見えな
いものに向かって手を差し出す。それが彼女の別離のしかたであり、逆に死者とのつながり方なのだろう。自
分で自分に目隠しをして書かれた詩が多いと、私は手紙に書いた。それはあくまで私流の言い方だが。

詩集名となった「長い引用のある悲歌」についても書きたかったが詳しくは書けない。ただ、「引用」がヘンリー
・ミラーの文章であり、リルケの愛したフランスのある地方が、世界中の都会が全ての詩人たちを滅ぼしてしま
っても、ここが未来の詩人たちの避難場所、揺籃の地、聖なる場所になるだろうと予言している要旨だけを書き
写しておきたい。


 かえりなん、いざ    高田 真


いそがないと 間に合わないよ わたしの手を 引いて
走る 兄は 半分 闇をまとったまま 足元を草の露に
しとど 濡らして 眠る山を登っていく

冷たい空気が 陽に染められていく わたしたちの生ま
れた場所 その村落が はるか下方に 照らし出される
わたしは ここから ずいぶん 昔に 旅立ったままだ

空気がゆるんだ時 たどたどしく 鶯が 啼く わたした
ちは 顔を見合わせ 黙ったままで 微笑む 身体の中
を 青い風が 吹き抜け いのちが 新しく満ちてくる

一気に山を駆け降り 家に走りこむ 柱の暦に 鳥の初
鳴きの日を 記す 幸福な年になるように 願をかけて
これが 私たちの 早春の 習いだった

おまえが死んだら 骨灰を この山川に 撒いてやろう
言葉の 乾かぬうちに 早々と 兄は 鳥の群れにまぎ
れてしまった 約束は 雑木林の小枝に残されたままで

もっと遠いところへ行かねばならない おまえを見守る
ことさえできなくなる ひとりだちしろよ という 生計の
ことではない たましいのことだよ

夢の端をついばむのは 誰だ 透きとおった声と 濡れ
た足音を響かせて 兄は いつも手を引いてくれたので
ゆめうつつに わたしは つい 手を差し出してしまう

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09/01/14(水)
詩誌『Junction』69 (柴田三吉/草野信子刊)

「ジャンクション」が例年のように、元旦に届いた。「冬号」は年賀状なのである。前年の年賀状を見て賀
状を書いている人には忘れ去られ賀状をもらえない人なのだ(私もしょっちゅう出し忘れる)。季刊なので
この号は18年目の第一冊目ということになる。一号
の遅滞もないところもすごいが、その内容の水準が
落ちないところが素晴らしいと思う。通常の詩誌なら
人が入れ替わって元気さを持続するということがある
が、ずーっとこのお二人である。往復書簡も楽しい。

次に挙げる詩は、私は初めて聞く人体の部位「ひよめき」(「顋門」「?門」)をモチーフとしている。広辞苑
には「(ひよひよと動く意)幼児の頭蓋骨(とうがいこつ)がまだ完全に縫合し終わらない時、脈拍につれて
動いて見える前頭および後頭の一部。泉門。おどり。おどりこ。しんもん。そうもん。」とある。

人間(他の動物も同じか?)とは自分を閉じ込めてしまい、死ぬまでそこから外に出られなくなる存在な
だ、の見方はとてつもなく真実であると感じる。しかし、それは否定的なことを言うために書かれたのでは
なく
、逆に肉体を出入りする「いのち」について描くためなのだということに気付かされる。この詩人の発想
原始未開人たちが命や魂について考えたのと同じように、単純でおおらかである。おそらく大虐殺の跡
あろう髑髏の山(それがもたらされた行為はもちろん否定されなくてはならないものだろうが)を見て、そ
にも生命の出入りを感じ取るのである。彼のその時の死との向き合い方は、未開人のやり方であり、そ
れは生まれてくる赤
ん坊をいつくしむやり方と同じなのだ。誕生も死も日常から締め出し病院に隔離するこ
とで安心している私たちは、「ひよめき」という部位も言葉も忘れて(ご存知だった人は少ないのでは)しま
っている。この詩をめぐって、mixi日記を書いている女性の発言が印象的だった。「3人も子どもを産んでい
て知らないなんて恥ずかしい」。しかし、彼女も話題に加わった女性たちも、その存在をおぼろげに、あるい
は違う読み方ではご存知だった。むしろ、赤ん坊がそのように生まれてくることを男性も知っているべきでは
ないか。生命はそのように危険な道を通ってくるということを。前段が長すぎる^^;。詩をどうぞ。

 ひよめき  柴田三吉

そのちいさな穴から
まだこの世のものとも定まらぬ
いのちが出入りしているのだという
ひよひよ うすい膜をふるわせて
いのちはときに
たわいない擬態語で
つかまえられる

せまい道を くぐる
胎児の頭骨は
欠けた皿のように別れている
骨はじきにかみ合わされていくが
ひたいの上 数センチのところにある
その穴は 最後に残った
ためらいなのだろう

ためらいつつ
頭骨は密閉される
そのとき ひとは自分を閉じる
自分というもののなかに閉じ込められる
もう死ぬまで
外へは出られない

  ○
 
死ぬまで外へ出られない。ひとはその容れ
もののなかで<わたし>を育て<わたし>を殺
してきた。ときに笑い声を響かせ 泣き声を
響かせ 美しい音楽を響かせてきた。ぎざぎ
ざの縫合線は 大むかし ばらばらになった
大陸が ひつところにかえってきたようだと
いのちの仕組みの精巧さに わたしはうっと
りしてしまう。

けれど 蒼穹にくるまれた野。湿った土から
取り返された 髑髏の山。白くかがやく塔の
真ん中に 数千の<わたし>の抜け殻がなら
べられている。頂には鈍器でうがたれた穴。
その日 そこから だれかが 引きずり出
されていった跡。

いのちが出ていった場所に
触れてみれば
ひよひよ
ひよひよ
指のあいだを
風とも 息ともつかぬものが
吹き抜けていくのだ

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08/12/22(月)
廿楽順治詩集『たかくおよぐや (思潮社)

「つづらじゅんじ」と読むそうだ。05年の現代詩手帖賞受賞者と後で知ったが、不勉強な私のことな
ので、松下育男さんたちが出している『生き事』4号に載った長詩「化車」を読んで初めて知った。強
烈な印象だった。選詩集を送ったところ、詩集2冊が届きうれしく読んだ。『たかくおよぐや』は07年秋
に出た第二詩集。今年読んだなかで最も印象に残った詩集のひとつである。発想が自由な上に言葉
の扱いが自在である。しかしいわゆる「跳んでいる詩」というのか、スタイルだけが突出して言葉がわ
がままに使われている書き方とは全く異なる。かしこまった文章語に乱脈な話し言葉を投げかけたり、
突然古めかしい言い回しでつないだりと、言葉をみごとに駆使し、時にイメージをはずされたりしなが
ら読み進むのが快感である。しかし、その間も常に人間や、時代の輪郭が影のように私たちをかすめ
ていくのを感じている。この詩集には、以下にあげる源七堂接骨院のような不思議な店が集まる幻想
的な街並みがある。出られなくなることがあるので要注意である。

骨と骨のつながり方というので接骨院の話と思っていると、火葬場もダブってくる。くびでぶら下がっ
ているとなると、その骨はどんな死に方をしたのだろう。昭和の初めの頃の人らしい。私はそんなに
骨がしっかりしていない、などと思わず雑念がはいる。骨だけでなく人と人とがつながる形も浮かび
上がったりする。大事な「もしもし」について中国の人が教えてくれたりするからだ。「ポスト・モダン」
を「ご きんだい」と訳せば日本人的感覚からは違和感もあるが、日本語の翻訳もみな同じようなもの
だろう。「脱構築」などという妖しげな訳語も流行したではないか(「脱/というのは/ずいぶんなつか
しい身のありかたである」)。何でも「脱」をつければ新しいという時代風潮も少し経つと「なつかしい」
ものになってしまっている。こうした微妙な感覚を何気なく書いてしまうところがすごい。そうした移り
行くものを視界にいれて詩が書かれているが、ここに書かれた言葉は古びない、と私は感じる。人間
は「接骨」をし続けるだろう、どんな時代にも。

 源七堂接骨院

かわなんかなんまいも脱いだつもりだったが
どうしてかやせない
じぶんと
じぶんがつながっているときの骨のおもたさ
しろいか
きいろいか
つながっていないひとにとっては
やるせないいいかただ
源七堂接骨院
こういうところがとつぜん
かわしようもなくあるということを
いつまで
おぼえていられるか

というのは
ずいぶんなつかしい身のありかたである
ご きんだい
と院生の楊さんはいい わたしは
すこしおかしいとおもってしまった
脱いで
ひとの骨につながって
(そうしたいとおもったわけでもないのだが)
大正のころ
にほんじんはよくでんわをかけていた
楊さんは
研究のなかで
だいじな(もしもし)をみつけた
そういう骨と
骨のつながりかたがあってもいい
それからすこしたって
(つまり昭和のはじめのころ)
この年代のひとたちはね
みんなからだのきそができているんですな
大腿骨
かもしれない
こんなにながい箸ではとてもつまむじしんがない
くるぶしあたりのものを
えらんだのである
でも

だとむやみにいえるだろうか
(くびで)
(ぶらさがっているだけだからな)
源七堂接骨院
の前をとおりすぎながら
なくなった骨と
骨のつなぎめのことをおもう
おもう
ということだけで
これからどうやっていきていくのか
(なにをいまさら)
目がさめて泣いているひとはみんなそうだよ

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08/12/18(木)
以倉紘平詩集『地球の水辺 (湯川書房)

今更だが、1992年の詩をあげてみた。じつは、4百字原稿用紙で3枚以内で、一編の反戦・平和
をテーマにした詩(自作・他作を問わず)を引用し、それについて何かを語れ、という依頼があったこ
とを締切りギリギリで思い出したのだ。で、私はすぐにこの作品を挙げることにした。最初は部分引
用しかできないと思っていたが、打ってみるとほぼ2枚でおさまることがわかった。私はあと1枚分
で何がしかを書いた。詩を読めばわかることなので、それほど意味のある文章でもない。大切なこと
は、この詩を読んでもらうことだ。
詩集全体についていうと、15年ほど前にH氏賞を受賞、評価は定まっている。知的センスにあふれ
ているが、抑制されていて押し付けがましいところが全くない。静かでやわらかな光がどこからか射
している詩世界である。その点からすると、この作品は一見モチーフとしてやや異質な感じを与える
かもしれない。しかし私にはこの作品こそ、この詩集の世界を象徴しているもののようにも思える。
人間にとどまらず、地球にあるすべてのものを愛している詩人である。

 子供の魂
     

沖縄に上陸した米軍カメラマンの八ミリフィルムに、た
ちのぼる白煙を背後にして歩いてくるひとりの少女が映
っている。左手に白旗をもち、裸足で歩いてくる少女が。
緊張と羞じらいでいっぱいになって、トラックを行進して
いる一年生みたいに。突如、少女はめざとく見つけた肉
親に合図を送るかのように、にっこりとほほえんだのだ。
前方の<カメラ>にむかって。なんという無邪気さ。これが
<白旗をかかげた少女>として有名な写真だ。

四十二年後----あの時の少女比嘉富子さんは証言した。

<家族の分まで生きるのよ>匿ってくれたどこかのおじいさ
んとおばあさんの声が耳許に残っている。おじいさんの六
尺をほとんど抜けた歯でおばあさんが切り裂いて白旗を
作り、少女にもたせて濠の外に押し出した。少女はたった
ひとりで歩き出さねばならなかった。樹木や建物のかげに
ひそむ銃を意識して。ここが母や兄の息たえた土地。姉と
別れ別れになった場所。風景をしっかりと目に焼きつけ、
重い足どりで。けれども前方の屋上に自分を狙っている
<銃>がある。<こわくても泣き声を出すな、笑って死になさ
い>父の最後の教えに忠実に、少女は今まさに自分を撃と
うとする敵に対し、にっこりとほほえんだのだと。それはけ
っして無邪気からのものではなかったと。

ああ、しかし守礼の国の少女よ、あなたは気づかずにこの
世でもっとも美しいしぐさをひとつした。手をあげ、やさしく
その手をふったのだ。小さな生に、沖縄の海に空に、道ば
たの花に、そして自分を狙う敵に。 

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08/12/11(木)
新川和江「Lethe--
忘れ川 (「現代詩手帖」07年10月号)

詩集『記憶する水』(現代詩花椿賞)が話題になったが、その後「現代詩手帖」で「新川和江の詩の海
へ」と題した特集を組んだとき、新作3編を発表した。同誌のインタビューの中で、全詩集を出した後、も
う仕事はしないと決意していたという言葉があった。「新川も枯渇したね」と言われるのが怖かったと。
「でも人間ってかなり生きるものなんですね。私は四十歳のときに死ぬものだと思っていましたのに、そ
れからずうっといまも、生きてますもの。自分でもおどろいています。」 そうして出された『記憶する水』
も素晴らしかったが、さらにその詩集以後のこの一篇は心に沁みる作品だった。芸術は自分で終えよう
として終えられるものではないということをしみじみ思わせる。俗な感性でいうと牛や空を流れていく少
女が私にはシャガールの絵なども想起させた。冒頭の牛のイメージは強烈である。その黒牛が見てい
た少女がいつか天上の川を流れ、うれしげにこの世界を見渡しては、眠りの中に去っていくのを読者は
見送るが、実は私たちが見送られているのである。さらには自分が自分を見送ることであることに気付
かされる。あかい金魚模様のゆかたを選んでレーテーを泳ごうとする幼女の無邪気さには、はかりしれ
ないやさしさがあり、詩人の魂がある。

Lethe--忘れ川

あの黒牛を探さねばならない
聖者のように痩せて
ふるさとの川岸に佇んでいた黒牛
仰向けに流されてゆく幼いわたしを
じっと見ていた あの黒牛

わたしは水を恐がりもせず
むしろ嬉嬉として流されていたのだった
なんといううつくしい空!
かがやく白雲
ツーィ と横切る鳥の影
根を洗われている水際の芹も
鎮守の森のたたずまいも
地上で見ていた時とは異相の景色を
つぎつぎと川は見せてくれていたので

胃の中の草を反芻するでもなく
百年も前からそうしていたように
立っていた黒牛は
百年ののちにもどこかの川岸に
佇んでいる筈であった
川は青空を映していたから
空の只中を流れてゆくちいさな村娘
視座を変えて見ることのすばらしさに
目を瞠っている女の子を
かれの目は捉えていたのにちがいなかった

網膜にインプットされたその映像を
丁寧にお願いして返して貰い
現在(いま)のこのわたしに重ねて
旅支度をそろそろ調えようと思うのだ
裾短かに着た祭りのゆかたは金魚の模様
黄のメリンスの兵児帯は
ほどいて肩にかけ 領布(ひれ)にしよう

天上を流れる川に身を委ねて
見おろす地上の風景は なんとまた新鮮なことであろう
生家の屋根 小学校の庭 ぶらんこ ゆうどう円木
紫の花をつけたセンダンの大樹の梢
あの黒牛もいる
子供だったわたしには大河に思えたものだが
村はずれを流れるささやかな野川も…

畑を耕す農夫が 手を休め腰を伸ばし
----今日もはあ ええ天気じゃったのう
空を見上げてとなりの畑の農夫に言う
わたしは微笑って金魚模様のたもとを振る
----なんか今 赤いもんが
   チラッとひかったんじゃないかい?
----夕焼けじゃろ
などと言い合い どちらもすぐに忘れてしまう
もうひと働き と鍬を持ち直す

わたしもすぐに忘れてしまう
やさしかった人 なつかしい人たちに
領布をそよがせ合図を送りながら
送るそばから 忘れてしまう
いいきもちで
時折うとうと居眠りもして
天の深みへ流されてゆく 流れてゆく

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08/12/03(水)
宇宿一成詩集『光のしっぽ』 (土曜美術社出版販売)

お医者さんの詩人らしい。当然、科学的・医学的な視点の詩もある。逆に子どもの成長などはどんなふ
うに見えるのか興味を持ったが、案外ふつうの感覚であるようだ。詩集を読んでいて、動物がたくさん出
てくるなと思った。詩の数でいうと10篇くらいにはなるだろうか。人間は言葉を使ってどこかでつながれ
るというか、解析が可能で、動物とはそれができないように見える。しかし、というか、だからというのか、
そのつながらない部分を凝視することがこの詩集のひとつの切り口になっているのではないか。最後に
おかれた作品は、妻が病気をしていて、家族がそれを見守っているというモチーフの詩だが、子どもは
言う。「大事な卵なの、あしたが孵るんだよ」。主人公は思う。「赤いバケツの卵の中で/おかあさんが
生まれようとしている」。妻は人間でないものに生まれ変わるのだ。これは不思議だが彼の詩が行き着
くひとつの当然の帰結のように思えてくる。解析できないのは人間の言葉のほうであり、逆に動物の卵
のような何かで家族はつながることが可能かもしれないのだ。

 牛眼は緑

先天性緑内障の幼児の
異様に大きな黒い目を
牛眼と呼ぶが
私は
牛の目は緑であることを知っている。

獣医であった父が
子供であった私を伴って
往診に明け暮れていた頃のこと。
斃獣は食肉にはならないので
助からないと思われたその牛を
斃獣となる前に屠殺することを
わずか数頭を飼ってたつきをたてる
零細の畜主は望んだのだ。

父は大きな出刃包丁を
その牛の頸部に刺し込み
肩までめり込ませて心臓を突いたのだ。
父の腕が牛の体から離れると
腕を伝って落ちていた血が激しく噴き出し
寝床のわらを赤黒く染めて広がり
このほうが早く楽になるのだから
そういった父の方に
大きな瞳を向けてうずくまっていた
牛の目が緑色に透き通ってゆくのを
十一歳の私は身じろぎもせずに見つめていた

あの緑の目は
死に臨む明るさであったろうか
意識は昏くなっていっただろうに
私たちもいつか契りする眠りなのだと
ひと仕事終えた父の銜えた煙草の煙が
呟くように空気に散っていった
動物にとって死は
唐突に訪れる一点の暗闇でしかないのか

ひと雨きそうな気配だ。
あのときが
牛眼の緑色の風になって
初夏の鯉幟の間をわたってゆくようだから

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08/11/25(火)
田上悦子詩集『女性力(ウナグチキャラ)』 (コールサック社)

先日、昔の詩集『光る骨』をいただいた(1990年刊)。残部の少ない貴重なご本だったが、それは著者の
ご主人が周囲に自死を宣言していて、言葉どおりに逝ったことを中心的テーマにしており、美しくも痛まし
さに胸ふたがれるものだった。その後、そうしたものを感じさせない詩集を一冊出され、このたびまた新
詩集を出された。奄美を父母のふるさとにもつことがにおいたつ詩や、たくさんの愛の詩など、どれを読ん
でも生命力を感じさせ、つややかさにあふれる作品集だが、一編だけとなると、やはりご主人のことを書
いた詩を引用してしまう。『櫟』に書評を頼まれたので、他の詩についてはそこで詳しくふれたい。
 
 花束

あのひとは
一輪の花も贈ってはくれなかったけれど
夫婦になりました

誕生日のプレゼントは何がいい? と訊かれて
花がいいわ といったけれど
贈ってくれるのは いつも何か他の品物でした

花が欲しいわ
一輪でもいいから花が欲しいわ
一度でいいから
大きな大きな花束を頂戴 と
冗談めかしていったけれど
あのひとはそのたびに
聞こえないふりをするか
微笑んでごまかすか
そのうち いやというほど纏めてあげるよ と
妙に確信をもったいい方でかわすのでした

ある日 あのひとは突然死にました
訃報を聞いた人々がつぎつぎに
花束を抱え 焼香に来てくれたので
狭い部屋はたちまち花だらけになり
隣の部屋まで花があふれ----
誰もいなくなった明け方
あのひととわたしは
花に埋もれて重なりました

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08/11/23(日)
大橋政人詩集『歯をみがく人たち』 (ノイエス朝日)

私の選詩集をお送りしたところ、短い感想と礼状とともに送っていただいた詩集。読み始めてすぐにとり
こに
なった。大事にしようと思う詩集はたくさんあるが、わけても大事にしようと思わせられのはなぜだろ
う。
思いがけない論理を潜ませた行がまばらな柵のように立っていて、その柵の横を歩いていくことじた
楽しい。いろいろな景色が無理のない距離の中にいくつも置かれていて、それを見ていることが喜び
になるからだ。しかし、柵がきれているところがある。とても自然なので、柵があるところと区別できない
ほどだが、そこに来ると私は遠くへ自分が飛んでいくのを感じる。それが詩というものだろうな、と思い、
気が付けばまた、そのまばら加減が最高の言葉に乗ってまたその柵の影の上を私は歩いている。とて
もゆっくりと。こんなに私はゆっくり歩くことができることに今更のように気付き、なぜか満ち足りている。
また、本当のおもしろさというのは透明で、別に急がなくてもよい、ということも思い出させてくれる。

「特になし」

朝からビールを
飲むという人もいるが
近くに住む人で
朝から
その日の日記を書いちゃう
という人がいる

以前は
晩酌前に書いて
日記を書いたら
その後は自由時間と決めていたのだが
もう、いい年だし
面倒くさいから
一日中遊んじゃおうということにして
それでも長年つけてきた日記なので
書かないと気持ち悪いので
朝食が済んだら
すぐ日記を書いちゃうんだそうだ

書くこともないのに書くから
最初のうちは
日記のはずが
年記になったり一生記になったり
調子がつかめなかったが
ある日
思い切って
「特になし」
と書いてから
気分が急に楽になったと言う

「特になし」
は響きもいいし
毎日書いているうちに
「特になし」
が、だんだん心のど真ん中に座り込んできて
日によっては
「特になし」
が、自分を追い越して
勝手に外へ飛び出ていったりする

「特になし」
が、隣組道路清掃に汗を流したり
庭木の落ち葉を集めたり
裏の畑へ運んでいって
日の暮れるまで燃やし尽くしたり
その煙を見上げてみたり


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親しい人が亡くなった時には、落ち込んでしまってなかなかうまく詩にならないものだが、この詩はみごとだと思った。舞台設定はむしろオーソドックスである。彼岸と此岸を分ける川が流れていて、作者も釣りをしているようだ。釣り糸をたれ、ぼんやり考え事をしている時などは、彼岸の友達が反対岸にいる相手にもわかる大きな字を書いてやろうなどということを思いつきがちな時間帯である。しかも笑っている。これが最後だぞ、とでもいうように川の色をした墨で空に文字を書く。何の文字を書いたのかと訊ねる必要もない(自慢ではないが、私などは書なるものはわからない字のほうが多いのだ。大切なことはそれが絵でなく文字であることだ)。両岸の二人にとってそれが字であることがわかっているものが空に書かれ(何とおおらかで信頼にみちた交信だろうか)、やがてそれは飛行機雲が広がり薄れていく時のように消えていく。それと引き換えにこちらの岸のツクシが眼に入る。この種族は漢字で書くと「土」の「筆」か…などと思いをめぐらせていると、避難する間も与えられず、いきなりかぶせられる。「さようなら」と。もっとも単純な言葉がいつまでも心に残る。作者が言った言葉は(音には出していないが)、「見えるよ」と「さようなら」だけだった。

タイトルにも示されているように、釣り関連の詩が多い。なにしろ詩集の冒頭が「詩を書くのをやめてから/フナを釣り始めた/詩を書く友人は少なくなり/ほとんどゼロになった」(「十二月田」)である。そこから届けられた詩集なのだ、と緊張して読み始めることになる(詩誌『生き事』『一個』でほとんどの詩を読んでいるのだが、詩集になるということは、それとは違う何かである)。「新しい浮子」「古い浮子」という二編は並んでいる。内容的にはひとつの詩のような流れではあるが、一応別の詩なので、二つの詩のタイトルが詩集名になっているというのは珍しいと思う。「新しい浮子があれば/わたしはこの陥没した人生から 抜け出せるかもしれない」という「新しい浮子」の最終2行に対して「古い浮子」の最終行は「無数の浮子 浮子の墓場 欲しい浮子など一本もない」と突き放すように閉じられる。それは自分の残骸のようですらある。望みのむなしさと現実に遭遇する絶望を言いたかったのだろうか。そうではなく未来が過去へと集積していく間に出会う「巨大な生き物が深く息をしている気配」との格闘としての現在が描かれたのだ。その生き物は「眠っているわたし自身の内部」であるが、それは生を詩によって表現する者の苦悩を意味しているのだと思う。だから釣りに関わる詩は複雑な葛藤の中にある。釣り人と詩人とフナが退け合ったり重なったりする。どれも心に迫ってくるが、中でも「恍惚の人」は生や存在に惑いながらも目指す何かに向けて身構える釣り師の姿を描いた傑作だと思う。釣りの奥義がこれらの詩を支えているらしいのだが。それらの中で上に挙げた「別離」はモティーフ自体はシリアスだが、静かでのどかな間奏曲的な美しさに満ちている。

比喩が多用されると、日常の言葉が通れない鏡のように感じてしまうことがあるが、逆に、光が大気中から水の中に入る時のように屈折が必要な場合もある。詩は単に鏡であるだけということはできない。言葉が何かにぶつかってはね返っていくもの(その場合、その言葉はぶつかったときのかすかな衝撃や音や光によって記憶される)ではなくて、当たった皮膚や心に溶けて浸透していくものが必要だ。水の表面で反射することで得られる輝きと、水の中に入っていく光のバランスのようなものだろうか。佐々木安美の言葉には輝きもむろんあるが、人間の肌やたましいに浸透していく深い力を持っていることを、この詩集を読んであらためて実感した。


 

心は
明日へと
果てしなくつづく大空の
いつも
今日の駅

 


 
思えば生きるということは、何かしら待つことだなと思う。それが心を持つということ
だとも、この詩人は言う。それは人間が皮膚一枚で大切に持っているもうひとつの自然な
のだと。はっとするようなことをこともなげに言えるのがすごい。そして遠くを見やる目
には、それが駅だというのだ。日々使っている駅が汚れを洗い流されると、こんなにもす
ばらしいものだとわかる。繊細で感受性の鋭い人は、それを言い表すのに、微妙で分かり
にくい言い方になりやすいが、この人の言葉はなんと明快なのだろうか。私がはっとする
だけでなく、次に著者がはっとした、と書かれている詩を引用しておこう。

  千日草
 
ちいさなものを
みるたびに
はっとする
 
こんにちわ
というので
こんにちわ
とかえすのだが……
 
おおきなわたしは
はずかしい


 
もうひとつ、花よりは大きいかもしれないが、人間のうちではちいさいものを書いた小
さな詩を最後に。

 

 
  赤ん坊
 
生んだのではない
うまれたのでもない
母よ
生き返った、と言いなさい
でないと
あんなに真っ赤に泣くものか
 
 

 


『盛夏作品特集』のトップに掲載されたものだ。出だしを読むと
奇矯なかっこうをした自称「詩人」へのからかいの詩かなと思っ
たが、そうでもないと感じるようになった。なぜなら「ひとつで
もきにいったしをみつけてほしい」というのは、あまりにも自分
の気持ちと一緒だったし、「詩とは何か」と訊かれたら私も答え
られないだろうと思ったからだ。人生というのは、真に訊きたい
ことがある時は質問の時間は与えられず、質問自体が無意味な時
に、その時間が与えられる。「何か質問は?」と。質問も答えも
いらない時間が詩にふれた時間なのに。

私は単純な人間なので、「あなたは詩人です」という気持ちのこ
もった拍手を受けたら、きっと涙ぐんでしまうと思う。それが子
どもたちだったらなおのこと。「たくさんたくさん書くつもりで
す」と私も思っている。「どっかにわすれものでもしたみたい」
と子どもやおとなが感じるような詩を。

今朝、夢を見た。薄暗い部屋に壁に文字が書いてあって、コイン
を渡すと、年寄りが歌をうたうように読んでくれるのだ。同じ旋
律を繰り返しているだけだが、その旋律に乗せないと壁の文字は
読めないのである。読めても意味が伝わってこないのだ。目がさ
めてからもそのメロディだけが私の中に流れ続けていた。これは
何の曲だろうと必死に思い出そうとした。最初それはスメタナの
「モルダウ」のようだと思ったが、もう少し悲しい感じがした。
そしてようやく、わかった。「死んだ男がのこしたものは」(詩
・谷川俊太郎、曲・武満徹)だった。夢はいつも不思議なことを
する。

 

千年、万年、石の地蔵に似たものが

 

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